15:わたしたちは敵同士だから

――矢が夜を突き抜けて飛んでくる光景は、見慣れている。毒矢の類なら、避けるところだが、目の前には大切な梨艶が(多分作った)用意してくれたご馳走がある。


「……これ、借りる」


 部屋の片隅のモップを素早く掴んで、窓際に走り寄った。(来る!)と感知して足を前に踏み込ませる。風を切る音、空気を揺らがせる感じがつかめれば、方向は分かる。

 伊達に女官として、貴妃たちを守り抜いているわけではない。


「てやっ!」掛け声をかけて、窓に手を掛け、モップを回転させた。足を上げて、モップを支える。矢はモップに当たり、火を消されて、床に落ちた。


「毒じゃなかったね。良かった。火矢だったよ」


トントン、と爪先を打ち付けると、愛琳は驚いて魅入ったままの梨艶に向かってにっこり笑った。


「芙蓉国の女は、みんなそう、強いのか」

「芙蓉国の女官か? ん、みんな強いよ。…さ、ごはん、ごはん」

「俺の立場がないだろう。これでも強いし、護ってやれたのに」


「自分の身は自分で、んぐ、護る。これが、んぐんぐ。芙蓉国の……これ、美味しいね! すっごくすっごく美味しいよ!」


愛琳は勢いよく小ぶりの椀を指して、かっこんだ。甘さのある粥が嬉しい。少し塩の効いた香菜も嬉しい。


「あー解ったから、まずは食え。残したらタダじゃ済まさないぞ。貴重な時間を割いたんだからな。それから点心は俺には作れない、以上だ」


 耳まで赤くして梨艶は目線を外している。目逸らししている目元まで赤い。

 愛琳はスープをかっ込むと、梨艶の大きな背中に抱きついた。

 ぶにゃんと双丘が背中で揺れた途端、梨艶の背中もぴくりと動いた。


「おまえの最高の乳が、当たっているのだが、どうにかならんか」


「それは謝謝ね。でも、とっても嬉しいよ。幸せになった。一緒に食べたかったね」


「生憎味見で腹一杯だ。蓮花夫人に礼は言え。お前の食器の残飯を見抜いたのは婦人だ」


 甘い雰囲気。(良かった、赦してもらえたかな)とほ、と緩んだ途端、梨艶はぴし、と愛琳の腕を叩いた。


「お前は俺を奪わせるまでに心動かすことは出来ない。タイムリミットまで四八時間。荷物をまとめておけ。これは最後の晩餐だ」


「梨艶! どうして」


 梨艶は「どうしてだと?」と書状を手に、愛琳ににじり寄り、意地の悪い声音と顔を近づけた。ぴし、と書状で頬を叩かれて、愛琳は絶句する。手に持っている書状は本物だった。


「約束は約束だ。この書状は燃やしてやる。それで仕舞だ。芙蓉国との和解など皇帝が許しても、この俺が許さない」


 天国から地獄。アメと鞭を交互に振り回す梨艶に残酷な言葉を突き付けられて、悔しくて、どうにもならない憤りを梨艶の頬に破裂させてやった。


「気が済んだなら、出て行け。それとも、衛兵で囲んで強制帰国させてやるか?」


 叩かれた頬を平然と晒して、梨艶は辛そうに顔を背けた。何度も何度も横顔を見せてくる。それが悔しくて、胸は締め付けられて、愛琳は拳を震わせた。


 思い通りに出来ない憤り。

 思い通りに……。


 ―――――思い通りになる香があるわ。


 悪魔の囁きが愛琳を揺さぶり、襲った。ぶるぶると頭を振って、愛琳は心の遠くなった梨艶を見つめる。


 心を操作するなんて駄目。でも、本当に梨艶が好きだ。

 好きだから、悲しくなるし、嬉しくなる。

 梨艶といるだけで、人生がハッピィ見つけたように光付いてゆくだろう。

 それなのに。手には入らない。


 わたしのものに、出来ない。


「わかったよ……」


「お前に恨みはない。だが、敵国芙蓉国というのが本当に残念だ」

「もういい。もう聞きたくないね。……わたしたちは敵同士ね。迷惑かけてばかりでごめんね梨艶」


 何も言ってはくれない。愛琳の髪と涙が夜風に揺れた。

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