帰り道

夜依伯英

帰り道

 雨が、既に心が冷えきった俺の心までをも凍てつかせる。真冬の雨に無防備に晒された。きっと風邪を引くんだろう。それでも、構わない。悪くないという意味でも望んでいるという意味でもない。本当に、どうなっても構わなかった。濡れた服が肌に張り付き不快感を煽るが、俺を室内へと退避させようという気にさせることは出来なかった。


 好きだと思ったのは随分と久しぶりのことだった。最近では、恋愛感情どころか、友人としての好意すら薄くなっていた。それが、俺らしくもなく急に人を好きになった。本当に辛い時に支えてくれる優しい人だった。でも、ありがちなことではあるけど、俺は優しさと好意を履き違えたのだ。本当は少し違うんだけど、概ねそんな感じだった。彼女は俺に優しいわけではなく、悩んでいる人、辛い人に対して優しかったという、ただそれだけの話だ。当人である俺を差し引けば、この話に積極的に興味を持つ人などいないだろう。それでも、俺にとっては本当に大事だったのだ。


 当然、そういった勘違いや自惚れの先にあるのは失恋だ。俺は見事にそうなった。告白も出来ぬまま、遠回しに拒まれた。直接俺を否定しないその優しさが、心に刺さった。



 雨は止む気配がない。それどころか一層勢いを強めている。髪から水が滴り、顔を伝って降りていく。それと同時に顔にも雨が降りつける。まるで水浴びでもしたかのような様相で、俺はこれから帰宅する羽目になった。全て自業自得なのだが。今の俺にはそんなこと、些細なことだ。傘が無い訳ではない。バッグの中には折り畳み傘が入っている。それでも、俺はそれを差す気にならなかった。

 彼女の負担になった自分への断罪のつもりなのだろうか。かっこ悪いこと極まりない。それでもかっこ悪い自分に酔ってる俺を、俺は軽蔑した。


 ようやく駅に行く気になった頃には、雨は降り疲れていた。寒冷前線というやつだろう。さっきまであんなに元気だったのに。まるで俺みたいだな、と自虐する。頭上に広がるくもりぞらに、自分を見た。どうせすぐに晴れてしまうのだろう。雨のことなど忘れて、くもりぞらは消えてしまう。


 駅のホームには、俺とは対照的に乾いた人たちが、決して多くはないものの、居た。向こうのホームの屋根との間に見える空はとっくにくもりぞらを忘れていた。雲ではない闇が空を覆っていた。あまり待たずに電車は来てくれた。びしょ濡れだから座るわけにもいかない。これから数十分間の拷問だ。やっと俺は、少しばかりの不快に撃たれた。


 体感では本当に長い拷問だったが、きっと実際は大したことないのだろう。俺より家が遠い人間なんて沢山いる。でも重要なのは主観的な真実だ。事実など所詮、解釈というグラスを通してしか観測できないのだから。



 電車を降りる頃には月が主役に躍り出ていた。太陽の光を反射してでしか輝くことが出来ないくせに、まるで自分が正義かのように夜を照らしている。さっきまで元気だった雲たちのことなど、きっと月は気にしていないのだろう。少し寂しく思った。


 俺はどうすればいいのだろう。そんな漠然とした疑問、不安が俺を襲った。腹の周りを黒い靄が包み込んでいるようだ。自分に恐怖や不安という類の感情が、こんなにも現れるとは思っていなかった。当然、俺は狼狽した。俺は、一人で立ってなどいなかったのだから、支えをなくしては歩けないのは当たり前なのに、そんなことにも俺は気づかなかったのか。自分への憐れみという、最も悲しい感情を覚えた。家に帰りたくない。このまま狼狽えていたかった。このまま、何もせずに悲しんでいたかった。それでも、彼女は友人として俺に先へ進むことを望むだろう。そんなことを思うのも烏滸がましいかもしれないが、思ってしまったものは仕方がないだろう。ふらふらとどこかへ消えたい気持ちを押さえつけ、帰路に着いた。


 道端に、花が咲いていた。

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