もらい泣き(New花金Day) 



「逃げろ……ッ! お、お前だけでも……」


 鈍く光る鉄の刃を持ったまま、彼は地に膝をつく。

 彼が、口に加えていた棒をゆっくり取り出す。

 長い前髪から、ギラギラとした目が僕を射抜く。その目は燃えるように赤く、血走っていた。


 獣のような目に、心臓の音が速まる。情欲を掻き立てられるも、僕は必死にこらえた。ーーだめだ、絶対にダメだ。近づいてはいけない。

 今の彼は、理性と本能の間際で戦っている。今僕が近づいたら、正気に戻った彼は後悔することになる。

 けれど、逃げることもできない。

 こんな状態になった彼を放って、僕だけ助かる道なんて選べない。

 何とかならないか。何とか、この場を乗り切る方法はないのか。

 解決策をひねり出そうとしても、ただいたずらにドクドクと速まる脈に焦りだけが加速して、思考が鈍くなっていきーー。



 いつのまにか涙が、勝手に流れていく。

 頬をつたい流れる涙に気づいた僕は、自分の理性が敗北したことに気づいた。


「……ごめん、せっちゃん」


 彼の名前を呼ぶ。

 せっちゃんは僕を逃がそうとしたけど、僕ももう手遅れだ。

 辺りの空気はソレで充満し、鼻腔から入った空気は、僕と彼の身体を蹂躙する。目が熱い。鼻が熱い。辛い。苦しい。痛い。

 なんてことだ。もう、耐えられない。堪えられない。

 ごくり、と生唾を飲み込む。

 理性を手放し、僕は本能のまま動いた。








 なんて過酷なんだ、玉ねぎのみじん切り。


「うおおおおお゛! 目に染みるぅぅぅぅ!」

「せっちゃん! ミキサー使おう! ミキサー!」

「やだね! 俺は! 玉ねぎなんかに! 負けない! 諦めたら試合終了、うがぁぁぁぁ!」

バルスぅぅぅーーーーせっちゃぁぁぁぁん!」


 大の男二人でその場に悶えていた。

 僕が、僕が気軽に、「ハンバーグ食べたい」なんて言ったから……!

 そして本能のまま目をこすればこするほど、止まらない負のスパイラルッ……! 痛い! やっぱりこすっちゃいけなかった、さんざん「目をこすればさらにかゆくなる」と言い聞かせてくれた親は正しかった、今後悔しても遅いけども!



 後日。

『レンジでチンした玉ねぎだと目にしみない』ことを知った。



ーー

【ネタばらし】

鈍く光る鉄の刃=包丁

口に加えていた棒=割り箸。口に加えると唾が出て涙が出にくくなる。

ギラギラとした目=タマネギが染みて充血した目

情欲=仏教において物をむさぼりそれに執着する心。つまり目をこすりたい。

ごくり、と生唾を飲み込む。=つばを飲み込むと、涙が出にくくなるらしい。


私の数少ない男×男や女×女、どっちも生きるか死ぬかの重い話になっていることに気づき(というか大概の恋愛がそうなってしまってる)、

意識的に明るい奴を書いてみました。

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