◇芙蓉国の女官 不思議な香で軍師を襲う
16:天女の香炉を探して
「蓮花夫人!」
後宮の夜は早い。夫人はお休みですよと綺麗な女官が宥める前で、愛琳は叫んだ。
「あの香どこにあるね! 堅物梨艶にぶっかけてやる。お願い、もう後がない。あの人、やっぱり私を許してはくれない。だからあの香を」
「誰かこの女官をお連れして」
「蓮花夫人、お願い」
「警護兵は何をやっているの。おまえ、さわぐと妃さまに迷惑が」
「何をしているのです。夜更けですわ」
かさりと音がして、何重にもかけられた天蓋の中から蓮花が姿を現した。小塔のような部屋の明かりが少しだけ、灯る。
「静かになさい……。まあ、愛琳」
下着姿の蓮花は潤しい。もしかして今から「お仕事」なのだろうか。富貴后さまも、蓮花夫人も、後宮の女性はみな秀麗だ。女官とはワケが違う。
「梨艶、全く話聞いてくれないね!…昼間のあの香、教えてもらいに来た」
連花は降ろした髪を片手でどけながら微笑んだ。口元の紅は夜でも引いているのだろうか?蓮華のように儚く見える。
「宝物庫のどこかに転がっているのではないかしらね。ただ、あの倉庫は天女たちが近づけないように、結界が張られているの。近づけないのよ」
「天女?」
「バカバカしい言い伝えでしょう?でも、それを見つけて天女が天に還らないように、かつての皇帝が結界を張ったと言うわ。それは強力で、天女の血筋を持つ青蘭の人間は近づけない。そう言われて後宮の女は一切ここから出られないの。もしも天女であれば天に還ってしまうからと。確かこんな形よ」
連花は指で愛琳の掌に香の形を描いて見せた。
(あれ? この、かたち……)
「こんなかたち?」
愛琳が今度は蓮花夫人の掌に書いて見せる。縦長で、少し変わった形の香炉。
もしかして、昼間躓いた……と愛琳は大きくうなずいた。
「その香あたし見たね! それに躓いて怪我したよ」
「まあ。ではそれを持っていらっしゃい。時間が惜しいわ。私は調合を始めます」
愛琳の胸に罪悪感が過る。
――――本当にいいの?愛琳
最期の良心が語りかけたが、やがてそれも奥深くに沈んで消えて行った。
いつだって争いの種は独占欲だ。
それでも、梨艶の心が欲しい。奪って、全部奪い尽くさせたい―――――。
愛琳の胸にどす黒い感情が生まれてゆく。それは全身をウイルスのように蝕んで、広がってゆく発疹のように膨れ始めていた――。
香炉は倉庫の一番上に不気味に眠っていた。
それを掃除していた愛琳が落したのである。
「あ…った……」
床に転がっていた香炉を掴むと、愛琳はその隣に無造作に置き晒された薙刀を見つけた。
間違いない。自分の愛刀だ。ほら、芙蓉国の御守りのガラス玉が……紐だけになったそれを愛琳は悔しい思いで見つめる。多分取ったのは梨艶だろう。御守りだと知ってて処分したのだ。
(この腰壺だけは捨てられずに済んだ)
もしも懇ろになって下着をとられていたら、これもきっと奪われたに違いない。
掃除した時にはなかったから、その後梨艶がここに移動させたことになる。梨艶は軍師だ。軍事国家の軍師なら、相当頭もキレるはず。実際に梨艶は何度も自分を騙している。騙されやすいと言われればそれまでだ。戦い好きの軍師なんてペテン師と呼んでもいい。
(待って。本当に梨艶は私を求めたのだろうか?……芙蓉国をずっと青蘭は狙っている。たまたま出会った女官は利用しやすかっただろう。――利用され、た?)
カラーン......と香炉が落ちた。
(そう考える方が自然だ。芙蓉の女は嫌いだと言い切れるなら、どんな扱いでも出来る)
裏切られたと言い切るような冷徹漢なら.......。
愛琳は香炉を拾って、麻痺した感情を封じ込めて後宮への道を急いだ。
書状はもう届かない。芙蓉国の願いは青蘭には届かない。それが答。
その答えを身を持って伝えろと、惨めな境遇で帰らされるのだ。
――でも、これさえあれば。梨艶を…。
熊猫娘の口端が僅かに緩む。
そう、コレサエアレバ、と。
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