第28話 ヨルズの物語⑬

 最悪である。20歳にもなって姉と添い寝してしまった。

 目を覚ましたとき、腕の中にフェリスの頭があったせいで心臓が止まりかけたのである。


 慌てて下半身を確認したが致命的な間違いは犯していなかったのが幸いだ。でなければ今頃、自害している。

 そのときラインヒルデは室内にいなかった。散歩にでも出かけたのだろうか。


 小柄なフェリスは酒臭くて、けれど不思議なくらい楽しそうな表情で眠っていた。

 起こさないようにそっとベッドを離れたものの、朝食の席で顔を合わせたときは気まずくてうまく話せなかった。

 一体、何をやっているのだろう俺は。


 リリィ(今、ノーランド孤児院の院長代理を押し付けられている娘である)からは「フェリスさん、めっちゃ酒癖悪いっスよ」と以前に聞かされていた。

 飲むと言い出したときに断固として止めれば良かったのに、少しくらいならいいかと考えてしまった昨晩の自分を殴りたい。


 俺自身がアルコールに弱いのを差し引いても、これはかなりクリティカルな失敗だと思う。

 フェリスに男として知られたくはない情報を開示する羽目になったのである。

 爆笑されるかと思ったが意味深な表情でまじまじと見られてしまったので余計に恥ずかしい。


 その後の彼女の台詞は思い出すだけでも身悶えしそうになる。

 俺が瞼を閉じていただけで、意識があっただなんて……やめておこう。思考をストップさせる。

 流れる雲と晴れ渡った空とは対照的に、心の中は土砂降りだった。

 昨晩のゴロツキどもは解放してやったが、いつまたどんな輩が現れるか分かったものではない。


 念のため、輸送用トレーラーの運転席で待機している。投げ出した足をハンドルの上に置き、ボーッと時間が過ぎるのを待った。


(駄目だ、恥かし過ぎる……)


 フェリスがアリーナの試合をいつも観に来てくれていたと知って、正直嬉しかった。

 そのせいで距離が妙に近くなってしまった気がする。

 少し浮ついていたところにあんなことを言われてしまった。

 おかげで鈍器で後頭部を殴られたようなショックを受けている。


(こんなことでソワソワしている場合じゃないんだけどな……)


 メッサーに午前中のうちに連絡したが書類はやはり4日後にならないと偽装できないそうだ。

 朝一で業者に掛け合ってくれたそうだが、それ以上は早くできないらしい。

 届ける日も含めて5日というスケジュールは変わらず、うまく落ち合って拾う必要があった。

 結局、今日は移動せずに宿場町から動かないことにする。


 どのみち、ここからリノの街までは2日もあれば到着するのだ。

 人の多い場所へ不用意に近付けばまたトラブルが起こるかもしれない。

 こうなったらフェリスの案内でラインヒルデだけでも院長先生の元へ行かせようと考えたが、アッサリと拒否されてしまった。


 リノの街への搬入についても全部説明したが彼女は首を横に振り、『ナイン・トゥエルヴ』を置いたまま離れたくないと断っている。


(そこまでは信用されてないってことね)


 持ち逃げされるとでも思ったのだろう。

 仕方ない。冷静に考えれば、一緒に戦った仲とはいえ知り合って数日しか経っていない。

 ラインヒルデと話していると妙に懐かしい感覚に陥ってしまう。

 そのことが時間の間隔を忘れさせている。とにかく馴れ合いが過ぎたのだ。


(問題なのは院長先生の体調の方だ。もしかしたら、持たないかもしれない……)


 病院のベッドで横になっている恩師はまだ大丈夫だと信じたい。

 今回の件にどんな意図があったのか問い正したいところだ。

 友人の墓参りへ代わりに行ったら、時間を超えたかのように『ナイン・トゥエルヴ』とラインヒルデがいた。

 いくらシラを切ろうと誤魔化されない。説明してもらう。


(俺が自由に『ナイン・トゥエルヴ』を使ってもいい? 俺がラインヒルデを救う? まったく意味が分からん)


 手紙にはそうあったが、素直に受け取ることなんて流石に無理だ。

 それにフェリスに預けられている報酬の件も……『三本腕』の機械巨人ギアハルクについてもきちんと知っておきたい。

 状況は謎だらけで、直面した危機以外は解決していなかった。

 持て余した暇が焦燥感を掻き立てる。


 そこへ……不意に空気を細く切り裂く様な音がした。

 運転席の足元へ身を屈めたのは反射的な行動である。

 直後に炸裂音と衝撃が走り、割れたフロントガラスが体の上へ降り注いでくる。


(何だ!)


 髪の毛と肩に乗っかった破片を払って、恐る恐る外を覗き見る。

 前方に停車していた別のトラックが地面ごと抉れてひっくり返っていた。

 あちこちで悲鳴が上がり、建物の中にいたと思しき人々が一斉に逃げ出している。

 呼吸を整え、こんな状況ではあるが脳へと有りっ丈の酸素を回す。

 今、外に飛び出しても遮蔽物なんて無い。


 トレーラーのキャビンにいた方が幾分かはマシだが……もう1度、同じ規模の攻撃を受けたら粉々になりそうだ。


(爆弾? いや、砲撃の類だ)


 こんな寂れた宿場町で?

 一体、誰が何と戦っている?

 次々に浮かぶ疑問よりも先に、もっとも安全な避難先へ向けて飛び出した。

 すなわち、荷台に積んである『ナイン・タイタン』のコックピットである。


 機械巨人ギアハルクの装甲であればトレーラーなどとは比較にならないほどの強度があった。

 あまり見られたくないという理由で1枚しかない強化繊維のシートは『ナイン・トゥエルヴ』の方にかぶせてある。


 それが幸いして、剥き出しになった自分の愛機のコックピットへ1分とかからず乗り込めた。

 ズラッと並ぶトグルスイッチを左端から1つずつ持ち上げ、各計器の針が触れたのをチェックし、慌ただしく起動させる。

 シートに体重をかけ、息を吸うといつもより油臭い気がした。


(オイルジェルの圧力が全体的に低い。添加剤のせいでシールをやられてリークしている)


 モルビディオ廃坑からここまで工場など無い。まともな整備などできるわけもなかった。

 だが今は愛機の出力低下を呪っている場合ではない。

 荷台の上で狭苦しく足を畳んでいるため、立ち上がるのに難儀した。

 俺は迷った末、荷台から少し離れた地面へ腕をついて巨躯を転がすようにしてトレーラーから離れる。

 周辺には誰もいなかったので人を潰してはいないだろう。


(電素探知機がオミットされていることが恨めしい)


 襲撃に間違いなさそうだ。

 しかし、アリーナ仕様のレンタル品はいちいち目視で索敵する必要がある。


(フェリスは……まだホテルの中にいる筈だ。宿場を襲ってきた相手は俺に対して敵意が無い。じゃなければ、あの力をスルーできない筈だ)


 この墓参りの旅で大小含めて3度襲われ、その度にフェリスに助けられている。

 今回、それが無いということは攻撃している連中は俺に対する明確な敵意が無いということになった。


(それに朝食以来、ラインヒルデの姿も見ていない)


 一体、どこへ行ったのか。動向が把握できていなかった。

 そろそろ正午に差し掛かろうとしている。

 自分よりも強靭な肉体(女の子にこんな言葉を使うべきではないが)を持つ彼女たちでも、この状況ではどうなるか分からない。

 荷台に積んで置いた接収品のST8を2丁持ち出し、ひとつは右手に持ち、もうひとつは腰のジョイントに保持する。

 ボロボロだが刃のツブれた槍もマウントへ保持しておいた。

 面積の小さいシールドは役に立つか分からないがないよりマシなので左手に持つ。


 まずはメインストリートという名の寂しい道路まで『ナイン・タイタン』を走らせる。その間にも砲撃は続いたが、2発目以降は街外れにばかり着弾していく。

 荒野に大きな土煙の柱が立ち昇り、派手な衝撃が宿場の建物の窓を割った。

 おおよその直感で敵の位置を探ると、線路の彼方に点が見える。

 開けている上に周辺の構造物では身を隠すことができないので、こちらの期待が視認されてしまうのは承知の上だ。


(電素列車? 昨日の夜まではあんなのいなかったぞ)


 屈折水晶のカメラで最大望遠してみたがシルエットはボンヤリとしたものだ。

 だが、車輌に対して明らかに幅の広い『台』が積まれているのを見て冷や汗が流れ出る。

 俺が借りている輸送用トレーラーにも殆ど同じものが取り付けられていた。


(あれは機械巨人ギアハルクの輸送用フレームか……運搬してきた? それも鉄道で? ということは共和国軍?)


 鉄道網を使った行動をとれるのは権力と結びついている連中だけである。

 電素列車は便利さ故に、軍以外での兵器輸送は禁じられていた。

 銀影団のような傭兵でも、アルベルトのような金持ちでもない。

 仮に相手が本物の共和国軍だったとしよう。襲撃している連中の規模こそ不明だが、抵抗すれば確実に殺される。


「ダメだ、状況が分からなすぎる!」


 押し殺した思考ができなくて思わず叫んでしまった。

 鈍いと笑われる思考回路をフル回転させて、最善を尽くす。

 まずはフェリスとラインヒルデの無事を確認するところからだ。

 そう思った矢先、ディスプレイの端に赤い影が引っかかった。


「えっ……?」


 ドクン、と心臓が跳ね上がる。

 そいつは距離こそあれど、特徴的な姿をハッキリと確認できた。

 無骨な角張った外装を真紅に染め上げた機械巨人ギアハルクである。


 旧帝国の『タイタン系』でも共和国の『コロッサス系』でもないように見えた。

 円柱状の灰色の武器はバズーカだろうか? 末端には弾倉らしきものが付いていた。

 それを3つも構えて、こちらを向いている。


「お前は……」


 そう、だ。右手と、左手と、背中から生えたサブアームで。

 見間違えるわけがない。

 幼い目に焼き付いた、あの忌まわしい機体を。


「さ……」


 水を打ったように静かな精神と、煮え滾るマグマのような精神がグチャグチャに混ざって紫色のオーラとなった。

 殺意と、その殺意を具現化するために必要な手順が頭に浮かんで広がっていく。

 復讐相手を見つけた後で、それらを入念に準備して行動に移すつもりだった。

 しかし……実際に目の当たりにした瞬間、釘を打って止めておいた俺の理性は消失して行動に出てしまう。

 俺は今日まで、自分は感情をコントロールするのが上手いと思っていたがそれは違っていた。


「三本腕ぇぇぇっッ!」


 鬨の声がコックピットを揺らす。

 15年前。

 俺の住んでいた村を襲い、家族を殺した奴がそこにいた。

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