第三十一話 AAA

 厳しい顔で立ったままの散冴へ南条が歩み寄る。

「その新井院長ってどんな人なの?」


 散冴から話を聞いた南条も眉間にしわを寄せた。

「偶然にしては出来過ぎているけれど、そもそも龍麒団とは敵対している神栄会とつながっている医者なんでしょ? まさか二股掛けてるのかな。どちらにしろ、まずは倉庫の所有者か使用者を特定しないと」

「そうですね」

 二人は建ち並ぶ倉庫に近づいていく。大きな鉄扉には棟番号を示す数字が書かれているだけで、社名などはない。新井院長が出てきた扉に近寄ると『管理者 東湾とうわん倉庫』と記されたハガキ大のシールが貼りつけてあった。

 二番目、三番目の倉庫にも同じシールがある。すぐに南条がスマホで検索をした。

「どうやら貸倉庫業を営んでいる会社みたいだね。ここを自社で使用しているのか、他社に貸しているのかはHPからだと分からない」

 その先の倉庫も同じように東湾倉庫の管理だった。どの鉄扉も閉ざされ、作業している人影はない。

「南条さん、その会社と龍麒団、あるいはフロント企業とのつながりがあるか調べてもらえますか」

「うん、わかった。サンザ君は?」

「新井院長のことを調べ直してみます。南条さんが言っていた『まさか』の線も」

 車へと戻る散冴の背中を沈みゆく夕陽が照らしていた。



 東京の夜空にまたたく星は気づかれぬようにひっそりとたたずんでいる。

 この裏通りに吹く風も肌を刺すような鋭さが和らぎ始めていた。


 青銅の看板に洒落た『ノアール』の文字をちらと見やり、散冴はマホガニーの扉を開けた。乾いたカウベルの音が響く。

「いらっしゃいませ」

 白髪まじりのマスターが軽く頭を下げた。

 奥へと伸びた一枚板のカウンターには二人の男性がグラスを傾けていた。交わす言葉の中からサッカー場と漏れ聞こえてくる。

 手前の椅子に腰を下ろした散冴は山高帽をカウンターの端に置いた。モスグリーンのジャケットから懐中時計を取り出した。内ポケットからチェーンが伸びる。

「今日は何にいたしましょう」

 マスターの声に、間をおいてから尋ねる。

「紹興酒って置いてありますか」

「ございます」

「それを使ったカクテルって飲んでみたいな」

「かしこまりました」


 口の広いグラスを取り出したマスターは、そこへ小瓶から取り出したものを入れる。

「それって……梅干し、ですよね」

「はい」

 グラス一杯に砕いた氷を入れ、そこへ紹興酒をゆっくりと注ぎ入れる。氷と軽くかきまぜてから炭酸水を静かに注いだ。

 一片のレモンを絞ってから輪切りを斜めに差し入れる。

「ドラゴンハイボールです」

 差し出されたグラスを手に取り、琥珀色のカクテルに口をつける。

「あぁ、なるほど。紹興酒特有の香りが薄らいで飲みやすいですね。ほんのりと甘酸っぱいのも合います」

「台湾で飲まれているカクテルで、梅干しも甘めのものを使用しています」

 散冴がグラスを傾けている間に先客が席を立った。

 カウンターを拭き終えたマスターへ声をかける。

「先ほどのお客さんは国立サッカー場の工事関係者ですか」

「ええ、四菱建設のかたです。たまに顔を出していただいています」

「そうでしたか。お仕事も順調でよかったですね」

 マスターが頭を下げた。


「私も今日は仕事でお伺いしたんです」

 二人だけになったところで散冴が切り出した。

 マスターが少し上目遣いで彼を見返す。

「以前、ここでご紹介した女性ライターを覚えていらっしゃいますか」

「ええ。鮎川さん、でしたか」

「あのときにマスターが話した龍麒団のこと、もう少し詳しく知りたいんです。奴らと山木産婦人科クリニック、それとAAAトリプルエーのことも」

 穏やかな表情ながら、散冴のまなざしは力強い。

 マスターは口を真一文字に結び、息を深く吸い込むと口を開いた。

「そのクリニックで医療事故を起こしたことはご存じですか」

「龍麒団がそれに付け込んだと聞いています」

 うなずいたマスターは考え込むそぶりを見せた。

 散冴はじっと待っている。

「お役に立てるような情報はありませんね」

 マスターは顔を上げて首を振った。

「些細なことでも構いません。何か噂とか、最近になって動きがあるとか」

「そういえば……本当に噂レベルですけど」

「なんでしょう?」

「AAAというのは品質を表すのではなく、薬の頭文字だと」

「頭文字、ですか」

「ちょっと待っていただけますか」

 マスターがズボンの後ろポケットからスマホを取り出し、操作しはじめた。

「ああ、これだ」

 そう言って見せてくれた画面には『antihypnotic agent 覚醒剤』と表示されている。

「この覚醒剤という意味の頭文字A二つと、もう一つは作っている所を示すとか。地名なのか何なのかはわかりませんが」

「作っているところも頭文字がA……」

 カウンターに目を落としてつぶやいた散冴が唇をかんだ。

 顔を上げてグラスを飲み干すとハイチェアを降りて山高帽を手に取る。

「ありがとう」

 ジャケットの内ポケットから封筒を取り出しカウンターに置くと、素早い動作で扉へ向かう。

「ありがとうございました」

 マスターの声に振り返ることもなく、カウベルが鳴り扉は閉まった。



 新橋の駅前広場にはSLが展示されていることが広く知られている。昼夜を問わず、多くのサラリーマンが行き交うその広場を抜けて虎ノ門方面へ向かうと日比谷通りに出た。

 小夜子は地図アプリを頼りに目当ての建物を探す。

 ビルへ入るとエレベーターからスーツ姿の男性が下りてきた。

 四階へ上がり、第三会議室と書かれた扉をノックして中へ入ると散冴が窓際に立っていた。

「おひさしぶりです。お元気そうで安心しました」

「わざわざ時間を取ってもらってすいません。でも小夜子さんには顔を見せておいた方が良いかと思って」

 からかうような口調で散冴が笑顔を見せた。

「危険な目に合うかもしれないと仰っていたのは散冴さまじゃないですか。それはわたくしだって心配もします」

 小夜子は口を尖らせた。

「だからこうして直接お話しようとお呼びしたんです。事態は悪い方向に進んでいるとも言えるので」

「そうなんですか」

 不安げな表情を浮かべた小夜子が散冴の右腕に手を添える。

「みんなが揃ってからお話します」

 散冴は胸ポケットから懐中時計を取り出した。

 それを見た小夜子がうれしそうに微笑んだ。

「その時計、使ってくださっているんですね」

「小夜子さんから頂いた大切なものですから。このまえ溺れたときもジャケットに入れていたので無事でした」

「わたくしの思いを込めていますからお守り代わりになりますよ、きっと」

 散冴が懐中時計を拝むようなしぐさを見せ、二人が笑う。

 そこへ扉が開き、めぐみに続いてラファが入ってきた。


「遅くなってごめんね」「あ、小夜子さん」

「大丈夫ですよ。まだもうひとり来ていないので」

 口をへの字にして扉の近くで立ち止まったラファを気にすることなく、めぐみは散冴に歩み寄る。彼の斜め後ろに立つ小夜子にちらと目をやった。

「後から来るのも女の人?」

「いえ、男性ですよ」

「こちらが例のルポライターの方ですか?」

 小夜子はめぐみに顔を向けたまま、散冴に問う。

「ええ。鮎川めぐみさんです。こちらは――」

「小夜子と申します。散冴さまの身の回りのお世話をさせて頂いています」と、両手を前にそろえて深々と頭を下げた。

「身の回りの世話って、どういうこと?」

 めぐみの声が一段、低くなった。

「小さい頃から面倒をみてもらっている姉のような――」

「姉ですか?」「お姉さん?」

 散冴の言葉を小夜子とめぐみが声を揃えてさえぎった。


 言葉をなくした散冴を救ったのは最後に入ってきた南条だった。

 みんなに向かって右手を伸ばし、手の平を向けながら左手に持った小型のトランシーバーのようなものを壁や天井に向けていく。

 部屋を一周すると、真剣な表情から一変して歯を見せずに笑みを浮かべた。

「この部屋にも盗聴器はないから話を始めても平気だよ。あっと、その前に。彼女が噂の美人ライターさんだね」

 あっけにとられているめぐみに近づき、右手を差し出す。

「南条です。マジシャンをしています、よろしく」

「あ、鮎川です」

 めぐみも右手を差し出し、握り返した。すぐにけげんな表情を浮かべ、手を離す。

「きゃっ」

 小さな声をあげた彼女の視線は、南条が持つ大ぶりなピンクの花に注がれていた。

「いつの間に……」

「マジシャンですから。これはスイレン。花言葉は信頼です」

 得意気な南条へラファが不満の声をあげる。

「俺のときとはずいぶん違うじゃないですか」

「当然だよ。怖そうな男性と魅力的な女性と同じ対応をするわけないでしょ」

「それではみんな揃ったので話を始めましょう」

 散冴が椅子を引いて腰を下ろす。それへ続いた四人に笑顔はなかった。

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