映画の向こうの幻想

千暁

人間の根幹への黒い興味 - 『シンドラーのリスト』

 第二次世界大戦時のナチスドイツによるユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)を描いたスティーブン・スピルバーグ傑作映画。


 ずっと昔に見て、トラウマになったシーンを見たくて、もう一度見る。


 なんとなくマゾヒスティックな気分になったせいというのもあるけれど、それより創作のヒントを得たかったという理由が大きい。


 結論から言えば、今回はそれほどショッキングな気分にはならなかった。


 当時中学生くらいだっただろうか。偶然テレビで見たときの、停止できない悪夢のような惨劇の、その醜く歪んだ幻影に追いかけられる方が、たぶんずっと怖かったせいだと思う。


 悪夢に寄生して、いつまでも、いつまでも、私を追いかけてくる黒い不安。


 かすかにしか見えない幽霊の方が怖いのと同じ理屈で、はっきり映画と直面したら、それほどではなかったというね。


 でも心身を覆い尽くす不安が薄れた結果、映画の全体像や細部がよく見えるようになって、そこでの収穫は確かにあった。ある程度冷静に自分の内面と照らし合わせて思い浮かんだものがあったのだ。


 ああ、私はこの恐怖とよく似たものを知っているって。


 兵糧攻めにあった城、最後の一人が死んだ孤島、放浪の末に全滅した亡命者たち。


 歴史の本、痛ましい体験をした人々の写真や映像、たまたま行き着いたWeb記事の中。その向こうに見える凄惨な最期の数々。


 相似形をいくつも思い出すほどに、どうして私はこれほど不幸な結末を迎えた人々に惹かれてしまうのだろうか。その問いの先に、私は自分の本質のひとつを見つけた気がしたのだよ。


 私のこの黒い不安は、同時にまた黒い興味でもあるということを。


 私も同じ場所に立つかもしれない不安は、たやすく今まさに同じ場所に立っているかのような共感につながっていく。そんな自分の心の働きを利用して、時代や人種や思想を超えた、極限状態の人間の魂の根幹に触れられることに、私は密かに知的快感を得ていたのだ。


 今回もまた映画を観ながら、めまぐるしく何十、何百、何千人もの人々の生き様を、我が事のように飲み込んでいく。


 ひたひたと押し寄せる不吉の予兆、逃れられない支配の檻。どうすればよかったのか、今からでも何か策はないのか、逡巡しても空回りするだけの思考。悲嘆、涙、絶望、諦観。必死にあがいて少しでも長く生きようとする精一杯の努力、玩具のように無残に殺される瞬間に心に浮かぶもの。


 この映画、『シンドラーのリスト』でいうならば、私は迫害されるユダヤの人々に共鳴するだけじゃなく、傲慢で愚かなドイツ人将校たちにも魂の響きを合わせてしまう。深く、人間ってこうだよなって、そしてもっとひどくもなれるよなって、沈んだ気持ちで思うのだ。


 平常の自分なら絶対にすることのない血まみれの犯罪行為ですら、一種の快楽として行えるようになる人間の暗い可能性を、そのゆがんだ心の傍らに立ちながら、自分の創作ストックにあらためて刻んでいく。


 被害者、加害者、それを取り巻く傍観者。どんな立場のどんな運命であれ、創作者の私にとっては、どれもとても美味しい栄養になる。普通なら得られないたくさんの情報を得て、手放しで喜ぶ自分がいたのだよ。業が深いと思うけど。


 戦争を忘れないためにという言葉はよく耳にも目にもするけれど、そんな大仰な使命感からじゃなく、私はただ人間を知りたくて、戦争ものを見ているのだ。


 戦争と人の歴史と物語は切っても切り離せないもの。たとえ私のまわりの世界がずっと平和であったとしても、これからも折に触れ、私は戦争のことを一生考え続けるだろう。


 私が生まれていない時代の、一度も行ったことない国で起こった惨劇の映画も、だから、ずっと心に残ると思う。

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