第9話 小さな少女と挨拶をしたい

 4月2日、午前6時3分。


 目を覚ますとそこは見慣れぬ天井。

 俺を拉致した穂照ホテル 兎毬トマリの屋敷だった。

 何で俺はここにいるんだ?と、記憶を呼び覚ますのに数秒を要したが、全てを思い出した瞬間に「思い出したくなかった」と後悔した。

 全ては夢、もしくは昨日のエイプリルフールの一日だけの盛大な嘘、ドッキリだったらどんなに良かったか。

 だが、芸能人でもない平凡な一般人の俺にそんな大掛かりなドッキリを仕掛けるような奴はいない。

 ………はずなのだが、ドッキリ以上に大掛かりな『理想の国』とやらに俺を誘拐するような富豪バカはいるのだから世の中わからない。



 兎毬トマリから割り当てられた部屋で夜を明かし、昨夜はだいぶ疲れていたつもりだったのだが目覚まし時計が無くてもいつも通りの時間に目が覚めた。

 部屋に備え付けの洗面所で顔を洗い、とりあえず1階の昨日夕食を食べた食堂へ降りて行った。

 食堂に入り、昨日も見たあの長テーブルに既に着席していたのは三人。

 一番奥の正面、いわゆる『お誕生日席』にいるのがここのあるじ、俺を拉致してきた張本人、穂照ホテル 兎毬トマリ、19歳だ。

 兎毬トマリから見て左手側の席に座っているのは瀬久原セクハラ 紗羽サワ、16歳。

 そして兎毬トマリの右手側、紗羽サワの対面にもう一人少女が座っているが、こちらは面識が無い。

 今ここにはいないが、昨夜紹介されたもう一人のここの住人、桑江クワエ 流乃ルノではなかった。

 ここに来てから出会った中で一番小柄で、一番幼く見える。

 背の高さのみで推察するなら中学生………いや、もしくは小学生の可能性もある。

 長く綺麗な金髪を頭の両サイドでう、たしか『ツインテール』という髪型だ。

 その金髪の少女は食堂に入ってきた俺の存在を一瞬だけチラリと見たが、その後は気にも留めずに黙々と朝食を食べている。


「おはよう、翔琉カケル君。昨夜ゆうべはよく眠れた?」


「ああ………」


 兎毬トマリから声をかけられ、不機嫌な感情を見せつつ返事を返す。

 そして紗羽サワの左隣の席に着席した。


「お、おはようございます、岡尾オカオ先輩!」


「いや、だから無理に後輩キャラを作らなくていいから。それに年上ってだけで、ここでの関係で言えば紗羽サワのほうが先輩なんだからややこしいだろ」


 流乃ルノが昨夜いた席に今朝は紗羽サワがいる。

 どうやら各々の席順が決まっているわけでは無いようだな。


「毎日全員がここに揃って食事をするわけじゃないからね。いる人だけ兎毬わたしの席側に詰めて座るのが自然とお約束になったのよ」


「お前はエスパーか」


 俺の考えを先読みして解説を始めた兎毬トマリに若干の恐怖を感じる。


「さて、翔琉カケル君が本当に気になっている、こちらのロリっについて紹介するわね」


「人の印象をいちじるしく悪くする言い方はやめろ!!」


「こう見えても紗羽サワちゃんと同い年の16歳なの。真性のロリコンには残念な情報かもしれないけど………」


「お前、名誉毀損めいよきそんで訴えるぞ!!」


 別に兎毬こいつの恋愛ゲームごっこに付き合うつもりは無いが、わざわざ率先して初対面の人間に悪印象をもたれるようにする必要もない。

 もしかしたら紗羽サワのように素直で真面目な子の可能性もあるのだ。

 ちょっと気難きむずかしそうな雰囲気はあるが、言葉を交わす前から人を判断しては駄目だ。

 って言うか、言葉を交わす前に俺は『ロリコン疑惑』を兎毬トマリによってこの子に植え付けられそうになったがな!!

 とりあえず怒りを鎮め、深呼吸して………


「俺は岡尾オカオ 翔琉カケル、18歳だ。よろしく」


 できるだけ威圧感を与えないように意識しながら優しく挨拶をする。

 すると、先ほどからずっと俺達の会話に全く興味を示さず黙々と食事を続けていた金髪少女の手が止まった。

 そして、すぅっと顔を上げ、一直線に俺の目を見つめてくる。

 その鋭い眼差しは見た目の幼さとは逆に、むしろ大人の気品のようなものを宿らせている。

 美しいサラサラの金髪も相まって、まるでフランス人形のようだ。

 何かと下品な兎毬トマリよりもこの子のほうが『高貴なお嬢様』って貫禄があるじゃないか。


「………アンナ」


 少女が静かに声を発する。

 16歳という年齢を聞いた後ではあるが、幼い見た目と釣り合うような幼さを感じさせる声。


「アンナ?」


 それがこの子の名前か。

 日本人とも外国人ともとれる名前だ。

 するとアンナはニコッと微笑み、言葉を続けた。


ウチの名前は橘井キツイ 杏奈アンナ柑橘かんきつの橘に井戸の井、あんず奈良ならの奈で、橘井キツイ 杏奈アンナや!まぁ、こんな幼児体型みてくれやから『キツいあな』って覚えてくれてええで!あ、ホンマにキツいかどうか試そうとすんのは犯罪やから気ぃつけや、ニィちゃん!!」



 ほんの数秒前まで金髪少女のまとっていた『気品の仮面』がメッキのように剥がれていった。

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