問題児レイラの実情

 グレイス子爵の愛人候補と噂されるレイラ。

 その点におおよそ間違いはないが、そうなった経緯については、実は少し違っている。


 レイラはある伯爵の庶子である。伯爵家の主人に手籠めにされた使用人の娘だ。望まぬ関係を強いられ妊娠してしまった母は、主人の浮気を知った夫人により放り出された。それでレイラは下町育ちとなってしまったわけである。

 よくある話だ。ただ、その中でも母とレイラはまだ幸運な方であったに違いない。母は仕事先を失い路頭に迷っていたところを親切な男性に拾われて、腹の子ともども新しい家庭を築くことができたのだから。


 母を拾った男――レイラの養父は、街で料理屋を営んでいる。労働階級がたまの贅沢で来るような、少し上等な料理屋。それだけに収入はそこそこ多く、突然転がり込んできた母娘を養うだけの余裕があったのだ。

 しかし、養父はそれを考慮しても余りあるほどに、血の繋がらない娘に良くしてくれた。レイラのほうも養父を実の父のように慕い、働ける年頃になると、学校に通う合間を縫ってではあるが、店を率先して手伝った。見た目の良さもあって、当時はご近所に割と評判の看板娘だった。

 親子三人で下町の料理店を営む暮らしは、小さくても幸福な日々だった。


 それが突如壊されたのは、そろそろ十五を迎えようか、という頃である。実父が突然レイラを引き取りたいと言って現れた。はじめはもう、鳥肌が立つような猫撫で声で家へ来いと誘われたものである。

 だが。


「はあ? ふざけんじゃないよ。誰が母親を襲った男のもとになんか行くかっつーの」


 物心ついたときから身の上を知っていたレイラにとって、母を苦しめた実父は嫌悪の対象でしかない。当然金品や贅沢に釣られることもなく、親子で伯爵を追い払っていた。

 しかし、どうあっても首を縦に振らないレイラたちに痺れを切らして、伯爵は実力行使に出た。養父の料理屋を潰す、と言ってきたのだ。

 はじめは反発したレイラだったが、伯爵の権力では本当に出来かねないと知ると、大人しく言いなりになることを選んだ。レイラを実の子のように育ててくれた養父から店を取り上げるようなことはしたくなかったし――なにより母と伯爵をこれ以上会わせたくないのもあった。使用人時代にいったいどんな目に遭ったのか、伯爵に会う度に母は恐慌状態におちいったのである。ときには気が動転して、伯爵と同じ色を持って生まれたレイラに手を上げることもあった。そんな母を見ていられなかった。

 伯爵のもとに行く、と言ったレイラを両親は引き留めた。母も、手を上げたのは自分が悪い、もうしないし自分のことは気にするな、と言ってくれたが、このときにはもうレイラの決意は固かった。


「大丈夫だよ。適当に奴を引っ掻き回して、貰うもん貰ったら逃げてくるからさ」


 というのは、せめて両親があまり思いつめることのないように、と思って言った台詞である。効果はまるで見られなかったが。


 この頃、レイラの実父である伯爵は、何やら色々失敗をやらかして金銭に困っていたらしい。途方に暮れたそのとき、かつて手籠めにした使用人の存在を思い出した。調べてみると、その女が生んだ娘は街でも評判の美少女で、どうやら魔法の才能もあると言う。

 であれば、と伯爵は考えた。金のある家にこの娘を嫁がせて、その引き換えに援助金を乞えばいい。家格、年齢を問わなければ、彼女を欲しがる男の一人くらいは見つかるだろう、と。

 そうしてレイラの売り渡し先に決定したのが、当時二十七歳の若い子爵家当主ジュリアス・グレイスである。事業に成功し多くの資産を手にした彼は、更に社交界に影響を与える力を手にしたかったらしく、伯爵との繋がりを得るためにレイラを引き取った。

 こうしてレイラは子爵の愛人候補となったのだ。


 彼はレイラの容姿と才能を気に入ったらしく、ドレスや装飾品などをそろえてくれり、教育のためにこの学院に入れてくれたりと、政略の道具に対したものにしては、至れり尽くせりの対応をしてくれている。

 が、どんな目的であるにしろ、どれほど金を掛けてくれようと、結局はレイラを物のように扱う権力者の一人であり、その点で好感を持てるはずもない。レイラとジュリアスの関係性は刺々しい。全寮制の学院生活で顔を合わせる機会が減ったことが、それに拍車をかけていた。

 その一方で、援助を受けておきながら反抗期のような子供染みた態度を見せ、ただ現状を甘受するしかない自分にも、もどかしさを覚えているのも事実。

 好き勝手やっているように見えるかもしれないが、閉塞感に満ちた学院生活はレイラにとってただ負担を強いられるものでしかなかった。



 ◆ ◇ ◆



 人の実情を知りもせず、噂を鵜呑みにしてわざわざ嘲りに来る貴族どもを、実技のときにあっと言わせるのが、最近のレイラのストレス解消法だ。貴族に向けた芙蓉舎は当然貴族社会の常識が反映されているが、それでもここは学びの場。成績がものを言う。

 レイラにだって自尊心はある。貴族どもの下らない理由に翻弄されるのも腹立たしいのに、さらにそれを馬鹿にされるのはとにかくムカついて仕方がない。なので、機会があれば憂さ晴らしにそいつらをぎゃふんと言わせることにしている。

 それを大っぴらに、しかも咎められずにできるのが、実技の場という訳だ。


「どうせなら、派手な方がいいよねぇ」


 参考となりそうな本をいくつか借りてユーフェミアと図書室を出たレイラはそんなことを言った。レイラたちの身長の二倍くらいある大きな窓からは西日が存分に差し込んでいて、広い廊下は図書室とはうって変わった明るさだった。漆喰で白く塗り固められた壁に光が反射して、目を細めないと歩けない。


「派手って、例えば?」

「大道芸みたいなさ。そうだなぁ……」


 思案しながら視線をあちこちに彷徨わせる。ちょうど校舎間を繋ぐ渡り廊下に差し掛かったところだったので、外に設置された聖魔女セラフィーナ像が目に入った。芝生の上で、魔法を使うために腕を前方に伸ばしている法衣姿の少女の像。百年前の救国の英雄は、当時レイラたちと歳の変わらぬ娘だったというのに、彼女はたった一人で隣国ダリアッドの侵攻を防いでいた、と歴史では伝えられている。南の国境の砦では、敵を駆逐するために火の鳥や水の天馬、土塊の狼が広野を駆けたとか。


 ――閃いた。


「火とか水とかで、ドラゴンとか作って、戦わせるのはどう?」


 とっても目立って、難易度もあって面白そうだと思ったのだが、ユーフェミアは目を見開いて叫んだ。


「無理よ!」


 予想通りの反応に、レイラは頭を掻く。


「そういうのって、魔力量だけでなく、繊細さも必要なのよ。道具ありきでようやく制御できる私にそんな芸当、できるはずないじゃない!」

「やり方はいくらでもあるさ。大丈夫だって、アタシが手伝ってやるから。挑戦するだけやってみよう」


 無理無理、と首を横に振るユーフェミアを見て、レイラは少し溜め息を吐きそうになった。レイラの見立てでは、できてもおかしくはないのだが、落ちこぼれのレッテルを貼られた彼女はどれほど言ってもそれを認めようとはしない。

 そうなると、彼女の為にもかえって引き下がってはいけないような気がした。


「ギリギリで駄目そうだったら、ちゃんと別の考えるから」

「うー……」


 色々と説得してようやく折れかけてくれたが、まだ頷いてくれない。

 だいたいユーフェミアには自信というものがなさすぎる。勤勉だし、魔力もある。要領は多少悪いようだが、努力で補える程度だ。なのに何故、そうも劣等感が強いのだろうか。

 いや、なんとなく察せられる。周囲が誰一人として真剣に彼女をフォローしなかったから、彼女自身も自分が駄目な人間だと思い込んでしまったのだ。

 やっぱり学院は何をしているのだろうな、とレイラは思う。魔力があるのにまともに魔法を使えないというだけで、三年間彼女を放置している。それは単に〝不器用だから仕方がない〟ということで済ませてはいけないはずなのだが、危険性は認知されていないのだろうか。

 それとも、あえて静観している……?


 いまいちはっきりしない学院の態勢に首を傾げていると、横でうんうん悩んでいたユーフェミアの身体が突然よろめいた。その後ろに顔をしかめた男子学生が立っている。


「おい、何処見て歩いている」

「も、申し訳ございません。余所見をしていて……」


 この男が誰だかレイラには判らないが、必要以上にユーフェミアが萎縮いしゅくしているのを見て、身分が上の家の生まれなのだろうと判断した。ふんぞり返っているところから、身分を笠にしているのだろうことも。年下ではないようなので少しはマシだが、ろくでもなさそうな男だった。

 無駄に胸を反らした男子学生は、ユーフェミアを見下ろした。


「……ふん、よく見たら落ちこぼれの男爵令嬢じゃないか。何故こんなところにいる」


 その台詞に、レイラは呆れて笑いそうになった。


「学生が学院内の何処にいようが、大した問題じゃないだろうさ。立ち入り禁止区域じゃあるまいに」

「お前には訊いていない!」


 横槍を入れられて腹が立ったのかレイラに一度怒鳴り付け、そこでようやく相手が誰だか気付いたらしい。驚きの表情に一瞬変わると、薄ら笑いを浮かべた。ピシッとした身なりに合わない、下卑た笑みだった。


「身体で子爵に取り入った売女ばいたも一緒か。こんな落ちこぼれにまで媚を売っているのか? 本当に卑しいな」


 それこそ手引き書でも配られているのかと思うほど聞き慣れた台詞に、レイラは呆れを通り越してがっかりする。自分の身を売り買いされたのは本当だが、それは決してレイラと両親の意志ではない。それを知って同情しろとは言わないが、嘲るにしても放っておいて欲しいものである。そして、絡むのであればもう少し気の利いた台詞が欲しい。レイラが反発するに足る台詞が。


「道の端に立ってただけのユフィが邪魔だと思うんだから、よっぽど急いでんだろ? 落ちこぼれと平民ごときに関わっていないで、とっとと消えたら?」


 しっし、と犬を追い払うように手を振る。


「ちょっと、レイラ」


 ユーフェミアが制止の声をあげるが、無視した。大方失礼だとでも言いたいのだろうが、本当に失礼なのはあちらの方である。


「ほらユフィも行くよ。こんなのに構ってたら、時間が勿体ない」

「あ……うん」


 繊細なほうではないレイラはこのくらいの暴言には慣れていたし、ユーフェミアの件は今ここで何を言ったって通用しない。それに、自分の不注意を認められずに相手に言いがかりをつけてくるような癇癪持ちの相手をいちいちしていたら日が暮れる。どうせここに居続ける必要もないのだから、さっさと逃げるのが得策だ。

 と、穏便に済ませようとしたのだが。

 背中に気配を感じたレイラは振り向き、口の中で呪文を唱え、手を軽く振った。地面から水柱が迸り、飛んできた火の玉を打ち消した。水が瞬時に温められて、蒸気が立ち上る。

 視界が晴れたときのレイラの目は、絶対零度と呼ぶにふさわしいものだった。


「まだ喧嘩売ってんの? そろそろ買うよ」


 さっきは買う気にならなかったが、危害を加えられそうになったとなれば別だ。その歳になって火を他人に向けるとは、正気を疑う。火傷を負ったらどうするつもりなのか。それとも本気で焼けてしまえと思ったか。


「やってみろよ」


 せせら笑う男。どうせ身分が高い自分の喧嘩を買うなんて事はできないと思っているのだろうが、やって見ろと言われてレイラが遠慮する理由は何処にもない。


「じゃあ、遠慮なく」


 呪文を唱えて腕を振る。先程と同じ内容、同じ動き。ただし、今度は地面からではなく、レイラの目の前から一直線に水柱が迸る。勢いよく噴出した水は、身動きしなかった男の身体を渡り廊下の外――庭まで押しやった。

 一度見せた魔法をわざわざ使ってやったというのに、学習能力のない事である。


「レイラ……やりすぎだと思うの」


 芝生の上に投げ出されぐったりとした男子学生を憐れみの目で見つめながら、ユーフェミアは咎めた。お人好しなところもあった彼女は、レイラが問題児と言われる所以をようやく悟ったようである。


「良いんだよ、このくらい」


 大したことじゃない、と男を放置して先を行くレイラに、ユーフェミアは溜め息を吐いた。

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