第四章 長野県T町

第二十九話 情報収集

 ほりを満たす深緑色の水面みなもはさざ波さえも立てない。その周りに沿った歩道を、色とりどりのランニングウエアに身を包んだ男女が車の排気音を気にすることもなく駆け抜けていく。

 黒い山高帽に黒い毛織のロングコート姿の散冴は、ここでも異質だった。すれ違うランナーたちから代わる代わる視線を浴びせられても気にする様子を見せず、歩を進める。信号待ちで立ち止まると抜けるように青い空を見上げた。

 葉を落とした木々の目立つ公園では陽だまりのベンチに空きはない。制服姿のOLやスーツを着たサラリーマンが思い思いに食事をしている。

 それを横目に見ながら、散冴はシラカシの木陰になっているベンチへ腰を下ろした。足元には季節外れのドングリが一つ、掃き捨てられるのから逃れて転がっている。黒革の手袋をはめた両手を組んで座る彼の正面には、公園の出入口が遠くに見えた。


 彼の内ポケットからスマホの着信音が鳴る。

『おいおい、この広い公園の中でお前さんを探せっていうのか?』

 スピーカーからはいきなり不機嫌そうな声が流れてきた。

「私みたいな怪しい人物を探すのはお得意じゃありませんか。こちらからは見えてますし」

 散冴の視線の先には、公園に入ってきた年配の男性がいた。細身で長身の体をカーキ色のコートに包み、辺りを見回している。

『あん?』

 いらつきを隠さない声とともに通話が切られ、散冴は苦笑いを浮かべた。そこへカーキ色のコートが近づいてくる。

「なんでまた、こんな日陰の寒いところに座ってるんだよ」

 コートの襟を立てながら散冴の隣へ男は腰を下ろす。

「日向の暖かい場所は先客で埋まっていたんですよ。それにここなら御園さんのからは見えないでしょ」

 振り返ってシラカシを見上げる散冴につられて、御園も首を回した。冬でも葉を残した木の向こうには警視庁がそびえ立っている。

「あぁ、まぁなんだ、用件は。俺もこう見えて色々と忙しいんだ」

 無理やり話を変えながら、御園は取り出した煙草に火をつけた。

「時間を取っていただいてありがとうございます。お一人で来て欲しいとわがまま言いまして」

 頭を下げた散冴には目もくれず、紫煙をくゆらせている。

「お前さんが龍麒団の大城のとこへ行ってから、奴らの動きが慌ただしかったんだがそれも落ち着いちまった」

「やはり私はマークされていましたか」

「奴らに何を吹き込んできたんだ」

「私に恨みがあって、なおかつ彼らのトップがいなくなって得するのは神栄会だと」

「お前さんは神栄会ともトラブルがあるのか」

 ずっと前を向いていた御園が、呆れたような顔で散冴を見た。

「大城にも同じことを言われましたよ」

 前を向いたまま、散冴は表情も変えずに言葉を続ける。

「龍麒団の動きがなくなったということは、やはり神栄会の線はシロだったということですね」

はなからそう思っていたような口ぶりじゃねぇか」

「あくまでも可能性として話しただけですから。私が林のもとを訪れることをどうやって知ったのか、その謎が解ければ犯人へ一気に近づくんですけど」

「だな」


「警察はどう見ているんです?」

 散冴が左を向くと、御園は両ひざの上にそれぞれ肘を乗せて前かがみで正面を見据えていた。

「部外者のお前さんに話す情報はないな。それとも、お前さんが警察ウチの人間だというなら話は別だが」

 御園が動き、二人の視線が交わった。散冴は薄い笑みを漏らす。

「まだ私のことを公安だと疑っているんですか。そもそも義手の男など、警官にはなれないでしょう」

「警官になってからの怪我かもしれねぇだろうが」

 再び前を向いた御園が煙草のけむりに目を細めた。

「とにかく、私があの時刻に林のところへ行くことを知っていたのは龍麒団のごく一部の人間だけのようなんです。大城でさえ、直前にかかってきた電話で初めて指示されたようですから」

「ヤツの芝居ってことはないのか?」

「そんな風には見えませんでしたね。私を痛めつけることが出来なくなって残念そうでした」

 そのときのことを思い出したのか、散冴は視線を落として白い歯を見せた。

「御園さんたちが駆けつけたのは、匿名の通報があったということでしたよね」

「ああ。俺も赤池も外へ出ていたんだが、本部から連絡があってあそこで落ち合ったんだよ」

 前を向いている御園は、うつむいた散冴が浮かべた思案気な顔には気づかない。

 少し間をおいて散冴は顔を上げた。

「発信の解析は?」

「だから何でお前さんに話さなくちゃいけねぇんだよ」

「無実の一般人を重要参考人として扱ったお詫びということではいかがでしょう」

 悪びれることなく笑顔を見せる散冴につられて、御園はあんぐりと口を開けた。

「なにが一般人だよ。まったく食えねぇ野郎だなぁ、お前さんは」

 散冴は笑顔のまま、言葉を待つ。

 昼休みが終わる時間となったのか、陽だまりのベンチから人が消え始めていた。


「こっちも行き詰まっちまったからな。こっからは俺の独り言だ」

 大きくため息をついた御園は煙草を指に挟んだまま、また前かがみになった。

「通報の発信エリアは現場から半径五百メートル以内、使い捨て携帯からだった。人物の特定には至っていない」

「犯人自ら掛けてきてるとみて間違いなさそうですね」

「あるいは共犯がいて、掛けさせたのか。通話記録を声紋分析したが前科マエはない」

「龍麒団の内部抗争という線は」

「その後の奴らの動きから、それはないと上層部うえでは見ている」

 散冴も膝の上に右ひじを置き、手を口許に持って行く。顔を少しかたむけて横目で御園を見た。

「凶器の出所を特定するのも難しいんでしょうね」

「もともと俺たちの本線はそっちだからな。奴らが扱っている密輸銃と同型なのは間違いないが、龍麒団が売りさばいたものという特定ができない。なんとも歯がゆいよ」

「なぜ、彼らが扱う銃を凶器に選んだのでしょうか。怨恨えんこん、とまではいかなくても何か当てつけのような……」

「なるほど。そういう見方もあるか」

 御園はゆっくりと紫煙を吐き、取り出した携帯吸い殻入れに煙草をねじ込んだ。

 立ち上がろうとした彼を散冴が押しとどめる。

「薬物も追っていましたよね。あれはどうなっているんですか」

「ん? そっちはひとまず置いといて、てな感じだ。流通量も増えていないからな。いまは拳銃チャカに絞ってるよ」

「でも社会への影響はこちらの方が大きいのでは」

「そりゃそうなんだが、殺しまで起きている以上、そうもいかねぇんだよ」

「薬物も密輸しているんでしょうか」

「それがな、量が少ないせいか、そんな形跡もつかめてなくてな。船ルートだと踏んでるんだが」

 御園は立ち上がって両手を上げて伸びをした。

 その背中へ散冴が声を掛ける。

「国内で作られている、という可能性は?」

「どこかに違法薬ヤク物を作る工場でもあるってのか? さすがにそれはないだろう。規制が厳しい日本じゃ、原料を集めるのだって容易じゃないぞ」

 そう言うと、御園は右手を軽く挙げて公園の出入口へと向かっていった。

 カーキ色の後ろ姿に目をやりながら、散冴はベンチを動かない。

 もう、ほかのベンチでは誰も食事をしていなかった。

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