第三節 ◆プロメテウス遺跡前/天士 ムーサ

 ――アリオト・プロメテウス遺跡前。

 吹き叫ぶ荒野の砂風が目や肌に刺さり、視界も芳しくない。つい先ほどの強い地響きにより壁が崩れかかったことから、カノープスは思っていたよりも遺跡を出るまでに少し時間がかかってしまった。

 もともと気候の変動が激しい地域ではあるものの、こんな短時間で急に天候が崩れることは滅多になかった。

 回廊を抜け、遺跡の正門にて主人と青年戦士に追いついたカノープスは、外の景色の変わりように若干驚きつつも二人の元へ足を早めた。

 正門前には、大理石と花崗岩のブロックで半円状に積まれた祭壇跡があるのを到着時に確認し、カノープスはそこにメラクの兵士たちを待機させていたのだ。当然、出立するのだから主人らもそこに集い、自分を待っていたのだった。

 ……しかし、彼はザウラクとアケルナルの様子がおかしいことに気が付く。彼らはカノープスに対して背を見せ、味方ながら無防備にも棒立ちでいたのだ。

「いかがされましたか、閣下」

 声をかけられたザウラクは、なぜかカノープスの方へ体を振り向かなかった。カノープスは、激しい風音に己の声がかき消されたのかと心配したが、主人が左手を挙げた姿を視認し、ちゃんと聞こえてはいたようだと安心した。

 カノープスが二人の隣へ向かう。老戦士が黙り込む主人の顔を覗き込むと、ザウラクは口を閉ざしたまま――否。何かにおびえたように目を剥き、口を半開きしたままこわばっていた。

 そして、ザウラクは右手をおもむろに挙げると、籠手の金属摩擦音、衣擦れの音すら立てないように。非常に重くゆっくりと、慎重に、ただある一点――空を、指差したのだ。


 ”――なんだ、あれは。”


 主人の指先が示す方向へ仰視したカノープスは、ただただ驚愕した。有り得ないものが、今、己の眼前に立ちはだかる。少なくとも自分たちがアリオトに到着した時には、この無人の茫漠同然のこの地にこのような物は存在していなかったはずだ。なら、いつ、”これ”は現れたのか。

 ……あまりにもこの世のものとは思えぬ、異質なモノ。これをどう形容し呼べばよいのかすら思考が奪われる。我々には説明不能な、未知なる恐怖。


 ――”塔”が、聳え立っていた。


 塔、としか現状ではどう例えていいものなのかわからない。

 しかし、それは巨大な円柱形をしており、どういう理屈なのか土台も無しに大地にしっかりと聳え立つその姿は、そう形容するしかほかなかった。このプロメテウス遺跡からおよそ1ケイトマート離れた南東の方角にある、エリュシオン民から「大王の腹」と呼ばれる平野に、それは建っていた。

 塔、と例えるのだから当然、空へと高く伸びた先に細長く先が尖った屋根と思しきものが確認できる。何と言っても、砂嵐の向こうに垣間見えた黒き尖塔は、塔そのものを中心に風を巻き起こしているようにも見える。カノープスは細かい砂が舞い上がる強風により気づかなかったが、天を仰げば、澄んだ春の夜空いっぱいに満天の星が、今にも落ちてきそうなほどに煌めき瞬いていた。

 不気味を通り越してもはや異常なるこの状況に、三人は異物から目を離せずに、ただ立ち尽くすしか無かった。

 そんな中、ザウラクは己やカノープス、アケルナルの隊の兵士たちの姿が極端に少ないことに気が付く。アケルナルがここに到着した時点で、すでに三十名程度は集結していたはずだ。今、視界に入る者たちだけでもほんの十数名程度しか確認できない。


 ”残りの兵士たちは、一体どこへ……?”


 思考がやっと解凍されたザウラクの心配に共鳴するかの如く、眼前の異常は彼らに混沌と驚怖をもたらした。

 ぞおっ、と突如として響く地鳴りが、ザウラクたちの鼓膜と心臓を震え上がらせる。地鳴りはやがて地震へと変わり、震えた空気は低く醜い、おぞましい唄をさえずり始める。

 目を逸らしたいのに、瞼が、首が、体が言うことを聞かず、凝視してしまう。

 ザウラクたちは、いま自分たちが見ているこの光景が現実だと受け入れ難かった。何せ、巨大な塔がいきなり”伸びた”などと言ったら、誰が信じてくれるものか。

 ……そうだ。この”塔”は、いつの間にか建っていたのではない。何しろ、”地中から生えてきた”のだから。

 ……このことを公に話せば、ただの世迷言だと罵られるのだろう。いや、もしこれが我々が見ていたただの悪夢で、現との境を見失った世迷言であった方がどれだけよかったことか。

 しかし、ここでザウラクたちは更なる狂気に侵されることになる。


 ――蕾が、花開いた。


 ……名状し難きその尖塔。その屋根と思しき先端部分に突然、縦に亀裂が走ったのだ。ぱしん、ぱしんと見た目に反して軽い音を立て、亀裂は勢い良く下へと稲妻のように降下し、根元で静止する。その亀裂から淡く青い光が漏れ出したかと思うと、先端部分がゆっくりと裂け始めた。

 いつの間にかあれ程強く吹き荒れていた風はやみ、砂煙が晴れて視界が明瞭になった。しかし、それはザウラクたちの恐怖をより駆り立てることを意味する。

 先ほどまで”塔”と認識していたものは、今や超巨大な”花”となって、この閑散とした枯れ死んだ大地に咲き乱れようとしている。三又に裂けた花弁の内側には、無数の襞が蠢く。

 襞は、星々が瞬くこの夜空と反転した、昼間の爽やかな空を映したように青く発光しているのが見える。

 ”花”が裂けてから、全長の約三分の一ほどに及んだ。裂け目の隙間から、小さな何かがごぼごぼと溢れ出し、根元の地面に落ちて土煙が舞った。視力の良いことが自慢だったアケルナルは、それらの正体を視認した瞬間。はげしくおのれの目の良さを後悔し、悲痛に満ちた声を漏らした。

 ――未だ花弁は咲き、いや、裂き続けていく。……これだけの高さだ。およそ六〇〇マート程の高さを、一戸の城と変わらぬ規模を持つ肉の蕾だ。

 このまま、この”花”が裂き切って、内側の青き花弁が満開になったその時。花弁は大地を覆いつくして、我々を飲み込んでしまうのだろう。そうして、花――三又の口吻を閉じた後は体内で消化し、骨と鎧だけになった我々を、またこうして排泄のように吐き出すのだ。

 アケルナルは、変わり果てた部下の姿に悲泣し口を押さえる。勇ましく責任のある彼らのことだ。きっと、いち早く異変を察知してあの異形のもとへ斬り込みに向かったに違いない。それなのに、自分よりも若い彼らと比べて己ときたらこの体たらく。

 ……何とも、無様この上ないことか。

 青年戦士は、喉奥から込み上げてくる胃液と自責の念を、嗚咽とともに飲み込んだ。


 ……そんな彼らにはお構いなしに、超巨大な青き花は、肉の花弁の領域をどんどん拡張していく。

 ぱしん、ぱしんと相変わらず肉の裂ける音は止まず、さながらこれがこの異形にとって空腹時の腹鳴なのか。


 怖気が全身を襲う。ザウラクは、現実の恐怖から、脳裏に走馬燈が駆け巡る。



 ―――自分を尊敬してくれる、勇敢で心優しき部下たち。

 ―――堅実で働き者の、領主を慕うメラクの民。

 ―――生涯ただひとり愛した女。病弱な妻を看取った、秋の暮れ。

 ―――おてんばで元気と明るさが取り柄の、可愛い最愛の一人娘。



 ―――その愛娘を側室として娶った、憎き白亜のユピテル帝。




 ぱしん、と。ザウラクの中で何かが、弾けた。



×             ×



 ――五十二年前、帝歴一一九五年。ギガントマキアの終戦直後。

 勝利した連合国軍を前に、ユピテル帝による終戦宣言の演説時のことをザウラクは思い出す。確か、この演説は帝都のアイギス城にて開かれたはずだ。

 まだメラクの領主ではなかったあの頃……。先代領主であった自分の父親が先頭に、若かりしカノープスに続いてメラクの戦士たちが列をなす。その他にはオリュンピア、ドゥーベ、フェクダ、メグレズ、ミザールの五か国の軍が、帝都オリュンポスへ集結していた。

 当時、まだ十三歳という若さでメラクの部隊長に就任したザウラク。

 領主の息子たるもの、と父から隊長を任命された彼は、お飾りになるのはまっぴらごめんだと日々鍛錬を積み、戦場では幼いながら次々と戦果を挙げていった。今思えば、そんな自分の性分を見透かして、父は幼い息子に隊長を命じたのだろう。

 ついに自分の努力と武功を部下たちに認めてもらえた時は、彼にとっては、大戦の勝利や武の勲章を授かった時よりも非常に誇らしかった。

 ザウラクは前方に目をやると、舞台に、かの連合国総帥にして現皇帝のユピテルが立っていた。

 雪を欺く肌に、清流のような美しい金の髪。若々しく綺麗なその男は、我ら戦士のように戦場とは縁のなさそうな青年だということが遠目でもわかる。

 しかし父の話では、ティタノマキアでクロノス大王をあの細身の優男が自ら討ち取り、瀕死の重傷を負ったという。そして見事、命の危機から復活し、連合を導いてみせた実力者だと聞いたザウラク少年は、ユピテルにこれまでの自分の姿を重ねたのだった。

 舞台に立つユピテルの後ろに、白き巨大な長方形の板が付き人たちによって丁重に運ばれてきた。板には、金色の幾何学模様が刻まれており、最初は舞台装飾のようなものだと感じていた。


 ――その時のことをなぜ今になって思い出したのかはわからない。

 だが、ザウラクは忘却の湖畔にて失ってしまった”何か”が、この日に起きたのだということを感じ取った。


『――この日をもって、三〇〇年の長きにわたるエリュシオンとの大戦は幕を閉じた。……さて、長くなりましたが、終戦の祝辞は以上です。しかし、まだこれで戦が終わったわけではありません。

 残るは、ここからまた――別の争いが必ずや訪れる、という事実だ』


 耳障りな雑音とともに、当時のユピテル帝の言葉が脳内で再生される。


『君たち人間は■■、■でいて、■■■だ。エリュシオンのクロノス大王は、■■と■■による共生を選択したが、その中身は■■だった。これは■■としてあるまじき愚考、愚行であったと私は考える。

 しかし、我々■■は、君たち人間と共存共栄の道を歩んでいきたいと考えている。これは君たちの未来にとって決して不利益なものではないはずだ。これは人類と、私との約束だ。

 ――諸君らの負債すべてを、この私が背負ってみせよう』

 

 会場にどよめきが走る。彼を褒め称える者、困惑する者、抗議する者。これまで団結していた連合の関係が、一気に崩れ出した。

 よりにもよって、戦の終結を祝うこの場に、この時に。

 ……戦が、まだ終わっていないというユピテルと、ユピテル自身の言葉を、ザウラク少年は身をもって恐ろしく感じた。

 この混乱を、鷲羽根を纏う白亜の男は片腕を挙げただけで場を収めた。静まり返る戦士たちに、彼は微笑を崩さずにいる。

 穏やかに、やわらかく微笑む整った顔のその下に、少年は不気味さを嗅ぎ取った。


 ”――この青年は、「どこから」自分たちを見ているのだろう。”


 何事もなかったかのように、ユピテルは朗らかに流麗な声で話を続ける。

『――約束は約束だ。今から、それを証明してみせましょう。

 君たちと私たちが相対し、闘った者たちとの記憶は、必ずこの後も君たちを苦しめることになるだろう。それは、何気ない日常の会話で。それは、誰かの仕草や面影で。それは、家族と眠るあたたかな床の夢で』

 ユピテルの背後に設置された白亜の板が。その幾何学図形の紋様が、金色の光輝を放つ。しかしながらそれは眩しくも、目が潰れるほどの光ではなく。その場にいる誰もが、その金色の光を網膜に焼きつけた。

『今日までの戦には、嬉しい思い出、輝かしい思い出もあったことだろう。

 ……でも、何も悲しい、苦しいつらい記憶までも抱え込まなくてもいいのではないか』


 ――ああ。

 ガラス細工のような、透明で涼やかな音が、黄金の光彩に乗って頭上に降り注いでいく。


『浄化せよ、”ステラ・ムネモシュネー”。……この世の”不和”を、清めなさい』


 会場が、世界が、やわらかな暖かい光の雨に打たれていく。溶けた悲しみは、恐怖は、屈辱は、心に受けた傷は。……雪のように頬を伝って、流れ、さらさらと滑り落ちていく。


 ―――ふわふわ優しい思い出は、きらきら素敵な宝箱へ。

 ―――ぐつぐつ苦しい思い出は、破いて丸めて屑籠へ。



 ―――さあ、このユピテルとともに。 ”世界平和”を、創りましょう。



 


 ぱしん、と。残酷な現実が奏でる音に、ザウラクは意識を呼び戻された。

 

 ……ザウラクはやっと理解した。いや、思い出したという方が正しい表現だろう。今まで頭の中を覆っていた靄が晴れ、記憶が鮮やかに蘇る。――脂汗が、歯の震えが止まらない。

 なぜ、ここアリオトが禁域地帯に指定されているのか。なぜ、ユピテル帝がアリオトまで自分たちを追ってこなかったのか。

 いま眼前に聳えるは、遥か彼方の宙より訪れし、人のみを狩る人知を超えた異形の怪物。


 ――すなわち、”天士”。

 ギガントマキア時において、クロノス大王・エリュシオンの民らが引き連れた人類にとっての脅威であり、連合国が命を賭して戦った、仇敵である。


 人間は、極度の恐怖を越えると筋肉が硬直し、体の自由が奪われるという。まさしく今、ザウラクにとってこの瞬間がそうだった。慄然とするのは、ザウラクだけではなく。カノープスや、アケルナル、生き残った部下たちもまた同様だった。

 つい先ほどまで驀進を高らかに謳っていた声は嗄れ、立ち止まらぬと誓った足は竦んで動かない。ザウラクは生まれて初めて、蛇に睨まれた蛙の気分を味わった。否、記憶を取り戻した今となっては、二度目というべきか。

 一方、蛇の方はというと、三分の二ほどまで開いた巨大な口を、ゆっくりと回転しながら地面もろとも獲物を逃さぬと引きずり込もうとしていた。

 巨大な口の三又に裂けた口吻の襞が、胎動するかのように蠢く。喉奥から噴き出る生臭く湿った息が、怪物が回転で巻き起こす風と交わる。じわり、じわりと舞い上がった砂塵とともに、不快な風が肌にしつこくまとわりつく。

 どうやら、はじめにこの怪物を見た時の猛烈な砂嵐は、”食事”を済ませたすぐ後のことだったようだ。

 

 ザウラクたちは、詰んでいた。最初から、ユピテル帝から逃げた時点で先へ進む道はすでに閉ざされていたのだ。

 せめて、ここであの巨大な天士に一矢報いるにしても、こんな規格外の巨体にとっては自分の剣では針でつつくのと同義に過ぎない。それに加えて、天士は普通の武器では倒せない。

 ――ギガントマキアにおいて活躍した、奴らの唯一の対抗武器たる業物が無ければ話にならないのだ。

 せめて、あれがあったらばこの状況を少しでも変えられる希望が見いだせたというのに……。我々は、何も成すことができないままこの醜い肉の餌になるしかないのか。

 ――ザウラクたちが死を直感したその刹那。

 絶望色に染まった美しい夜空に一条の光が空を駆け、超巨大な怪物を縦に貫いた。


「一体、何が……?」

 

 ……流星に貫かれた肉の花は、ぼおお、ぼおおと悲鳴にも似た声を上げ、徐々に拡張していた巨大な口の回転速度が落ちていく。さらには、せっかく開花したばかりの口吻を、元の状態に閉じていったではないか。

 花弁を閉じた肉の柱に追い打ちをかけるように地上に落ちた星は、輪になって激しく朱い火花を散らす。

 ――数多の命たちを吸った残酷な青い光が、収束して闇夜に消えていく。

 悲しみと恐怖の底から戻ったアケルナルが、弾け燃え踊る流星の正体を視認する。そして、驚愕と興奮を交えた、上ずる声で高らかに叫んだ。

「――閣下!あれは……”人”です!人が、あの化け物を伐り倒そうとしています!!……一人…二人、いえ、――三人!!」

「なんだと……⁉たったそれだけの数で、あれをか!」


 ――ザウラクが驚嘆の声を上げた、次の瞬間。

 突如として、おぞましき断末魔とともに視界が白き世界へと塗り替わる。あまりの出来事に驚倒させられるザウラクたちの前で、黒く萎れた肉の花は最後のあがきとでも言うように、瞬く間に先端が風船状に膨張していった途端。――爆発四散してみせたのだ。


 ……視界が回復し始めたころには、自爆した天士が噴出したであろう肉片や黒く濁った体液が、喰らった犠牲者の残骸と混じり合い、混沌の汚物となって天から大地へ降り注ぐ。

 しかし、それらは地面へ触れる前に結晶化し、空色の鉱石が次々と乾いた地に杭の流星雨となって突き刺さっていった。

「……っ!このままあれらに被弾したら非常にまずい…!ザウラク閣下!!アケルナル部隊長殿!皆の者!……早く!!」

 主人と青年戦士たちに、この場から引くよう促すカノープス。厳格な老将の、普段は聞いたこともない鬼気迫る声に彼らは急いで従うものの、見境なしに地を蹂躙する天の弾丸たちは、あざ笑うかのように逃げ道を次々と塞いで行く。

 加えて最後のとどめだと言うばかりに、恵まれた体格を持つザウラクよりも大きい巨石が彼の上に迫り落ちてくる。それを見たアケルナルが、尊敬する主を庇おうと咆哮し、死に物狂いで前に駆け出した。

 しかし、それももう、間に合わない。


”――もはや……これまでか!”


 ザウラクが青き巨石に磨り潰される覚悟をした、その時。


 ――彼らの前に、一人の人間が躍り出た。

 

 まず、ザウラクの視界に飛び込んだのは、煙る砂塵の中に舞う、夜の闇よりも濃く、長い漆黒の髪。

 ……あまりにもその髪色が濃い黒だったがために、それが鏡となって、天に静かに瞬く星の光を反射する。その様がまるで極光のように、黒髪に虹の冠が煌めいた。


 黒髪の人物は、自身が倒した天士の成れの果て……星の弾丸に、今にも襲われそうなザウラクたちの存在を確認した瞬間。およそ一ケイトマートもある地点から彼らの元へ全速力で疾走し、跳躍して降り立つと、降りかかるその巨石をどこからともなく取り出した大剣で一閃し、見事――”粉砕”してみせたのだ。


 黒髪の戦士が、勢いよくザウラクたちの方へ向き直る。不思議なことに、彼の右手が持つ大剣はおのが役目を終えると、黄金に輝く光の粒子となって腰元に吸い込まれていった。

 ……星明かりの空の下。青い砂の霧がひらけると、そこにいたのは一見して女性とも男性とも見分けがつかない――凛々しい、自分と比べてやや小柄の、赤みを帯びた鈍銀色の鎧をまとった美丈夫だった。

 しかし、中性的な整った顔立ちに反して、嵐のごとき豪快さ。そして流れる風ような一切の無駄のない一連の動作が、眼前に立つ者が究極にまで鍛え上げられた戦士だという事実を揺るぎないものにしていた。


「――おい!そこのアンタ、無事か⁉」


 自分たちを案じて、黒い戦士が歩み寄ってくる。

 ――不思議な声だ、とザウラクは息を呑む。地に根を張る大樹のごとき安定した、それでいて力強く、奥底に不器用な優しさが垣間見える。しかも、あの天士を倒してすぐにここまでの距離を凄まじい速さで駆けてきたというのに、呼吸が全く乱れていない。

 ――何という、強者なのか。

「…あ、危ない!後ろだ!!」

 ザウラクが安堵したのもつかの間、黒い戦士の背後から、残った天士の残骸が彼へめがけて吹き飛んできた。しかしザウラクが警告するのと同時に黒い戦士は左腕を上げたかと思うと、振り返らぬまま――破片に一瞥もくれずに砕いたのだった。


「五,六,七……。――ああ、災難だったな。どこに行く用事だったのかは知らないが、ここに十人以上で来るべきじゃなかった」

「き、貴殿は……」


 度重なる恐怖と衝撃から解放されたザウラクは、やっと声を絞り出して訊ねた。いや、訊ねる以前にザウラクは彼のことを知っていた。

 ――正しくは、忘却の湖畔の水面より掬い上げた記憶から思い出したのだ。

 一方で、黒い戦士は何事もなかったかのように涼しげな表情で、肩当に付着した土埃を払い落とす。

「……ん?ああ、俺か!これは失礼、名乗り遅れました。私の名は、アルテミス」

 夜の荒野を遍く照らす月光の面影を背にした眼前の戦士は、ザウラクの問いに壮快に答えた。


「――ベネトナシュの破軍、アルテミスだ」

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