第1話 歪んだ法と少女の剣1

 ――美しい世界【アルラント】。


 豊かな土壌と四季の薫りを見せる大地。生きる様々な人々が、それぞれ趣の異なる国を形成し、様々な営みを行う。

 そんな美しい姿は、いつの間にか懐かしいものになってしまって、今ではそんな平穏は存在しなくなったのかもしれない。唯一の平穏と言えば、全ての人間が今生きるこの【人界ヒューマニア】くらいだろう。


 外界との接触のほとんどを塞ぎ、脅威から耐え忍んで生きるこの【人界】の中心にある【聖域】の豊かな新緑の森の奥にある丘に二人の人類種が訪れていた。


 廃れてしまった外界とは趣の異なる深い緑の草木は、独特の静寂と青い香りを醸していて、居心地はとてもいい。少し開けたこの丘も、足首程までに延びた野草や花が夜風に揺れて、足首を叩くと気持ちがいい。


 空に漂う満月が淡くその辺りを照らして、二人の姿を陰として映していた。


「ここで間違いないのでしょうか、カムル?」

「あぁ、そうだと聞いている」


 背丈と性別の異なる二人は向き合って小さく会話を交わす。


 淡い月の光を吸い込んで消し去るような二人の黒い髪。夜の闇を取り込んだような漆黒の髪が心地よく吹き抜ける風になびく。


「……最後の確認だが……リーリエ、本当にいいんだな?」


 二人の片割れの青年が問う。


 170センチの標準的な身長に、やや細身の体。明度の高い黒髪とは対極の白い肌には、均等に蓄えられた筋肉が張り付いている。曇天の空のような灰色の瞳、その左目の瞼には薄く傷が入って、右目に比べて開ききらなくて、すがめているように見えた。

 端正な顔立ちとどこか俯瞰して見る落ち着いた振る舞いは、女性に対する魅力として申し分ないだろう。名をカムル・ユーステティアという。


 そのカムルの真剣な表情は、疑いようのない本物のそれであり、対する少女の瞳をしっかりと捉えて言った。


 向かい合う少女リーリエは薄く笑って。


「えぇ。これが私の望んだことだから……。私は、私の願いとあなたの願いを叶えるために今生きている。それを今更否定するなんてことは私にはできないもの」


 強く宣言するように答えた。見た目とは裏腹の意志の籠った声音で。


 カムルもしっかりと受け止めて、小さく「ありがとう」と言った。


 夜風に揺れる長い漆黒の髪。肩甲骨の辺りまで延びたそれは、少しばかり傷んでいるけれど、おおよそ美しく艶のある髪である。15歳の少し成熟した年齢にしては、異様に幼い印象の強い童顔と147センチの低身長。


 可愛らしさと可憐さを兼ね備えた黒と白のボーダー柄のフリルのついた高貴な印象のワンピースで纏う体は、成長が乏しいのか胸のふくらみは少なく、華奢な身体と合わせて、幼さが醸し出される原因となっていた。


 けれど、整った相貌と妖しく光る紅の瞳、育ちのよさそうな独特の雰囲気は、美少女と言って他ならない魅力だろう。


 覚悟と決意をその胸に抱き、滅多に人が立ち入ることを許されないこの【聖域】に二人が来た理由はただ一つ。


 ――戦うための力を手にするため。それに尽きた。


「……それにしても、未だに姿が見えない。どこだろう?」

「相手は偉大な【妖精族の始祖ゼラ・フェアリア】。俺らはただの【妖精族フェアリア】にすらまだ会えていないんだ。そう簡単に見つかる筈もないよ」


 ――そう。力を手にするためには、それを与えてくれる存在が当然必要なわけで、強固な精神と身体能力を持った彼らは、基本的に侵入不可能のこの【聖域】に【人界】のおさらの推薦を基に立ち入っているのである。そして、目的の存在に出会わなければ、元も子もないのであるが……。


 どうも、それは姿を長らく見せていないようだ。


【人界】の【人類種】と【聖域】の【妖精族フェアリア】の間では協力関係が結ばれているはずなのだけれど、情報も伝えているはずなのだけど、どうもマイペースというか、豪放磊落というか、それの考えることはよくわからない。


「……さて、本当にどうしたものか」


 月夜の丘で小さく声を落とす。呆れと困惑の籠ったカムルの声音。

 だが、それに呼応するように、やっとそれは姿を見せた。


「……君達が……例の……」


 夜闇に輝く満月。その銀色の月光から現れたように、唐突に姿を見せた存在。


「わぁ、驚いた」

「……リーリエをあまり驚かせないでいただきたいのですが。【孤高の月姫ルーナル・ソリタリオ】……ディアーナ様」


 驚いたリーリエと落ち着き目線を寄せるカムル。どこか呆れているような、それでいて少しの恐ろしさを抱いているような本質の見えにくい視線。


 その灰色の瞳を確認するように、ぼうっと見返すのは玲瓏れいろうたる藤色の双眸そうぼう


 その相貌は絶世の美女と言って違わない。黄金比で配置された目や鼻。その完璧な顔から繋がる体は豊かな胸部と臀部、引き締まった腹部と長く伸びた手足によって構成されていて、女性としての色香が強く放出されている。その肌を覆う菖蒲色あやめいろの気品ある衣はその蠱惑的こわくてきな美をさらに強調していた。


 そして、何よりも目を引くのは白金色の極めて長い髪。星屑をちりばめて、あしらったようなその髪は月光に反射して、チラチラと光っているように見えた。


 一見すれば、全ての雄が群がる人間の美女と言えるのだが――よくよく見ると、それが人類種ではないことが窺える。


 そのどこか風格のあるオーラもさることながら、何よりもその美女が人間でないという証左しょうさは二つ。白金色の髪が隠す頭頂部付近から延びた三角形の狐の如き二つの耳。そして、背中から垂れ下がるように生えた二対の黒い光の翼だ。


 人間と酷似した姿とそれ以外の異形の特徴。これは彼女が【聖域】の主たる【妖精族の始祖ゼラ・フェアリア】である証明であった。


 その大いなる一柱であるディアーナは穏やかにおっとりと言葉を紡ぐ。


「ふふふ……ただ君達の前に現れたつもりだったのだけれど、驚かせてしまったのならば申し訳ないことをした」


 柔らかい印象の美しい声音で発した。


「いいえ、こちらこそ失礼を」


 それを淡々とした口調で返答するカムル。落ち着いている風を装っているようだけれど、その衣の下には冷たい汗がじっとりと広がっていた。


 それほどまでに感じる不思議なオーラ。妖狐と人間の出会いとでもいうのだろうか、同じ種でないものと意思疎通を図るのはやはりどこか恐ろしさがある。


「興味はなかったのだけれど、しつこく連絡を受けたおかげで君達のことはある程度知っている。我は他の存在と違って、世界の命運にしたる興味はないのだけどね、これも長い時間を潰すいい遊戯だと思って、力を与えることにしている」


 僅かに言葉に香る苛立ちは、これ以上憤激させてはならない警告のように感じる。それ程の脅威の波動、膨大なエネルギーを想起させた。


「……けれど、面倒なのは変わりない。ここで力を与えても、死に行く定めなのは変わらないからね。やる意味がないのも事実。我はそう思っている」


 興味なさそうに語るディアーナ。カムルは。


「……でも、人類種が何かしなければならないのも事実でしょう?」


 と言い返す。薄く微笑むディアーナもまた。


「確かに……そうなのかもしれない。だけれど、我ら、いや少なくとも我には関係のない話。我は自分を守る力くらいは持ち合わせている。君達の【敵】を根絶やしにする程の力はね」

「……では、なぜそのようにしないのですか?」


 間髪入れずに問い返した。カムルにとって重要な事柄だ。


 彼女一人が力を使えば、人間に平穏と幸せがもたらされる。それなのに……と。


「……はははは」


 小さく声を上げて笑った。初めて眼前の少年に真に向き合ったように思える風に。


「そんなことを聞いてきた人間は初めてだ」


 微笑みを浮かべる妖狐のようなディアーナは問いかけに答えるために続ける。


「それは君自身わかっているのではないか?」


 答えになっていない。カムルは「いいえ」と首を左右に振る。


「……そうか。ならば、答えよう。それはね、必要がないから、だよ」

「……必要がない?」


 若干の憤りといぶかしみを含んだ声音で傍にいたリーリエが言った。ディアーナは一つ頷いて。


「……あぁ。先程も言ったが、我は他の【妖精族フェアリア】と違って、世界の行方にも、人類の存亡にも興味はない。世界が救済されようとも、滅亡しようとも、どちらにも身を任せるだけだ。――そこにわざわざ我が立ち入ってどうなるという? 決められた結末を迎えて、我が神格化されて、安寧にまみれた生活を永遠と過ごす。それのどこに興味が湧くという? 我はそのような確立された未来など望んでいないのだ。例え、世界が壊れてしまおうとも」


 全てを圧倒する不思議なオーラ。その中に少しの寂しさと虚無を垣間見た気がした。


 リーリエは過去を思い出す。この考えさえなければ、大切な存在を失うことは無かったのに、と。そう思い返すだけで今の発言に対しての怒りが増幅する。


「力がある者が、力のない者に、手を貸すことの何がいけないのですか?」


 思いの丈を吐露するように、リーリエが叫ぶ。しかしながら、ディアーナはあくまで穏やかに言う。


「……間違ってなどいない。けれど、その価値観を我は持ち合わせていないのだよ。そもそも、力を与えてやっているのも我は仕方なく行っているのだから。これは人類種が【聖域】に救いを求めた、その憐憫さを汲んで、他の存在が始めたこと。我が甘受して行っていることを理解するべきなのだ。――結局、我が求めているのは面白味。この虚無に塗れた胸に色を付けてくれる至上の魅力に溢れた出来事でしかないのだよ」


「……そんな」


 リーリエは言葉を返すことはできない。彼女が言っていることに嘘も間違いもないのだから。正しくも、悪くもない。ただの感性の違い、価値観の違いでしかないのだから。


「……我はこのような存在だ。けれど、君達は我の元へ来た。ただの無駄死にに終わるかもしれないのに、それでも我の元へ来た。それは何故だ? 問いたい」


 絶望に支配されて、終末は僅かのところまで近づいているかもしれない。そこに救いを求めたところで、勇猛果敢な心で戦いに参加したところで、徒労に終わるのが実のところだろう。


 ……けれど、彼らはここに来た。その理由にだけディアーナは興味を抱いた。


 冷静な表情。その中でも、どこか誇りと意志を感じさせる灰色の瞳は、瞼の傷で細くなった左目からでも何かを思い抱かせた。


「……何故……ですか。それは、人類種の命を絶えさせないことが俺の『正義』だからです」

「……『正義』か。君達が生きる【人界】にそんな言葉があるとは思えないが」

「確かにそうですね。この世界は倫理としては間違っているかもしれないけど、でも最も合理的で、種が絶えにくい手段を選んでいる。俺は、それを『正義』と認めています。それが、今の俺が考える最善の方法であるから」


 意志の籠った言葉を紡ぐカムル。また笑い始めたディアーナは。


「……そうか。君は……本質的には我と似ているのかもしれない。けれど……気に入った」


 その美しい白い肌の指先をカムルの肩へと伸ばして、そう言った。


「……このような変わった考えの男に付いて行くのだね、君は」


 ディアーナが目を向けたのは幼い印象の少女。そのリーリエの紅い瞳は一切の曇りなく、それが正しいと証明していた。


「はい、それがカムルの意志ならば」


 強くそう言うとディアーナはどこか納得した様子で言う。


「……よき関係性だ。君達ならば、我の求める理想を叶えてくれるかもしれない」

「……俺も、リーリエも、そうであると願いたいです」


 カムルはディアーナに続けて言った。己の求めるもののために、己が信じるもののために、ここで立ち止まるわけにはいかない。


「……わかった」


 ディアーナは小さく頷いた。続けて、蠱惑的な藤色の瞳を向けながら。


「それでは、誠に面倒くさいのではあるが、形式上儀式を執り行う。覚悟はできているか?」


 カムルとリーリエは静かに頷く。


「よろしい。では、カムル・ユーステティアと言ったか。君はリーリエの騎士となり、その体を守り戦う、それを我の名の下に誓うか?」

「はい、誓います」


 ひざまずき、言うカムル。首を上向きにして見せる揺るぎない灰色の瞳。


「では、リーリエ。君はカムル・ユーステティアの懐刀として、主を支える、それを我の元に誓うか?」

「はい、誓います」


 同じく、跪き言うリーリエ。上向きに見せる瞳は一切の淀みなく、夜の闇に紅く輝いていた。


「承知した。それでは、儀式を行う。――【遥かに広がるソルの輝きよ。無垢なる少女の誓いの下に、大いなる天の導きを。いしずえオスク。意志を胸に、記憶を源に、体に大いなる刃の華を。自由をにえに、新たなる運命の輝きを与え給え】」


 月の銀の冷たい光が、その場により満ちて、世界が霞んだように見えた。それが月の光なのか、或いはディアーナの力なのか、それを知るのは当人だけで、二人以外証明しようのない状態だったから、その答えはよくわからない。


 けれど、これだけは間違いのない事実。


 ――翌朝、【人界】のとある街に現れた男女二人は、ただの人類種ではなくなっていた。

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