七章 4


 ワレスは枕元の剣をとって立ちあがる。


「二階のどこだ?」

「七号室です。ご存じかどうかわかりませんが。近ごろ、ウワサの変死事件です」


「第三大隊であったというやつか? 人間が爆発するという」

「はい。それです。今、分隊長が監視に残っておられます。同じ部屋にいた者は、ひどく混乱しておりますので、いったん室外退去を命じてあります。よろしかったでしょうか?」


「ああ。おまえは、このまま、中隊長に報告を」

「了解しました」


 クルウと別れて、ワレスは階下へ急いだ。四階、三階あたりでは、さわぎを聞きつけて野次馬が出てきている。


「ラグナ。バルバス。誰も下へおろすな。廊下にいるやつらは自室へ帰らせろ」


 見張りに立つ部下に声をかける。が、返事はない。


「聞いてるのか? バルバス。ラグナ」


 二人はなんとなく、よそよそしい。


 くそッ。あのウワサのせいか。


 ワレスにかかる、ぬれぎぬが原因だ。しかし、腹を立てている時間はない。ワレスは二階へとおりていった。


 七号室はちょうど階段のおりぐちだ。

 階段は東と西、二ヶ所にある。もう一方はどうなってるだろうと考えているところへ、ハシェドが声をかけてきた。


「小隊長。お体はもういいのですか?」


 ためらいがちな声。


「ああ、もういい。それより報告を……いや、その前に、東がわの階段の見張りは?」


 我ながら、だいぶ、あがってる。


「はい。隣室りんしつの連中に頼んで立たせてます。いずれ、クルウが三班をつれてくる手はずです」


 おれの目を見ようとしないな。ハシェド……。


「……ならばいい」


 ワレスはすぐ近くの一号室のドアをたたいた。


「ドルト小隊長はいないのか?」


 各階は大部屋が十二。小部屋が四。一個小隊で一階ぶんを使っている。上の階から、第一小隊、第二小隊……と下がっていくので、二階は第五小隊だ。

 ドルトは第五小隊の隊長である。


「任務中だそうです。今、第五小隊の第一分隊長が呼びに行きました」と、ハシェド。


 いるならば、これほどのさわぎに出てこないわけがない。


 廊下には青い顔でふるえた、七号室の住人しかいない。ほかの部屋の者たちは、遠巻きにようすをながめていた。


「部屋はまだ、そのときのままか?」

「……ごらんになりますか?」

「ああ」


 気まずい思いで、ハシェドの顔を見ているよりはマシだろう。

 そう思っていたが、部屋のなかをのぞいて、ひとめで後悔した。

 話に聞いていたより、ずっとひどい。室内いっぱいに散乱した汚物が、もとは人間だったとは思えない。誰かが癇癪かんしゃくをおこして、屠殺場とさつじょうを部屋じゅうにぶちまけたようだ。


 一歩、入ったとたんに、ワレスはひたいに生ぬるいものを感じた。見あげると、天井にまで血がとびちっている。はりついた血まみれの髪から、しずくがたれているのだ。


 ぞッとして、ワレスは外へ出た。


「気持ちのいいものではないな」

「隊長。ひたいに血が」

「ああ」


 ひたいを押さえると、手にねばりつく。

 ワレスは赤黒くなった自分の手を見ながら、口をひらいた。


「報告を」


「さきほど持ち場を巡回中、七号室より異様な物音がしました。のぞいてみたところ、すでにこの状態でした。そのとき、なかにいた九名は硬直こうちょくしていました。やがて、さわぎだしたので外へつれだしました。そのあと、室内に入った者はおりません」


「異様な音とは、どんなものだ?」


 ハシェドは青ざめた。


「なんとも形容しがたいですが……重い砂袋を床にたたきつけたというか。水をいっぱいにつめた皮袋がやぶれたような? そんな音がしたあと、千粒の豆がいっせいにハジけたと言った……ビチャビチャビチャっと……ものの数秒でしたが。ただごとではないと思いました」


「それは、たとえば、人為的に作ることのできる音だと思うか?」

「と、おっしゃいますと?」

「たとえば、ここにいる九人が結託し、一人を殺害。のちに、あたかも怪異が起こったかのように見せかけることができるかどうか」


 青い顔の七号室の住人よりも早く、ハシェドが首をふる。


「それは不可能です。おれがドアをあけたとき、九人は車座にすわっていました。カードをにぎったままの者もいました。あの音がしてから、ドアをあけるまでに、ほんの数瞬です。人体をバラバラにして、ばらまいたあと、あの体勢にもどることはできないでしょう。それに、返り血はあびてますが、彼らの手は汚れてません」


 数瞬なら、手をあらう時間は、もちろんない。

 ワレスはうなずいた。


「本気で言ったわけじゃない。あれは正気の人間ができることじゃないな——同室者の言いぶんは?」

「今、聞いていたところです。でも、ろくに口のきける状態じゃなかったので」

「では、話を聞こう。七号室ということは、第二分隊だな。分隊長はいるか?」


 一歩なかへ入っただけで、血のしずくをあびたほどだ。

 事件が起こったとき室内にいて、まともに返り血をあびた九人は、まるで殺戮さつりくの場から現れた亡者の群れのようだ。


「分隊長はいねえよ。おれが三班の班長だけど」


 そう言った男も、頭のてっぺんから足のさきまで血まみれになっている。

 男はふるえをおさえるように、あげかけた手をにぎりしめた。


「どうもこうも、ねえよ。カ……カードを、いつものやつ。やってたら、急に——急に、ウォードのやつが……」


 あとは、もう言えない。


「急に、どうなった?」

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