第5話 修験道と忍者、猿飛佐助だ

「はい解ります、まったく正反対のものですね?」

「それが一となって一対だ、善と悪もそうであるな! いかに正義と言っても弱ければ悪に負ける」

「はい、そのとおりですねぇ」

「真面目に自分は正しいと言っても、強くなくては悪人に滅ぼされるのだ、この世は云わば弱肉強食なのだ!」

「神にうったえても、どうにもならんやろ正しいので助けてと」

「はい、それに人は騙す事もあるし、嘘をつき裏切る事もありますので、心を読めたらと思います」

「先ずは人の言う事を、真に受けず疑ってかかる、そして本心を探りつつ自分で確かめる事だのう」

「読心術はまだ無理なので、その人の口調や顔色を観て、判断をしたいと思います」

「ウム人は怖く、女の人でも毒を盛るは容易く、それで命を落とすことは、ざらにあるからのう!」

ごまの火が舞い上がる、それに暑くて汗がにじむ。

「はい上の代官も、悪ければ農民が困りますよね、山賊もいるし」

「だから正義をいう前に、鍛えて強くなくてはならぬ! 解るかねぇ」

「ああと、言い忘れた! 忍法で薬の事も教えたが、それは一時的なもので、やはり日頃の食べ物に気をつけよ、食は薬と思っての」

「はい、小魚と野菜をとるようにします、ちなみに長五郎先生は何宗の宗教家なのでしょうか?」

「儂は修験道について、話をしているが経典を持つ真の宗教家ではない、またこの日の本には八百万もの、神々がいるのでなぁ個々に信じるものが神であり、何を信じるも個人の自由でその信じるものが、信じる人の神である修験道では自然または大宇宙が神である! その神々より人知を超えた、超能力を授かると思ってるが、未だその神を実際に見たことはない!」

振り返ってじっと目を見て話す。

「食の効果は今後十年後に、出てくる……あっそれと修験道では宇宙には大いなる意識があって、私は仮に神とよぶが、その大いなる意識が人この世と人を作った!」

「では本当に神や悪魔は、存在するのでしょうか?」

「私も見た事は無い修験道を通じて探求しているが、今云える事は神や悪魔は各人の心の中に、有るのではないかと思ってる?」

「はい何とか理解しました、経典を持たぬ宗教で神社系ですか?」

「ウムそうだおぬしに、忍者のあざ名をやろう二代目猿飛佐助!」

「忍者仲間内の、名前ですね?」

「先代は真田十勇士として、活躍したとされているのだ! この名に負けずにのう忍者は死を恐れてはならぬ、身体は朽ちるとも魂は未来永劫であり、転生して幾度も蘇ると心得よ!」

「はい教え有り難く思います、忍びは生きるとして死に、死のうとしてまた生きるのですね!」

「敵と自分、体力技術力が同じなら後は覚悟の差(気力)で勝負は決まると心得よ、決して脳味噌の大きさではない逸れは超能力というべきものかも知れないな!」

「脳味噌が大きければ、頭が良く優れていると思いますがねぇ」

「わが現在の人より脳味噌が大きい人類がいたが、我々によって滅びているそれは我々には、隠れた超能力があったからである!」

(ネアンデルタール人は我々ホモサピエンスより脳味噌が約千五百五十シイシイあり、その頃我々ホモサビエンスは千四百五十シイシイと小さかった現在は約千三百五十シイシイで更に小さくなっている、脳が大きいと優れている筈なのに何故滅んだのだろうか?)

しゃべり過ぎて疲れたのか、また続きは今度と言って、哲学のような長い話は終わりました。

ここで私の意見を述べると、昔の真空管を使ったコンピューターは大きいが、最近のパソコンに負けるそれと同じ事が頭脳にも、云えるのではないかと思われます。

そして猿飛佐助と書いたが小説では甲賀忍者もしくは真田忍者とされているが、伊賀の忍法書(萬川集海)の中に記されてある、十一人の忍者中、一人である木猿の本名が 上月佐助(こうずきさすけ)で、これが猿飛佐助のモデルであるとされています。

それに伊賀甲賀は地域の里の名であり、元が同じなら分けるべきではないかも知れない、伊賀甲賀は忍びの里(科学者)術や科学も自然の一部より生まれ出たものだ。

科学といえど最近では解らん事を誠視野化に言う、逸れはビッグバンで物質が無から生まれた宇宙が生まれたという事だが、本当にありうることなのか? その昔には 大きな爆発はあっただろうがそのために物質が生まれたという考えは、科学の最先端であっても道理に反した考えは正解なのか事実なのか、逸れは一つの人の考えに過ぎず私にとって全くガテンがいかないことである。偉い人が言うことであっても無からは有は生まれ無いと信じる、叉脱線しましたごめんなさい。

 小吉が来なくなってから、文兵衛は落ち込んでいた。

「どうしたのかね文兵衛よ、今日は嫌におとなしいではないか?」

 座り込み頭を抱えているのを見かねた林長五郎が声をかけた。

「はい小猿の友達が来なくなりました、合気術を掛けたので……」

「そうか猿の稽古友達を、なくした為なのか?」

「はい……いいえ……今は犬や猫と追い駆けっこしたりして、気を紛らわせています」

「稽古相手ならば、わしの在所に真田苔(こけ)丸と云う若い者がいる、早速その者を呼んでやろうかな、若いが中々優秀な者じゃ!」

「そうですか、それではお言葉に甘えて、宜しくお願い申します」

「有無、忍とて日頃の鍛錬努力なくては、凡人と成り下がるでな優秀な人のそばにいれば、別に教えて貰えなくとも、その人の考えやこつが移る事があるからな」

「御配慮、心から有り難く思います、ではよしなに!」

「ウム引き受けた、それと紙と筆を常に持ってなさい不思議と思った事、疑問に思う事などをそのままにせずに書き留めることで、後で解決出来る事があるが、書かねば直ぐ忘れるからだ!」

「はい早速今日より用意します」

「よろしい明日にせずは、よい心掛けである益々精進しなされ!」

 翌日その苔丸が、神社にやって来た、少し目つきが鋭かった。

「文兵衛さんですか? 根来の真田苔丸といいます、でも真田忍者ではありませんよ昔の残党の生き残りかも知れませんがねぇ?」

「師匠が、呼んでくれた人ですね私は山本文兵衛といいます、宜しくお願いします!」

野良着をまとい、頭には鉢巻きをしている痩せ型の子だった。

「私こそ宜しく、今年七歳に成りました、で稽古の相手ですね?」

「同い年ですか、それであなたの得意技は何ですか?」

「いろいろ有り、特定は出来ませんので初めは見ていて下さい、そして動きをまねしてください、上達が早く成りますので!」

(生意気な奴だなぁ、と思った)

 早速独りで、やり始めた。文兵衛はあっけにとられ、ただ見ているだけだった。しかしよく見ていると剣術でもなく、合気術でもない武道と言えるのかと、疑問が渦巻いたけれど云われるままに、その動作を真似して動いてみる。

「それは何という武術ですか?」

「武術じゃないよ忍術だ! さしずめ根来忍法てとこかな……」

「伊賀・甲賀なら知ってるが、根来忍者は聞いた事無いなあ?」

この頃根来忍者は、世に知られていなく忍びの主流はもっぱら伊賀・甲賀で有り、根来忍者が有名になるのは徳川吉宗が、お庭番として採用してからである。

根来衆と言うと、根来寺の僧兵とよく勘違いされるが、根来寺とは一切関係はないのであります。

あえていうなら雑賀一党とはつながりがあるかも知れない、逸れは鉄砲に使う火薬とか雑賀衆は詳しいし、雑賀孫一(鈴木孫一)も当然であるが、忍者説があった。

伊賀の敵となる信長とも、よく戦ってましたしたしねぇ。その当時鉄砲三千を所持していたのだ。

紀州流の 根来一門の藤林は根来を盛り上げようと、自分達の子供は勿論事近辺の知り合いの子供にまで、兎に角幼児教育には熱心であったそうである。

文兵衛は師匠から借りた本を見ながら、相手の動きに注意し自らもやってみた。本には描ききれないものが実際的にはある。

たとえば視力や聴覚などは、優れていると書いても、個人の能力であり真似はし難いのだ。しかしその才能は一つの超能力である。

 苔丸は音もたてず歩いたり弓を射抜いたり、塀を乗り越えたり手裏剣を投げたり、自分が里で覚えた事を余すことなく見せた。多方面にわたる忍法は素晴らしい。

 話しを聞いたり遊んだりしている内に覚える、幼児が言葉覚える要に習うより、大人の真似して見ておぼえるのですが、基本が身に付いたら後は工夫して、独自の忍法を各自が開発するのである逸れは忍者の財産である。

現在でも学校教育で先人たちの教えを、学びますがあれも一種の真似ではないてしようかと思います、許されれる公認された技術や知識ではありますが、その前からの基本的知識を土台にして更に高度な技術が開発されるである、しかし公開されてない技術も有るのであるスパイは逸れを欲しがるのだ。







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