エピローグ

エピローグ



 数日後。

 ワレスは薄暗い文書室で、エミールと話していた。


「つまり、あれは人の皮をかぶった悪魔だったんだ。闇にまぎれて人を襲い、食物にする。それを何度かくりかえすと、宿主を変える。殺しておいて皮をはぎ、骨と肉をあまさず食って、今度はその皮をかぶる。

 そうやって人になりすましていた。疑われる前に、また別の誰かに化ける。今までは目撃者をさけ、慎重に古い皮を処分していた。

 だが、今回はケルンの顔を見られてしまった。早急に新しい皮に着替えなければならなかった。ケルンの皮を処分してる時間がなかったんだ。

 あのミスがなければ、おれも気づかなかった。本物のケルンは、ホライが殺されたとき、いっしょに殺されていたんだ」

「ふうん」


 エミールはどうでもよさそうだ。

 まだ、知らないから。

 その話がどれだけ深く、自分に関係してくるのかを。


 昨日、コリガン中隊長の追悼式があった。彼は中隊長で貴族出身でもあったので。

 前庭に中隊の部下が全員、集まり、伯爵の弔辞を聞いた。黙祷もくとうをささげ、部下を代表してギデオンが号令をかけた。


「コリガン中隊長殿に敬礼!」


 コリガンに代わり、中隊長になったギデオンの声を、ワレスは複雑な思いで聞いた。

 ワレス自身も事件を解決した功績で、ギデオンの後釜あとがまとして小隊長にあがりはしたが。


「それでなんで、おれにそんな話するの? 父さんのこと教えてくれるっていうから、ついてきたのに」


 エミールはホコリのつもった薄暗い文書室が気にくわないらしい。不服げに言うのを、ワレスは見つめた。


 これから、つらい話をしなければならない。しかし、だまっているわけにはいかないのだ。


「コリガン中隊長は、おれたちが前庭で会ったときには、すでに魔物にやられていた。あの魔物は宿主の記憶をいくらか受け継ぐらしい。つまりな。エミール」

「うん」


「廊下で中隊長が、おまえに迫ったとき。それはキスしようとか、そんな生やさしいことをしようとしてたわけじゃない。おまえを文字どおりの意味で、食ってしまおうとしてた。中隊長を食っただけでは、まだ足りなかったんだろう」


 エミールはゾッとしたようだ。今さら、顔色を変える。


「えッ、じゃあ、おれ、あのとき、危なかったんだ」

「そうだ。でも、おまえは助かった」

「ああ。そうだね。なんでだろう」


 ワレスはうつむく。


「それほど、おまえを思っていたからだ」

「へ? なんで? あ、そうか。やっぱり、あの人、おれに気があったんだ」


「バカ。中隊長はな。おまえが危険な前庭にいると思うと、いても立ってもいられず、従者もつれずに外へとびだした。そして魔物に食われても、なお、おまえを殺すことを魔物に躊躇ちゅうちょさせるほど強く、おまえへの思いを記憶のなかに残していた」


 ヘンネル補佐官から受けとってきたものを、ワレスはエミールに渡した。


「コリガン中隊長が、肌身離さず持っていたものだ」


 銀製の小さなロケットペンダント。

 なかには——


「母さん……」


 エミールの声がかすれる。

 エミールとそっくりな顔をした女の細密画。


「中隊長は本気で、おまえの母と結婚するつもりだった。補佐官に聞いた。二十年前、中隊長は家督を弟にゆずり、いいなずけとの婚約を解消している。そのやさきに、おまえの母が消えた」

「そんな……」


「それでも砦を去る気になれず、ここで待っていた。おまえの母が帰ってくるのを。二十年ものあいだ」

「嘘だ……」


「中隊長の髪も、若いころは真っ赤だったそうだ。年をとると褐色になる。そういう家系だそうだ」


 そうじゃない。

 エミールはワレスの言葉を疑って、そんなことを言ったわけではない。ワレスにもわかっていた。


「嘘だ! 嘘だ! 死んじゃイヤだ! 死んじゃイヤだよ!」


 ワレスの胸をたたいてくる。

 エミールは泣きだした。


「すまない」


 おれがケルンを追っていれば……と、ワレスは思う。


 あのとき、瀕死のブランディなんてほっといて、ケルンを追っていれば、コリガン中隊長は死なずにすんだかもしれない。エミールは泣かずにすんだかもしれない。


 ワレスにはなぐさめる言葉がなかった。泣き続けるエミールを残し、文書室をでる。廊下でホルズとドータスに出会った。


「よう、分隊長。いや、今日から小隊長か」

「…………」

「そんな顔するなよ。あんたはたいしたヤツだ。たった三ヶ月で小隊長になってしまうんだもんな。もう逆らわねえよ」


 そのあと、二人はやたらと、ワレスをほめそやした。

 が、彼らはワレスの手腕を認めて従順になったわけではないと、すぐにわかった。


「あんた、ブランディが死んだとき、そばについててくれたんだってな。ありがとよ」

「あいつ、口じゃが、ほんとは、あんたのこと……」


 ワレスの情に心をひらいてくれたのだ。


 切ない。

 自分のしたことが正しかったのか、まちがっていたのか、ワレスにはわからない。


(だから、イヤなんだ。人を愛することは)


 必ず、痛みをともなってくる。


 ワレスの肩を両側からたたいて、ホルズたちは歩いていった。


 自室に帰って扉をあける。

 窓辺の明るい光のなかに、ハシェドがいた。ワレスによこ顔を見せて、何かをながめている。

 ワレスは足音をころして忍びよった。


「なるほど」

「わッ。た、隊長——!」


 ワレスに気づいて、あわてふためいて手にしたものを隠す。が、もう遅い。ワレスは見てしまった。


「……見ました?」

「ああ。見た」

「おこ……怒られないので?」


 ビクビクもので聞いてくる。

 ワレスは笑った。


「まあ、よかろう。服を着てるからな」


 ハシェドが持っていたのは、ワレスの似姿だ。正装して、前庭の光のなかで微笑している。そんなふうに笑ったことなど、ワレス自身はなかったように思うが。


 でも、気品があって、とてもいい絵だ。


「おまえも物好きだな。そんなもの見なくても、実物が目の前にいるじゃないか」


 赤くなるハシェドを見て、ワレスは愛しさに胸をしめつけられた。


 おれはおまえを愛することをやめられない。

 たとえ、どんなに苦しくても。

 たとえ、どんなに痛みをともなっても。


 このまま苦しい恋をいだいて生きるしかないのだと、ワレスは覚悟した。


 それも悪くないのかもしれない。

 こんなふうに、ときには優しい気持ちで笑いあえるなら……。




 了

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