(5) 超人A

「謎の解明は、自分にしかできない……」


 ヒロシィは女神の言葉を反芻した。何故、女神マガリナは答えを話さなかったのか。事件の真相に至れば、それが分かるという。そして、それはヒロシィにしかできない、とも。


「あぁ、緊張したぁ」

「腰が抜けたのですよ」


 天界からの光が消えると、ウェルウェラとテルモアがその場にへたり込んだ。ずっと気を張っていたらしい。


「初めてマガリナ様とお話できたのです。その上、使命までいただけるなんて。感謝するのですよ、ヒロシィ」

「ああ、うん。それでいいならいいんだけど」


 テルモアが上気した顔をヒロシィに向け礼を言った。ヒロシィにはいまいちピンと来ないが、元の世界で本物の阿弥陀如来やキリストが降臨したようなものかと思えば、一応の納得はできる。


「声だけでも凄まじい存在感だったな。あれが天界におわす神か」


 ずっと黙っていたラカンが独り言のように言った。信じられるのは己の力のみと豪語する男の呟きはヒロシィにとって意外だった。


「ラカンでもそう思うのか」

「貴方は何も感じなかったみたいだけど、天から光が差し込んできた瞬間から、凄かったんだから」


 ウェルウェラが呆れた声で言った。ヒロシィは首を傾げたが、ラカンもテルモアも激戦の直後のように肩を上下させている。原因はあくまで極度の緊張であって、全身鎧と着ぐるみに熱が籠るから、というわけではないらしい。


「とりあえず、夜になってしまったし一旦戻ろう。女神像の洗浄も明日の朝でいいだろ?」


 ヒロシィが提案し、ウェルウェラとラカンは同意して腰を上げた。テルモアは今からやるべきと駄々をこねたが、水の魔法ウォ・シューを使えるウェルウェラがいなくてはやりようもないらしく、掃除道具を磨いたりして明日に備えればいいというラカンの助言もあって渋々引き下がった。


 再び魔王城に入る。城主を含めて全ての大物がいなくなった城内には残党の影すらなかった。ヒロシィたち以外で動いていたのは、廊下を照らすために設置された魔法の青い炎による揺らめきだけだ。


 再び地下へ降り、最後の間の扉の前に立つ。そこにはヒロシィたちが最初に辿り着いた時と同様に、人骨を嵌め込まれた扉が厳然と侵入者を拒んでいた。封印魔法ア・カーンが破られた形跡はない。


 ウェルウェラが自らの解除鍵で封印を解き、最後の間の扉を開く。

 先頭に立っていたヒロシィが最初に中へ入った。廊下よりも少しだけ気温が高い。カゴシ山の地熱の影響を受けているのかもしれない。ヒロシィはぼんやりとそう思いながら、絨毯の感触を楽しみながら進んだ。


 目線がまっさきに向かったのは玉座だ。

 ヒロシィだけではない。全員がそうだろう。

 最後の間に存在する唯一のオブジェなのだから。


「――!?」


 ヒロシィは目を疑った。思わず早足になり、視線の先にあるものが確信へ変わると走り出していた。階段を駆け上り、玉座の下に転がった剣を見る。


「そんな馬鹿な!?」


 ヒロシィは叫んでいた。


「なぜそうなる!?」

「封印魔法はかけていたのに!」

「不思議なのです!」


 仲間たちも皆一様に声をあげた。玉座を取り囲むようにして、全員がそこにあるはずのものを探す。


 


 玉座には誰も座っていなかった。黄金と白を基調とした神々しいローブも、黒紫の筋肉も、異貌の山羊の頭蓋骨のような顔も、そこにはない。魔王の心臓に突き刺さっていた剣だけが、玉座の足元に放置されている。


「やっぱり誰かがこの部屋にいるのか」

「ありえないのです! ちゃんと調べたのです!」


 テルモアが動揺した声で返した。


「もう一度だテルモア、『イ・ルーカ』をかけてくれ」

「わ、分かったのです」


 テルモアが杖をかざし索敵呪文イ・ルーカを唱えた。一瞬の閃光が空間を埋め尽くし、すぐに消える。魔素を超音波のように飛ばして反響で判断するのだろうか、とヒロシィは想像した。


 これまでの旅でテルモアの補助魔法には何度も助けられている。理屈は知らずともテルモアが首を振ったのなら、それは信用するに値する事実として受け入れる他なかった。最後の間に敵はいない。テルモアがあらためてそう言葉にする。


「誰かが魔王の死体を隠した……? だが、一体なぜ」

「待ってその前にどうやって外に出たの。この部屋は密室よ。どこかに抜け道でもあるわけ?」

「何が何だかさっぱり分からんが、この最後の間にいるのは危険かもしれんな。これが攻撃か隠蔽か、はたまた俺たちをおちょくっているのか知らんが、万が一巻き込まれては全滅もありえる」


 ラカンが周囲を警戒しながら言った。次に消されるのは自分かもしれないという言い知れぬ恐怖が言外に含まれているようにヒロシィは感じた。


「超人Aが最後の間にいなくても、イ・ルーカの届かない別のどこかに潜んでいる可能性はあるわね」


 ウェルウェラが杖を前に突き出し、あちこちに向けている。しかし、魔法を撃ち込む相手はどこにもいない。


 不気味な状況だった。封印魔法の密室で殺されていた魔王が、今度は死体ごと消えている。そして、犯人の姿は影も形もない。


「どうするヒロシィ?」


 ラカンが尋ねた。パーティの中では最年長で経験豊富なラカンではあったが、集団行動の決定は勇者であるヒロシィに委ねている。勇者としてこの世界に召喚され、仲間たちを引っ張ってきたヒロシィに全員が一目を置いているのだ。


「ラカンの言う通り、最後の間に入ってから何だか全てがおかしい。1階に魔神官の祭壇があっただろう。拠点はあそこに移そう」


 ヒロシィの提案に反対する者はいなかった。というよりも、反対する根拠も手掛かりも何もないのだ。現場から離れず、かつ、遠くはない環境として、誰が言い出しても同じような場所になっただろう。


 そうと決まれば行動は早い。女神像のある庭園へ行く際、謁見スペースに置きっぱなしにしておいた荷物を全て回収する。いちいち魔法の袋に出し入れするのが面倒らしく、ウェルウェラは出しっぱなしだった調理器具をまとめて両手に持った。ラカンは酒樽を愛おしそうに抱えている。テルモアは根が几帳面なので、寝具など出してあったものを全てしまいこんで最後の間を出た。


 途中、誰も口を開かなかった。誰もが、いきなり死体が消失するような意味不明な空間に一秒でも長くいたくなかったのが本音である。


「『ア・カーン』!」


 誰かに言われたわけではないが、ウェルウェラが自主的に再び最後の間の扉を封印した。魔法の鍵は彼女の胸元にしまわれる。この封印は超人Aにとって意味があるのかどうか、誰からも意見は出なかった。


 魔神官の祭壇はマガリナ聖教会の大聖堂を模した造りになっている。地上1階にあるため、この世界の月に相当する衛星ハシビロの明りが窓から差し込み、魔王を礼賛するステンドグラスが床に色を落としていた。


「思ったのですが、魔王が殺されていた事実を、これで私たちは証明できなくなったのですよ」


 魔神官の祭壇に到着した時、テルモアが言った。歩きながらずっと魔王の死体が消失した理由を考えていたのだろう。


「そうか、王に報告したくとも証拠がない」

「魔王が死んだのだから、魔物たちは減っていくんじゃない?」


 ウェルウェラが言った。


「大半の魔物は野生で繁殖してしまっているからな。狩るにしても時間がかかるぞ。いずれはいなくなるかもしれないが……」


 ラカンが言い淀む。その続きをヒロシィが繋いだ。


「超人Aがもし、新しい魔王として影で君臨するようなら、結局何も変わらない。我々の知らないどこかで魔物が産み出され続けるだろう」


 それは最悪の可能性だった。これまでは魔王城の中にいる魔王を倒せば、全てがドミノ倒しのように解決するという前提があった。しかし、魔王は消え、魔王を消した存在の意図さえ掴めていない。


「そうなると、やはりマガリナ様のお言葉通りにするしかないわね」

「洗浄なら明日やるですよ」

「そっちじゃなくて、ほら謎を解けるのはヒロシィだけだって仰られていたじゃない。そうしないと意味がない、って」

「心当たりがないわけでもないんだ」


 ヒロシィが言った。心の声のつもりだったが、思いがけず本当に声に出してしまっていた。


「どういうことなのです?」

「何か知っているのか?」


 仲間たちの視線が集まる。


「俺は、女神マガリナに選ばれた勇者なんだよ」

「それは、まぁ勇者ってそういうものでしょう?」

「そうなのですよ、王国の認定とマガリナ聖教会の洗礼を受けた者は誰もが勇者なのですから」

「そうじゃない。そうじゃないんだ」


 ヒロシィは考える。

 この世界でヒロシィだけが謎を解くことができる。そして、解かなければ意味がないというのなら、答えにはヒロシィの特殊性が関係しているはずだ。当然それは、ヒロシィが転移した者であるという事実。この一点が、ヒロシィとこの世界全ての人間とを隔てる決定的な差である。


「すまない。上手く考えがまとまらないんだ」


 色々な情報が錯綜して、頭が重かった。冷たい空気に触れたくて、ヒロシィはふらふらと窓際へと歩く。祭壇の入り口付近はステンドグラスでなく、透明なガラスだった。魔王城と言っても多くの魔物が生活していただけあって案外設備がしっかりしている。


 ヒロシィは窓から夜空を見上げた。ヒロシィがかつて暮らしていた都会と違い、この世界ではいつでも星空を見ることができる。前に一度だけ、ウェルウェラにこの世界の星座を教えてもらったが、もうすっかり忘れてしまった。


「――?」


 違和感があった。

 瞬きをして、じっと夜空を見つめる。

 何だろう。何か変だ。


 ヒロシィは無言のまま、違和感の正体を突き止めようと思考を巡らせたが、形にはならなかった。仲間たちはヒロシィ抜きで推理合戦を続けている。その声が、どこか遠くで聞こえてくるような夢心地になる。


 ヒロシィは思い出す。

 自分が死んで、この世界に転移した日の事を。


 最初に浮かぶのは、暴走したトラックが猛スピードで自分に向かってくる映像。ヒロシィは横断歩道を渡っていた。青信号だ。タイトルは忘れてしまったが、とてもいかがわしいゲームを買った事だけは覚えている。プレイできなくて残念だ。


 衝突。衝撃。爆炎。


 そして、死んだ。


 目を覚ました時、綿あめで造られたような不思議な空間にいて、顔を上げると純白の薄い布を纏った女性が宙に浮いていた。エメラルドグリーンの髪に、曲線的なフォルム。一見してただ者ではないとヒロシィは直感した。


「初めまして、長谷川ヒロシ。私は女神マガリナ。貴方にお願いがあって、こちらの世界へお呼びしました」

「エッチなコスプレですね」


 それが、長谷川ヒロシの第一声だった。

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