あれはお前だったに違いない(テイク2)

水木レナ

あれはお前だったに違いない(テイク2)

「オレ、いやです。教師になんてなりません」


「なにを贅沢言っとるんだ。地方とはいえ公務員なんて、みんななりたがるというのに」


「お義父さん、オレはただの人間じゃありません……! やるべきことがあるんです」


「そういった、うぬぼれたセリフを吐くのは、幼稚園児なみの頭かね」


「そうじゃない。お義父さんも知ってるはずです。オレが人間の中で、やっていけるはずがない!」


「やってみなければ、わからんだろう」


「……ッ」


「さあ、行け。世界はお前を待っている」





 オレは、栄井さかい信弘のぶひろは……物理学者を目指していた。


 物理学会で論文を発表し、数ある科学雑誌にて、名前を知られていた。


 だけど、大学でのんきに研究や実験に明け暮れているオレに、義父は容赦なく言った。



「おまえは社会に出ろ」



 と。


 冗談じゃない。


 社会なんて、実験通りにいかないじゃないか。



 もっとプラズマやエネルギー問題について取り組みたい。


 前身に追いつきたい。


 そして……いや、考えるまい。



 思考停止。


 それだけは、考えてはいけないんだ。


 オレは青い目に、黒の度入りコンタクトレンズを入れて、義父のコネで入った研究室を出た。






「えー……次回は実験をする。事前に係を決め、各班ごとに装置をとりにきなさい。物理室まで、と……今日さらったページは各自読みこんでおくこと。で、ノートにまとめて実験結果と合わせて提出すること。以上。質問は――?」


「はーい! ノブチン」


「誰だ、オレのことノブチンだと?」


 坊主頭の……なんといったか、成績は上位なのに、口を開くとバカをいう奴が挙手した。


「いえ、先生。ニュートンは数式なくても、万有引力を発見したのに、どうして僕らは数式から法則を学ばなければなんないんですか?」


「ばかもん、そういうことは定理の証明を行ってから、言いなさい」


「チェ、なんだよ。この授業、興味わかねー」


 笑いが起こる。


 なんだ? 笑うとこか?


「いいか、数式はお前らの前に現れた、一つの解にすぎない。ニュートンも発見した法則を、バカなおまえらにもわかるように数式に表してくれた。文句あんのか?」


 そのとき、神楽岡かぐらおか瑠衣るいが挙手した。


「神楽岡、なんだ」


「でも、先生。男子は実験したくてたまらないだけだと思います」


「そ、そーだ、そーだぞ、ノブチン!」


 さっきの坊主頭が、尻馬に乗っかる。


「うっせ、ノブチン言うな! あーもう、よろしい。実験三昧にしてくれるから、定理を一通り頭に入れてくるように!」


 頭いてーな、ちくしょう。


 だから高校児童は嫌だったんだ。


「返事は!」


「「「「「「「「「「「「「「「はーい」」」」」」」」」」」」」」」


 お返事だけはよろしいことで。


 くそ!





 ニコチンが欲しい……心臓がはねるようなの。


 オレは三月兎さんがつうさぎ学園、食堂でハムサンドをかじっていた。


 学園内は禁煙だし、タバコの副流煙は周りに迷惑だから、家でしか吸わないけれど。



「ヤニが切れるの、マジつれーな」


「先生――!」


「………………」


「先生? 栄井先生ってば!」


「……神楽岡ね。なに?」


「いつもお昼ここですね? お好きなんですか」


「なにが」


「ハムサンド」


「別に……」


「一口欲しいなぁ」


「人にたかるな。自分で買え」


「売り切れちゃってたんです」


「あー、そうかい」


 オレは食いかけのパンの耳を、神楽岡に押し付けて食堂を出た。


「先生――」


 なんか……追いかけて来た。


 神楽岡のやつ。


 なんなんだ。


「オレは暇じゃねーの! ついてくんな!」


「あ、ひどぉい。先生のいじわるぅ」


 おまえが嫌いなんだよ、神楽岡。


 年中、笑顔をふりまきやがって。


 オレの時間を、潰しやがって。



「先生はイライラしてるから、ツイテコナイデクダサイ」


「イライラしてるんですか?」


「だから、そう言ってるだろが!」


「そういうときはですねぇ。はい!」


 オレは目を丸くした。


「なんだこれは」


「乙女の必需品」


「チュッ*チャップ*じゃねーか」


「へへえ。何味がいいですか? 私、箱買いするんでー、いっぱい持ってます」


「……オレはこんなもんで釣られたりはしねーぞ」


「はい」


 なんだよ。


 良い奴じゃねえかよ。


「一本くらいは、もらってやる」


「はい!」


 ニコニコ。


 こればっかりだ。


 神楽岡瑠衣って――つかめねえ。






 時間は逆行しないが、オレの記憶は逆行する。


 オレがいわゆる、お野生だったころのことだ。


 目の前に、平面道路がダーッと開けて、オレは立ちすくんでいた。



 夏の終わりだったと思う。


 熱気ばかりが押し寄せて、母さんは帰らなかった。


 オレは、たぐいまれな嗅覚でもって、それを察知した。



 ――血の匂いだ……。



 母は、母さんは車に轢かれて……オレは側へ駆け寄り、叫んだ。


『母さん! 母さんっ! お母さーん!』


 だけど、そんな声を聞くものはなく、母さんは路面に横たわっていた。


 そのとき、パタパタと軽い足音がして、誰かが近づくのがわかった。


「どうしたの?」


 その声は――聞くまでもないことを、聞いた。






 思い出すのは嫌だった。


 視力がほとんどない、俺の目に涙があふれだす。


 考えまいとしているのに――。



「イライラしているときはコレ、だったな」


 包み紙を開くと、ふわっとあいつの香りがした。


「なんだこれ。なつかしーな……」


 口に含むと甘い。


 ストロベリーとクリームが混じった風味が、鼻孔をくすぐる。


 やめて欲しいな。



 また思い出しちまう……。



 



 おそらく、その声はオレじゃなく、警察とか、用務員とか、警備員とかを呼んでいたんだと思う。


 夕方の繁華街で、助けをもとめる声。


 オレには関係ない。



 だが、オレの体は瞬時に反応し、駆けつけた。


 少女が、男に絡まれている――やっぱり、神楽岡。


「きゃあ! 助けて!」


「だまってこっちへ来い!」


「いやぁ!」


 暴漢は一人ではなかった。


「へっへ! いい体つきじゃねえかよ。へっへ!」


 そして、少女の制服に手をかけると、一気にひき裂いた。


 この臭い――あいつ、よくないもんを持ってる!


「貴様! うちの生徒になにをする!」


 気がつくと、飴をかみ砕き、走り寄っていた。


「んだ、てめえ! 先公か!」


「ああ、そうだ! ――逃げろ!」


 オレは背後の少女に向かって言った。


 どうやら、相手は引いてくれそうになかった。


「へへっ、ちょうどいいぜ。おれぁ、おめえみてえな、権力ふりかざす奴が大っ嫌いなんだよぉ!」


 どか!


 足蹴にされた。


 くそ!


「天下の公僕を、権力の象徴と勘違いするのは、ままあることだ!」


「気に喰わねえ、やっちまえ!」


 ぼかすか殴られた。


 それだけならまだしも……。


 一人、二人、よくないものをポケットから出して、ちらつかせるようにオレを見た。


「へっへ! 喰らいなよ、センセー!」


「だめぇ!」


 ハッとした。


 よくないものと、オレの間に、ひき裂かれた制服をまとった、少女が飛びこんで来る。


「先生、逃げてぇ!」


「なっ」


 オレも、暴漢も一瞬、あっけにとられる。


 そのとき、ふわりと甘い香りが漂った。


 ストロベリーと、クリームの、匂い……。


 ざく!


 少女が暴漢に刺された! 血の匂いがパッと広がって、オレは正気じゃいられなくなった。


 アオーン!


 瞬間、オレの体に脈々と流れる血の記憶が呼びさまされた!



 もう、愛するものを、失いたくない――。


 オレは渾身の力を込めて、アスファルトの路面に拳をたたきつけ……。


 クラッシュした破片が、暴漢たちの目をくらました。


「ガウ!」


 オレは少女の体を抱いて、高く飛んだ。


 血は、その間も流れる……流れる。


「グルルルゥ!」


 障壁をつくると、プラズマが閃いた!


 暴漢は打たれて、その耳障りな心音を止めた。


 これからどこへ行こう。



 少女は軽傷だった。


 しかし、このままにはしておけない。


 ……二重の意味で。



 そのとき、少女が口を開いた。


「あり……がとう。助けて、くれた……また」


 また?


 その意味もわからず、オレは路面を蹴って、電柱から電柱へと跳び――。


「しっかりしろ。おまえを死なせはしないから」


 確証のない、約束をする。


「青い目のわんちゃん……また、逢えた」


 ハッとして目をそらしたが、確かにコンタクトレンズはない。


 変身したときに、落としたのか――。


 このとき、どこへも行けないはずのオレの内部に、異変が起こった。


「義父に――頼んでやる」


 そうしたら、この少女は助かる。





 のことが、鮮明に思い出された。


 パタパタと駆け寄る足音。


 近づいてくる幼女の声と、甘い香り。



 閃いた車のライトがまぶしくて――。


 オレはとっさに、母を庇おうとして、幼女を助けた。


 オレが手をかけると、走ってきた車は横転し、轟音を発して燃え上がった。



 


 誰にも顧みられなかった、オレの母親の遺体を、そっと土に埋めてくれたのは――ああ!


 あれはお前だったに違いない。



 だから、オレは……神楽岡!





 おしまい

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