その3


「幼き天使のとまり木よ、祝福あれ」


 誰かがそう言って、両手を合わせる仕草を取る。

 これは孤児院での決り文句。

 どうやら世間では『天使のとまり木に祈りを捧げる信仰』、通称天使信仰と呼ばれるものが流行っているそうです。

 この孤児院もその宗教団体が関わっているらしい、と誰かが噂していました。


「幼き天使のとまり木よ、祝福あれ」

 私も同じように返します。

 これは「おはよう」といった挨拶と同じです。

 他人の区別がつかない私は相手が言ってきたら同じように返すようにしています。


「調子はどうだい、ラスト。君はいつも考え事をしているような顔をしている。もっと朗らかに笑った方が良いよ。ほら、こうやってさ」

 きっとこの人は笑顔を浮かべているのでしょう。

 それを無表情で眺めているのが私という存在です。

 残念ながら。

 あなたの厚意は見えないのです。

 受け取れないのです。



「年頃の女の子だもの。きっと恋をしたら変わるかもしれないわ」

 誰かがそんなことを言っていました。

 私は何と返事したか覚えていませんが、きっと心が揺さぶられることは無かったでしょう。

 顔も見えない相手に、声も聞き分けられない相手に、何一つ区別できない存在を特別視することなどどうして出来ましょう。

 日々口にする麦の一粒一粒に個性を見い出し、記憶に留め置くことなど不可能なように。


 そもそも私は興味など無いのです。

 他者に対しても、己自身についても。

 ただ無為に今という瞬間を浪費することだけが生きているという実感を得られるのです。



「お前は変なやつだ」

 そう言われたこともあります。

 私は自分が特殊とも特別とも感じたことはありませんが、そう言われるのならそうかもしれません。


 誰かがお前の悪口を言った。

 誰かがお前に好意を寄せているらしい。

 誰かと誰かが言い争っているらしい。

 誰かが孤児院を出ていくらしい。


 その『誰か』を確かめる術は私には与えられておらず、その情報もまた知らない『誰か』から聞いた情報でしかないのです。

 もはやその正しさにすら関心はありません。



「――天使病にかかった子供は次第に人間らしさを失い『天使』になるんだって」


「――天使になった人間は他の天使と共に天界へ旅立ち、地上の人々を見守る存在になるんだって」


「――『天使は終末にやってきて、地上の人々に救いをもたらす』ってことは、天使が現れたら世界の終わりが近いってこと?」



 子どもたちの間では、天使信仰に関する噂話が飛び交っています。

 大人たちの前では口にしないから、きっと子どもたちだけで。

 興味のない私はそれをいつも聞き流しています。


「天使病?」


 ――え?

 ……聞き間違いでしょうか。


「ああ、お前はまだここに来たばっかだから知らないよな。内緒の話だぞ」

 これはいつもの無味乾燥な言葉の羅列。

 しかし、その次に聞こえたのは。


「へえ、そんなのがあるんだ」


 聞き取れた。

 今までとは違う、はっきりとした


 私の目が捉えたのは。


 もやの晴れた、澄み渡るような少年の顔でした。

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