(4) まがりなりにも女神マガリナ

――勇者ヒロシィ。勇者ヒロシィよ、聞こえますか?


 女神像から女性の声が聞こえてくる。水面に石を投げて出来る波紋のように、その声は別の次元から投げかけられ、空気を震わせているように感じられた。


「女神マガリナよ! 聞こえます、こちらヒロシィですオーバー!」


――ここは貴方が元いた世界のお寺でも神社でもありません。前から思っていたのですが、その珍妙な呼び出し方は止めるのです。


「すいません、これまではずっとボス戦の後とか、マガリナ様の側から語りかけてもらう感じだったので、こちらからどう呼べば良いのか分からなくて、オーバー」


――勇者ヒロシィ。勇者ヒロシィよ、私は貴方たちにお告げという形で天界から意思の疎通を図っています。トランシーバーではないので、オーバーは不要です。


「あ、そうなんですか。ありがとうございます。本日はこのような格好で申し訳ありません、色々と事情がありまして」


 ヒロシィはフルフェイスの兜を半分空けた。一つ咳を払って姿勢を正し、女神像に向き直る。ラカン、ウェルウェラ、テルモアの三人は平伏し、固唾を飲んで女神とヒロシィのやりとりに聞き入っている。


「それで女神マガリナよ、今日はご報告があって参りました」


――ああ、ついに。勇者ヒロシィ、私が貴方をこの世界に転生させてから3年、ようやくこの時が来たのですね。想定より時間がかかりましたが……。


 女神マガリナはそこで言葉を切った。ヒロシィも、その意味するところに気付き、いたたまれなくなって視線を逸らす。


――いいえ、今となってはどちらでもよいこと。貴方にとって、それだけ長く険しい旅だったのでしょう。さぁ、どうぞ。お話しなさい。


 天から女神像を照らす光が、はっきりと強くなった。心なしかお告げの声も高くなったようだ。


「はい。ここにいる者たちは、みな私の仲間です。我々は本日明朝、魔王城への突撃を敢行いたしました」


――素晴らしい働きです、勇者ヒロシィとその仲間たちよ。そして、今ここに貴方たちがいるという事実が、私を一層嬉しくさせています。


「ご推察の通り、我々は魔王城最奥部、最後の間に辿り着きました。そして、そこで魔王は死んでいたのです」


――ふふふ、言葉が少し違いますよ勇者ヒロシィ。死んでいた、ではなく、死んだ。あるいは倒したと言うべきです。


「いえ、そうではないのです女神マガリナよ。その、なんといいますか、我々が封印魔法を解いて中へ入った時には、魔王はすでに死んでいたのです。玉座に座ったまま、心臓に剣を突き立てられていました」


――ええと、勇者ヒロシィよ、それはどういう……?


「ですから、魔王は我々が来る前に死んでいた。我々以外の誰かが、魔王を殺害したと思われます。しかも、現場は密室でした」


――え? えっ?


 完全に素の反応だった。あまりに不可解な報告内容に、女神としての威厳ある言葉遣いが抜け落ちたらしい。


「愚かなる我らをお導きください女神マガリナよ。一体なぜ、このような事が起きたのか。誰が魔王を殺したのか。我々はこのまま魔王を倒したという雰囲気で、王国に凱旋しても良いものでしょうか。あと、当初の話では魔王を倒したら私を元の世界にボーナスを付けて転生させてくださると伺っておりましたが、具体的な条件などを詰めさせていただければ幸いです。私の希望としましては――」


――ちょ、ちょっと待ちなさい。待つのです、勇者ヒロシィよ。慌ててはいけません。そういった事柄は後ほど必ず履行しますので、まずは落ち着くのです。


「はっ。申し訳ありません女神マガリナよ。功賞を焦るなど恥ずべき行い、失礼いたしました」


――よいのです、勇者ヒロシィよ。貴方は時折、いきなりグイグイ来る時がありますね。改めなさい、勇者ヒロシィよ。


「はい、ありがたきお導きに感謝いたします」


――それで、その密室と魔王の死についてですが、私は創造主ではありますが、全知全能というわけではありません。まずは説明を聞かせてください。貴方が何を見て、何を感じたのか。それを教えてください。


 女神マガリナの言葉を受け、ヒロシィは詳しく説明した。最後の間へ至るまでの激闘、魔神官が持っていた鍵、最高位封印魔法ア・カーンや索敵魔法イ・ルーカ、そして玉座で永遠の沈黙を続けている魔王について。


 女神は朗々と紡がれるヒロシィの言葉を静かに聴き、ほんの少しの沈黙を経て、再びお告げをもたらした。


――なるほど。事情は大体把握できました。一つの仮説が考えられます。そして、それは恐らく当たっているでしょう。


「おお、女神マガリナ、それでは!?」


――全て見通せるわけではありません。しかし、私には事の真相のほとんどを理解できたと思います。創造主として私がこの世界を造り、育て、眺めて、手入れをしてきたのですから。それは当然のことです。


 あっさりと、女神マガリナは言ってのけた。流石は超常の存在、この世界の神。ヒロシィは最上の尊敬をもって、女神マガリナに尋ねた。


「それで、一体誰がどうやって魔王を殺したのでしょうか?」


 ヒロシィを中心に四人は真っすぐに女神像を見上げた。どうしても頬に書かれたメスブタに目がいってしまうので、各自若干視線をずらしながらも、次の女神の言葉を待ちわびていた。


――それは言えません。


「な、何故ですか!? 女神マガリナ!?」


――聞きなさい勇者ヒロシィよ。今ここで貴方に真実を教えるのは簡単な事です。しかし、それをしてしまえば、全てが無意味になってしまう。私はそれを良しとしません。それでは世界が救われないと予想できるからです。


「一体どういう意味なのですか? 私には分かりません、どうして答えを教えられたら、世界が救われなくなってしまうのか」


 魔王はもういないというのに。ヒロシィの疑問を遮るようにして、女神マガリナはお告げを続けた。


――この謎は、この世界で唯一人、貴方が解かなければなりません。そして、解くことができるのも、この世界で貴方だけです。勇者ヒロシィよ。考えるのです。貴方がこの世界に降り立った日から、今日この時に至るまでに歩んできた道のりを思い返しなさい。貴方はきっと、答えに辿り着けるはずです。その時こそ、この世界が本当に救われた瞬間となりえましょう。


 すでに日は落ちた。カゴシ山を取り囲んでいた紫雲は暗闇が覆い、天からの一筋の光が徐々に小さくなっていく。


「女神マガリナよ、せめてもう少しヒントを! もうちょっとだけ! お願いします!」


――粘るところではありません勇者ヒロシィよ。考えなさい。例えば最初の日のことを。私の言葉を、思い返すのです。あとはそうですね、旅で起きた色々な出来事が、答えを導く標となることでしょう。


 なんだかんだ言いながらヒントをくれた。サービス精神があるのだかないのだか分からないが、ヒロシィは一応の手掛かりを得て落ち着きを取り戻した。


――ああ、それと。そこの水の羽衣を着ている者よ。貴方は魔法使いですね?


「え? あ、はい!」


 ずっとヒロシィが受け答えをしていたので油断しきっていたウェルウェラが、居眠りの最中に質問された生徒のように、驚いて直立した。


「私はウェルウェラと申します! い、いかにも魔法使いです!」


 緊張しすぎて言葉遣いがおかしくなっている。しかし、女神マガリナは特に気にした風もなく語りかけた。


――もし可能でしたらお願いしたいのですが、水の魔法ウォ・シューによって、私の女神像を洗ってはもらえないでしょうか。水着も外して、落書きも消去してください。像とはいえ、私自身を象ったもの。見るに忍びないのです。野ざらしでも塗料が落ちていない点を見ると、恐らく油性です。しっかりとタワシなどで擦れば、何とかなると思うのですが。


 密室の謎とは違い、こちらに関してはかなり具体的な指示が飛んできた。相当嫌だったのだろう。全身金色なのが気に障ったのか、卑猥な水着がいけないのか、それともメスブタが不味まずかったのか。多分全部だ。


「はい! もちろんです女神メスブ…マガリナよ! 必ずや女神像をピカピカにしてご覧に入れます!」


――今メスブタと言い間違いかけましたね魔法使いウェルウェラよ。絶対にいけません。私は女神マガリナ。まがりなりにも女神マガリナなのです。


「申し訳ございません、女神像の落書きを見ていたせいでつい引っ張られてしまいました」


――引っ張られてはいけません魔法使いウェルウェラよ。絶対にダメです。気をつけなさい。 


「あ、あの!」


 女神から厳重注意を受けるウェルウェラの隣で、キラーベアの着ぐるみ――テルモアが突然立ち上がった。


「私も! 私もマガリナ様の女神像を洗うのを手伝うのですよ! マガリナ聖教会大聖女テルモア・バルサミコスが、一生懸命やるのです! 是非私にも女神像の洗浄をお命じください!」


――おお、なんと頼もしい言葉。貴方はいつも教会で私に祈りを捧げてくれている子ですね。テルモアよ、貴方の優しさに感謝します。私の女神像を頼みましたよ。


「もったいないお言葉! ありがとうございます! 全身全霊をもって取り組ませていただくのです!」


 テルモアは顔を紅潮させ、嗚咽を漏らしながら頭を下げた。着ぐるみに身を包んだままモフモフした両手を胸の前で合わせている。祈りのポーズをとっているのだろう。崇拝する女神が己の祈る姿を見ていてくれたこと、感謝の言葉を投げかけてくれたことで、テルモアは喜びの絶頂にいるらしく、両膝をついたまま恍惚とした表情を浮かべていた。


――それでは、頼みましたよ。女神像の洗浄を、あ、あと謎の解明を……


 順序が入れ替わったせいで女神像の洗浄がメインみたいなお告げになってしまったが、ヒロシィは「必ずや!」と返事をして、深々と礼をした。仲間たちも一様に頭を下げ、自分たちが膝をつく地面を照らしていた光が、徐々に消えていくのを見送った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る