第17話「転生しすぎた勇者は、一人の少年へ」

 長い話を語り終えた。

 どれだけ長い間話していたのかもうわからない。だが、喉が枯れて痛くなっていることから、その長さは相当だということは確かだった。


「そんな……」


 美奈は口を押さえながら、小さく震えていた。

 当たり前の話だ。

 いま彼女の目の前にいる男は、それまで数え切れないほどの、本当に途方も無い数の命を奪ってきたのだと聞かされたのだ。恐ろしいと感じるのも無理はない。


「僕は、正しいことをしたんだ」


 長い昔話を続けていたせいで、言葉が無意識にその先へと続く。もともと話すつもりがなかった内容まで口が勝手に進んでいく。


「たくさん殺して、でも、それで人間を救ったんだ。魔王としても、何人も人間も殺した……」


 僕は魔王として魔王軍を指揮した。その中でたくさんの人間を殺したのは間違いないだろう。

 それだけじゃない。

 あの世界だけじゃない。今まで何度世界を救ってきた? 何人の命を、その中で奪ってきたんだ?

 両手ではとても足りない。一生数えたって数えきれない。


「それでも、最後には……っ、救った、はず、なんだ。僕は、僕は……。っ!?」


 突然、彼女は僕を抱きしめた。まだ恐怖は消えていないのか、その手は微かに震えている。


「な、何を……っ。離れろよ……」

「ううん、離れない……。だって、あなた泣いてるから」

「えっ?」


 気がつかなかった。

 いつの間にか、いくつもの涙が頬を伝っていた。


「ごめんね……。こういう時、どうすればいいのか、わからなくて」

「……僕は、たくさんの人間を救ったんだ」


 ひとりでに言葉が口から漏れていく。

 何かが決壊しそうなくらいに、感情が次から次へと。


「うん」

「でも、そのためにたくさんの人を殺した。人だけじゃない。魔物も。なぁ、知ってるか? あいつら、無意味に人間を襲う輩もいたけど、中には人間みたいに普通に、平和に生活してる奴もいたんだ」


 今でも思い出せる。

 子供をかばおうと僕の足に縋り付いてくる母親であろう魔物の嘆願を。

 怯えきった瞳に映る僕は、何の感情もないただの機械のようだった。意志を持って人間の血に塗れる魔物よりも一層その姿は不気味だったろう。


「死にたくないって、言っていた。でも、僕は殺した。痛いって言っていた。でも、僕はやめなかった」


 僕はそんな親子の平凡な日常も燃やし尽くした。

 繰り返される悲鳴。

 子供の名を呼ぶ親の声。意味もわからず身を焼かれる痛みに泣き叫ぶ子供の声。

 何度も、何度も、繰り返される。


「それだけじゃない。僕が戦ってきた世界には、そんな魔物だっていっぱいいたのに……」

「うん……」

「僕はそれを何も思わなかった。ただ、それが自分のすべきことだったから。そう思って生きてきたから」

「うん、うん……」


 美奈はただ僕の声に頷くばかり。

 けれど、それがありがたくて、不思議と自分の声が震え始めた。


「それ以外の生き方を、知らなかったんだ。なのに……、最近になって、よく夢を見るようになった」

「うん」

「今まで僕が命を奪ってきた人たちが、魔物が、ずっと僕に言うんだ。許さないって」


 悪夢が再び頭の中で繰り返される。光をなくしたたくさんの目がずっと見つめてきて、僕を責め立て続ける。

 何度謝ってもその声は消えなくて、むしろどんどん大きくなっていく。そして彼らを殺した瞬間のフラッシュバックが、何度も何度も目の前に現れる。


「もう、わからないんだ」


 気を抜けば膝から崩れ落ちてしまいそうだった。自分がどうして今ここに立っているのかもわからなくなっていた。それでもまだこの足が僕の体を支えているのは、目の前の女の子の温度を感じていられたからだろう。


「自分が何のために戦っていたのか。これから、何のために戦えばいいのか。そもそも、自分の行為は正しかったのかも」

「大丈夫だよ」

「は……?」

「だって正太郎くんは、正しいと信じて戦ってきたんでしょ?」


 美奈の声まで泣きそうになっていた。それを堪えようとしているのか、僕を抱きしめる力を強める。


「そう盲信してただけかもしれない」

「それでいっぱいの人を助けたんでしょ?」

「でも、そのために――」

「でも」


 そう強く遮る。


「あなたがいなかったら、もっとたくさんの人が死んじゃったり、苦しんだりしてたんじゃないのかな」


 言葉を失った。

 全身が何かに包まれるような感じがした。それは硬直した僕を、解き放っていく。


「あなたが守ったものだって、いっぱいあると思うんだけど。……違ったらごめんね」


 肩に何かあたたかいものが落ちてくるのを感じた。


「なんで美奈まで泣いてるんだよ……」

「あはは……。なんでなのかな。あなたの話を聞いてたら、胸がギュッて締め付けられるみたいで……。おかしいよね。あなたの苦しみを、私なんかがわかるわけないのに……。でも、それでも……!」


 僕を包む力がさらに強くなり、もっと彼女の温度を感じた。身体の中を脈打つ鼓動の音まで、聞こえてくる。


「正太郎くんは、普通の人の何倍も苦しんで、何倍も辛い目にあって……!」


 彼女の声はひどく沈痛で、何も知らない人間の言葉だとは思えないほどだった。

 いや、理解されたいと願うが故の幻想なのかもしれない。まるで水を求める砂漠を旅する者が、ありもしないオアシスを見つけたように。

 けれど、そうだとしても。


「他の誰にも代わりはいなくて、だから自分がやるしかなくて、それで死に物狂いで戦ってきたのに、それを批判できる人なんて、この世のどこにもいないよ……!」

「僕は……でも……っ」

「あなたは、間違ってないよ。間違ってなんか……」


 それからしばらく沈黙が続いた。

 美奈の肩の向こうにはどこまでも続くような雄大な星空が広がっている。


「……ああ」


 何かがほどけていくように感じた。胸の奥底にあった重く沈んでいた塊が溶けていく。強く固められた泥の塊が、川のせせらぎに流されていくように。


「星が、綺麗だ……」

「えっ? う、うん……」

「星空がこんなに美しいことすら、僕は忘れてたんだ」

「うん」

「ここに来て、いろんなものを見た。いろんなことに心を動かされた。だからなのかな……」


 どうして、こんな感情に襲われているのだろう。

 彼女の言葉が全てなわけではない。本質的な問題は、何一つ解決してはいない。

 なのに、なぜこんなにも、『俺』は――。


「なぁ……。どうしよう……」

「なに?」

「……泣きそうだ」


 胸の奥がひどく熱い。息が、できない。

 言葉一つを口にするだけで、何かが壊れてしまいそうだった。


「いいんじゃないかな、別に。今ならあなたの顔見えないし」

「そうか」

「そうだよ」

「……ありがとう」


 ただ美奈は頷いて、肩にあたる体温が動く。

 もう、我慢の限界だった。


「ひっく……うっ、あぁ……っ」


 俺は、泣いた。

 まるで子供のように、ただ泣き叫んでいた。

 彼女は何も言わずに、ぎゅっと俺の身体を強く抱きしめてくれて、あたたかくて安心すると同時に、また涙があふれた。


 ただ、泣いていた。

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