硫酸

やなぎ

硫酸


 「硫酸」


それは人の肌をいとも簡単に焼いてしまう劇薬。


私は硫酸になりたい。


私の手で貴方を溶かして、貴方に一生消えない傷を残すの。


硫酸で焼けてぼろぼろになった皮膚も、鼻か口かも見分けがつかなくなった|爛れた顔も、焼けて見えなくなった目も私だけが愛するの。



貴方の醜い傷は、私だけの宝物。




***



 大好きな恋人がいる。親切で気立てが良く、私がいけないことをしていたらすぐに叱ってくれる彼。


 私は彼を信頼していた。彼のポケットから一枚の名刺が出てくるまで。


 その名刺には「春日いろは」という名前とともに「連絡待ってます♡」という言葉が添えられていた。


 彼のスーツにアイロンをかけようとした時のことだった。


 信じたくなかった。大好きな彼が浮気をしているなんて。


 信じたくなかったから彼が家へ帰ってきた時に、玄関での出迎えのついでに聞いてみた。



「この女性に連絡したの?」


「お前にそんなこと、関係あるのか?」


彼はカッと目を見開いて私を睨む。


 る。


そう思ったとき、既に私の背中は大きな掌で打たれていた。


痛い。この痛み。彼が私を大切にしてくれている証拠の痛み。


いつもそうやって彼は私を大切にしてくれるの。彼から受ける痛みを幸せに感じているの。痛いけれどそれが幸せなの。


私は彼に大切にされている。


「これはお前を傷めるために打っているんじゃない。お前を大切に思っているからやっていることなんだよ」


彼は先ほど私を打った大きな掌で私を抱きしめる。そして、先ほど自分自身で打ったそこをやわやわと撫でる。私を打った後、そこを撫でる彼の手はいつも温かい。


「俺は浮気なんかしないよ。麻理のこと、大好きだから。俺のこと、信用していないの?」


「そんなことないよ」


私は彼に愛されている。


だから私も彼を愛している。


愛しているから私はずっとずっと彼のそばにいたい。


ずっとずっと私を大切にして欲しい。




私のことを想って打つその手も、私を叱るその口も、私を睨むその目も、全て私だけのものにしたい。


痛めつけた後に優しく抱きしめる逞しくて長い腕も、打った場所を撫でる温かい掌も全てを私のものにしたい。


だから、私の手で貴方を世界で一番醜い人間にしたい。


焼けて爛れて、誰かも分からなくなくなった貴方を貴方だとわかるのは私だけ。


目が見えなくなった貴方を支えるのは私だけ。


たった一人、私にしか存在を認めてもらえない貴方を他の誰でもない、私だけが愛するの。


醜い貴方を愛することができるのは私だけ。


私がいるから貴方は生きられるの。


私がいなければ貴方の世話をしてくれる人は誰もいない。




私は貴方の劇薬になるの。


私がいなければ貴方は存在することのできない、愛という劇薬になるの。



彼の焼け爛れた皮膚を愛して私の温かい手で撫でるの。


そして貴方の全身にキスを落とすの。私の持ち物だっていう|証を身体全体に付けるの。


消えないように、毎日付けるの。



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硫酸 やなぎ @yanagi77

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