一章 2


 ギデオンの男色家としての趣味は有名だ。長年、ギデオンの右腕をつとめる、メイヒルの女性的な容貌を見れば、誰しもかんぐりたくなる。


 年はワレスより三、四つ上だろうか。

 ストレートのブロンド。

 忘れな草色の瞳。

 小作りで女っぽい顔立ち。

 正規兵によくいるような、きまじめなタイプだと、表情から見てとれる。


 だが、その目が、ワレスを見るときだけ変わる。切るような冷たい目だ。

 メイヒルのギデオンを見る目つきから言っても、兵士たちのウワサは真実なのだろう。


(おれもあんな目をして、ハシェドを見てるんだろうか?)


 そんな思いが胸に浮かぶ。

 その胸のざわめきが消えないうちに、ギデオンが言った。


「第一小隊長メイヒル。第二小隊長ワレス。両者の対戦をもって、本日の勝敗を決する。勝負はこれまでどおり、一本勝負——始め!」


 集中できてなかったワレスは出遅れた。


 試合では、対戦相手を傷つけてはならないというルールがある。真剣だが寸止めだ。


 だが、メイヒルの剣には殺気がこもっている。わざとワレスを傷つけようとしていた。勝負をつけるために、ふつうに狙うところを狙ってくるのではない。顔や足など、致命傷にならず傷つけることのできるかしょを、しつこく狙ってくる。


「なんか変だな。今日のメイヒル隊長」

「ああ。技が小さいってか」

「でも、気迫はあるぜ」

「ワレス隊長が牽制けんせいしてるせいだろ?」

「あッ。ワレス隊長が足をとられた!」


 兵士たちも、どこかいつもと違うものを感じて不安げに見ている。


 注目のなか、ワレスはメイヒルの突きをよけそこね、足をすべらせた。

 するどい突きが、そのまま鼻先に迫る。


 殺される——


 ワレスが思った瞬間、ギデオンの声が響いた。


「そこまで!」


 メイヒルの剣が、ワレスの頰をかすめて止まる。


「勝負あり! 本日の勝利は第一小隊」


 失望の声が部下たちのあいだで起こる。

 ワレスはそれを、無様ぶざまに石畳に倒れたまま聞いた。


(こいつ。おれを切り刻むつもりだった)


 ワレスはメイヒルと静かに、にらみあう。


 ギデオンが声をかけてきた。

「メイヒル。これは試合だぞ。やりすぎるな」


 メイヒルはワレスを無視して剣をおさめた。


「申しわけありません。ワレス小隊長がなかなか使うので、つい本気になってしまいました」


 違う。つい我を忘れたとか、そんな感じではなかった。

 だが、腹は煮えるが、いつまでも石畳に這いつくばっているわけにもいかない。ワレスは立ちあがり、剣をひろう。


 すでに兵士たちは散りはじめていた。その波にさからって、ハシェドがかけよってくる。


「ワレス隊長。大丈夫ですか? 頰から血が出ていますよ?」

「ああ……たいしたことはない」

「ひどいなあ。メイヒル小隊長。わざと傷つけようとしてましたよね」

「しッ。聞こえるぞ」


 そばにまだギデオンとメイヒルがいる。


 ワレスはたしなめた。

 が、ふだん人のいいハシェドが、めずらしく憤慨ふんがいしている。


「だって、あんなんでいいなら、おれだって——」

「まあいい。すんだことだ」

「そうですか? いくら試合に勝ちたいからって、あれはないですよ」


 ハシェドが言うので、ワレスは笑った。


 別にアイツは試合に勝ちたかったわけじゃないさ。


 そのとき、ワレスは背後から呼びとめられた。


「ワレス小隊長」

 ギデオンだ。


「なんですか? 中隊長殿」


 ギデオンはふりかえったワレスを、吸いよせられるように見つめる。ワレスにかすかな痛みをあたえる、頰の傷を。


「今日の試合はまずまずだった」

「ありがとうございます」


「しかし、おまえは見たところ左利きだな? なぜ、左を使わない? 右もよく訓練されてはいるが、受け身になると、必ず型どおりになる。学校で教わる試合向きの剣さばきだ。実戦では一瞬の遅れが生死をわかつ。左を使え」


 言いながら、なおもワレスの頰ばかり凝視する。

 ワレスは薄気味悪くなった。黙って頭をさげる。


 ギデオンは無意識のように、ワレスの頰に手を伸ばしかけた。そこで我に返り、去っていった。メイヒルがついていく。


 二人の後ろ姿が小さくなるまで、ワレスは見送った。


「あいつ、血を見ると興奮するタチか。つくづくイヤな性分だ」


 ハシェドがギデオンをどう思ってるのかは知らない。

 ワレスと上官の軋轢あつれきを回避させるのも、下士官の役目とでも思ったのだろうか。とりなすように言った。


「でも、さすがですね。おれはぜんぜん気がつきもしませんでした。ワレス隊長、左利きなんですか?」


 ワレスは返答につまる。


「まあな……」

「太刀筋でわかるなんて、やっぱり凄腕なんだな」

「おれの粗探しばっかりしてるからじゃないか?」


 まったく、イヤなヤツだ。

 人が隠してることを、さらりと見抜く。


 だが、ワレスは文句をつけたくなるのを、ぐっとこらえる。それについてはあまり言及されたくない。


 しかし、ハシェドはたずねてきた。

「なんで左を使われないんですか?」


 あの日も、今日のように寒かった……。


 ぼんやり考えながら、ワレスの口はしぜんに言いわけをする。


「学校では右持ちが普通だった」

「へえ。ほんとに学校に行っておられたんですね。どおりで、我々とは頭のできが違う。剣のかまえも、きちんと基礎があるとは感じていましたが」


「おれのは試合用だ。中隊長も言ってたろう。実力はおまえのほうが上だよ」

「おれのはケンカ殺法ですから。ああいう試合は苦手です。よければ今度、正攻法というやつをご指南ください」


 ハシェドの疑いのない眼差しが痛い。


 騎士学校で右を使うことが主流だったのはほんとだ。ワレスはそれに乗じて、左手を封印してきた。使えば、あのことを知られるような気がした。


 あのとき、すでに、ワレスの手が人の血で汚れていたことを……。


(後悔はしてない。だが、人に知られるのは怖い。ハシェドにだけは知られたくない)


 ワレスが砦に来て、まもないころ。周囲から孤立して苦しかったときに、つねにかたわらで励ましてくれたハシェド。


 自分でも知らぬまに、そんなハシェドに片恋していた。

 そっと、よこめでながめる。

 ハシェドの甘く男らしいよこ顔。ブラゴールの血をひく、ハシェドの褐色の肌を。


 視線を感じたのか、ハシェドもワレスをながめてきた。


 あわてて目をそらす。

 そのしぐさが自分でも不自然に思えて、頰が上気するのがわかる。

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