第37話 ヨルズの物語⑭
ドアが開いて明かりが差した。
分厚そうな靴音が床板を軋ませ埃を巻き上げる。部屋に誰か入ってきたが、拘束されて動けない俺は目だけでそちらを見た。
他の五感はといえば既に頼りない状態で、鼻の中に血が詰まってニオイは分からないし、片耳も音が聞こえなくなっている。
殴られた際に鼓膜でも破れたのだろうか。
しかし、しゃがれた男の声だけはハッキリと拾えた。
「よぅ、元気?」
ランニング姿の中年男が手をヒラヒラと振っている。
短く刈り込んだ髪に、筋肉質な体躯だ。年齢は40過ぎといったところか。
『ナイン・タイタン』から引きずり降ろされたときに1度だけ姿を見たことがあった。
入り口に立っていた軍服の見張りは中年男に敬礼して下がっていく。
こいつが次の拷問官だろうか。
「そんなに警戒するなよぉ。おじさん、悲しくなっちゃうよ?」
「……尻の穴なら空いてないぞ」
「生憎と女の子にしか興味なくてねぇ」
笑い飛ばされるが、発する雰囲気は穏やかではなかった。
力のない視線を送ったところで無駄だろう。
かといって目を背けるのも癪だった。
「話すことなんか……無い」
唾液が乾いて喋るのも億劫である。
そんな俺を値踏みするようにジロジロと眺めていた中年男は、息が吹き掛かりそうな距離まで顔を詰めてきた。
「そんなに固く考えないでよぉ。これはおじさんの興味本位なんだ。たまたま思い出したというか、そんな感じ」
「勿体ぶらずにさっさと言ったらどうだ?」
「キミさぁ、ヨルズ村の生き残りだろ?」
「……ッ!」
唐突に懐かしい名前を出され、俺の身体は反応してしまった。
同時に瞼の裏には故郷の風景が広がる。
なんということはない、田舎の村だ。
櫓があって、畑があって、近くを川が流れていて……
残念ながら殆どは後天的に付け足し、美化された思い出だった。
強烈に脳裏に焼き付いているのは赤黒いグロテスクな光景である。
だから露骨に動揺した。
強張った様子を見逃さずに中年男は楽しそうに続ける。
「いいねぇ、いいねぇ。若者は素直が1番だねぇ」
今から白を切っても無駄だろう。
不意打ちに対応できなかった自分が情けない。
まさか、こんな形で故郷の村の名を口にされるとは考えてもいなかった。
「全滅したヨルズ村出身だからヨルズ・レイ・ノーランド君かぁ。どうせ偽名でしょ? 本当の名前はなんていうの?」
まずい。身元が割れている。俺は自分の名前すら喋っていない筈なのに。
乗っていた『ナイン・タイタン』からテンガナ・ファクトリーに行き着き、そこで素性を調べられた可能性がある。
だが、おかげで確信が持てた。
こいつは俺の村の名前も全滅したことも知っている。
となれば、ほぼ間違いないだろう。念押しのためにダメ元で疑問を返す。
「そういうアンタは、3本腕の
「どうしてそう思うのよ?」
「さっき手を振ったとき、人差し指の第二関節と掌にタコがあった。長年、操縦桿を握っているとそうなる」
「鋭いなぁ」
本当は暗くて確認なんて出来ていない。いい加減な指摘だが、妙に納得したようだ。
確認が終わると内側から沸々と黒い感情が滲み出てくる。
15年だ。長い時間、煮詰めて、煮詰めて、煮詰めて……ドロドロになった負の心が渦を巻いていく。
「お前だろ。俺の村を焼いたのは」
「ま、そういうことだねぇ。いやぁ~、懐かしいな」
今度はアッサリと認めた。その挑発的な態度のせいか、俺は冷静になってしまう。
目の前に両親の仇がいる。
1度目は、その状況になって無我で突っ込んでしまった。
結果として敗北した挙句に捕らえられ、拷問を受けている。
2度目の今は同じ轍を踏むわけにはいかない。
痛め付けられた身体と鈍った脳でもそのくらいは分かった。
少なくとも今、後ろ手に縛られた状態からこのクソ野郎に殴りかかれやしない。
「道理でね、腕は立つのに突っ込み過ぎだと思ったんだよぉ。挟み撃ちされる可能性があるのに『ストロングホールド』を倒しきらないまま、殺意剥き出しでおじさんに食ってかかってきたから。おっと、『ストロングホールド』ってのは盾を持った青い
「俺は今更、村を焼いたヤツをどうこうしようなんて思ってない」
「嘘だねぇ。こうして向かい合っているからよく分かるよぉ。ビリビリ痺れるくらいの殺気で睨んできてる」
言葉の上だけでも殺意は隠しておくが無駄なようだ。
向こうはその気になればすぐにでも俺を殺せる。
しかし、俺からの情報を欲しがっているのは間違いない。
「さ、楽しい尋問タイムだ。どこからあの黒い
「お前に喋ることなんてない」
やはり『ナイン・トゥエルヴ』について聞いてくる。
だんまりを決め込んでいると、鳩尾に大きな拳がめり込んだ。
「ぐはっ……!?」
「あーあ、素直じゃないなぁ。我慢するだけ無駄だとは気付いたほうがいいよぉ?」
唾液に血が混じっている。
身体中の痛みのせいか、腹を殴られたところで今更といった感じだ。
「さて『ナイン・トゥエルヴ』には誰が乗っていたのかなぁ?」
今度は顔面だった。鼻を潰され、視界が暗転する。
答えない。答えてたまるものか。
「専門じゃないからねぇ。おじさん、手加減できないかもよ?」
男は淡々としたもので、まるで皿洗いか洗濯のように当然といった雰囲気で拷問を進めていった。
悲鳴を堪え、痛みを押さえ込み、とにかく耐えるしかない。
この緊張の糸が切れれば自分だけでなくフェリスやラインヒルデにも害が及ぶ。
(まだダメだ。ボロボロにやられている)
とにかく隙を見つけて何とか逃げ出すしかない。
これ以上の下策を出すわけにもいかず、俺は意識が朦朧としているフリをしてやり過ごそうとした。
そこへ凛とした声が響く。
「隊長殿」
またも来訪者だ。中年男の背後には、詰襟の軍服を着た女性が現れた。
30代手前といった風体で、声音の通りにキリッとした表情をしている。
癖のある赤毛と碧眼は珍しい。東部と西部の混血だろうか。
俺の視線に気付いたのか、その女性は不快そうに一瞥してから前へと踏み出す。
「お疲れ様、ミレイちゃん」
「ちゃん付けはやめてください」
「虜囚の前だからって気取らなくてもいいじゃない〜」
「そういう問題ではありません」
(ミレイ?)
知らない顔だが、ずっと前にどこかで聞いたような名前だ。
中年男の態度に半ば諦めている様子でミレイと呼ばれた女性は続ける。
「出撃命令です。例の作戦を続行せよ、とのことです」
「そうなるだろうなぁとは思っていたから、ヨルズ君から情報が欲しかったのよ」
「隊長殿ご自身が尋問なさったのですか?」
女性軍人は怪訝な顔で中年男の拳を見やる。
拳の皮がめくれ上がって出血していた。
俺を力一杯殴ってくれただけのことはある。
「いいや、違うよ。男同士の話し合いさ
この男は隊長なのか……とてもそうは見えないが。女性の方が余程しっかりしているように思える。
「私が来なければ、捕虜を殺していましたね?」
「鋭いねぇ……」
ミレイのウンザリとした顔に、中年男は照れ笑いで答えた。
それこそ窓から入ってきた虫を潰すか否かのような、軽い様子である。
俺が愕然としているとミレイは同情したように続ける。
「ヨルズ・レイ・ノーランドか。ノーランド孤児院の出というのが運の尽きだな」
「あんた、孤児院のこと知っているのか?」
こいつら、もしかしてノーランド孤児院にまで手を出すつもりか?
裏の家業が知られていても不思議ではない。
「さぁな。そんなことより、さっさと諦めるんだな。隊長殿はまともじゃない」
「えぇ〜? 本人を前にそれを言っちゃうの?」
「事実ですから」
「まったく、ひどいなぁ。おじさん傷付いたよ」
「尋問は中止して、早く出撃準備してください」
「悪いねぇ、偽名君。仕事が無事に終わったら、喋ろうが何だろうがキミは最期を迎えるんだ」
待っても状況は好転しない。そう告げられている。
死ぬのは怖いが、それ以上に何も出来ないまま死ぬのは屈辱だ。
自分を奮い立たせる意味でも挑発をかましてやる。
「そんなに俺が怖いのか?」
「まさか。本当に怖いならとっくに殺しているよぉ」
相手は乗ってこない。
中年男は戯けたように手を振り、背中を向ける。表情はこちらから見えないが声のトーンはガクンと落ちた。
「でも、ヨルズ村の生き残りなんて物騒なヤツは生かしておくわけにはいかないからねぇ」
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