第38話 アルベルトの矜持⑤
普段のリムジンであれば移動中に尻が痛くなることなど無かった。
魔法の絨毯と揶揄されるほど乗り心地と静粛性に拘っているからだ。
だが、宿場町で拝借した安物のワゴン車は最悪だ。
気密性に乏しく、舞い上がった土埃が容赦なくキャビンへと入り込んでくる。
おかげで不快な道中だった。
僕たちは線路沿いにクルマを走らせ、その途中にあった小さな街を2つ通り過ぎ、汚れて油の浮いた湖を横目に自由都市『カラカス』へ到着する。
ここは鉄道の街として知られていた。
それだけでなく整備された自動車用の道路は片側だけで3車線もあり、交差点は手旗を振る警官の代わりに信号機が立っている。
ディーゼルエンジンの燃える臭いこそ気になれど、なかなか活気に満ちていた。
アリーナという観光資源を頼りにした『リノ』と比べると、いかにも物流に長けた商業都市といった感じがする。
クルマの窓から見ただけだが市場は賑わっていて、野菜や肉が並び、魚が泳ぐガラス張りの生簀まであった。
個人店から大型のチェーン店が並び、どこも買い尽くせないほどの品物が高く積み上がって溢れている。
(賑やかな声が飛び交うのは良いことだが、どれもが日常の範疇にあって退屈極まりない街だ)
僕の求めている刺激はここに無い。やはり
不平を持ちながらも、向かったのは街の中央ブロックよりやや西に位置する共和国軍の駐在所である。
鉄道のターミナルのすぐ側にある8階建ての古い建物で、そのボロ具合からも自由都市内で共和国軍が冷遇されているのが分かる。
敷地は広く、塗装の禿げた灰色の壁の上には有刺鉄線が張り巡らされていて、櫓まであった。
僕は貴族家であることを名乗った上で「責任者に会わせろ」と門兵に怒鳴り、訝しげな顔こそされたものの客間まで通されていた。
「説明してもらおうか」
安っぽいテーブルの向かいに座った小太りな軍服男に向かって威圧的に切り出す。
だが、相手は額に浮かべた汗をハンカチで拭うだけでなかなか次の言葉が出てこない。
自己紹介されて知ったが、こいつは共和国軍のカラカス事務局の局長である。
つまりはこの施設の責任者でもあった。
たるみきった身体からも分かるが、実戦には先ず出てこないであろう腰抜けに違いない。
緊急事態に慣れていないのか所作がぎこちなく、気も回っていなかった。出された茶は冷める前から飲めたものではないほどまずい。
「そうは申されても、いくら『家紋』持ちの貴族家ご子息とはいえ軍事機密を漏らすわけにはいきませんので……」
「既に漏洩しているだろう! 僕は見た。
「しかしですね……この街は防衛隊を持つ自治都市です。鉄道網の貸与こそされておりますが、こと
ここで口籠るとは呆れる。
共和国軍だけが所持している兵器を持っていた時点で、その
「馬鹿者!
「た、確かに……」
「嘘をつくにしてももう少しマシな態度をとれ! それでも大陸の統治者たる共和国の軍人か!」
「申し訳ございません。本件は指揮系統の違う部隊の事ですので、どうしても私からは話すことができず……」
自ら立場が弱いことを白状している。
僕は事実に基づいて怒りをぶつけた。
「危うく
「アルベルト様の御身に関しては、ご実家に無事を連絡させていただきました。お待ちいただければ迎えが来ます。どうか、今回の件についてはご容赦を……」
「あの赤いヤツのパイロットを呼んで来い! 下手くそな射撃のせいで、僕まで死ぬかもしれなかったのだぞ!」
所詮は、地方に飛ばされた軍人だ。
階級こそあれど実質的な左遷なのだろう。
ヘコヘコと頭を垂れる姿はいっそ哀れだった。
だが、こんな奴をやり込めるのが目的ではない。
(今、周りは僕の味方だらけだ)
共和国の『家紋』持ちの貴族である僕に対して逆らえる者など、この建物の中にはいない。
とすれば、ここで僕が裏切ったら……などと邪なことを考えた刹那である。
「アルベルトお坊ちゃん」
背後に控えていた小柄なメイドに名前を呼ばれ、背中に冷たいものが走る。
丈の長いエプロンドレスを着込んだそいつは動作こそ躾けられていたものの、中身はまるで猛獣だった。
変装した――というより普段着ほぼそのままのフェリス・エル・ノーランドである。
こいつには『敵意を察知する力』とやらがあるらしく、僕が少しでも裏切ろうものなら瞬時に見透かされてしまう。
それだけでなく腕力が異常に強く、精神に至っては獣のそれだ。
何とも恐ろしい存在である。
(分かってる。魔が差しただけだ。約束通り協力はするぞ)
邪な心は振り払い、本来の目的に戻る。
これだけ無茶な要求を押し通そうとしたのだ。
少しだけハードルを下げてやればポロッと喋るだろう。
「貴殿が苦しい立場にいることは分かった」
従者に嗜められたかのように振る舞ってやると、小太りな軍服は胸を撫で下ろしたようだ。
相手にしてみれば胃が潰れるようなストレスだったに違いない。
「赤い
局長の肩がビクリと震える。
こうも分かり易い人間をトップに置かなければならないのか。
共和国軍の地方人材の不足には同情してやろう。
「申し訳ございません。お答えが出来ないのです」
「虎の子の
「そういうわけでは……」
「ふん、歯切れが悪い。機体を押さえたということは、パイロットも捕まえてここにいるだろう。目的なり何なり、さっさと吐かせればいいものを」
「いえ、今のところは何も喋っていないとのことです」
指揮系統が違う部隊だと言っておきながら、ある程度の状況は把握しているようだ。
そして知っているということは、ヨルズ・レイ・ノーランドは予想通りここに捕らえられている。
狙い通りに喋らせた。僕の背後に控える2人は聞き逃していない。
「お茶が冷めてしまいましたね。新しいものを用意しましょう」
涼し気な声でそう言ったのはラインヒルデ=シャヘルである。
こちらもメイド姿に変装しているが、スカートの丈が太ももの半ばまでしかない。
しかもシャツには袖が無くて丈も短い。
サイズが合っていないのか胸元が露出して大きな谷間が見えている。
いかがわしい酒場の衣装をそのまま拝借してきたかのような格好だ。
おかげでここの兵士どもの視線が痛い。これでは主人を装っているだけとはいえ、僕の品格が疑われるではないか。
この女に露出癖があるのは間違いなさそうだ。
「給湯室は借りられますか? 私たちで、アルベルトお坊ちゃんのお口にあったものをご用意します」
「え、えぇ。大丈夫です」
小太りの軍人はやはりハンカチで汗を拭きながら応対し、別の兵士に案内されたフェリスとラインヒルデは応接室から出ていく。
ここで僕の役目はほぼ終わった。
救出作戦を提案した身ではあるが、こうも上手くいくとは……
ヨルズ・レイ・ノーランドの『ナイン・タイタン』が電素列車で連れ去られたとすれば、ケルベロス部隊とかいう共和国軍の連中が拠点にしている場所は簡単に絞り込める。
その知識が役立っている。
あとは『家紋』持ちの貴族家の名前と多少の強引さがあれば、軍関係の事務でも出入り可能だ。
資金繰りに困っている軍部は貴族からの支援が欲しくて仕方ない。頭を垂れるのは当然である。
そこに世話係と偽って変装させた2人を紛れ込ませた。
どうせ地方軍人では貴族の流儀など理解できないから、堂々としていればバレやしない。
それにカラカスの自治体と共和国軍が親密でないのは周知のことである。
自由都市はその名の通り、共和国からの干渉を嫌うのだ。
だから軍部は意地でも『ナイン・トゥエルヴ』の情報は漏らさないように内輪で処理するだろう。
伝説の
(ふん。軍部の悪いところだ。風通しの悪い秘密主義が裏目に出たな)
この後で、あの2人が本当にヨルズ・レイ・ノーランドを救出できるかなど分かったものではない。
だが、これで多少の借りは返せたのではないだろうか。
(生きて戻ったら、3度目の正直だ。今度こそ僕が勝つ)
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