第十八話 決着

 二人が闘ってくれている間にめぐみはデニムを履き、切り裂かれたセーターを抑えながら固唾かたずをのんで見守っていた。

「あっ」

 散冴が倒れたとき、彼女も小さな声をあげた。上林の白い背中が彼へと近づいていく。

 めぐみはあたりを見回す。丸テーブルに置いてあった赤ワインが目に入った。

 迷う間もなく立ち上がり、ボトルを両手に取る。

 ナイフを持ち替えた上林の背後に立ち、両腕を頭上に伸ばした。

「えいっ!」

 掛け声とともに振り下ろしたワインボトルが上林の頭で粉々に砕け散る。

 ヤツの白いシャツが茜色に染まっていった。

 無言のまま上林がゆっくりと振り返る。

「きゃぁ」

 悲鳴を上げてめぐみは後ずさった。

 怒りに目を見開いたまま、上林は彼女へと一歩足を踏み出したところで音を立てて床に倒れた。

 めぐみは口に手を当てたまま、動かなくなった上林を見下ろしている。


 ワインボトルが砕け散る音に顔を上げたアキラが呆然とした表情を浮かべる。

 その隙に散冴はしがみつかれた腕の間から右足を引き抜き、ヤツの顔面へ思いっきり蹴りを入れた。

 鼻から血を流し、アキラは再び床に伸びてしまった。


 ゆっくりと起き上がった散冴はシャツの汚れをはたき、床に転がっていた山高帽を手に取った。

 ラファは彼の黒いコートを拾い上げ歩み寄り、目顔でめぐみを指した。散冴がうなずくと彼女の肩にコートを掛ける。

「ありがと」

 切られたセーターからのぞいている胸の谷間を隠すようにコートの襟を合わせた。

「死んじゃったの?」

「いいえ、気を失っているだけです」

 しゃがみ込んで上林の様子を見ていた散冴は、立ち上がって山高帽をかぶり直すと安堵の笑みを浮かべた。

「間に合ってよかった」

「本当にありがとう。でも、どうしてここが分かったの」

 頭を下げためぐみが、あらためて部屋を見回した。

「それですよ」

 散冴が彼女のデニムを指す。

 何のことか分からないのか、めぐみは自分の服を探し見る。

 それを見たラファが後ろから声をかけた。

「スマホの裏にGPS発信機が貼ってあるんだよ」

 振り返ってデニムの後ろポケットからスマホを取り出し、カバーを外した。

「いつの間に……」

「この前、トイレに行っている間にね」

「わたしが狙われることを知ってたの?」

「そうじゃないさ。ただ、新井院長が信用できそうもないからって、万が一のためにとサンザさんが――」

「教えておいてよ! そうしたらもっと注意していたのに。本当に怖かったんだから」

「ごめんなさい。あなたを不安にさせてもいけないと思っていたので」

 山高帽を取って頭を下げた散冴に、めぐみは言葉を継げなかった。


「それよりサンザさん、こいつらどうします? このまま大人しく引き下がるとは思えませんよ」

「それを利用してみましょうか」

 散冴はビデオカメラを指さした。


 何やら打合せを終えたラファが三脚からビデオカメラを取り外した。タケル、克己、アキラの順に倒れている姿を映していき、最後に上林の顔をアップで撮った。

 撮影を続けたままレンズは散冴へと向く。

「このビデオには顛末てんまつがすべて記録されています。これを持ち帰って、拡散するなり利用することだってできるでしょう。でもこの映像はあなたに託します。私なりの仁義、そう受け取ってもらえたらありがたいのですが。それでも私たちや彼女に付きまとうことがあるなら、万事屋よろずや月翔散冴つきかけさんざが全力でお相手します」

「はい、オゥケィです」

 ビデオを止めたラファがふざけた調子で声をあげた。

「こんなので大丈夫なの?」

「神栄会は戦後間もない頃にできた暴力団です。最近は中国系マフィアと敵対しているようですが、それも昔気質むかしかたぎな面があるから。この男には伝わると思うのですが」

 ラファからビデオカメラを受け取ると、散冴は横たわる上林の顔の前に置いた。

「家まで送りましょう。その恰好では電車には乗れないでしょうから」

「データも受け取らないと」

 ラファがパソコンを手に取る。めぐみをいざなった散冴に続いて、三人は部屋を後にした。



 何事もなかったかのように、めぐみの部屋には明かりがついたままだった。

「あの運転手、ちらちらとバックミラーを気にしてましたね。俺たちが彼女を拉致したと思ってるかも」

 ラファがさもおかしそうに笑う。

「疲れましたか」

 車内ではずっと眠っていた彼女へ散冴が声をかけた。

「当たり前でしょ、あんな目にあったんだから体力的にも精神的にもぐったりよ」

「その元気があれば心配はなさそうです」

 今度は散冴が静かにほほ笑んだ。

 ワンルームのベッド横にあるチェストから、めぐみがトレーナーを取り出す。

「ちょっと着替えるからあっち向いててよ」

「外に出ていましょうか」

「いいわよ、今さら」

 男たちが背を向けている間にさっと着替えを済ませると、引き出しを開けた。きれいにたたんであるカラフルな下着の間に手を入れると何かを取り出した。

「はい、これ」

 散冴へUSBを差し出す。

「あいつら、ろくに探しもせずデータはパソコンに入っていると思い込んでたみたいだけれど、当然バックアップを取ってあるに決まってるじゃない、ねぇ?」

 同意を求められ、ラファはあいまいにうなずいた。


「それではこれで交渉は成立です。新井総合病院の用地買収疑惑についてはもう関わらないこと、いいですね」

「わかってる。さっきアイツらが話していたのを聞いて気になるネタも見つけたしね」

 意味ありげに笑うめぐみの言葉を聞いて、男たちは顔を見合わせた。

「タフな方ですね。あなたは」

「ほめ言葉として受け取っておくわ」

「もしも、また神栄会のやつらが姿を見せるようなことがあれば、彼に連絡してください」

 散冴が顔を右に向けてラファへ目をやる。

「あなたの連絡先は教えてくれないの?」

 彼女の言葉が聞こえなかったかのように、黙ったまま散冴は背を向けた。

 そのまま振り返らず、部屋を出るときに山高帽へ手をやると軽く持ち上げた。

 あとに続いたラファは振り返り笑顔を贈る。

 扉が閉まると静かな夜は続いた。

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