第3話

 ロヴィの葬儀が終わり、独り残された僕は侯爵家の屋敷の中で引きこもっていた。


「それでは旦那様、失礼致します。どうかお元気で」

 最後まで残っていてくれた家令が頭を下げて出て行く。優秀な家令だ。推薦状も書いた。すぐに勤め口は見つかるだろう。


 本来なら、今日、ロヴィと結婚式を挙げるはずだった。

 ロヴィを目の前で失ってから、世界から色が消えた。

 何を見ても何を聞いても、心が動かない。

 毎夜のように参加していた夜会も舞踏会も観劇も一切行かなくなった。


 ロヴィが宮廷楽師クラーラを毒殺したことは、金と人脈を使って隠ぺいした。


 ロヴィが死んでしばらくして、クラーラに毒を盛ったと思われる関係者が次々と殺され始めた。殺しているのはクラーラと契約していた精霊だという話だ。犠牲者は三十人に近い。ロヴィは一体、何人を巻き込んだのだろう。


 ふわりと風を感じて振り向くと、長い瑠璃色の髪、白い肌、背中には蝶のような瑠璃色のはねを持つ女が浮いていた。白眼のない翡翠のような瞳が精霊であることを示している。


「……君は……」

『木の精霊セイルハトィール。クラーラの友達よ』


「やっと、僕を殺しに来てくれたのか」

 僕は安堵の息を吐いた。この三ヶ月は本当に長かった。


『いいえ。お前はクラーラに毒を盛ってはいないから殺しはしない。お前はこれから死ぬまで、自分がしたことと、しなかったことを悔いるのよ。あの女は自ら死んだけれど、お前は死ぬ勇気すらないのでしょう?』


 精霊は狂ったように笑い始めた。


『ねぇ、クラーラは何度も言ったでしょう? 「必要ないから大丈夫」と』

 その言葉は、すべてクラーラの遠慮だと思っていた。優しい娘だと思っていた。


『クラーラは竪琴と音楽と青玉の騎士を愛していた! お前のことなんてちっとも考えてもいなかったわ!』

 吐き捨てるように叫んだ精霊は、空気に溶けるように消えた。


 精霊が姿を消した後、僕には何も残っていなかった。

 売れずに残された古い揺り椅子に腰かけて窓の外を見る。


 子爵家から突き返された最後の数カ月程の贈物は、開封されてもいなかった。

 ドレスや宝石、ちゃんとロヴィを見ていれば、着けていなかったことが分かったはずだ。


 侯爵とは名ばかりで、領地はとうの昔に抵当に入っている。

 見栄のために重ねた借金を子爵家に肩代わりしてもらっていた。


 ロヴィを正妻にして、クラーラも妻にしようと思っていた。この国では重婚は許されないが、どうとでもなると気軽に考えていた。ロヴィはおとなしくて控えめでクラーラは気立てがいい。二人なら仲良く家を守ってくれるだろうと思っていた。


 僕は、何が間違っていたのだろう。


 もっと彼女たちを見ていれば、この結末を防げただろうか。

 もっと彼女たちの話を聞いていれば、この未来は変えられただろうか。


 僕は、間違いなく二人を愛していた。

 二人と結婚して子供をたくさん作って、仮面夫婦だった両親とは違う、温かで賑やかな家庭を持ちたかった。


 クラーラは青玉の騎士を愛していたと聞いても信じることはできない。

 クラーラからは一度もそんなことは聞いていない。


 ……そういえば、クラーラが僕を好きだと言ったことはない。

 ロヴィは子供の頃から僕を好きだと言っていた。愛していますとも言っていた。

 僕がロヴィに愛していると言ったのは、あの一度きりだ。


 寒くなってきたな。ああ、精霊は窓を開けていったのか。

 今年初めての雪になるのだろうか。どうりで寒いはずだ。酒でも飲んで温まろうか。


 空が宵闇に染まる。体が上手く動かない。最近、酒しか口にしていない。

 空には輝く赤い月と緑の月。何故かとても近くに見える。


 ああ、そうか。ロヴィもきっと、掴めそうなこの月を見ていた。

 手を伸ばして掴みたいのに、眠くて手が上がらない。


 ロヴィ、明日は、会えるかな。

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届かない月を掴む ―Grasping the unreachable moon― ヴィルヘルミナ @Wilhelmina

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