第32話「Cradle Song For The Two」

今回の話のためのBGMです。

よろしければ流しながら読んでください。


Cradle Song For The Two

https://www.youtube.com/watch?v=8xWccvsuhuc


↓本編


 微かに残った意識が戻ってくる。

 だがそれは不完全でしかなく、どこまで目が覚めようともまどろみのような感覚は消えない。


 体が、動かない。

 目だけ動かしてみると、自分の惨状がようやくわかった。

 肉は抉れ、血は至るところから噴き出していて、左腕は肩から下がどこかへ飛んでいってしまっていた。

 腹からは肉と腸が飛び出している。原形がわからなくなったそれが自分の身体だと認識するのに多少時間がかかった。


 この感覚を知っている。これだけの傷を負いながら、痛みはさほど感じない。


「ああ、たすか、らないんだ、な……」


 ひどく掠れた声を漏らしながら、初めて勇者として転生した頃をぼんやりと思い出す。まだ経験も浅く、武器の扱いにも慣れていなかった俺は、町の近くを闊歩していた魔物に、文字通りボロボロにやられて殺されたんだ。その時の感覚によく似ている。

 あの魔王の最後の爆発に巻き込まれた結果だろう、と思った。だが辺りを見ても森の木々が葉をつかせたままであることから、大した被害は出ていないことがわかる。この重傷は単純に至近距離でまともに食らってしまったせいだ。

 遠くから人の声が聞こえてきて、みんな生きているのだとわかった。この世界は滅亡から救われたのだ。

 それは美奈もまた同じだろう。


「…………」


 そうだ、美奈はどこだ? 爆発どれくらいの規模だったのかわからないから、もしかしたらそれに巻き込まれたかもしれない。


「……!」


 目を動かすと美奈は、いた。

 俺のすぐそばでぐったりと倒れていたのだ。


「み、な……?」


 そう呼びかける。しかし返事がない。

 嫌な予感が胸を巡る。


「美奈……!?」


 もう一度名前を呼んだ。まるで眠っているような表情から変わらない。

 まさか、本当に巻き込まれてしまったのか?

 俺は、また守れなかったのか?


「美奈……! 美奈……っ!」


 感覚が失われた右手を必死に動かして、彼女の体を揺する。

 すると、美奈のまぶたがピクリと動いた。


「う……ん……?」

「美奈! しっかりしろ……!」


 美奈は目を閉じたまま、寝起きのような声を上げる。体が思うように動かせず、もたれかかっていた木からズレて倒れてしまいそうだった。

 あれ? もたれかかって、いる?


「しょうた、ろ……くん……?」

「ああ、そうだ……っ。くっ……! しょ、正太郎だ」


 時折逆流してきた血と胃液が口から飛び出して、言葉がうまく続かなくなる。


「傷だらけだったよ……。正太郎くん……」


 美奈の声に覇気がない。すぐにまたさっきのように眠りについてしまいそうだった。


「もしかして、美奈が俺をここまで……?」

「うん……。……ねぇ」


 そのままの調子で美奈は続けるも、どこか様子がおかしい。しかしその理由は美奈が目を開きながら口にした次の言葉ですぐに理解した。


「正太郎くん、どこ……? 暗くて、よく見えないよ……」

「あ……」


 美奈のまぶたは開いていたし、夜とは言っても星や月の明かりで辺りが真っ暗とは言えない。

 単純に暗くて見えない、という話ではないことをすぐに察知する。


「暗い……怖い……。正太郎くん、どこ……?」


 美奈の手が何かを求めて空中を彷徨う。あまりにも心細く力のない動きに胸が締め付けられる。

 ひとりぼっちの手を、俺は掴んだ。

 小さな手。

 本当にか弱い一人の女の子だった。


 そうだ、美奈は俺のような特殊な人間じゃない。普通の平凡な女の子だったのだ。

 世界を凍りつかせて自分の中に閉じ込めるなんて、そんな神にも等しい所業に彼女の肉体が耐えられるはずもなかった。

 残った力を使ってそっと彼女の体を抱き寄せる。


「あたたかい……」


 消え入りそうな声がそう呟く。


「そこにいたんだね……。よかった……。このままずっとひとりぼっちだと思った」

「そんなわけ、ないだろ」


 美奈の小さな手を握る。俺の手にもう握力は残っていないから、本当に微かな力だったろう。すると、美奈もまた弱い力で握り返してきてくれた。

 たったそれだけのことで、胸の中がじんわりとあたたかくなる。

 そして、たまらなく悲しくなった。


「うん……」

「眠いのか?」

「……うん。眠い、かな」

「そう、か」


 美奈はもうすぐ眠りにつくのだろう。永い永い眠りに。

 俺にはどうすることもできない。ただ、それを見守ることしか残っていない。


「……私ね」


 ポツリと美奈が呟く。その声があまりにも小さくて、一瞬聞き逃してしまいそうになった。


「どうした?」

「ずっと、正太郎くんのおかげで、頑張ってこられたの」

「……ああ」

「正太郎くんと過ごした夏休みがね、本当に楽しくて、私にとっての『宝物』で……」


 それは自分にとっても同じだった。魔王と戦う中で精神が壊れかけた俺が、美奈と出会ってからはずっと正気を保っていられた。

 美奈との日々が、思い出が、俺にとってもまた『宝物』だったからだ。


「辛いものをたくさん見たの。悲しいものも、嫌なものも」

「…………」


 美奈が見たもの。それは世界そのものだった。

 自己の利益のためや感情に流されて、他者を傷つける姿を数え切れないほど見せつけられた。

 ずっと平和な世界で生きてきた美奈にとって、それはどれほどの恐怖だったのだろう。

 どれほど、生命に絶望したのだろう。

 できることなら彼女には、そんな光景を見ずに生きていてほしかった。


「でも、たくさん輝いているものも見えていた。いろんな人の幸せもたくさん見たの」


 ハッとなる。

 世界の全てを見たのであるなら、その影だけでなく光もまた見てきたことになる。

 だが、不幸まみれの中に紛れた幸福は、余計に心に影を落とすだけだったはずだ。それはまるで、光が影をより強くするように。

 少なくとも美奈の記憶を見た自分にはそのようにしか感じられなかった。

 でも、美奈は俺とは違ったんだ。


「それもね、正太郎くんが教えてくれたこと」

「俺が……?」

「そうだよ。どんな時でも、楽しいことは見つかるって」


 美奈がそう言って微笑む。なんて儚い笑顔なのだろうか。


「それにね、少しだけだけど満足してるの」

「えっ?」


 二人の言葉が風に吹かれて、どこかへと流れ去っていく。私ね、と美奈は続ける。


「正太郎くんに、どうしても言いたいことがあったの。それは、ありがとう、とね」


 おかえりなさい。

 

 そう美奈の口が象る。

 ふいにポツリと右手に何かが落ちる。

 見るとそれは涙だった。

 他の誰でもない、俺の目からこぼれ落ちたものだった。


 もう長い間、俺には帰る場所なんてなかった。

 生まれ育った故郷なんてものも、炎の中で焼け落ちてしまった。家族もその時にみんな死んでしまった。

 俺はずっと、帰る場所のない旅を続けていたのだ。

 でも美奈は、そんな俺にとっての帰る場所となった。ただいまと言えて、おかえりなさいと言ってくれる存在になってくれた。


「ああ、ただいま」


 泣き叫びそうになるのをギリギリで抑えて、優しく俺はそう返すと美奈は嬉しそうに、そしてどこか可笑しそうに小さく笑った。

 笑っているのに、こんなにも胸が苦しい。


「……でも、もっとが欲しくなっちゃうのは、わがままなのかな」

「もっと、か」

「うん、もっと」


 いつの間にか戻ってきたらしい虫の声が、二人を包み込む。その音色が穏やかで、優し過ぎて俺も、そして美奈も泣いてしまいそうになる。


「もっとは、また明日から始まるよ」


 でも、涙は彼女には似合わない。それに、初めて会った日の夜に、俺は誓ったんだ。


『君をとびきり楽しませる。死ぬほど面白い目にあわせてあげる』


 二度とあんな表情はさせないと。

 そして二度と、君を泣かせはしないと。


「また、明日……?」

「そう、また明日」


――――


 俺が先に目が覚めて、美奈を起こすんだ。


 寝起きが悪い君はそれに文句をブツブツと垂れながら、それでもちゃんと起きてくれる。


 食事は俺と君とで当番制。二人で朝食を食べたら、外に散歩に行こう。夏の日差しで肌が焼けるのを避けるために、君は麦わら帽子を被っていつも出かけるんだ。


 二人で手を繋いで村の中を歩き回る。ここに住んでいる人とすれ違う度に挨拶をして、時折お似合いだとか言われて二人して照れながら笑う。


 潮風の匂いに誘われて美奈が『海へ行きたい』って突然言い出して、でもすぐそこにあるから散歩のルートをちょっと変えて海辺に向かうんだ。きっとそれは一度や二度の話じゃなくてよくある話で、そのうち散歩のルートの選択肢の一つになる。


 海辺の堤防に二人で座って、たまに昔の話をする。あの辺で俺が倒れていたとか、あっちの方で一緒に遊んだとか、そんな思い出話を。それで『いつかは子供を連れてきたいね』なんて美奈が口にして、俺も頷いて笑う。


 また散歩に戻ると、今度は向日葵畑を見つける。その近くでお昼ご飯を食べようか、と俺が提案して君は頷いて、レジャーシートとお弁当を広げてのんびりと食べる。向日葵に囲まれながら穏やかな時間を過ごして、そのうち二人とも眠ってしまうんだ。


 目が覚めたらもう夕暮れ時で、二人とも焦って家に帰って夕ご飯とお風呂の準備をして。


 それから今日あったことや、明日はどうしよう、なんて話をする。俺が提案すると君は笑って賛成してくれて、時には代案を提案されることもあるけど、そんなふうにして明日のことを考える。

 

 今日という幸福に包まれながら、眠りに落ちる。


――――


「……そんな明日だったら、どうだ?」


 随分と長いこと一人で話してしまった気がする。美奈はその間、時折幸せそうに頷くだけで何も言わなかった。


「うん……。それはきっと、素敵な明日だね……」

「そうだよ。そんな明日が来るんだよ。……だからさ」


 美奈の声はもうほとんど眠りかけていて、言うなれば微睡みに満ちていた。今はそれをきっと懸命に堪えているのだろう。


「もう、眠りなよ。明日、起こしてあげるからさ」

「うん……。そう、するね……」


 その明日はやって来ないだろうことは、美奈も重々わかり切っているはずだった。それでもそう言ってくれるのは優しさか、それとも願いか。


「……♪」


 歌を、口ずさんだ。

 それはいつの日か、美奈がずっと俺のために歌ってくれていた曲だった。

 ただ、もう俺も喉がやられていて上手く音程が合わない。元々歌が得意でないせいで、余計にへたくそな子守唄だ。


「あはっ。正太郎くん、歌下手」


 可笑しくてたまらなくなったのか、美奈が吹き出す。


「うるさいな。子守唄、歌ってやるんだから静かに寝ろよ」


 本当はうるさくてもよかった。どんな言葉であってもそれが美奈のものであるならば、今の俺にとっては神の福音にも等しい。一言でも多く美奈と話していたかった。

 でも笑っていてほしかったから、そんなことは口にしない。

 さいごまで、笑ったままで終わってほしかったから。


「……正太郎、くん」


 焦点の定まらない視線が俺に向けられる。今の彼女には何も見えていないはずだ。でも、確かに自分を見てくれている。


「おやすみなさい」


 美奈が振り絞るようにそう言うと、ゆっくりと、そのまぶたを閉じた。


「ああ、おやすみ」


 俺がそう返してあげた瞬間、ずっと握っていた彼女の手から力が抜け落ちた。突然握っていた手が重くなり、そのまま地面に音を立てて落ちる。

 でも、まだ聞こえているかもしれないから、俺は歌い続けた。


 へたくそな歌を、歌い続ける。

 ちゃんと、彼女が深い眠りにつけるように。

 歌い、続けた。


「……♪ ……う、あぁ……っ」


 胸の奥が詰まり始め、どんどん声が出てこなくなる。しゃくりあげる声が混ざる頻度が増えてくる。

 美奈の顔は穏やかに微笑んだままで終わっていた。知らなければ本当に眠っているだけのようにしか見えない。


 もう、聞こえてはいないだろうか。

 我慢をしなくても、いいのだろうか。


「くっ、うぅ……っ。美奈……、みなぁ……っ!」


 俺の言葉に、もう彼女は何も返してくれない。ついさっきまで動いていたまぶたは、もうピクリとも動かない。

 それ以上耐えられなかった。この命が尽きるまでずっと歌っていようと思っていたのに、歌の続きは途切れてしまう。


 感情をせき止めていた壁が、一気に決壊する。

 既にボロボロになった喉が、体内の空気と悲しみを吐き出す。

 乾ききっていたはずの目が、次から次へと水分をこぼしていく。

 もう自分の感情が抑えきれなかった。


 よかったと思った。

 美奈の前でこんな姿を見せずに済んで。

 これなら最後のさいごまでは耐えきれなかったにしても、それでも及第点くらいはつけられる。


 冷たくなっていく彼女の手を感じながら、ひたすら俺は泣いていた。

 見上げた空は少しずつ白み始めていた。もうすぐ朝が来て、今日が昨日になり、明日が今日になるのだ。


 鳥の鳴き声が聞こえてくるのに混ざって、無様な男の泣き声がいつまでも木々の中で響き渡っていた。

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