第2話 歪んだ法と少女の剣2

 人界暦が700年を過ぎた頃、豊かで美しい【アルラント】にそれは突如出現した。


 人類種の中では平穏であったものの、その豊かな暮らしを維持するために、自然を破壊して、文明を築いたのは事実だった。


 これはただの学者の仮説に過ぎないけれど、突如現れたそれらは、その人類種の許されざる行いを一切認めなかった、どこかの神が怒り、人類種を駆逐するために送り込んだ使者なのではないか、と。


 ともかく、明確な理由はわからないまま、というよりも、明確な理由を探す時間もないほど、急速にそれらは増殖し、蔓延し、【アルラント】に息づく人間を己が餌として喰らい始めた。


 強靭な肉体と本能の中に隠した知性、それらを複合させた高い戦闘力。そして、異様な力を操るそれらに、弱者たる人類種が敵うはずもなく、瞬く間に人類種は数を減らしていった。


 惨憺さんたんたる光景に、人間は救いを求めた。その拠り所は【聖域】に住まうとされる人ならざる種族【妖精族フェアリア】。人外であったとしても、抗いようのない暴力に、立ち向かうための希望はもはや【妖精族フェアリア】にしか抱くことができなかった。


 普段は人間を寄せ付けない彼らも、この時ばかりは危機に感じて、協力関係を築くのであった。


 そして、【妖精族フェアリア】の協力の下、生き残った様々な人種の人間で組み上げたのが【人界ヒューマニア】であった。【聖域】を囲うように造られた巨大な円形都市の最も外側には、奴らを可能な限り立ち入らせないための巨大な壁を建築したのである。


 けれど、それ程で、穏やかに生活できるほど世界は優しくない。


 あくまでも組み上げたのは最低限の生活を送るための土地。かつて営んだ豊かな暮らしとは程遠い。【妖精族フェアリア】の恩恵を受けているが故、多少の食糧は恵んでもらっているけれど、それがいつついえるかもわからないし、徒党を組んだ【やつら】が大攻勢に出るかもしれない。


 状況は困窮を極めていた。


 ――だから、戦うしかなかった。人類が生き残るためには、全員が豊かな生活を取り戻すには、驚異的な力を持った【やつら】を打ち滅ぼし、奪われた己が土地を奪還するしかなかった。


 だが、それには遠く及ばない。それ程の実力の差。種としての、存在としての出来の違い。それが簡単に埋まるほど世界は簡単にはできていない。


 打開策は見つからなかった。人間の誰も、が。


 しかし、その答えを出したのは意外な存在だった。それは【聖域】を実質的に守る【妖精族の始祖ゼラ・フェアリア】。


 ――彼らはこう言った。


「……奴らと争うには、道徳も、倫理も捨て去り、その命でって戦わねばならない。それでも争う意志と覚悟があるならば、我らも力を授けよう。君達が手にするこの力は、本来奴らが生み出した力。それを我々が拝借して、真似をするだけのこと。つまり、世界を滅ぼした【敵】と同じ力で手を汚し、命を懸けるということだ。その醜き所業を認める覚悟と意志は存在しているのか。最悪の決断をする勇ましさは持ち合わせているのか」と。


 問いかけたのは、人類を統治していたかつて存在した国の長達おさたち。苦しみ、懊悩おうのうし、そして彼らは決断した。


 これは歴史に刻まれる最善の英断であり、そして同時に最悪の決断であった。


 ――そして、時間は少し流れる。




 巨大な円形の都市【人界ヒューマニア】。


 その南西部に位置しているこの都市が、【ラニアル】その場所である。


 文明は少し発展していて、人の数もかなり多い。

 レンガや石を組み合わせて造りあげられた雰囲気のある旧時代的な建築が多いけれど、所々鉄を利用した近代建築も見受けられる。


 自然のままに、青や緑の爽やかで深い不均等な美を醸していた【聖域】の内部と比べ、人為的な価値観が取り込まれたこの【ラニアル】の街並みは均等で趣があって、【聖域】とは対照的な美しさがあった。少なくとも崩壊して、跡形もない成れの果ての街に比べれば、相当に美しく思える。


 短い期間に組み上げたとは思えないこの街並みも、【妖精族フェアリア】の協力があってこそだろう。


「いらっしゃい、安くしてるよ!」

「人間は体が資本。守るためにはこの防具や戦闘衣が必要! うちでは採寸・デザイン全てオーダーメイドで行っております。是非是非お越しください!」

「今、パンが焼けたよ。熱々ふかふかのパン是非どうぞ!」


 そこかしこから、男女ともに様々な声が響く。街の露店街であるこの付近は、昼間のこの時間帯にかけて様々な屋台が展開されて、店主も、客も多くの人が行き交う。


 その声に、その品揃えに、その匂いに、あらゆる感覚で引きつられた客が、それぞれの形で買い物を楽しむ。


 遠くでは、金槌を振り落とす音が軽快に鳴り響く。例の力でひらけた土地から手に入れた鉱物を加工して、様々な武具や道具を創り上げているのだ。


 壁の近くにある【ラニアル】では、外界から時折、様々な産物を手に入れてくる。だからこそ、それらの産物の加工をする工場や装飾品や衣服を手に入れてきた材料を用いて紡ぎあげる商店が多い。これが広い【人界】の中でも、【ラニアル】の特色だ。


 人の数がある程度多いこの街中を、黒髪で灰色の双眸の少年カムルは一人で歩いていた。


 スラリとした体躯を包む軽量型の黒い戦闘衣は彼自身の細い体をより細く映していて、それでいて、白昼の蒼空に輝く太陽の陽光をその黒い戦闘衣が吸い込んでいるように見えた。


 適度な気温に、暖かな陽光。時折吹く清々しい風が、素晴らしく心地がいい。


「……やはり、子供が増えている気がする」


 周りの景色を見渡して、独言を吐くカムル。すると。


「確かにそうかもしれないですね。これも、くだんの法律の効果というか、弊害というか。少なくとも、首長達の思惑通りは進んでいるはず」


 どこからか、返答が来る。


 カムルは一切訝しむことなく、言葉を続ける。


「……だろうな。まぁ、人口が減り続けることに比べれば余程いい。増え続けた時の弊害はあるかもしれないけど、種が存続するならば俺個人としては満足だから」


 そう言っているが、その表情には僅かに苦さがあった。


 とはいえ、カムルが言っていることはあながち間違っていない。


 露店の立ち並ぶこの騒がしい通りには、多くの家族が溢れている。

 母親の腕に抱きかかえられ、胸の中に眠る生まれたばかりの幼子。大きな父親の背中に背負われて運ばれる小さな娘や息子。或いは両親と手を繋ぎ仲良く歩く、少し成長してもそれでも未熟な子供。それぞれの家庭の形、十人十色の家族の形が一瞥いちべつするだけでも映った。


 そんな種としての、人間としての美しい光景も、わかってしまうと微かな悲しさが漂った。


「……それにしても、苦しくはないのか?」

「えぇ、カムルの傍に仕えられているので、特に何も。感覚としても私自身にあまり影響はないようで、普段歩みを止めて佇んでいる状態が続いている感じです」

「……それならばよかった。……あと、当然のようにそう言われると少し恥ずかしくなる。揶揄からかっているならやめてくれ」

「いえ、私は全く揶揄っていません。私の真意だもの」

「それはそれで、困るのだが」


 中々に会話の声は大きい。


 ゆっくりと歩みを進めるカムルはこの上なく目立っていた。だからこそ。


「……あの子、誰と話しているのかしら?」

「ママ~、あの人一人で話してる~」

「こら、見てはいけません!」

「あいつ……やべーな」


 明らかに声を上げながら噂されるのが必定であった。流石に気付いたカムルであるけど、気にした様子はさほどない。


「意外と知られていないようだ。外界に近い【ラニアル】なら、所縁ゆかりも多いはずなのに」


 それどころか、理解していないことに疑問すら抱いているほどに、不思議で仕方がないようだった。


「あくまで推測ですが、よく思わない親が教えないように制約しているのかも。或いは【連合組合】が情報を制限しているのかも」

「なるほど、どちらにしても制限をかけて、伝えないようにしている訳だ。まぁ、知らなくてもいいことだとは思うが、少し思うところはあるな」


 得心がいったように小さく首肯するカムル。でも、やはりその表情には苦さが残る。


 だけれど、ある程度解決はしたようで、必然的に落ちていた歩みの速度を、元の速度に緩やかに戻していく。


 露店の並んだ通りを抜けたカムルは人気の少ないエリアへと出る。


 旧世代的なレンガと石の造りの建築は暖色の独特の穏やかさが表れていて、景色として美しい。けれど、限られた土地の中、押し込められて組み上げられた家々は隙間なく林立していて、住みづらさが感じられた。


「宿舎もこの辺りだと聞いている。静かでいいところだ」


 先の喧騒と裏腹に穏やかなこのエリアは居住区としては十分だ。


 景色をぐるりと一周見渡して、小さな感慨に耽っていると。


「……おい」


 脅しのめられた声がカムルの背後から飛んできた。

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