第7話 湯浅に帰る、船乗りの修行

奢れる平家ひさしからずや。ううんまた脱線しました、小説の本線に戻しますね。

 延宝四年(一六七七年)霜月(しもづき十一月)、文兵衛は八歳になっていた。

「おおい、儂じゃ文兵衛はいるか!」

 武兵衛の声が境内に響く、何か佐々木利兵衛夫妻と話をしている福が娘に言った。

「喜美代、早く文兵衛を呼んで来て」

 稽古場にいた文兵衛に、喜美代が知らせに来た。早速武兵衛が待つ居間に顔出した。

「おお文兵衛よ武兵衛だ、ようやくお前を迎えに来れたんだ」

 美咲が、喜美代に抱き付いて。

「うわぁぁん!」

突然泣き出した。見かねて母親の福が美咲をなだめたしなめる。

「これっ男の門出に、泣いたらあかんよ」

「文平ちゃん、また来てよ……」

 泣き顔で、言うのである。

「うん、まだ顔見せに来るよ」

「ほんまに、指切りやで!」

 それで機嫌を直した美咲、喜美代は姉なのでこらえている。

「あっいけねえ! 少し待ってくれますか用事を思い出した」

 文兵衛は少し、慌てている。

「何だね、その用事とは?」

武兵衛は文兵衛に、にっこりと優しく聞きました。

「あのう林長五郎先生に借りた本、今から返えしに行きたいのですが」

「わかった早く行って来な、それで今まで世話になった礼を忘れずにな!」

 手を振って、行けと合図する。

「はい、どうもすみません」

 文兵衛本を持ち、駆け足で師匠のいる護摩堂へ行く。

「先生居ますか、文兵衛です」

 護摩堂の扉をドンドンと叩く。

「おう、文兵衛か何用だね」

「林長五朗先生今まで有がとうございました、勉強に成りました」

少し目を潤ませながら言った。

「どうしたのかね? 文兵衛」

「今日祖父が迎えに来まして、今から湯浅に帰ります」

 言って借りていた本を返す。

「ほう家に帰るのか、それは良かったね!」

「はい、今から祖父と一緒にね」

 とめどなぐあふれる涙をふく。

「今まで教えたのは基本だよ、此からは自分で研究工夫しなさい」

「先生はここに、しばらく居ますか?」

「いや、儂も修行に出るそれと言い忘れたことがある、自然は神である自然の声を聴き、動きをよく見て感ずれば、次に自分はどうすべきか商売・忍びの事も解るであろう! 修験道の教え成り」

「ハイ此より師匠の教えを、良く守り精進努力をいたします!」

「そうだ萬川集海(まんせんしゆううかい)を代わりにやろう藤林佐武次保武、著作の伊賀流忍法書だ」

 おもむろに書物を十巻手渡された。この本は忍者の三大秘伝の一つで、後の二つは正忍伝と服部半三保長の書いた忍秘伝である。

忍秘伝は、服部半蔵正成によって代々、服部家に受け継がれる。

正忍伝は後、紀州流忍術秘伝書とも云われ(名取三十郎)著、とあるが本名は藤林正武であり、根来忍者で紀文の師匠でもある。

二つは(藤林作)で、すでに文兵衛が読んでいるのである。

後有名なのは真田忍者の、横谷左近が書いた「忍術虎之巻」、が今も現存しています。

甲賀忍者の望月(もちづき)氏の物は「忍術応義伝」望月重家、著作などがある。(薬学に長けている)

「あっそうだ! 決して忍びである事を、人に悟らせてはならぬぞ猿飛佐助も仲間内だけにな!」

「はいご忠告肝に! それと大切な本ありがとう御座います、良いのですか貰っても?」

「おう雑な本だ弟子へのはなむけじゃ、おぬしも達者でな……おっと言い忘れた、宇宙は無限で果てが無い、忍は死を恐れるな! 魂は生命の種子でいずれ蘇る! 宗教は人が登場するまでなかったのだが、自然(宇宙)は存在した、だからよく自然の声を聞く事だ、忍者商売人にも通じる事である」

「はい迷い吹っ切れました、教えを胸に深く刻み込みます!」

「うむ、世の中たらればはない自然に好かれ覚悟を決めるのだ、そして更なる良い出会い運を求めるのだ!」

「はい解りました生きようとして死に、死のうとして生きる、逸れはおのが覚悟の進めですね!」

「うんそうである逸れと言葉には気をつけろ、言魂と言って良いことを繰り返し言えば、良いことが起こりうるし、不吉な事言ってれば不思議と不運な事起こりうる」

「はい自分にとって、成るべく吉と成る言葉を言うようにします」

「良いひょっとしたら自己暗示に掛かるのやも、知れないなぁ?」

「御教示、有り難く思います!」

この日より、忍者である事を封印したもちろん親にもである。

口は災いの元といわれているだけれど、どうしてもつい言いたくなるのも人情である。

見ざる、言わざる、聞かざる。

これが自分を守る、三神の三猿であると、心に決めていました。

 そして文兵衛は、護摩堂を出て武兵衛の元へと戻った。

 二人は湯浅に帰るのである。

 喜美代と美咲は、いつまでも手を振っていた。人の世は出会いと別れがつきものである、あまり変化は好きでないが、自分は変わらなくても周りがどんどん変わっていくので戸惑いを受ける。

父親との思いはあまりなかったし、なぜか会いたいとも、さほど思わなかったのである。されども文兵衛の心は晴れやかだった。

(久し振りに母にあまえられると)

 広川から別所への足は軽い、左腰には武蔵の木刀を差している。

「あれれ、帰り道が違うのでは」

「これで良いのじゃ、今から有田の北港に行くのでなぁハハハッ」

 武兵衛はおもむろに杖で、海の方向を指す。文兵衛は戸惑いながら聞く。

「あのう別所の家に帰るのでは」

「いや今はまだ勉強も身に入らんと思っての、家にはちゃんと、このことは言ってあるからのう」

 大声で言い、豪快に笑った。

「はい、それはとても私にとってありがたいのですが……」

「少し早めの、休みになるがね」

「それはとても、私は嬉しいのですが」

「すると文兵衛は、明心丸には乗りたくなかったのかね?」

「えっ、乗せてくれるのですか」

「うむ此より明心丸で、江戸へ行く文兵衛と航海の勉強にな!」

「うわい本当に、嬉しいなぁ」

 手を上に挙げて、万歳をする。

 船は湯浅の味噌や醤油、鰹節などを積んで北湊で待っていた。

 味噌・醤油は、有田の湯浅が日本での発祥の地である。

二人はふ頭から足元に気をつけながら明心丸に乗り込んだ。

「文兵衛、船酔いしないか」

「長五郎先生にもらった、丸薬持ってますから」

 文兵衛、薬を懐から出し飲む。

「それならば良いであろう、あっそれと言っておくが、武芸を少し習ったとて天狗になるな!」

「それはどうしてですか?」

「お前は商人の子供だ、斬った張ったより負けるが勝ちを! 心に留めておきなさいよ……世の中何があるか解らない、そして危険や危機わざわいはなるべくなら避けなければならないからの!」

「はい、ではそういたします」

 武兵衛は船の柁柄を持って、明心丸の操船をしていた。

 (ドドドン)船が左右に揺れた。

「なんだ、何かに当たったぞ」

「クジラだ、抹香(マツコウ)鯨だ!」

 船の左舷を併走し潮を吹いた。

「二匹いるよ、親子鯨だね」

「騒ぐなよ鯨は子連れでいつもより特に、気が立っているからなぁ」

抹香鯨は飛び跳ねるから、特に危ない。

「ではこのままゆっくりと、静かに船を進める事にしよう」

 二匹は親子仲良く、連れ立ってそのまま沖へと泳いでいった。

抹香鯨は肉食するため歯が鋭く闘争心が旺盛であったので、船舶を見かけると近寄って来て体当たりする、和式木造船にとっては特に怖いクジラなのだ。

「ふうヤレヤレ、何とか助かったの」

 何度も汗を拭う、それにあの鯨にもう一度ぶつけられたら、この頃の和船仕立てのやわな木造船は危なかったと思うのであった。

 抹香(マツコウ)鯨は大きいものになると、十八メェトルにもなる。

 海は穏やかさを取り戻し、空には白いカゴメが飛んでいた。

そして文兵衛はというと、何もかにも珍しいのか船内をうろうろしていてあれこれと水夫に聞いている。

「船底から、よく水が漏れないのですね」

 水夫は、仕事の手を止める。

「板を合わせる時、面をカナズチで叩きその反発膨張力を、利用し隙間が出ない様にしているんだそして尚且つニカワを塗っている」

「木は水を含むと、膨らむからですか」

 文兵衛は真剣に、頷きながら聞いていた。

「どうだ凄い技術やろ、特に紀州安宅の衆は船作りでは超一流だ」

「ありがとう御座います、覚えておきます」

 水夫達も船長の孫なのでいろいろ心よく教えてくれる、普通技術的に大事な事はめったに部外者に、教えないので有るのだが。

文兵衛は年寄りを敬い、先人を敬うその姿勢が年寄りから進んで、貴重な教えや教訓を得る方法で有りました。

「文兵衛よ若いうちに、骨太にして年いった時に備えよ!」

師匠で無くても誰とはなしに、心安くなった見知らぬ先輩の年寄りにも教え受ける。

「御忠告本当に、ありがとうございます!」

生意気で年寄りを粗末にするような者に苦労して得たものを、誰が親身になり教えて呉れようか彼の者達のように恩を仇で返すような暴言妄言吐くのはもってのほかですよね。

文兵衛の興味は尽きない。帆の張り方やいろんな事を、水夫達に質問攻めにしている頭が良いのか子供ゆえなのか覚えも早い、武兵衛はそれを遠くから見て頷いた。

「うむ、これはなかなかに有望だなぁ思てたよりも見込み有るぞっ!」

 腕を組みながら、つい独り言をいった。

 その夜、白浜町の横に流れる日置川の安宅の庄で、村の皆を呼んで食事をした。そして鯨との件で安宅大工に頼み船を総点検した。

 安宅衆に船乗りと成る今後の事を考え、文兵衛を今の内に照会したかったので有る。

 山本文旦商店(山紀)の、明心丸は紀州廻船に属している、この頃幕府の方針で、千石船はまだ珍しく二百五十石や五百石の弁財船が主流であったのだ。

明心丸は近海航路を注意して、安全第一でベテランらしく慎重に航海してきた。

特に太平洋側の遠州灘では、黒潮の影響もあり漂流、難波する船が多くあり武兵衛は大ベテランで、有名な船頭であったのでそういう事は心得ていた。

 いつもは瀬戸内海を長州廻りの廻船問屋で江戸行きは安全を考えて、なるべくならと控えていたのだ。

江戸行きは危険だ船の舵が潰れたら、遠くまで流され日本に戻れなくなる恐れもあったが、それを知りつつ今回の航海であった。

航海は続く白浜、串本、伊勢と陸沿いをへばりつくように、進み江戸にて積み荷を降ろした。

「さぁみんなこれで一仕事終わった、そろそろ湯浅に帰るぞ!」

「へい、がってんでさあ」

 帆を張ると、潮風を受けて軽やかに波を切る。

 帰りに太地に寄り、鯨の肉を仕入れて湯浅に着いた。近場乗り航海で往復十日の船旅である、天気にも恵まれた航海だった。

「どうじゃった、この航海は?」

「はいとても楽しく、今後役に立ちそうに思います」

「ハハハッそれは良かった、では来年も連れてってやろうかの」

 頭を撫でてくれ、嬉しかった。

文兵衛は年寄りを敬い、先人を敬うその姿勢が年寄りから、貴重な教えを得る方法であったのだ。

「それと最後に商いの基本を教えておこう、逸れは士魂商才である武士の魂を持って商いする事だ」

「はい、よろしくお願いします」

「まずは自分の困った時が、商売儲けに繋がってくると心得よ!」

「それは、逆転の発想ですか?」

「そうだ! 人々の困った時逸れを助けることが、商人の儲けに繋がってくることが多い」

「はい、わかりました!」

「世の中を観て、今人々が何を欲するか察し、他人より先んじて逸れを与えるようにする事だろう」

「常日頃考えます、まず人々の思いあり願いあり、商売人はそれを見定め要求を叶える事ですね!」

「他の商売人よりも、先んじて行うことが大事だ! 知識より気構えで商売する事だろう……それと大衆に宣伝し、覚えてもらう事だなビックリさせ、名前を売り込み商いを楽にする事だ!」

「ハイわかりました教え感謝します。また白浜の円月島を見たいですね、その時叉教え願います」

「おっと、肝心な事言い忘れる処だった、商売には確実な儲けとあやふやな不確実な的儲けがある」

「商いは多方が不確実では有りませんか、店開いても今日は昨日と同じく客来るか判りませんよ?」

「そう元々商いは不安なもの、そういう事でなく相場的な商いだ」

「相場それは一段と不確実な、商売ですねぇ天気も影響しますし」

「その中でも確信持てる商い、持てぬ米相場のような商いが有るが自信の持てる商売をするのだ」

「はい解りました、思案的不確実な商いは控えるようにします」

「次に機会あれば詳しく教えよう言っておくが強欲は駄目じゃ、犯罪に走るか身を滅ぼす一因になるでのう、嘘は言うな世間の信用を無くす、で最後に武士の魂だ!」

「はい士魂商才ですね、御教訓ありがたくその事肝に銘じます!」

「人には欲がありその欲は商いには必要だが、如何に強欲で金を貯めようとも逸れはこの世に於いての富で誰もあの世迄持って行けない、欲は切りがない足るを知る事だ適度にな心せよ!」

長い問答であったが、興味有る事は長く感じないので有る。

「はい人は限られた命有り、富が全てではないしそれが目的でも有りません、富というのは人の努力の結果であると思います」

「しかし、これからの世の中は武士の世から、金の世の中即ち商人の世の中に成るぞ、成功者の真似をし新しき物や成功者の新しい考え方を持ってこの先は存分に働けよ! ワハッハッハッハ……」

「はい私は適度な欲を持って、この先真っ当な商いに励みます」

「本だけでなく広く世間見て、新しい物や考え方を探り出し取り入れる事が自分を高めるのである!」

「青銅剣に対する鉄剣、刀に対する鉄砲など逸れは信長のような新しい物好きと成る事ですね!」

よく喋って喉乾くのか、しきりにぬるくなったお茶を飲んでいる。

「そうだ江戸時代は、徳川の鎖国政策で世界から閉ざされつっ有るがのう。当分景気は良いが景気も世の中の拍子(リズム)で波があるから、景気の波を知り儲ける勘定ばかりせず時には使わん勘定も必要になってくる、常に世の中の動きには気をつけろ!」

「ハイ先を観て不景気に使わん勘定もして足元すくわれて倒れぬように心を配ります、雲行き見て雨降る前に傘の用意ですかねぇ?」

「若い文兵衛には難しい話しだったかのう良薬口に苦しである、それと金は人が持っている人の集まる場所には金がある、人の流れに注目し多い場所に店を構える事だ。家賃安くとも人の来ぬ所に店を開くな、逸れは大事な金を失う事になるでのう!」

 笑顔で応えるのである。この航海で武兵衛より紀州の船乗り魂と商人の心を引き継ぐ、幼いながらも叉一段とたくましくなったようである。

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