第9話 熊野屋の娘、三輪

一年は見習い丁稚で、使い走り店の掃除、風呂炊きなど下働きが主だった不平も云わずに夢中で何でもする、手代の言う事も良く聞き、兎に角仕事を早く覚えようと努力した。

同じ年頃の丁稚に、言葉の暴力で苛めに遭うがただひたすら耐えました、本当は強いのに逸れを出さずに封印していました。

怪我でもさせ店出なければならなくなるのが、怖かったのです商いを覚えるまではといじめにも歯を食いしばって頑張りました。

ある日熊野屋の使いで江戸霊岸嶋、河村屋瑞賢の屋敷に行く事が有りました。

 この頃河村屋は材木商では江戸一番の、規模と実績を誇っていました。

「あの御免ください熊野屋から使いで来ました、山本文兵衛と申します御主人はおられますでしようか?」

「紀州の熊野屋さんですか、どうぞこちらでお待ちくださいませ早速見てきますので」

通うされた部屋は、西洋式の椅子やテエブルがあり、棚にはぎっしり本が置いてあった。ひとりの武士が椅子に座り、難しそうな本を読んでいた、年の頃は二十四歳ぐらいでしょうか目は鋭く身体は痩せていた。

「あのう失礼しますあなた様は、ここの息子さんで御座いますか?」

 文兵衛を、じろりと横目で見て言った。

「儂は新井白石と申します、してあなた様はどちらさんですか?」

「私は熊野屋の丁稚で、山本文兵衛と申しますお邪魔します!」

「はあそうですか、ご用なければまだこの本読みかけでして、また後でね」

「はいこれは、全く気ずかずに誠に失礼をしました」

陰と陽の出会いでした。新井白石は学者肌の人で、後に元禄バブルをつぶした、用人として有名になります。

この頃は河村瑞賢に、気に入られて娘婿にと思われていました。

「熊野屋さん主人は、今日戻られ無いとの、連絡入りました!」

「あっ私は手紙をお届けしただけで、用事は終わってます、此処に受け取りましたの、ハンコを貰えればけっこうですので!」

 早速ハンコを貰って、河村家を後にしたが新井白石はつれなくて、あの後から一言なりとも言わなかった。

悪人千人善人千人である、自分にとって良い人と悪い人がいるカアドの表と裏のごとくです、逸れを見極める事が大事ですね悪い人に合えば悪い事を教えられます。

 天和二年(一六八二年)、文月(七月)文兵衛は十三歳になっていた。

「文兵衛ちょっと、来ておくれでないか!」

 大声で、お内儀が呼んでいる。

「へい、何でございますか?」

「曇って来たので、娘の美輪に傘届けてほしいのだけど」

「あの北新地は、お花の師匠宅ですね?」

「そう早く雨降る前に行きな!」

「へい承知分かりました、すぐにも行って参ります!」

北新地は町家が多く寺院と商店が混在している、その一角の水茶屋で若い娘がヤクザに絡まれている、直感でお嬢さんときずいた。

「キャ! 誰か助けて」

 男に手捕まれ、それを振り解こうと必至である。

「オイそこのおっさんよ、その娘さんの手を離しな」

「何だお前は、引っ込んでろ!」

 ごろつき三人は取り囲む、めいめい懐から匕首(あいくち)抜く。

「野郎共相手はたかが小僧一人だ、何ほどの事もあるまい殺れ」

「へい、がってんでさぁ!」

 文兵衛は傘で三人の匕首を打ち払い、合気技で投げ飛ばす。

「くそぉっ痛ってぇなあ、ばか力出しくさって覚えてろよ!」

 打ち身の腰をかばいながら、我先にと逃げて行った。この頃は関口流柔術と、根来流忍法の体術を使ったのであるが、よく効いた。

どんな時代にも、狂った人々は居るものですが、やられた者はたまったものでは有りませんなあ。

 (あっ、えかっこやり過ぎたか)

「どなたか存じませんが、助かりました失礼ですがお名前は?」

 美輪は丁寧に御礼を言った。

 顔上げてよく見ると、その手には熊野屋の傘があった。

「お嬢様、お迎えに来ましたよ」

「えっ其れではあなた、店の手代さんでしたか?」

「いえ違いますよお嬢さん、私は丁稚の山本文兵衛と言います」

「けれど貴男、十七歳ぐらいに見えますよ!」

「ハイあの私は、まだ十三歳でございます」

「ふうんそうなの、でもあなたとてもお強いのですね!」

 じっとりと、汗が吹いて来た。

「はい、幼少より剣術と柔術で少しばかり、鍛えてますので」

「そう私も十三歳ですのよ、宜しくね文兵衛さん此からも」

口は災いの元と云うが、つい何気に文兵衛は言ったのです。

「へい分かりました、何時でも用事在れば私を呼んでください!」

 それから相合い傘で、片寄せ合いながら店まで送って行った。

 翌日、熊野屋は活況であった。

「おいでやす、毎度おおきに!」

 店内でひときわ、大きな声がする文兵衛である。

「ホウ元気な、丁稚さんですな」

 年の頃六十五歳と見える、商人が振りかえりざま言った。

「御主人、何か御用有りますか」

 番頭が御用聞きにやってきた。

「儂は江戸の河村瑞賢だ、この間注文した物揃いましたかな」

 文兵衛は熱い茶と、水を出す。

 番頭は調簿をめくり観ている。

「へい整いまして今船積みしてます、摂津の安治川行きですね」

「そうだ先の丁稚(でっち)さんを、呼んでくれないか!」

呼ばれた文兵衛はかしこまり前に出る。

「ところであんたの名前は何と云うの?」

「あのう私は、山本文兵衛と言います」

 この商人の事は聞いている、憧れの人ゆえ少し声が震えている。

 河村瑞賢は三年前に長子政朝を亡くし、文兵衛にその思影を観ていた、可愛いと思ったのだ。此処でも何故かしら文兵衛を見て、教えたくなる何かが働いたのか?

「材木は相場の勉強大事だよ、物は米であれ野菜であれ絶えず値段は変動しているから、逸れを扱う商人は損しないように、常に気をつけ研究しなければならない!」

「それはいったいどのような、勉強でしょうか?」

「世の流れ見人の欲する物を察する事、それに需要と供給!」

「人々が欲しがる目に見えぬものを、想像し心で見よですかね?」

「新しい物新しい考え方を掴む事であるがでも、皆が知ったらそれは古くさくなり、それでその材料は仕舞いかな?」

「おそれ入りました貴重なるご教示、ありがとう御座いました!」

「もし江戸に来る事あったら、私を尋ねなさいよ」

「はい、是非にもお尋ねします」

 河村瑞賢に深々と頭を下げた。

 (江戸に、行ってみたいなあ)

 此処で文兵衛が憧れる河村瑞賢について、少し語ろう。

 元和四年(一六一八年)二月伊勢は度会(わたらい)郡東宮村百姓の河村政次の長男として生まれ、幼名は七兵衛と云った。

 寛永七年(一六三0年)十三歳で江戸に出て十右衛門と改名し、土木作業員や車力の仕事をしたが泣かず飛ばずで運は開けなかった。 寛永十九年(一六四二年)二十五歳頃とうとう思い詰めて江戸から、上方へ行こうと決意した。

 東海道を小田原宿で一人の老翁と会い、今までの身の上話をするがその時翁(おきな)は言った。

「江戸には武士が集まり、そして諸国の金銀も集まる。人の気質も派手で金遣いが荒いが大坂は、商人多いがケチが多いで有名だよ」

瑞賢の目を見て、笑みを浮かべながらじっくり諭すように話す。

「逸れはもっともな話で御座います、私の目から鱗が剥がれ落ちた思いです」

「江戸で駄目なら上方へ行ってもねえ、此処で心機一転もう一度江戸でやり直してみたらどうだろう!」

名前は言わなかったが、老翁には大商人の風格がありました適切なアドバイスでした年寄りには聞いてみるべしで御座います。

「ありがたい! では早速江戸に戻ります」

「そうかぁ言うこと解ったか、ほなせいらい気張りなはれ!」

 江戸に戻る途中で、品川まで来ると盆が過ぎたばかりで精霊に供え流された、瓜生や茄子が海に多量に浮いている、また浜辺にも無数に打ち上げられていた。何か目に見えぬ運と云うかツキが急に開けて来たようです。

「よっしやっ、これだ!」

 早速古桶を買い浮浪人に銭をやり、茄子や瓜生を拾い集めて塩漬けにし、土木人足や町人に売って商いして大きな利益を得た。

 それから運が開けて土木人足業や材木商など手を広げ、幕府にも頼られる大実業家となった。

 海運の方にも力を入れて西回り航路や、東回り航路を開発するなど革新的な偉業を成し遂げた。余談であるが新井白石を、娘の婿にと思っていたのだが、武士の気ぐらい高く、だめだったようです。

 成功するには成功者を徹底して研究し、その真似をする事が近道であると武兵衛から教えられていた、憧れの人に直接話を聞けたのでその夜興奮して眠れなかった。

 この頃文兵衛は住み込みの丁稚なので、金は使わないでも日々の生活は何とかやっていけた。

 給与は無いに等しかったがたまに客からの駄賃あり、それをせっせと貯めていた。手代になればお嫁さんを貰っても、生活出来るほど有るとは聞いていた。

「文兵衛ちょっと、新地までお嬢さんを、お迎えに行っておくれ」

「へい、お花の師匠ですね」

「そうだよ、早く行きな!」

 女御衆に急かされて店を出る。

 前垂れを外して少し髪を整えるもう後ろに伸ばしていない、上に持ち上げて束ねているが、前髪は切ってない若衆髪で有る。

 身の丈は五尺三寸(一メェトル六十センチ)になっていた。当時江戸町人の平均身長は、一メェトル五十七センチ前後であった。後ろ姿はもう大人であった。

 出身の湯浅は平家の落ち武者が多く、為に名前を変えてひっそりと暮らしてた。源氏の世だから。

 本当は五十嵐文兵衛だが、山本文兵衛となっている、まあそれはいいとして町人だから、在所より別所文兵衛が正解だと思うが。

 藍染の小袖に、三尺帯の着流し色白で整った顔だちしている。下駄を履き、新宮の街を歩くと年頃の町娘達が振り向き、騒ぐほどの男ぶりであった。

 美輪が夢中になるのも当然だったかもしれない。あれから新宮のやくざも道を譲ってくれる、玄関前で半刻(一時間)ほど待った。

「あら文兵衛ごめんね、待った?」

 三輪は髪を丸髷に結い背は五尺二寸(一メェトル五十九センチ)であった。目は切れ長にて色白で細身、花柄の着物を羽織ってる、近辺では新宮小町と云われる、美人で評判の娘であった。

「いえお嬢さん、私それほど長くは待っていませんよ」

「じゃ、そこの茶店で団子でもどうかしら、勿論私が奢るわ!」

この頃見習い小僧なので文兵衛懐寒く、一銭も持ってなかった。

「へいありがとうございます、喜んでごちそうに成ります!」

 美輪は、心弾み楽しかった。

 二人は水茶屋に寄り、台座に腰掛ける。

「あのう、団子二皿とお茶、ちょうだいね」

 店員は注文を、復しょうしてさがる。

 隣りの席に素浪人が来て、文兵衛の横に坐ろうとした時、刀の鞘が肩に当たった。

「おのれ無礼者、おのれ町人の分際で!」

 その浪人は、妙に殺気だっている。

「おいら、別に何もしてませんが?」

軽く触れただけなので、気ずかなかった。

「何だと反省無しかうむ許せぬ、その態度無礼討ちにして呉れる!」

 浪人はおもむろに、大刀を鞘から抜くと上段に構えた。

 その様子をを始めからみていた周りの人々は、意外な成り行きに注目あっと息を呑む。

「きええい!」

 浪人は文兵衛に向かって、大刀を思い切り打ち下ろす周囲人は目をふせる。

「とりゃあっ!」

 声がした。皆は斬られたと思った、その刀を両手合わせで止めていた、刀は文兵衛頭上で受け止められたまま、かんぬきが入ったようにビクリとも動かない。

 すると素浪人の足ガタガタと震えだし、そのまま地面に膝を落とした。

文兵衛は刀をそのままひねって取りこみ人居ないか確認、刀を横に放り投げた、浪人は刀を拾うとすたこらサッサと逃げ出した。

 とっさに出た技は、これぞ大東流の合気柔術である、勿論忍の術は封印しているのである。

 文兵衛は何事も無かったように、団子食べそして茶を飲んだ。

「では美輪さん、そろそろ帰りますかねぇ」

「あのう文兵衛さん、どこもお怪我有りませんでしたか?」

 美輪は店員に、小銭を払った。逸れを見ていた人々は、口をあんぐりとあけ唖然としているこの頃特に有名な剣豪はいない、まったく平和な時代だったので有る。

 技は新陰流柳生石舟斎以来、途絶えいた真剣白刃取りの妙技であるが、文兵衛の使った技は、大東流の合気技である。技と云うより気合いに近い電光石火の動きだ。

 (ううん少し調子に、のり過ぎたかな?)

 なんとかその日も無難に、店まで送りとどけることが出来た。

 文兵衛は材木商の仕事も覚えそろそろ手代にしては、との声が店内に挙がっていた。

小さい頃から何でもやりかけたら、夢中に成る性格で、覚えも早かった。

 問題は一人娘の美輪で、何かと文兵衛を呼び出しては私用を言い付け、文兵衛を我が身近に置こうしたのだ、此ではまったく仕事にもなりません。

 文兵衛も後先考えていなかった面も、あったと思うがもう既に遅い。

 熊野屋八右衛門はこれをよしとせず、遂に文兵衛を呼び出し言った。

「最近熊野川の筏流しの手が少なくて、困っているのだがね……」

「へえ、それで私にどうしろと?」

「ご苦労だが、しばらく北山村まで行ってくれないか?」

「あのう私が行って、役に立ちますかねぇ」

「いやいや少しの手助けで良いのじゃ、なぁに軽作業で楽な仕事だよ」

「はい旦那様がたってにと、云うのなら行って参りましょう」

「そうか逸れは有り難い、早速に明日にでも行って貰おうでは頼んだぞ!」

 文兵衛には大体の、察しがついていた。

 隣りの部屋で事の成り行きを聞いていた美輪は、その場で度々度と泣き崩れた。

(何時か誰もが辿る道、その道先は未だわからねど意気と情熱とがたぎる道、ああ青春悩み大きし我が青春!)

熊野屋の有る新宮より熊野川沿いの瀞峡街道を、三日掛けてやっと北山村に着いた。

「あのう、熊野屋の事務所はどこに?」

「へえ? そんな店の事務所や現場、在りませんなあ」

「お得意様ですが、ここはうちの北山組だけですよ、まったくおかしいですなあ?」

 早速熊野屋からの紹介状を見せる、此処でやっと文兵衛は、店の意向を理解納得したようである。

いつも武兵衛に云われていた事が蘇っていた。

(人は自分とは違う人を侮るなよどんな者がいるかも知れない、外見で判断すると手痛い目に遭うぞ)

悪人であっても、人は自分を正当化したがるものです、熊野屋では文兵衛の悪口が広まっていた。












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