二つのカラミティセイバー

赤王五条

承前 これまでの疫病神

「これで四度目なんだが!?」

「うっさい!おとなしく乗ってなさい!」

 小日向響は今バイクの後ろに乗っている。前のバイクスーツでポニーテールの女の子は今年二十歳という歌神千世かがみちせ

 厚い雲に覆われた、今にも一雨来そうな天気で、バイクは海に近い道路を疾走する。

「確証なんてないけど、私だって藁をもすがる思いだって毎回言ってるでしょ!」

 バイクを運転しながらの会話だから、必要以上に声音は高い。

「それがわかんねぇんだけどなあ」

 聞こえようが聞こえまいが構わない声音でヒビキが言う。それを聞いてか聞かなかったのか分からないが彼女は続ける。

「とにかく、雨が来る前に飛ばすわよ!」

 今でも相当飛ばしているのに、彼女は更にバイクを加速させた。その加速を体に感じ、ヒビキは彼女の腰に手を添えるだけにして前傾姿勢を保った。

 ヒビキがここに至るまでの足跡は、多少長くなる。何しろ、一度世界が終わる瞬間にまで遡らないといけないのだから。


                 *****


 小日向響は疫病神だ。もっとも自分が神様だと思ったことはない。ただ同時に、自分のことを人間だとも思っていない。黒髪と黒い服は目立たなさをあえて出すためだ。

 ただ、これまでがこれまでだ。コンビニに行けばブレーキとアクセルを踏み間違えた車が突っ込んで来るし、上から成人男性が落ちてくるし、銃撃戦に巻き込まれたりする。とにかく不運を背負って生きてきた。死にかけたことも一度や二度だけではない。ただし、四肢を欠損したことはないし、大病や大怪我はない。

 そんなヒビキが、自分の不運さを忘れて散歩に興じている時だった。

 光。光。光。光が空にあった。眩い光が世界を照らしていた。光は世界を飲み込んでいた。それはまぶしかったが、目に弊害が起きる光ではなかった。まぶしくても、光の先にいた存在が見えていた。

 それには見覚えがあった。それが女の姿をしていたことが分かった。それがヒビキを育てた女狐であることが分かった。

「月夜!」

 名を呼ぶと、それは目を見開き、口を開いた。

『おぬしが我を振り返らないというならば、振り返るまで繰り返そう。永遠に。』

「はぁ!?」

 理解不能な言葉に聞き返すも、光は全ての景色を消していく。

 塗り替えられると言うべきか、消しゴムで消されていると言うべきか、修正液をぶちまけられていると言うべきか。

 立っている脚と地面接地に感覚はなくなっていき、五感が意味を為さなくなる。

 金縛りではない。ヒビキ自身がそこにあると覚知できるものの、呼吸音は聞こえず、また手足が動いているという感覚が消えていく。

 何もかもがなくなっていくというものを見させられている。声を上げようにも、自分の声がどのようなものか忘れてしまった。

『今、この瞬間しかない』

 ヒビキがヒビキでなくなっていく瞬間、はっきりと別の女の声を聞いた。

 風吹でも高嶺でもない。ヒビキが絶対に聞いたことのない声だ。

『イクズス。あの人なら変えられる。』

 誰だ、そいつは。そう喋ったつもりだが、音にはならない。手を伸ばそうとしても、自分の手は視線の先になかった。

 何もできず、また何にも縋れず、ヒビキは光の彼方に流され、声の主と思われる桃色の髪の女を一瞬見てから、目を閉じてしまった。



 ヒビキが再び目を覚ました時、声は言葉にならなかった。

 手を伸ばすと、視覚に手が映る。手と呼ぶにはあまりにも小さなもの。まるで赤子の手。その手を触れるものが頭上に現れた。

 月夜。

 ヒビキを育てた女狐が再び現れた。彼女は見せたことのない屈託のない笑顔を見せている。

「目が覚めた?ごめんね。もうすぐ着くから。」

 優しげな声を漏らす女狐が、ヒビキの体を揺れ動かす。そのゆったりとした振動が彼を再び眠りに誘った。

 再び目覚めた時には見覚えのある天井だった。ただ記憶よりはずっと新しくて、匂いが違った。

 揺りかご。直感的にそう思った。

 理屈、方法、因果を抜きにして、ヒビキは自分の人生をやり直していると思った。

『振り返るまで繰り返そう』

 その言葉が思い出される。また同じ時、同じ一日が繰り返されるのかと、その時は目を閉じた。そこからは断片的にしか記憶がない。

『月夜』

『なぁに』

『ぼくは月夜からうまれたのか?』

『違うわ』

『ぼくはどこからきたのか』

『あなたは生まれ直したの』

『なおした?』

『あなたはだから』

『あなたはわたしをあいしてくれなかったからから』

『だからわたしをあいするようにそだてるのよ』

『あの人なら変えられる』

「くっ」

 現実味はないが、声が頭をぐるぐるして、飛び起きた。顔が汗ばみ、運動していたわけでもないのに呼吸が荒くなっている。

 深夜。明かりは月明かりのみの視界ゼロ。

 灯りを点けるのは億劫だった。

 息を整え、縁側から外に出て、境内にある手洗い場の水を口に含んで飲み込む。

 布団に戻ろうと来た道を戻り、家の中に入って、温くなった布団をもう一度被った。

 永い時が経った。人生をやり直す。一度は誰もが夢見ることかもしれないが、ヒビキにとってはとんでもなく長い時間になった。

 ヒビキの前の人生はもう朧気だ。晩年の一部を除き、自分がどのように生きていたかが、今の人生とダブってよく分からなくなっていた。

 ただ前と違うのは、自分のルーツというものをなんとなく知れたことだった。

 魑魅魍魎跋扈する時代、女狐に一目惚れされた誰かが、不幸、不運にも赤子に戻され、ヒビキとして育て直されているということだ。

 その人間からすれば今回は4度目の人生ということになるのだろうか。元の人間の記憶や思い出がない以上、カウントするべきでないかもしれない。

 ともあれ、ヒビキは時を待ち続けた。やり直しているということは、来るべき日もやがて来るということだ。身体が出来上がってきたら体を鍛え、学力を身につける。それをするだけの時間は無限にあるような気がしていた。

 かつてのヒビキは気にすることはなかったが、ヒビキの住む神社には周期的に祭をやっていた。神仏の区別のない祭が、豊作を祝う祭に変わり、いつしか豊作を祈るようになり、安寧と幸福を勝手に祈る祭になった。

 どこから聞いたのか、あるいは噂をしたのか、神社には妖怪狐が棲むと言われ、麓の人間たちは奉納を捧げるようになってしまった。それが物心つかない子どもになるまで、そう時は経たなかった。

 とはいえ、始めの運命はやってきた。自分がなぜこんなところに来たのか分からない幼子。最近村にやってきた余所者の女の子。粗末な傘帽子を被らされたボサボサ髪で3、4歳くらいの女の子だ。

 その子どもが、供物として境内に捧げられていた。前の自分の記憶と一致する光景にため息をつき、前とは違って、馴れ馴れしく声を掛けた。

「元気か?」

 知らない人間、知らない場所に連れてこられて元気なわけがないだろうが、そう聞かれて彼女は一言も発しなかった。屈んで目線を合わせてくる見知らぬ男を怪訝そうに見ている。

「腹減ってないか?どこか痛いところはないか?」

 女の子は2つの質問に俯いて考えて、顔を横に振った。

「本当か~?ここになぜかリンゴとキャンディがあるのだが?」

 ヒビキの左手には赤いリンゴ、右手にはピンクの包みがしてあるキャンディが一個ある。彼女はそれらを右に左にと交互に見つめて、考えるまでもないのか、右のキャンディを奪うように手を出し、包みを開いて、疑いもなく飴を口に含んだ。

「ははっ、素直な子だ。名前は?」

「ふふき」

「ふぶき?」

 飴を舐めながらでは名前は言いにくかったらしいが、ヒビキが聞き返すと、彼女は強く頷いた。その様子に彼は満面の笑みを浮かべる。

「俺の名前はヒビキ。ちょっと似てるな?」

 ヒビキが紹介をし返すと彼女はうんうん頷く。親近感が湧いたのだろうか。

「君のママ?パパ?はまだ来ないんだろう?とりあえずウチで待っていようか」

 ヒビキがそう言うと、彼女は飴を口の中で転がしつつも山の麓の方を見つめてからヒビキの方に向き直る。

「うん、ゆく」

 と声を発したので、ヒビキはふぶきを軽々と抱き上げた。

「ひゃん」

 このくらいの子どもが他人に抱きかかえられるのは相当びっくりすることだろう。彼女は妙な声を出し、ヒビキの服にしがみついた。

「すぐだよ。うちはここだ。」

 神社の左側に入ってすぐに家の縁側がある。家に上がればすぐにヒビキの畳部屋だ。彼女を座布団に下ろすと、履いていたアニメキャラクター靴を脱がす。その両靴を縁側の踏み石に揃えて置いておく。

 その動きに前後して、廊下に気配が生まれる。ヒビキが立ち上がりながら右を見ると、幽霊か柳のように立つ月夜がいる。

 幼児のヒビキを育てていた時の彼女はもういない。現れる時は恨めしそうにヒビキを見ている。

「そうやって立っていても、何も分からねぇよ」

 正直言って気味が悪いが、何も答えない以上、ヒビキから彼女にすることはない。言うべきことを言って、畳部屋に戻る。幼児が勝手にテレビの電源を点けて、番組を切り替え始めていた。

「おいおい、気安いな!」

 そうは言うものの、増えた同居人に悪い気はせず、部屋を横切っていける台所の冷蔵庫からすぐに食べられるものを探しに行った。



 それからのことは数百年ぶりに華やいだことは確かだった。やっていることは光源氏だが、子どもにものを教え、遊び、共に歓びを分かち合うことは楽しかった。ふぶき、いや風吹はすぐに片親との別れを確信した。彼女にとってここの生活はすぐに慣れたけれど、普通の子のように学校に行けないことを少し疑問に思いながら成長していった。

 何より、はパパと呼ばせないことにした。彼女の母親は麓の人里で何かがあったに違いないが、父親の方は存命だと分かっている。彼女に姉妹がいることも分かっている。

 彼女はいつまでもここに居させられない。タイミングを見て、本当の家族の元でまともな大人になるべきだ。

 とすると、タイミングはいつがいいか。それも問題ない。二度目の運命の時が、ヒビキにはあった。

「頼む!」

 ふぶき、いや風吹ふぶきがここに来て10年ほど。彼女が明朗な美少女に育ちつつある暑い夏の日に、聞き慣れない男の声が外から響いた。

「俺のこの研究が認められるかどうかは、もう運に任せるしかないんだ!頼む、運を俺に分けてくれ!!」

 無精髭を生やした30代頃の男性。手を合わせて必死に境内で祈っている。どのような噂を耳にし、どのようにやって、この古神社に来たのかは知る由もない。

 ただヒビキは彼が来るのを待っていた。

「神頼みしたところで、救う神がここにはいないかもしれんよ?」

 ヒビキは作務衣姿で男の前に姿を現す。

「お前は?」

 神社の神主にも見えただろうか。同じ年頃の男が出てきて怪訝そうな顔をしている。

「研究ってのはもしかして巨大ロボだったりするか?」

 ヒビキの言葉に彼は目を丸くして驚く。

「実物は完成しそうなのか?」

「技術的な問題は解決していない。形はできている。だがなぜだ?」

「家族を幸せにしてやりたいからかな」

 何でもお見通しなのかと彼は困惑しているが、ヒビキは万感の思いで答えた。

「あんたの悩みは俺が付いて行けば何とかできる。ただちょっとウチの子を一緒に連れて行きたい。いいかな?」

 それが意味不明な提案だとヒビキ自身も思うが、男は提案を受け入れた。

 風吹には事前に都会に旅行すると言って準備させていた。だからあとはヒビキ自身が着替えるだけであった。

 今日を最後にこの神社に戻ってこないつもりだった。その準備はしていた。にも着ていたシャツにパンツスーツにジャケットに黒ずくめの服に着替える。ジャケットは見た目よりもずっしり重い。当然である。このジャケットを買って着た日に、なぜか見覚えのある拳銃と、先ほど神社を訪ねてきた男が写る写真がポケットの中にあるのだから。

 前の時空での所持品がなぜ買った途端出現したのかは分からない。だがこれ幸いに持ったままでいる。

 数日の着替えの入ったスーツケースの他にアタッシュケースを一つ持つ。

「さあ、行こうか」

「なにそれ?」

「決して他人が開けてはいけない箱だ」

 風吹には当然ながら聞かれるが、はぐらかすように答える。彼女はむすっとしてそれ以上は聞いてこない。

 奇妙な親娘と男が神社を後にする。月夜は姿を見せない。出てきたところで、追い返すだけだが。

 特に思い入れのない麓の人里を後にして、男、権藤雷生の研究所へ付いて行くのだった。移動の間にいくつかの話をした。

 権藤の娘が今度生まれること。

 マジン完成に至る初期理論に協力者がいたこと。

 協力者はイクズスという名の不思議な人物だったということ。

 丸1日をかけて、権藤の研究所と称する工作所に到着する。風吹にとっては何から何まで新鮮であろう。平日に中学生くらいの女の子を連れ歩く男たちという周りの視線もあったが。

 権藤が案内した研究室の機械的ベッドには赤毛の男が微動だにせず横になっていた。

「死んでるの?」

 風吹がそう聞いてくるのは彼が息をしているように見えないからだろう。

「人間に見えるが、彼はカラミティ。巨大人型ロボット、マジンとなる、ヒューマノイドだ。」

「いわゆる人造人間だな」

「SFだ!」

 権藤の説明をヒビキは噛み砕いて、風吹はおおよそ理解する。

「動かないの?」

「カラミティの主動力は生命の死や痛みだ。だから本当は人間の死を覚えさせなくてはいけないのだが。」

 権藤の説明に今度こそ風吹は理解が及ばない。無理からぬことだろう。権藤がどのように『死を乗り越える生命の力』へと着目したかは分からない。

「このマジンを目覚めさせるような死を経験させることができない、か?」

「その通り、だ」

 ヒビキは知っていたことを口にする。権藤は苦々しく不十分を口にする。

 その言葉を聞き、微笑みか自嘲か、微妙な笑みを浮かべ、ヒビキは持ってきたアタッシュケースの封を開く。中には御札が雑然とたくさん入っている。なぜか、風吹には触れてはいけない気配も入っている。

「これは1000年分の厄呪符でな。十分か?」

 直視すると息が詰まりそうになる呪物をヒビキは取り、権藤に見せる。彼は後退りして驚く。

「な、なぜ?」

 なぜそんなものを持っているのか、と聞きたいところだろうか。ヒビキが今まで生きてきた厄をここに貯め続けた、と言うのは簡単だ。

「足りなかったら俺自身から直接吸い上げさせるしかないがな」

「どうして」

 どうしてそこまで知っているのか、あるいはどうしてそこまでできるのか、だろうか。それを簡単に説明できても、理解させることはできないとヒビキは思う。

 ヒビキは構わず御札を眠る男にぶっかける。バラバラになった御札は黒い何かのを一瞬立ち上らせ、その場の嫌な気配と共に消えた。

「さて、どうかな」

 ヒビキがなにも力の感じられない御札を取り上げると、赤毛の男の目が開いた。

「カラミティ」

 権藤が名を呼ぶと、カラミティは頷く。

「はい、聞こえます、雷生」

 成人男性であるが、子供のように聞こえる言葉で彼は言う。

「貴方は?」

 カラミティにとってはヒビキは何者か分からないだろう。ヒビキはその問いについて明確に答える気はなかった。

「10年先、権藤の娘が成長したら、その時に名乗ってやる」

 カラミティはその答えに対して何もなかった。彼の初期の演算AIでは答えることはできないのかもしれない。

「さあ、行こう、風吹」

「じゃあねー、おじさん、お兄さん」

 ここでの悲劇は回避した。技術的な問題を解決するため3体のマジンを開発することも、権藤自身の命を懸けることも、もうないだろう。

 ヒビキは風吹と共に研究所を去る。次はもう一つの目的地だ。

「風吹は本当のお父さんのことを覚えるか?」

「んー、全然。見れば分かる、かな?」

「妹は?」

「たかねちゃん、どうなってるだろ?分かんないや」

 手を繋ぐ彼女は屈託なく笑っている。彼女の正直な感想だろう。ヒビキとの約10年の生活は、実の父親と姉妹の存在をおぼろげにしてしまうことは容易だった。

 いくら、初等教育をヒビキの手で行っているとはいえ、年齢よりも子供すぎるようにも思う。

 時間は夜。女の子と歩くには少々遅い時間だ。足早な帰りの会社員や買い物から帰る主婦が多く見受けられ、その中で目立つが、見て見ぬフリと言ったところか。

 ヒビキがそんなところを歩くのは、目的があってのことだ。ただ別に待ち合わせしたわけではないので、最初どう声を掛けるべきか迷うのだが。

 そんな風に駅前の並木通りを歩いていると初老に見えるくたびれた男性会社員とすれ違う。頭は白髪、鼻下の髭も白いおじいさんに見える人物。

 目当ての人物を見つけて、ヒビキは立ち止まる。予告なく立ち止まったヒビキに風吹は不思議そうに見上げる。

「悪いな」

 彼女に謝ってから手を離し、今すれ違った人物に声をかけるべく踵を返す。

「ちょっと!」

 初老の男は心ここに非ずという風にぼーっとしていて、赤信号の横断歩道も渡りかねない状態だった。

「ちょっと待てって!」

 肩を掴みかねない叩き方をしつつ声を掛けると、ようやく男が驚きながら振り向いた。その瞬間、歩道には通常有り得ないスピードで車が突っ込み、走り去って行った。振り返らねば、車は男を跳ね飛ばしていたことだろう。

 冷や汗ものの瞬間に男は道路とヒビキを二度見していた。

「あんたが立花兵衛たちばなひょうえいで間違いないな?」

「あ、ああ。どこかで会っただろうか?」

「いや、俺は違う。見つけたぞ、風吹。」

 困惑する立花をよそに、ヒビキは風吹に向き直る。その言葉が何を意味するかは、立花も風吹もすぐには理解できなかった。

 ヒビキは笑ったが、風吹は呆然としていた。

「風吹?なぜ?」

高嶺たかねちゃんがSNSに上げてる写真から当たりつけてな。彼女、フォローしてたんだ。ノーヒントだったら相当きつかった。」

 立花は別れた女に連れて行かれた娘との再会に信じられないようだ。それは風吹も同じようなものだろう。

「ヒビキさん、何で」

「君がしっかりとした大人になるなら、君の本来の場所に戻った方がいい。俺はこれから一人でやることがあってね。」

 何で今更父親と再会させるのか、か。あるいは、また捨てるのか、か。

「立花さん、何を今更って思うかもしれんけど、俺はあんたに生きていて欲しい。少なくともあと10年くらい。娘たちが立派な大人になるまでだ。いいかな?」

「ヒビキさん!」

 風吹がいつの間にか泣いている。両の目から涙が溢れ、赤みが出ている。

「君が立派な大人になったら、その時にまた会おう。今の時代、SNSだメールだ、気軽に連絡取れるんだからよ。」

 ヒビキはからからと笑って、風吹の頭を軽く撫でる。

「それじゃあよ、立花のおっさん、後は頼むぜ?」

「ありがとうございます」

 立花は堂の入ったお辞儀をして、礼を言う。

「ああ。風吹も、高嶺ちゃんと仲良くな。」

 ヒビキはその場で親子と別れる。風吹から別れの言葉はなかった。

 ヒビキはクールに去る。そのつもりだった。

「花粉症だったっけ。鼻水が出らぁ。」

 ヒビキの目頭も涙で濡れ、鼻水が出る。それを乱暴に袖で拭いながら、後ろを見ずに大股で歩き去った。


                *****


 そして現在に至る。

 なぜかは知らないが、各務歌乃かがみかのという人物は見つけることはできなかった。代わりに出会ったのは名前のよく似た別人、歌神千世だ。

 最初は人違いだったのだが、権藤と一緒に映った長髪の男、イクズスの話をすると、妙に食いついた。当時学生だった彼女は、いつか協力するとヒビキに約束して別れた。

 そして数ヶ月前再会したところだった。四度目というのは彼女がピックアップした場所がすでに三度空振ったことについてだ。

 ヒビキは何故イクズスを探すか、彼女には話していない。だから、彼女が何故イクズスを探すことに付き合うのか聞いていないのだ。

 再会した千世は、セティというライターネームを名乗り、Web記事を寄稿しているレディになっていた。名前の由来は、舌足らずだった自分の幼少期の一人称を逆読みしたというが、どこまで本当か分からない。

「見つけた」

 荒れ模様の天気で船の姿はどこにもない寂れた埠頭にバイクが停車する。

 遠いが、桟橋の先に長髪の人がいる。

「マジかよ」

 バイクのヘルメットを脱ぎ、懐から古くなった写真の男と桟橋にいる人と見比べる。写真の男も10年以上前の若さのはずだが、ヒビキと同じように、若さの見た目は変わらないように見えた。

 セティは桟橋の端に向けて走っていく。ヒビキもそれについていく。

「イクズスさん!」

 彼女は敬称を付け、大声を出す。何を見つめていたのか、桟橋に座り込み、俯いていた男が、声に気付く。そして、セティと、後からやってくるヒビキの方へと順に視線を向けた。

「イクズス、さん」

 立ち止まったセティは、そこで感極まってしまったらしく、涙声になってしまう。

 話は続かなさそうと見て、ヒビキはセティより前に出る。

 イクズスという男は、写真の通り、黒の長髪が肩まである。白というには使い込まれてくすんだ色のコートを羽織り、帯刀している。長髪だが、女には見えない。

「お前が、イクズス、か?権藤とマジンを開発した、という。」

「ええ、まあ」

 彼は覇気のない曖昧な返事をする。とはいえ、認めはするらしい。ただヒビキにとっては、それならそれでいい。

「俺はヒビキ。とある事情で、お前を探していた。お前がいれば、世界が終わるのを防げるってな。」

「私が?」

 変な事を口走る男だと思われただろうか。ヒビキとしてはそれを言うために、約10年探し回るハメになったのだから、今更関係のないことだ。

 イクズスはそんな言葉を笑うことなく、俯いた。何か迷っているようだ。

「どうだ?お前は、できるのか?」

 もはや無理やりにでも答えさせようと、ヒビキは首根っこ捕まえる。

 ヒビキとて必死なのだ。

「私には、理由がありませんよ。世界を救うとか。」

「俺は見たくねぇんだ。俺が助けて来た子や、これから成長する子が、未来を奪われて、世界ごとなくなってリセットされるなんてことしたくねぇ。それを防げるっていうお前をここまで探してきたんだ。」

 あれから10年。直接連絡を取ったわけではないが、風吹や高嶺は父親の仕事を継ぐため公務員に進んだ。風の噂で、カラミティは、成長した権藤の娘マオの元にいるらしい。

 彼女らはそれぞれ前のような荒廃した世界を生きていくことはない。ヒビキは彼女らの幸福な未来を望み、守りたいだけなのだ。

「私は、救えませんでした。だからできないかもしれない。」

 ヒビキの純粋な思いの吐露に対し、イクズスはぽつりと声を漏らす。

 絶望とも言えるような、諦め。ヒビキはそれに覚えがある。

「ずっと連れ添った女の人が死にました。私のミスで、死にました。だから、私が殺したようなものです。」

 ヒビキは彼の言葉を聞いて、彼から手を離した。それを聞いたら、ヒビキには無理だった。頭が真っ白になって、何も言葉が出なくなる。

 もうヒビキの片耳にイヤリングはない。風吹や高嶺にあげる予定の指輪が、ネックレスに掛かっている。

「ラフィールさん、亡くなったんですか?」

 セティが知らない名前を言う。

「イクズスさん、私、セティなんです。セティなんです。不思議ですよね。私、おばあさんになって天寿を全うしたのに、貴方を想ったまま生まれ変わったんですよ。」

「君、フォルセティ?はは、そうかすごいな。生まれ変わった人間にすぐ出会えるなんて。0%じゃないとはいえ、すごく、運がいいな。」

 生まれ変わりの人間が前世の記憶を保持した状態で現れる。まるでファンタジーだが、ヒビキに否定することはできない。ヒビキがそうなのだから。

 そして都合が良すぎるほど、運がいい。これまで出会えも手掛かりもなかったのに、セティと行動してからイクズスと出会えた。

「俺は、疫病神。お前に幸運も、悪運ももたらす。」

 運が良かったのだ。以前もそうだった。ならば二度目もある。

「そうだな。お前には、前を見ることも歩くことも今は辛いかもしれねぇ。だけど、俺は諦めるわけにはいかねぇんだ。なぁイクズス。お前は、?」

 運がいい時には、それに従う。以前はそうだった。だから幸せのために戦うのだ。

 ヒビキは胸の内で、懐かしい記憶を思い返しながら、傷ついた男に言った。

「私、私は」

 答えようとするイクズスの言葉を遮って、第三者の厳しい声が響く。

「死神、イクズス。ついに見つけたぞ、お前を。」

 声の主は女性。金髪が尻尾のように長くしている美女だ。腕組みしてヒビキたちをまっすぐ見据えている。

「何?知り合い?」

統一機構とういつきこうよ。ウワサは知ってるでしょ、ヒビキも。」

「統一機構ぉ!?」

 ヒビキが聞き返すほどの組織、統一機構。かいつまんで言えば、世界征服を企む神出鬼没の悪の組織ということだ。セティはどこかで情報を掴んでいたか、それも前世の記憶なのか、分からない。

「お前、あの子に何をしたんだ。」

「先代総帥を斬りました」

「なるほど納得」

 イクズスのシンプルな答えに、ヒビキは立ち上がった。他の奴に名乗られてしまったが、死神イクズスとは、なかなかハッタリの効いた忌み名だ。

 ヒビキは不敵に笑う。イクズスの不穏な経歴が恐ろしいわけではない。逆に嬉しいのだ。ヒビキの前の相棒は、目覚めのために親の命を消さなければならなかった。

 そういう重い過去を持つヤツが相棒に相応しいらしい。俄然、やる気が湧く。

「俺も昔、大切な女を亡くしたことがある。絶望した。自暴自棄やけになった。それでも前に進もうとしたのは、たとえそれでも、と歯を食いしばった奴がいたおかげだ。希望を信じた奴がいたからだ。」

 ヒビキは銃を抜く。

「だから俺も同じように今、希望を信じたい。イクズス、お前と一緒にだ。」

 ヒビキの決意の言葉に、イクズスにも響いたものがあったんだろうか。座り込んでいた彼が、刀を持って立ち上がった。

 だが、統一機構の女の態度は変わらない。

「群れたところで構わん。レイヴン!」

『ははっ!!』

 彼女は名を呼ぶと埠頭の建物の影から不格好なマジンが飛び出して来た。

『我が名はレイヴン!総帥の命に従い、貴様らをたおーす!!』

 ずんぐりむっくりの胴に手足が付いただけの不格好なマジンから聞こえた聞き覚えのある声は、手に仕込まれた機関砲をヒビキたちに向けた。


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