11


 道東の根釧地区には霧が良く似合う。そして、熊も似合う?


 いやいや、公園のモニュメント近くのベンチに座り、宙を見ながら缶酎ハイを呑んでいるのは、熊のようなガタイをしたアイヌの猟師、阿寒のショウちゃんだった。


 「伽奈、俺は栄町平和公園にいる。ちょっとここで呑んでるわ」


 俺はそれだけ言って電話を切った。伽奈にちゃんと伝わったかは知らない。


 阿寒のショウちゃんはまだ呑み始めらしく、手にした缶の他に、左横に置いたコンビニの袋から数本の起立した缶が頭を見せていた。右側にはツマミらしきものも置かれている。


 俺は国道44号線を渡り、セコマでいつものを三本買って急いで公園に戻った。


 「あのう、隣ええですか?」


 そう阿寒のショウちゃんに一声かけた。


 阿寒のショウちゃんは、ジロリと俺を見てから言った。


 「別に俺に聞かんでもいいことだべさ」


 そう言って、また宙を見たまま缶酎ハイを呑んだ。


 俺は軽く頭を下げてから隣のベンチに腰掛けた。直ぐにリングプルを引いて気持ちの良い音を立て、その勢いのまま喉にビールを流し込んだ。


 「ああーっ」


 自然と声が出た。


 隣の阿寒のショウちゃんは俺を気にかけることなく、ただ宙を見つめて呑んでいた。


 俺もショウちゃんに倣って、宙を見上げながら一缶飲み干して一息吐いたあと、阿寒のショウちゃんに話し掛けた。


 「あのう、浦見正平さんですよね。浦見恭平さんの弟の、恭平さんからはショウキチと呼ばれている」


 訝しそうに俺を見た正平は、


 「あんた観光客だべ、おばさんとこに来てた。なして恭平を知っとるの」


 そう訊いた。


 俺は、浦見恭平と士幌の道の駅で出会い、とても親切にしてもらったこと。そして、三日前に羅臼の熊の湯で偶然の再会を果たしたこと。そこで、ピリカヌタイで阿寒のショウちゃんに出会った時に、何処かで見た顔だと思ったことを恭平に話して、やっと二人が兄弟だと知ったことを話した。


 酔いと俺の話に少しずつ気持ちが解れた様子だったので、思い切ってアイヌ文化を守る為に猟師になった経緯を尋ねてみた。


 「ん……、そったらこと知ってどうなるの?」


 「いえね、旭川から札幌へ向かう途中、神居古潭へ呼ばれた気になったもんで」


 「神居古潭?」


 「はい。国道12号線の傍にある神居古潭です」


 正平はそれには答えずに、また宙を見つめて一口呑んだ。


 「そのままトンネルに入ろうと思っていたんですけど、標識に『神居古潭』の文字を見た時に、ふと、行こう。そう思たんですわ。俺は別に感覚が鋭い方ではないんですけど、何や、そこは凄く身の引き締まるような雰囲気があって、ああ、北海道はアイヌの国なんやなぁって思ってて。そんなところにピリカヌタイの女将さんがショウちゃんはアイヌの猟師だからって話してくれて。今回こうやってまた会えたのも何かの縁かなぁって思ったんですわ」


 「ふん。思ったんですわ、か」


 「あっ、気に障ったんならごめんなさい。俺が一方的に知ってるだけやのに馴れ馴れしくしてすみません。私、獅子王といいます。獅子王誠です」


 「獅子王……、いいんでないかい。変わった名で」


 「はい、変わってます」


 そう俺が言うと、恭平よりも豪快に正平は大口を開けて笑った。


 正平も悪い男ではなかった。むしろ気持ちの良いぐらい素直な男だった。


 打ち解けた俺達は、お互いの話をした。


 俺からはこの旅に出掛けた経緯から、今までどのようなルートを走って来たか、どんな美味い物に巡り合えたか、そして、北海道の素晴らしさに、時折、脳味噌が蕩けてしまうことなどを話した。勿論、昔過ぎる話はしなかった。


 正平は、子供の頃の恭平との思い出や、大人になってそれぞれの道に進んで行った様を話し、室蘭で働いていた時に出会った同郷の嫁と結婚をして、父親の死を機に阿寒へ戻って来たのだと言った。


 「親父が死に際に言ったんだ、『お前が爺さんを手伝え』って。『エカシと一緒にアイヌの文化を守れ』って。恭平はその頃もう社長だったのさ。だからさ」


 「お父さんも猟師をなさってたんですか?」


 「いいや。爺さんはアイヌの生活で狩りもやってた。けど、親父は木こりだ。材木屋で働いてた。それしかなれねかったのさ、その時代は」


 俺の顔に疑問が浮かんでいたようだ。


 「もう爺さんの時代とは違って親父の頃は、昔のようにアイヌとして暮らすことはでぎねかった。村を離れて街に出て、何処かの会社で働かねぇと暮らせねぇかった。けど、アイヌのもんは嫌われてたから、真面な会社には入れんかった。それは俺らの頃も一緒。だから恭平は大学を出たら直ぐ会社を作った。俺は恭平ほど頭がなかったから、高校を出て、室蘭の工場に勤めたのさ。そこでも嫌な奴が上司になった。アイヌというだけで毛嫌いされて。イジメられたりすることはなかったけど、無視されるのはよくあることさ」


 アイヌへの差別の話は俺も聞いたことがあった。日本の文化とアイヌの文化には大きな隔たりがあり、そこのところから生まれた差別なのだろうか。ふと、熊の湯をスッと出ていった四十年以上毎日来ていると滔々と語っていたじいさんの顔が浮かんだ。じいさんは、恭平が脱衣所に入って来たところを見ていたはずだ。まだ話したりなさそうだったのに、そそくさと出ていくなんて……。しかし、本当のところはわからない。急に体調に異変を覚えたのかもしれないのだ。俺はそんな軋轢など考える余地もなかったのだ。


 「じゃあ、そういうこともあって……」 


 「いや、それは少しの間だったから。親父が倒れて、その言葉が切っ掛けかな。それに若い頃に銃の免許取って、休みになると、爺さんや親父と一緒に熊や鹿を獲ってたからね」


 正平はまた宙を見つめて缶酎ハイを呑んだ。俺も倣っていつものを流し込んだ。


 「あんたは、お盆に墓参りとかするっしょ?」


 「いえ、残念ながら。親の顔も写真でしか見たことがなくて」


 「そっかぁ。それは……」


 「正平さんはお墓参りなさるんですか?」


 「いいや。アイヌに墓参りはねぇんだ。日本人に倣って仏教徒になった人は墓参りをするけども、アイヌが墓に行くのは埋葬してクワ立てる時だけだから」


 「クワ?」


 「ああっ、ほらぁ、普通は墓石でしょ。クワはドスナラやイヌエンジュって木で作る杖で、死んだ人間が先祖の元まで迷わず行けるように、埋葬した所に立てるわけさ。そんで、墓参りの代わりに家でイチャルパという先祖供養をするんだわ。だから日本人に『アイヌは墓参りしない。罰当たりな奴らだ』と言って嫌われたのさ。クワだって朽ち果てるまでそのままだもん。日本人からしたらそうなるのよ」


 俺には地面に刺さった木製の杖がどう朽ち果てるのか想像が出来なかった。しかし、文化の違いから差別が起こることは充分に想像出来た。


 そこから先は、楽しい話をしようとなって釧路の話を色々と教えてくれた。少し前まで釧路には、ケンタと並ぶカレー味のフライドチキン・ジョイパックチキンという店があったのだが、惜しまれつつも閉店してしまったことや、『ジーセブン』という釧路にしかないソフトクリーム屋があって美味いのだと言う。昔は愛国北園通にあったのだけど、今は移転してピリカヌタイの近く釧路川沿いを歩いていればわかるそうだ。昔からある北海道バニラが俺は好きだと正平が言った。


 「湿原へは行ったの?」の正平の質問から、明日、正平がガイドになってカヌーで川下りに連れて行ってくれることになった。四時間の大行程だ。前に来た時に諦めていたカヌー旅だが、何とも嬉しいことになったと感激した。


 ビールも酎ハイもお互いに尽きたところで、正平の今夜の宿主が車で迎えに来た。俺について来いというのでついて行くと、佐藤さんといってカヌーのツアー会社の社長だという。「明日、カヌーを借りるから」と正平が言うと、「うん、いいよ」と、軽い感じで返事があった。


 「すみません。明日お世話になります」と、俺が佐藤に言うと、「礼なんかいいよ。俺のカヌーなんだから」と言って車に乗り込んだ。


 一人になってガラ携を確認した。伽奈から三通のメールが来ていた。一時間半前には、服を買って着替えてから向かいます。三十分前にはもうすぐホテルを出ます。一番新しいのは十分ぐらい前に来ていた、あと五分で着くという文面だった。


 俺はさっきまでいたベンチに戻って伽奈が来るのを待った。


 五分待った。十分待った。酔いが途切れそうになったので、またセコマまで行ってもう一缶買った。流れてくるつぶ焼きの匂いに釣られそうになる。


 明日の釧路川のカヌーツーリングに思いを描きながら呑むいつものは、格別に旨かった。半分ほど呑んだところでガラ携が鳴った。伽奈からだった。


 ――ごめんなさい。本当にごめんなさい――


 「どうした?」


 ――あと少しで公園ってところで社長に会っちゃって、取引先の人が是非って言われて、それで――


 「仕事やからしゃぁないな。頑張りや」


 ――多分、二時間ぐらいでお開きになると思うんですけど……――


 今夜は会わない方がいいと俺は思った。会えば明日、徐さんに心からのさよならを言えない気がしていた。


 「明日、朝早くからカヌーに乗るねん。だからあんまり遅くは……」


 ――そうですか。本当にすみません。(はい、直ぐに行きます)また、彩香さんの件、よろしくお願いします――


 社長が伽奈を呼びに来たらしい。


 「わかった。その件は任してくれ。早く席に戻り。頑張れよ」


 俺は電話を切ってから、伽奈が愛しんでいる姿が頭に浮かんだ。溜まっているのだ。


 俺は吹っ切るように残りを飲み干して、かど屋につぶ焼きと〆のラーメンを食いに行った。




 電話で起こされた。正平からだった。まだ六時だ。


 なんでも今朝は霞がかかっていて、昼になれば気温も上がって綺麗な湿原を見ることが出来ると言った。


 俺は正平に任せることにした。


 「十一時半に迎えに行くから飯を食っとけ」と言って電話が切れた。


 八時に迎えに来る予定だったのでアラームは七時にセットしてある。俺はベッドに寝転んだが、もう眠れそうになかった。


 PCで一番開店時間の早い花屋を探した。ホテルから一番近い花屋が朝早くから開いていた。


 中の荷物は掃除をしやすいようにテーブルの上に積み上げて、ドライバッグの一つを空にした。これなら花束を運べそうだった。


 花屋の開店時間に合わせて俺はホテルを出発した。店員の女性に全てを任せて、剥き出しのそれをドライバッグに入れて、空気で膨らむようにしてバッグの口を閉じた。


 正平は霞んでいると言っていたが、釧路市街は空が青く、白い雲がポツポツと浮かんでいる。道道113号線で春採へ。そこから興津通を走り天女ヶ浜へ向かうことにする。


 今日は幣舞橋を渡って進んで行っても霧はいなかったが、桂恋まで来たら霞がかかっていた。道は高台に上り、霞んだ白に包まれた中を走る。折角の風景が台無しだ。右手の海側から上りくる白。霞はそのうち霧になる。それにしても舗装が悪過ぎる。何度も何度もハンドルを取られ後輪が跳ね上がる。背中に背負ったバッグの中の花束が気になった。


 高台から下り坂になった。この先が天女ヶ浜だ。目印になるはずの神社の神殿すら白に隠されていた。


 予習した記憶を思い起こして浜まで相棒を進めた。薄っすらと眼鏡岩が見えた。あの先にある小さな浜辺が天女ヶ浜だ。


 相棒を停めて、歩いて砂浜を進んだ。岩場が迫る海岸沿いに打ち寄せる波も、人が通れるだけの砂浜を残していた。


 高岡ちゃんから借りたままのスマホを取り出して位置を確認した。間違いなくここが、徐さんが入水したアニメ映画に出てくる浜辺だった。


 空気で膨らんだままのドライバッグを開けて、中から手向けの花束を取り出した。花など知らない俺だったが、よく見たら何処か記憶にある小さな白い花と緑の葉っぱの集合体が混ざっていた。


 打ち寄せる波に俺は輪ゴムで束ねられただけの花束を投げ入れた。


 花束は暫くの間波に漂い、ゆっくりと沖に向かって流れていった。


 これが正解なのかはわからないが、俺は目を瞑り両手を合わせて、彼女の出した結論が彼女にとって正解であるようにと祈った。


 目を開けると、花束はもう白の中へ消えていた。そしてその白に彼女の笑顔が映った。


 しばらくこのままでいたかったが、正平との約束があるので浜を去ることにした。そして、彼女にもサヨナラを言った。


 さっきは充分な通り道が残っていた砂浜が、今は横幅が三十センチぐらい残すだけだった。


 靴を濡らさないように気をつけて進むと、大きな波がやって来て、さっきまで進んできた道を消した。彼女からのサヨナラへの返事のような気がした。


 来た道を返すも霧が酷かった。ただ真っ白の中を走る。


 走ることだけに集中した。そうしないと、俺の最後を考えてしまう。俺の最後はこの旅を終わらせてからのことなのに。


 海の丘に墓地のある紫雲台の興津通の終わりまで来ると霧から完全に解放され、空一杯に青が広がっていた。


 もう思い出すこともないなどとは言えないが、これで徐さんとの旅は終わった。俺はそう思うことにした。


 帰り道、正平へのお礼の品に焼き菓子の詰め合わせを買ってから、くしろ丹頂市場のなかにある『魚一らーめん工房』で牡蠣らーめんを食った。ここも丁寧な仕事を感じられる旨い一杯だった。これで夕方まで元気でいられそうだと思った。


 ホテルへ戻ると、まだ清掃作業は行われていなかった。テーブルに積んだ荷物をドライバッグに元通りに詰め込んだ。少しのんびりテレビをザッピングしてから、ヒップバッグにペットボトルのお茶を一本入れて、買った焼き菓子の詰め合わせを忘れずに、時間前に俺は下へ降りた。


 時間通りに正平は、二人乗りのカヌーを乗せた五人乗りの白いピックアップトラックでやって来た。昨日の正平とは人違いではないかと思うほどよそよそしかった。俺を誘ったことを後悔しているのか、正平は口数が極端に少なかったのだ。気まずさが充満した車内は少し息苦しかったが、俺は正平のペースに合わせるしかなかった。途中、塘路の街外れで爽やかを絵に描いたような青年を拾った。木梨という青年が乗り込んでも正平は挨拶を交わすこともなかった。後部座席の木梨が気を使って「ショウちゃん酒が入ってないと話さんのよ」と俺に耳打ちしてくれた。やっと納得がいった。それから無言の三人が乗ったピックアップトラックは荒れた路面の道を進んで行った。


 ブッシュの茂った獣道があるところで車を停めると、俺を車内に残し二人は車を降りた。しばらくして二人はカヌーを降ろし始めた。俺も手伝おうと車を降りると、「素人は邪魔になるから」と正平に言われた。


 カヌーを運び終えた木梨に手渡されたライフジャケットを身に着けて、正平の後ろをついて歩いた獣道の先には、ゆったりと流れる川があった。


 早速カヌーに乗り込むと、俺を無音の川の流れに連れて行った。釧路川には岩や石がないので音がしないらしい。これは木梨が俺にライフジャケットを手渡し説明している時に教えてくれたものだ。そして、金を払ってちゃんとしたガイドがいるカヌーに乗った方が楽しめるのにとも付け加えた。


 木々の生い茂る両岸をしばらく進み、次は湿原の背の低いブッシュの中を進む。エゾジカやオジロワシがいたが正平は何も語らない。ガイドとしては不適格だ。けれどそれで良かった。流れに任せた頃に俺の頭にはいろんなことが浮かんできた。だけどこの風景の中、緩流に落ち葉のように運ばれる時間を大切にしなければならない、何故だかそう思った。写真を撮ることもなく、ただ、数少ない残された自然の中を流れのままに、頭も心も空っぽにした四時間はあっという間に過ぎていった。


 水門の所にある広場に正平のピックアップトラックが停まっていた。


 カヌーを降りると正平が「手伝え」と言ったので、二人でカヌーを川から引き揚げトラックに積み込んだ。思ったよりもカヌーは軽かった。正平は長いタイダウンベルトでカヌーを固定すると、荷台から下りて、俺に「いがったかい?」と訊いた。


 俺は「はい。感動を通り越して“無”になれました」と答えた。正平は笑顔を見せた。嫌われてはいないようだった。


 俺の泊まっているホテルまで、二人っきりの空間にも余り会話はなかった。呑まないと話さないと知っているから、行きよりも気が楽だった。


 ホテルに着いた。俺は車を降りて運転席に回り、感謝の言葉を述べて朝買っていた焼き菓子の詰め合わせを正平に手渡した。


 「なに、いらんよ」


 「いえ、奥さんに」


 「なら」


 「本当にありがとうございました」


 「またな」


 そう言うと正平は、自然の中俺を運んでくれたカヌーを載せたピックアップトラックを発進させた。


 そして次の十字路でUターンさせこちらに戻って来た。忘れ物でもしたのかと思ったが、ヒップバッグは左肩からぶら下がっていて、財布も右後のジーンズのポケットに刺さってあった。


 反対車線をゆっくりと走らせ、開けっ放しだった窓から顔を突き出した正平は、「恭平が札幌に来たら絶対連絡しろって。ちゃんと伝えたべな」と、大きな声で言った。正平の忘れ物だった。


 「はい」と大きな声で答えた俺は、去っていく正平の車へ深々と頭を垂れた。感謝の気持ちで俺の中は一杯だった。


 部屋に戻ると疲れがドッと湧き出した。しばらく横になったが、眠れはしなかった。


 日が暮れると霧雨が降ってきた。晩飯をホテルに併設された居酒屋に予定していて正解だった。


 部屋に戻って買い込んでいたウイスキーをチビチビやりながら、明日の阿寒の道の駅と鶴居村のカントリーサインをどう攻略するかルートを探った。


 天気予報は朝まで小雨でそれ以降は曇りだ。帯広や札幌は明日も明後日も雨予報だった。明後日は釧路も雨予報、予定通り足止めだ。


 ルートを探っていると今日の光景が蘇ってくる。明日は細岡の展望台へも行ってみようと思った。




 起きてシャワーを浴びても、路面は黒いまんまだった。


 白くなるまで釧路を出たあとのルートを熟考した。小樽まで行っていよいよ道北に向かう。途中、出逢えなかった中富良野町のカントリーサインを撮りにいかなければならない。そこから先は道央の市町村のカントリーサインと道の駅を巡ることになる。


 ゆっくりとスタートしたのに、国道38号線のバイパスは交通量が多かった。曇り空のハッキリしない空気の中、俺は釧路湿原道路を通ることに決めた。昨日のような空ならば、きっと気持ちの良い別世界感を見せてくれるところなのだろうが残念だ。


 国道240号線を右折したら阿寒インターチェンジまでは大型トラックのうしろを走ったので味気なかった。


 インターを過ぎると俺の前には何も走らなくなった。


 黒色のラップが巻かれた牧草ロールを積み上げ、『阿寒に来たなら 牛乳飲まなアカンやろ』のJAの看板がクスリとさせてくれた。


 道の駅・阿寒丹頂の里でグルメパスポートに載っている阿寒エゾジカバーガーとコーヒーのセットを朝飯にした。空腹だからではなく、臭みのないいい塩梅の味付けで、バンズの甘さとのバランスも良かった。とても満足いく旨さだった。


 しかし、空が何とも言い難かった。昨日の空よ戻ってこい。そう心の中で叫んでいた。


 国道240号線をそのまま北上し、国道274号線を右折する。道道53号線まで行こうと思ったのだが、道道666号線の丁字路から見えた先には、大っ嫌いな霧が立ち込めていた。雨の中だけでなく、霧の中を走ることも嫌いになった俺は、引き返して道道666号線を南下する。そして道道243号線を左折して鶴居村へ向かった。やはり国道とは違い道道は舗装が荒れている。


 上り坂の途中で出逢った、つがいの丹頂鶴が描かれた鶴居村のカントリーサインは綺麗だった。開けた場所では見渡してもそれほど高い山がなく、高圧的な灰色の雲が居座っているのだから、余計に綺麗に思えたのかもしれない。


 これで道東の市町村、そして道の駅は、道北・稚内からオホーツク海を南下する時に通る、雄武町、興部町、西興部村の三町村と、問題の置戸町、訓子府町の二町の、合計五町村になった。部屋に戻ってPCで調べた時に少しの感動を覚えるのだろうか?


 天気が良ければ快適に走れる道も、こんな空では興覚めで、そのうえ山間部には霧が立ち込めていた。


 突き当りの道道53号線を右折して釧路湿原の東端を南下する。


 時々湿原が木々の隙間に姿を見せるが、昨日のような感動やトキメキは生まれてこないし、曇天のせいで走っていても楽しくなかった。


 そして、こんな気分の時は頭の片隅で、どうでもいいことやどうにもならないことを考えてしまう。老いと病がそうさせるのだ。


 若い頃や元気な頃は、前しかない道を進むだけ進んできた。立ち止まることがあっても、どうにかこうにか道を切り拓いて歩んだのだ。それが今じゃどうだ。その先が断崖絶壁で道などないとわかっているのに、じわじわと進むしか選択肢がもうないのだ。もし違う方向へ足を進めたとしても、やって来るのは真っ当に歩んでこなかった俺が背負ったものへのしっぺ返しと、無理がたたって大動脈の破裂が待つだけだ。彩香や伽奈のようには若くはない俺が、今は目的があって進んで行ける。無理をしないように生きていけている。だがそれも、最後の沖縄を走ったあとには、結局、同じ“最後”というものが待ち受けているのだ。


 やっぱり、病に倒れたり、振りかかってくる刃に獲られたりするぐらいなら、徐さんのように自分自身のケジメは自分自身でつけたいものだ。


 そんなことを考えながら走っていると、釧路市湿原展望台が現れた。


 休憩がてらに入ってみようと思ったのだが、空を見てその気持ちもなくなった。曇天も俺は嫌いになった。俺が走れる間は、ずっと晴れていろと心の中で毒づいた。


 山を下りて道は平地になった。今朝、国道240号線方向へ曲がった釧路湿原道路を今度は反対側、湿原の南端へと相棒を進めた。


 湿原が見える訳ではない道を行くと、何ともいえない直線道路があった。曇天の下でも迫力のある楽しめる道だった。


 何度もトラックやダンプに道を譲りながら、ゆっくりと道東の道を堪能しながら進んで行く。明日は雨予報、道東を感じる時間は限られている。


 圧巻だったのは、釧路湿原大橋の上から見た広大な湿原を裂くように流れている新釧路川の姿だった。


 俺は何度も繰り返し渡った。その上、堤防に相棒を停めて、歩いて橋の中央で写真を撮った。これで昨日の空があればと悔やんだ。


 飽きるまで堪能していると、所々で雲間から光が差し込み始めた。細岡展望台へ向かうために相棒を発車させた。


 昨日、正平に送り迎えしてもらった時に通った国道391号線の交差点を左折して遠矢の街に入る。JR釧網線の上を越すと右手に南蛮酊というザンタレ定食(北海道のザンギに甘辛いタレをかけた物)で有名な店があった。正平がここを通る時に、行きも帰りもこの店を見ていたから気になったのだが、本日臨時休業の文字が入り口に貼られていた。スルーして先に進む。


 細岡展望台・達古武湖の標識がある道に左折する。少しの間、達古武湖の湖畔を走るのは気持ちが良かった。脳内で昨日の空を合成すると悔しくなったのだが。それにしても国道とそれ以外の道とは路面状況が違い過ぎる。道はドンドン狭く、舗装は酷くなっていった。所々で昨日下った釧路川の水面が見えていた。


 展望台近くに相棒を停めて、タンクバッグその物を持って展望台に向かった。最初に目に飛び込んできた湿原に差し込んでいる天使の梯子が美しかった。しばらく見惚れてから作業に取り掛かった。バッグから珈琲セットを取り出してコーヒーを淹れた。素敵な景色を愛でながら飲むコーヒーは格別だ。


 そのうちに梯子は外されて、また灰色が隙間なく空を覆った。


 カッパを着るのは勘弁だ。暗くなった湿原に別れを告げた。


 来た道を返しながら、何か温かいものを食べたいと思った。国道44号線で釧路川を渡り、赤信号に引っ掛かった時に相棒を路肩に停めて、高岡ちゃんから借りているスマホの電源を入れて何か美味い物はないか探した。釧路公立大学の柳橋通を挟んだ向かいにスープカレーの店を見つけた。札幌以来のスープカレーだ。


 悩んだ挙句、角煮の入ったスープカレーにニンニクオイルをたっぷりと掛けて食べたらあっという間に完食だった。旨かった。


 身体が芯から温まると、次はデザートが食いたくなった。流暢な正平が教えてくれた『ジーセブン』で北海道バニラを食べに行こうと決めた。


 十分ちょっとで着いたので、まだ口の中にスープカレーの味と食感が残ったまんまだった。


 北海道バニラはさっぱりしているのにコクがあって、美味い牛乳をギュッとした感が感じられて旨かった。あとから来た女子高生の一団が和風パフェを美味しそうに食べていたので、堪らず俺もお代わりをした。もちっとした白玉ときな粉の感じが堪らなく旨かった。


 満足したら少し走りたくなった。霧で諦めた北太平洋シーサイドラインを走ってみた。途中、天女ヶ浜へ向かう興津通の分岐に差し掛かり、徐さんの笑顔が少しの間浮かんだ。


 気持ちを切り替えて先に進んで行く。アイヌ語を日本語に変換した難読地名のオンパレードだ。そして頭に“?”が浮かんだ。根室から来る時に“昆布盛”を通ったが、ここは“昆布森”だった。


 地名は珍しいが、視界は開けることはなかった。海からの風が雲を押し消したのか、道の上の空は青かった。そのまま木々の中を走って国道44号線に突き当たった。ホクレンのガソリンスタンドで相棒に餌を飲ませ、念願のホクレンフラッグを買った。やっと七月に入ったのだと実感した。


 緑の三角形の旗を丸めて、カッパや工具が入っている括りつけたまんまのバッグに差し入れた。まだ道北・道央・道南と残っている。別に心底欲しいと思っているわけではないが、これも俺が旅を続けるモチベーションの一つにするのだ。


 来た道を返す気にはなれなかったので、国道44号線で釧路に戻った。


 もう慣れ親しんだ釧路の街並みに入ると、疲れが噴き出してきた。ホテルに戻って少し眠った。


 夢を見た。


 正平と恭平が並んで座り、声を揃えてこう言った。


 「親父はさ、火葬で送ったんだけど、去年死んだ爺さんはちゃんとアイヌ式の葬儀で送ってやったのさ」


 覚えているのはそのシーンだけで、何でそんな夢を見たのか理解は出来なかった。


 無性に腹の空いた状態でシャワーを浴びて出てきた途端、冷蔵庫に入っていたいつものをプシュッと開けて喉に流し込んだ。


 PCを開けて釧路の寿司屋を探した。しかし、この腹の減り具合ではいくらかかるかわかったものじゃない。それにハズレを引いた時の悔しさも半端ないのだ。だから回転ずし屋を探した。


 釧路発祥の店にタクシーで向かった。太鼓と鳴子を鳴らして「ワッショイ」の掛け声と共に盛られていくイクラが豪快で楽しかった。


 熱燗の酔いと満腹と満足感で、俺は歩いてホテルまで帰ろうと思ったのだが、窓の外では雨が降り出していた。


 途中、タクシーを停めてもらい、コンビニで明日の朝昼兼用の飯と酒を買い込んで、酔いが少しも醒めることなくホテルに戻りそのまま眠りについた。










  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る