第2章

第18話「少年はその場所を知っている」

 ある存在が、昔いた。


 昔という言葉を使うのは間違っているのかもしれない。そもそも時間という概念に縛られてなどいなかった。

 その存在はある日、世界を作ることにした。

 どうしてなのかはわからない。その存在に理由があったのかどうかも怪しい。


 ただ、世界を作った。


 後にその存在は、『  』と呼ばれることとなった。

 

――――


 月明かりに照らされた二つの影法師が並んで歩いている。

 遠くから波の潮騒がうっすらと流れてくるのが唯一の音で、それ以外は無音を保ったままだ。


「あの……」

「ん?」

「いつまで手を繋いでるんでしょう?」


 その沈黙は気まずさによるものだった。


「んー、とりあえず家に着くまで?」

「完全に俺が子供みたいだからやめて」

「目をそんな真っ赤にして、何言ってるの?」

「そ、それを言うな……!」


 完全にやらかした。なんでこんな十年ちょっとしか生きてない女の子に。

 今になって思い出すと恥ずかしすぎる。恥ずかしくて今すぐどこかに逃げ出してしまいたかった。


「ふふっ。やっぱり変わったよ、あなた」

「ああ……、もうなんか自覚症状ある……。年相応の反応になってしまってる……」

「別に悪いことじゃないと思うけどな」

「体はこうでも、中身はもう何百歳のじじいだぞ。俺は」

「ああ! だからいちいち言動がおっさん臭いんだ!」

「今更かよ」


 何度か自分の正体がバレたのかと肝を冷やしたが、単純に美奈の中では俺をからかうための材料でしかなかったらしい。確かに発言のおっさん臭さで、異世界転生を繰り返している人間なんて発想には普通行き着かない。


「でも、あんまり私とかと変わらないように見えるよ」

「そりゃ見た目子供だからな」

「いや、そうじゃなくて……。あっ、そうだ」


 ポンッと美奈が手を鳴らした。


「さっきの話でもう一つ、気になったことがあったんだった」

「気になったこと?」

「あなたは、何か大切なことを忘れてる」

「えっ?」


 唐突でありながらその言葉には強い意志が込められていた。思わずその勢いに飲まれたまま気の抜けた声が飛び出してしまう。


「……ような気がする」


 が、その勢いはすぐに消沈してしまった。


「なんだよ、それ……」

「ごめんね。私はあなたのこと、たぶんまだ全然わかってないけど。あなたが……えっと、何百歳? になるまで頑張ることができたのは、何か理由があるからだと思うの」

「それは、俺には魔王を倒すという使命が――」

「ううん、そうじゃなくて」


 美奈が小さく首を振った。


「そうじゃなくて、あなたがそうしたいと思うようになった理由だよ。だって、普通だったらそんなの耐えられなくて、途中で投げ出しちゃうよ」


 普通はそうなのだろうか。自分ではよくわからない。


「でも、あなたはそうしなかった。それには、何か理由があったんじゃないかな」


 自分が魔王と戦おうと思った理由。

 そんなものが自分にあっただろうか。


「逃げ出したくない理由が。そう思うようになったきっかけが」

「きっかけ……」


 それ以外に道がなかったから、というのは理由にならないのだろうか。俺にしかできないことがあって、それでたくさんの人が救えるから。そんな流されるままに世界を救ってきたというのも妙な話だが。


「あなたは、勇者になる前は、何だったの?」

「勇者になる前?」

「うん。だって生まれた瞬間から、世界を救おうなんて考えてたわけじゃないでしょ?」


 考えたこともなかった。これまで何百年、下手したら千年以上勇者として魔王と戦ってきた。覚えている一番古い記憶が最早勇者だった。最初から今までずっとそうだったような気がしてくる。


「覚えてないな」

「そっか……」


 俺は勇者になる前は、何だったのだろう?

 そんな当たり前の疑問が今更になって気になった。


――――


 どこかの家の鶏が朝を告げて、私はそれによって強制的に目が覚めた。


「うーん……。まだ早い……ってあれ?」


 いつもなら正太郎くんが私を起こしてくれるのに。自分が先に起きるなんて本当に珍しい。というより正太郎くんが来てから初めてなんじゃないだろうか。


「すぅー、すぅー……」


 隣を見ると正太郎くんが寝息をたてていた。


「まだ寝てる。今日は私の方が早起きだね」


 今までと少しだけ表情が変わった気がする。あどけないと言うか、安らぎに満ちているようだった。


「昨日あんなに泣いたもんね。疲れちゃったんだ」


 それにもう一つ、変わった部分があった。

 正太郎くんは気づいていないみたいだけど。


「『俺』なんだね。本当は」


 今までどこか違和感のある喋り方だったけど、昨日のあの後から明らかに言葉遣いが変わった。

 まだ少し慣れないけれど、でも無理のない本当のような感じがする。


「……もう少しだけ、寝かせてあげよ」


 少しだけ、だけどね。いつものお返ししなきゃ。


――――


「こらー! 起きなさーい!!」

「はっ!? うぉ、おおおおおおっ!?!?」


 耳元で突然の大声。

 跳ね起きようとすると、体が全く動かない。


「なんで俺は布団でぐるぐる巻きにされているんだ!?」


 どこから用意したのかロープで締めつけられていて、身動きが少しも効かない。


「ふふふ……。おはよう、正太郎くん。今日はねぼすけだね」

「み、美奈……っ!?」


 ニヤニヤとよからぬことを企む顔。


「おばあちゃんが朝ごはん用意してるし、早く行かないとね!」


 と言うやいなや、布団に巻かれた俺に手を乗せて体勢を低くする。明らかに押して転がそうとしていた。


「ちょ、ちょっと待……!」

「おりゃーー!!」


 俺の静止の言葉も虚しく、円筒形に巻かれた布団が床の上を転がり始める。


「だ、段差がっ! うがっ!?」

「まだまだーー!!」


 どんどんスピードが上がっていきそれに伴って目も回ってくる。もうかなりの勢いがついているせいで、ちょっとした段差でもかなり全身が宙に浮いた。


「ストーップ!! ストッぐはぁっ!! 前、かべ……っ!!」

「えっ?」

「いたぁっ!?!?」


 あまりの衝撃に思いっきり顔が後ろへ弾き飛ばされる。首から頭が吹っ飛ぶんじゃないかと思うくらいの勢いだった。


「あ、ごめん」

「おふ……。一体何のつもりだよ……」

「いやー、あはは……。頭打てば記憶も戻るかなって」

「逆に飛びそうな勢いだったぞ……」


 とっさの言い訳にしてはあまりにも雑すぎないだろうか。絶対そんなこと考えていなかった。


「あらあら、朝から賑やかねぇ」


 美奈から縄を解いてもらいて、頭を押さえていると美奈の祖母がひょっこりと物陰から顔を出した。


「あ、おはよー」

「おはようございま……」


 シャラン。


 その時、鈴を鳴らすような音が頭の中で響いた。


――いつもそのビー玉持ってるね。

――い、いいだろ別に。俺のお守りなんだ。

――ビー玉がお守りって……。


 何だ、今のは?

 妙な、違和感。


「どうした? わたしの顔に何かついてるかい?」

「あ、いえ。ちょっとぼーっとしてて」

「? そうかい。ほら、もう朝ごはんの用意出来るからねぇ」

「はーい!」

「ありがとうございます」


――――


 それからまた数日が経った。


「暑いね……」

「まぁ、あと少しの辛抱だ」


 今日は近くの川に行くことになった。おばあちゃんが水が綺麗だと教えてくれて、少女の思い立ったら即行動という迅速さにより、今に至る。

 夏の日差しは今日も自分たちをかんかんに照らす。きっとこの数週間で相当肌が焼けているだろう。


「や、山だ……」

「そんなに大したことないだろ。これくらいなら」


 最初に祠を探しに行った時のとは別の山で、傾斜は緩やかだし、道も整備されている。

 ふと、最初の頃が遠い昔のことのように思えた。


「あ、でもこの音……」

「水の音だから、近いんだろう」

「よし、行こう! ほら、早く!」

「その変わり身の早さにも、もう驚かなくなってきたよ」


 早足で先を急ぐ美奈と、その後ろに続く俺。

 彼女が楽しそうに笑っている姿が、単純に嬉しかった。


「着いたー!」

「まぁ、普通の川だな」

「あら、夢のないこと」

「何か夢を感じるものがあるのか?」

「ひゃー、冷たい!」

「聞いてないし」


 既に川の中に美奈は入っていた。せっかくノッてあげたというのに失礼な話である。

 足元に目を移すと平べったい石がいくつもあり地面を敷き詰めていた。すると美奈も同じことに気づいたのか口を開いた。


「この辺の石、全部まん丸だねー」

「そうだな……。ん、この辺りがいいか」

「ん? 何をするの?」


 美奈が不思議そうに首をこくんと傾げる。

 こういうところに来たらする事は一つ。


「水切りだ」

「へ?」

「そら!」


 サイドスローで石を水面に向けて平行に投げると、水面上を何度もジャンプしてまっすぐ進んでいった。

 結果、五回。

 久しぶりにやったにしては悪くはない回数だ。


「すごい、石が水の上を跳ねて……!」


 美奈の目が星のようにキラキラと輝いている。本当にすごいと思っているみたいで、それが少し嬉しかった。


「知らなかったのか?」

「ううん、話には聞いてたけど。でも、見るのは初めて……! 私もやってみよ。ほっ!」


 ドボン。

 美奈の放った石は一度も飛び跳ねることなく、不格好な水しぶきをあげて沈んでいった。


「なんで!?」

「ぷっ!」

「あ、笑ったでしょ! むぅー、もう一回!」


 悔しがって半ばヤケになりながら次の石を投げる。

 が、それもまたドボンと音を上げて沈んでいった。


「ぷっ、くくっ!」

「あーーーもう! 笑わないでよ!! こうなったら……、とりゃあ!!」


 復讐だと言わんばかりに、思いっきり両手で水をかけてくる。


「うぉっ! またかよ! ってか冷たっ!?」

「うるさーい! ずぶ濡れになれぇっ!!」


 こちらもやられてばかりではいられない。むしろ力がある分こっちの方が強力なのだということを美奈は考えていないらしい。


「なら、こっちも仕返しだ!」

「きゃっ!? 冷たい!!」

「海と違って若干涼しいからな! さぞ冷たかろう!」

「それにずるいよ! そっちの水の勢い強すぎ!」

「力こそ正義である」

「何を! 力なら私だって……」


 と、美奈の足が何かを踏みつけたらしい。その瞬間、彼女の体が急に傾いた。


「うわ? わわわ……!!」


 次の瞬間には、俺の手は伸びていた。


「危ない!!」

「……あれ?」

「ふぅ、セーフ……」


 どうにか彼女の腕を掴み取れたおかげで、転ばずに済んだ。ほっと胸を撫でおろす。


「あ、ありがと……」

「足下滑るしな。気をつけろよ」

「うん……」

「どうした?」


 美奈の顔が若干赤いように見える。もしかして今ので風邪でもひいてしまっただろうか。


「え? あ、えーと……」


 彼女の視線が下がる。それを追っていくと彼女の細い腕へと続き、途中でゴツゴツとした手が見えた。


「わっ!?」

「あっ……」


 顔が一気に熱くなるのを感じる。ずっと腕を握りっぱなしになっていることに気づかなった。


「ご、ごめん……! ってうわ!?」

「あ……」


 焦った勢いで今度は俺が川の流れに足を取られて水の中にダイブした。

 なんで俺が転んでるんだか……。マヌケ過ぎる。

 でも、水の中って冷たくて、なんだか気持ちいいな。


 ――シャラン。


「……?」


 耳の奥、いやそれは頭の中という方が正しいのかもしれない。鈴を鳴らしたような音が微かに聞こえた。


「ぷはぁっ!」

「だ、大丈夫!?」

「あ、ああ……」


 また、あの音……。この前と同じ感覚……。胸が綿で締め付けられているような感じだ。

 その感覚を確かめるために辺りをグルっと見渡す。


「どうしたの?」

「なんだろう……。よくわからないけど、この場所に来たことがある気がするんだ」

「……もしかして、今頭でも打ったの?」

「いや、打ってないけど」


 流石にこれでも長い間戦ってきたのだから、転んだくらいで頭を打つような失態は晒さない。


「そういうの、何て言うんだっけ。あ、デジャヴだ」

「ああ、あるな。そんな言葉」

「でもあれって、実際に見たことがあるのを忘れてるだけとか、勘違いが原因らしいよ」

「詳しいな」

「なんかのテレビでそう言ってた」

「ふむ……」


 来たことがある――わけがない。この世界に来てからは、この辺りには一度も足を運んだことがなかった。


「勘違い、かな。いろんな世界を飛び回ってきたし、似たような場所があったのかもしれない」


 口とは裏腹に頭の中は未だ混乱が抜けない。

 もしそうだとしても、こんなことになる理由が思い当たらなかった。


「あっ!」

「ん?」

「あっちの方行ってみようよ!」


 そう指差す方には流木がいくつも流れ着いて、軽く山になっていた。巨大な石がせき止めているからだろう。


「ああ」

「おいしょ、おいしょ。流れが急で、歩きづらい……!」

「また転ぶなよ」

「転んだのは正太郎くんの方でしょ?」

「俺が助けなきゃ美奈だって……、っ!」


 ――シャラン。


「また……!」


 今までで一番強い感覚に襲われる。それは尖すぎて最早痛覚まで刺激したのか、頭が割れるような痛みが走った。


「頭、痛いの?」


 美奈が心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。大丈夫だと返したかったが、そんな余裕も残っていなかった。


「勘違いなんかじゃない……」

「えっ?」


 俺は、確かに、ここに来たことがある。

 しかもつい昨日今日の話じゃない。もっと、もっとずっと前に。


「どうしたの、急に……」

「ごめん……っ。ちょっと岸に戻って休ませてくれ……っ」

「全然いいけど。肩貸した方がいい?」

「あ、ああ……。助かる」


 美奈の肩に手をかけてどうにか前に進む。こんなことは今までになかった。一体何が起こっているのだろう。もしかして他にもここに飛ばされた魔物がいたりして、そいつが俺に何か魔法をかけているのではないか。

 そう思ってまた辺りを見渡すと、ふと切り立った崖が目に入った。


 ――シャラン。


「くっ……!」


 また痛烈な頭痛が降りかかってくる。クラクラとしてきて視界が歪み始めた。


「えっ……?」


 揺れる水面に映った景色のように、流動的に歪む風景の中に動くものが見えた。崖の上に二人分の人影らしきものが立っていた。


『じゃあ次はここから!』


 ボヤケた少女の声。

 だがどこかで以前に聞いたような気がする。


『えー!? 高すぎるよ!!』


 もう一人の方は少年のようだ。その声にもさっきと同様、なぜか懐かしさを感じた。


『怖いのー?』

『む! こ、怖くなんかない!』

『よし! じゃあお先にー』


 片方の人影がピョンっと飛び、川の中へと吸い込まれていった。

 水飛沫を上げて着水すると、数秒の間の後に勢いよく顔を出した。


『ひっ……』

『ぱぁっ! はい、次はあなたよ!』

『くっ、むぅ……』


 どうやら上に残っている方が少年らしかった。


『落ち着け、落ち着け……』


 ふいにポケットの中に手を突っ込み、祈るようにブツブツと自分に言い聞かせている。

 すると不意に、かん高い音が鳴り響いた。気分が悪くなるそれはサイレンのようで、ずっと鳴り続けていて止む気配がない。


『あれ? 何の音?』

『ま、まさか……!?』


 和やかな雰囲気がその音で一変した。少女がバッと空を見上げて睨む。そしてふと何かに思い当たったのか、少年に向かって声を上げた。


『行くよ!』

『えっ? ど、どこに……?』


 少年はわけもわからず呆然と聞き返した。まだサイレンは鳴り止まない。


『いいから!』


 少女の声を最後に視界は急速にクリアになった。気づけばサイレンの音も消えている。


「はぁ……っ、はぁ……っ」


 だが気分が晴れることはなかった。むしろ最悪と言ってもいい。

 そして美奈の顔を見なくては。そんな衝動に駆られた。


「な、なに? そんなにじっと見て……」

「……違う」

「何が?」


 よく似ていた。だが、違う。


「どうする? 帰って休む? ちょっとお昼には早いけど」


 無意識のうちに俺はしゃがみ込んでしまっていたらしく、美奈が同じ目線の高さまでしゃがんで声をかけてくれた。

 ここ最近はいつもこんな風に心配をかけてばかりだ。


「……申し訳ない」

「全然大丈夫だって! 気にしないで!」

「ありがとう。……あのさ」

「ん?」

「こっちの方からでもいいか?」


 感覚の赴くままの方向を指す。その先は行きに通った道とは違ってもっと細い、何年も人が通っていないような隙間だった。


「行きと違う方だけど、迷わない?」

「大丈夫……だと思う」


 頭の中に景色が浮かんでくる。通っていないはずの道の行く先が、ぼんやりと見える。

 こっちへ行けと言われているような気がした。

 もしかしたらこれは――。

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