第二十七話 利を得る者

 広い会議室のあちこちにスーツ姿の男たちが固まっている。座って話を聞く者、立ったまま腕組みをしている者たちの間を、制服の女性が書類を配って回っていた。

 ホワイトボードの前に座っていた男が目の前の受話器を取る。

「河本だ」

 名だけを告げると、相手の話に耳を傾けた。

「了解。そのまま奴を張ってくれ。そっちに龍麒団の奴等も姿を見せるかもしれないからな。十分に注意しろ。以上だ」

 受話器を置くと部屋の面々に向かって大きな声をあげる。

「御園!」

 部屋の右隅にいた御園が立ち上がると、河本が右手を挙げた。すぐに御園と赤池が彼のもとへ歩み寄る。

「なんでしょうか」

「いま福本から報告があった。月翔つきかけが運河で溺れたそうだ」

「襲われたんですか?」

「いや、運河に落ちた子供を助けようとしたらしい。山田が手を貸して助けたようで、命には別条がない」

「はぁ……そうですか」

 勢い込んでたずねた御園が姿勢を戻し、後ろで手を組んだ。

 座ったままの河本は立っている二人を斜めに見上げる。

「月翔の足取りは追えたのか」

「はい。供述通り、地下鉄で移動してきた様子が駅構内の防犯カメラに残っていました」

 赤池が直立したまま報告する。

「そうか。当初の見立て通り、奴がホンボシじゃないのは間違いないな」

「ええ、月翔はシロですね」

 つまらなそうに答える御園を、赤池は横目で見た。

「龍麒団が先走って奴を襲ってくれると、こっちもやりやすくなるんだがな」

「どういうことですか」

「殺しはどうでもいい。社会に不要な人間がいなくなったんだからな。それよりも龍麒団をガサ入れする口実が欲しい」

「係長!」

 御園の抗議には耳を貸さず、河本は書類に目を落としながら追い払うように手を振った。



 エレベーターで一階に降り、フロントの前を通ると「いってらっしゃいませ」と散冴は声を掛けられた。

「まだ二日目なのに、やはりこの帽子は目立つようですね」

 頭の上の黒い山高帽を右手で直しながらつぶやく。

 ホテルを出るとすでに陽が傾き始めていた。右手を挙げてタクシーを止める。

「池袋まで」

 行き先を告げるとスマホを取り出した。



 池袋駅の西口でタクシーを降りた散冴はスマホに表示されている地図を片手にあたりを見回した。すっかり陽も落ち、駅前公園の円形広場にあるらせん状のリングがライトアップされているのが遠くに見える。それを背にして通りを渡り、飲食店の並ぶ小路へと入っていく。

 白地に赤い太文字の暖簾のれんが出ている中華料理屋の前で立ち止まった。ちらと見上げると、その六階建て雑居ビルの入り口へ歩を進める。

 エレベーター横の館内表示には二階にマッサージ店の名があるだけで、その上には何も書かれていないプレートが並んでいる。

 しかし散冴は迷うことなく三階のボタンを押した。

 エレベーターが止まりドアが開く。照明の消えた狭い廊下は消火栓のランプで赤暗く照らされていた。一枚しかないドアの下からは部屋の明かりが細く漏れている。

 ノックもせずにドアへ右手を伸ばした。


你是做什么的何だお前は!」


 正面のテーブルに座っていた男がすぐに立ち上がった。その向かいにいた男もゆっくりと立つ。その手には傍らにあった木刀が握られていた。

 声を聞きつけて奥からも二人の男が姿を見せた。

 威嚇する表情を浮かべながら鋭い視線が一点に集まり、散冴との間合いを少しずつ詰めていく。

 おもむろに散冴はジャケットの内側へ右手を入れた。

 四人の顔に緊張が走る。一様に腰を落として身構えた。

 散冴は口端を上げ、黒革の左手を開いて男たちを押しとどめるように前へ出した。

「そんな物騒なものは持っていませんよ。あなた達とは違うのでね」

 視線は彼らへ向けたまま、ゆっくりと右手を取り出す。てのひらにあったのは懐中時計だった。

「大城さんに会わせていただけますか。七時ごろにはこちらへお見えになると聞いていたのですが」

 一人が部屋の奥に消えた。しかし、残った三人が警戒の色を解くことはない。


 すぐに背の高い男が現れた。感情の読み取れない表情の中で、目だけが冷めた光をたたえている。

「やはりお前か。黒い変な帽子をかぶった男というのは」

 少し癖があるものの日本語も堪能らしい。

「私もあなたのことは覚えています。殴るときに手加減してくれましたからね」

 散冴の皮肉を解するほどではないのか、顔色を変えずに一歩、二歩と彼に近づく。

「大城さんに何の用だ」

「林さんの件で私の話を聞きたいだろうと思いまして。この前はわざわざ迎えに来ていただいたので、今回はこちらからお伺いしました」

「そうか」

 握手でもしようかという距離で男は立ち止まった。と、いきなり散冴へ殴りかかる。

 驚いたのはまわりの男たちだった。予期していたのか、散冴は軽く体を後ろへそらしながら龍のタトゥーがある拳を右手で受け止めた。

 感情を表さない男と薄い笑みを浮かべている散冴。二人の視線がぶつかっていたのは数秒だった。

「待ってろ」

 散冴に背を向けるとスマホを取り出して電話をかけ始めた。

「二十分ほどでここへ来る」

 通話を終えた男はそう言うと、散冴へあごをしゃくった。

 奥の部屋へ通された散冴は応接セットのソファへ腰を下ろす。入ってきたドアの前には木刀を持った若い男が立った。



 ノックもなく突然ドアが開いた。入ってきたスーツ姿の男に見張り役が頭を下げる。続いて入ってきた背の高い男と入れ替わりに見張り役は出ていった。

 スーツ姿の男が散冴と向き合うように座り、背の高い男がその斜め後ろに立つ。

リーから連絡をもらったときは驚いたぞ。まったく度胸があるのか馬鹿なのか分からないな」

 後ろを右手の親指でさしながら、男は前置きもなく話し始めた。

「ほめ言葉と受け取っておきますよ、大城さん」

 散冴は友人とでも話しているかのように穏やかな口調で応える。

「それにしても、よくここが分かったな」

「私もそれなりの情報網を持っているので」

「ふん、まぁいい。要件は手短に済ませよう。お前が無事に帰れる保証はないがな」

 左の口角を上げた大城だが、その目は笑っていない。

 立ったままの李からは相変わらず感情が読み取れない。

「お聞きになりたいことをお先にどうぞ」

警察サツもお前を犯人ホシとは思っていないようだが、林さんはすでに死んでいたんだな?」

「ええ。あまり時間は経っていないようでしたが、背中から拳銃で撃たれていました。おそらく即死では」

「ほぉ背中から、か」

 大城が太い眉を動かし目を細めた。

「ほかにはどうだ」

「玄関のドアに鍵が掛かっていなかったことくらいでしょうか」

「で、お前の言うことが嘘ではないという証拠は?」

「こうして自分からここへやってきた、というのは不十分ですか?」

 お互いに相手を上目遣うわめづかいで見ている。


「おまえが誰かの依頼を受けて林さんを撃ち殺したかもしれない」

「私は殺しの依頼など受けないので」

「らしいな。甘い奴だ」

 大城は首を少し傾けてソファの背もたれに体を預けた。

 二人の距離を保つかのように、散冴は身を乗り出す。

「林さんは私に何を伝えたかったのでしょう。ご存じありませんか」

「俺は聞いていない。お前と直に話がしたいと言われただけだ」

「そうですか。それが分かれば犯人への手掛かりになるかと思ったのですが」

「お前がったのかもしれない」

「龍麒団のトップを殺しても私には何の得にもなりません」

「ならば誰が得をする?」

「たとえば……大城さん」

 ずっと散冴を見ていた李が、一瞬だけ大城へと顔を動かした。

 大城はソファに寄りかかったまま白い歯を見せる。

「残念だったな。林さんの代わりに俺がトップになるとでも思ったのだろうが、新たに本部から来ることが決まったよ」

「そうでしたか。そうなるとやはり神栄会ですかね」

「なんだと⁉」

 今度は大城が身を乗り出した。

「敵対するトップが消えて、それを因縁のある私の仕業に見せる。一番得をするのは奴らかと」

「お前、奴らともトラブルがあるのか」

 呆れたような表情を浮かべた大城へ、散冴は黙ってほほ笑んだ。

「で、お前の狙いは何だ」

「私は今回の殺しには関わっていない。だから、私のまわりの人たちには手出しをしないでいただきたい」

「俺たちがそんなことをするとでも?」

 挑発するような言葉にも散冴は顔色を変えず、じっと相手の目を見つめている。

 先に逸らしたのは大城だった。

「山高、お前の言い分はわかった。どうするかは俺たちが決めるがな」

 そう言うと手で追い払うようなしぐさを見せた。李がドアを開ける。

 無言のまま散冴は立ち上がり、龍麒団の事務所を後にした。


 外へ出た散冴は明かりの点いている三階を見上げた。

「これで少しは時間稼ぎができるといいのですが」

 ひとりごちると黒い山高帽をかぶり直し、池袋の雑踏へと消えていった。

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