第20話 吉原での大尽遊び

「あのう、申し遅れましたが江戸には、吉原という遊廓御座いましたか? 其処へ私の名前で一万両入れといて下さいますか?」

「よろしおます、今日でも入金しときます、後何か特に御座いませんか?」

 文左衛門はこの一万両を、命がけの仕事をしたねぎらいに、また江戸の景気付けとして、ぱぱっと使ってしまおうと思いました。

「皆すまんの、ほれ此のとうりや謝る、役人がよしと言うまで暫く船は動かせんのや?」

この頃江戸は景気良くて、全国から男衆が集まっていて極端に女の人が少なくなっていました。また遊ぶ所も限られていました。

 逆に皆から、慰められた文左衛門だった。

「まあまあ若旦那、頭上げておくれやす、役所の仕事やったらもうこれは仕方おまへんやろ!」

「それでやな船の中でくすぶっててもなんやさかいな、江戸で有名な吉原でも行ってぱっと土派手に遊ぼかの! おお金は儂が出す」

これで予定になかった、吉原での大尽遊びが決まりました。

この頃江戸の吉原というのは位の高い武士とか、金のある商人が遊べる高級で格式あり普通の一般人は遊べない(いちげんさんお断り)であった。また出入口は大門のみで、門には番人がいて人々の出入りを厳しく見張っていた。

「紀文の若旦那、金の力は凄おますなあ! わてがあれだけ頼んでもあかんかった吉原が、旦那の一声で了解するとはねぇ?」 

「それでは皆にその事を、言ってくれるか、しかし船を空に出来ぬから三交代で行こうかのう!」

「人選は今から決めます、三日間吉原を貸し切り、ですか!」

「安全を考えての事でもある、それに其れぐらい取り調べもかかりそうだ! なあにっ手は打っているから心配するな」

「はいわかりました、ではそのように段取り致します」

「皆にこの際身なりもちゃんと整えて、遊びに行こうと言っ説いて呉れるかの恥をかかぬように!」

紀文は吉原からの迎えを待っていたしまの着物をきて、青の羽織り掛けと洒落込んだ  半刻(一時間)ほど佃島で待っていると、猪牙(ちよっき)舟で迎えが来たそれに五人が乗り込んだ。

 吉原は浅草寺の裏手にあり、浅草橋・柳橋を越え、隅田川をさかのぼり山谷掘に入り舟を降り、徒歩で日本堤(つつみ)要に土手八丁を行き、吉原大門に着いた。

ここで少し吉原について、一言述べておきたい。

吉原遊郭は戦国時代に滅んだ北条氏に仕えていた乱波(忍)、風磨一族の庄司甚右衛門がくノ一を引き連れて、開業したのが始まりとされています。何も切ったはっただけが忍法では有りません、話術も一つの忍法でその中で人をおだててよい気持ちにさせ、男をその気にさせ想うまま操るのも、くノ一の術で有ります。 始めくノ一が男を骨抜きにし情報を得る事が目的の一つだったようですが、平和になって逸れが遊郭に発展致しました。

「皆さん私は紀州の田舎もんですが、よろしくお願いします!」

 深々と頭を下げる文左衛門。どこからか太鼓持ちがひょいと出てきました。

「はあい今日は、即きょうでやりますよ!」

(♪そら行け、やれ行け、どんと行け!紀州紀ノ国みかんの船よ、どんと行け、宝の船でござります♪)

「待ってましたおいらん、よろしく頼みますよ!」

曲に合わせてひょうきんに踊る、すました顔だから面白い。黄色い声でヤンヤやんやの大騒ぎ。

 中の街大通りで、阿波踊り宜しく花魁(おいらん)が練り歩く。

「ワハハハ愉快ゆかい、うん吉原祭りだどどんと行こうぜ!」

 外で見ていた見物人も、浮かれて踊る始末になって来た。見物人は瓦版や口コミで、蜜柑船の紀文の事を知り、当時娯楽が少なかったせいで有名、人気役者如くひと目見ようと集まって来ました。

(♪そら行けやれ行け、どんとどんと行きまあしよう♪)

吉原は三日三晩、飲めや歌えやの大騒ぎで昼や夜とも分からんほどになっていました。

色町が色恋いなしの状況ですそして吉原の元締めが、紀ノ国屋文左衛門に挨拶に来ました。

「紀ノ国屋文左衛門さん、この度のご散財おそれ入りました、少しは楽しんで貰えましたでしょうか」

「へい楽しみました今日でお疲れ様となりましたが、預けた金子が少し残りましたので今から、豆金として撒いてぱっぱっと使い切ります」

「それは重ね重ねありがとうございます、また江戸にお越しの折はご贔屓にお願いしますよ、猿飛佐助どの我が風魔一族は、総力あげてお役に立ち申す、では……」

(うんそうだったのか風磨一族のくノ一が、花魁に紛れていたのか女忍びなら鍛えているから、身体も均整取れているから綺麗な女も多いのもうなずけるなぁ)と、ひとり納得していたのです。

文左衛門は大広間や通りに、ざるに入れてばらまいた。それを先を争って拾う人々、餅まきみたいな感覚要領で御座いました。

 文左衛門は笑って、見事預けた一万両を使い切りました。

それが吉原だったのでまず江戸中に広まって(紀文の吉原大尽遊び)として次に日本国中に、名前が広まったらそれが信用となり効果絶大となりました。

 そこまで計算に入れた、大尽遊びだったのです普通なら、だれもそんなあほな事できませんなあ。

運の良いときこれが自分の実力だと、奢り高ぶった時につきは落ちる前兆で、気をつけなければ幸運の女神が愛想つかし離れます。

紀文は自分の為に金を使ったのでなく皆の労をねぎらっての事ですよね、本人はつきが落ちぬように、足元すくわれぬようにと細心の警戒していました。そう自分の気持ち考え方が運に影響します。

 紀州藩江戸役人混ぜての、会議が早く終わった。


















 

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