第15話 ヨルズとラインヒルデ①
明け方、目を覚ますとフェリスは先に起きていた。
寝癖のついた金髪を風になびかせ、肌寒い中で細い身体を真っ直ぐに伸ばしている。
勝手に俺のジャケットを持ち出して羽織っていた。
青い瞳は元来た道を眺めいた。それは引き返せることを暗示している。
廃坑の探索にもう障害は無い。
「朝メシにしよう」
お互い、黙ったまま朝食を摂った。
その後で俺は荷造りを済ませて内部へと出発する。フェリスはついて来なかった。
トレーラーで見張りをして待つという。
「夕方までには戻ってきて」
それだけ告げて、あとは『ナイン・タイタン』が膝をつく荷台の上に座り込んでしまった。上着は奪われたままだが……まぁ、構わない。
多分、これ以上の会話は無理だろう。
「行ってくる」
過去に何度も喧嘩したことはあっても、こんな気分にはならなかった。
心が苦しい。情けなかった。
そんな自分をドス黒い感情で塗りつぶして誤魔化していく。
封印している記憶を掘り返して『三本腕』の姿を再生する。でないとブレてしまいそうだ。
モヤモヤを抱えたまま踏み込んだ坑内は当然のように暗い。蓄光灯で手元の地図を照らしながら、目的の墓とやらを目指す。
足元は想像していたよりも平坦で歩き易かったが、深い闇は精神を削ってくる。空気の流れを頬で感じながら進み、呼吸を落ち着けるように自身へ言い聞かせた。
パニックに陥れば道を見失ってしまうし、道を見失ってもパニックになる。
焦った行動には出ない。可能な限り歩を一定に進めていく。ノイズとなる思考を締め出し、集中力を切らさないよう注意を払う。
(意外と早く済みそうだな……)
壁には番号を振ったプレートが貼ってあり、それを頼りにすれば自分の位置を把握できる。
白状してしまえば、銀影団の襲撃の方が数段キツかった。あれは本当に生命の危険を感じたほどである。
(油断だけはしないでおこう)
――同じような工程をひたすら繰り返したため中略しておく――
途中で休憩を挟みながらも 墓へ到着したのは2時間半が経過した頃である。
地図で印をつけられていた地点には引き戸の鉄扉が隠してあり(これは岩壁を剥がさないと見つからないタイプの偽装だった)、ダイヤル式の鍵が付いていた。隙間からは陽光が漏れている。
解除の番号は地図に記載されていたので、ツマミをカチカチと捻って入力してやった。
すると小さな金属音が鳴り、ロックが外れる。
しかし、レールが錆び付いて動かない。俺は仕方なく取手の部分を何度も蹴っていく。
次第に扉の隙間は開いてゆき、何とか通れるくらいには開いてくれたので身体ごと捻じ込んでやった。
(明るい……)
くぐった先で目が眩む。瞼をわずかに開いて慣れるのを待つとこれまでの暗闇の通路は途切れ、天井の崩れた広大な空間が広がっていた。
ただし、見上げるほど壁が高くて直射日光は差し込んで来ない。天井にポツン空いた穴から空がのぞいているようだった。
(昔、フェリスの掘った落とし穴に落ちた時に見た景色と似てる)
悪夢のような思い出である。
さっさと記憶の扉に仕舞っておこう。
勿論、眼前の景色のほうが何百倍も広大ではあった。
ひとしきり感心した後で視線を落とすと、異質なものが網膜に飛び込んでくる。
「あれは……」
空の青色と岩の灰色。そのどちらにも属さない輝きが見える。
それは紅い水晶の十字輝だった。
院長先生の言葉によれば友人の墓標であり、フェリスの知識によれば旧帝国軍親衛隊のマークである。
それが宙に浮いていた。
「えっ……」
いや、正しくは地面から何メートルも高さのある場所で静止している。何やら大きな琥珀色の塊の天辺に貼り付けてあるようだ。
それだけなら大した衝撃を受けない。
しかし、俺は言葉を失って歩き出していた。
どうしてこんなものがここにあるのか、考えてみた。
それでも信じられなくて目をこすり、あらためてそれを見上げる。
「黒い……
ヒトと同じく頭部に手脚を備えた身の丈20メートルに近い塊が膝をついていた。
全身が艶のない黒い装甲で覆われている。その形状は複雑で、戦いでの利便性よりも装飾性を優先したのではないかと思えた。
俺の借りている『ナイン・タイタン』とはまるで違う。まるで古代の戦争で活躍した黒騎士のような佇まいである。
十字輝は顔に刻まれていて、フルフェイスの兜をかぶっているように見えた。
何よりも目を引いたのは背中から生えている対になった突起である。天使の羽と呼ぶにはあまりにも無骨で短かった。あんな装備、俺は全く知らない。
そんな代物が琥珀色の水晶の中に閉じ込められている。
驚くなという方が無理だった。
院長先生の話が確かならば、コイツが友人の墓標ということになるが……
「まさか……この機体……」
いや、そんなわけはない。
アレは伝説の
あまりに有名であるため数えきれないほどのレプリカが作られ、模造品をアリーナでも見かける。
その性能がオリジナルに遠く及ばないのは言うまでもない。
(
金属ならば何でも焼き切る長距離砲に、射程距離外から攻撃される時代だ。
のそのそと歩いて接近しているうちにやられてしまう。
たった1機を除いて。
「間違いない。こいつは『ナイン・トゥエルヴ・ブラックナイトモデル』だ……」
圧倒的な存在感を前にして自分の直感が訴えてきた。レプリカなんかじゃない。
崩壊寸前の帝国から最後の皇帝を連れ、共和国の包囲網を突破した黒い悪魔……本物である。
その行方は50年経った今でも分かっていなかった。
けれど、目の前にある。手で触れる距離まで近づいた俺は機体のディテールを確認していく。
(派手な形をしているけど、ベースになっているのは『ナイン・タイタン』か)
装甲の隙間からのぞく関節部分は見覚えのある機構をしている。
整備性やパーツの供給が考慮されているのは当然で、決して未知のワンオフマシンというわけではないだろう。
ついでに『ナイン・トゥエルヴ』を閉じ込めている水晶の材質を調べた。
ナイフで削って粉状にし、匂いを嗅ぐ。さらにグローブの指先で揉んでみたところ、粉は粘度の高い液体になった。
(これは……
電素を通せば自在に形や硬度を変える物質だ。勿論、結晶状にすることもできる。
こんな風に
とにかく、調べられるだけ調べてみる。しかし推測以上のことなど分かる筈もない。
腕組みをしながら落ち着きなく歩き回り、俺は何とか考えをまとめようとする。
結果を言ってしまえば徒労だった。
「院長先生は、こいつを俺に見せたかったのか?」
ならば友人の墓だとワザワザ言わないだろう。理由に見当がつかない。
仕方なく、荷物の中から例の手紙を取り出した。
「友人の墓前に添えて欲しい」と渡してきたものである。
馬鹿正直に行動するなら、こいつを置いて帰れば依頼は終了だ。
生憎とそれができるほど愚鈍でもない。
真相を知りたくて封を切ると紙が2枚出てきた。まずは1枚目を確認する。
「え〜と……『親愛なるヨルズへ。自由に使っても構いません。ただし、ラインヒルデの許可は得るように』か」
弱った身体でペンを走らせたのだろう。
字はあまり綺麗でなかった。しかも勝手に開封するのを見透かされている。なんとも恥ずかしい。
(使ってもいいというのは、まさか『ナイン・トゥエルヴ』のことだろうか?)
このシチュエーションでは院長先生と黒い機械巨人が無縁であるわけがない。
もともと謎の多い人だったが、旧帝国の兵器を隠し持っているなどとは想像したこともなかった。
「もう1枚の紙には……『親愛なるラインヒルデ。彼は貴女を救いに来ました。可愛がってあげてください』ね」
筆跡はどちらも同じ。
短文で何を伝えたいのかイマイチ分からない。
もしかして、この大きな墓標(というより
(……って、待てよ。物凄く聞き覚えのある名前だろう)
ナイン・トゥエルヴの前に座り込んだ俺はすぐに思い出した。
黒い悪魔のパイロットのことを。
それとほぼ同時だった。機体を封じ込めていた水晶にヒビが入り、耳障りな音を立てる。
「なっ……」
反射的に立ち上がって俺は走り出していた。
それまで沈黙していた『ナイン・トゥエルヴ』が突如として動き出したのである!
「まずい!」
こちらは生身で武器といえば護身用の拳銃だけ。
最悪となる状況を想定するなら、一目散に逃げ出すべきである。
しかし、俺の意識は黒い
中に人間が乗っていなければ動くわけがない。
ということは、水晶に閉じ込められたままの状態の『ナイン・トゥエルヴ』に生きた誰かが乗っていたということだ。
愚かしいとは理解しつつも、俺は待ってしまう。
その生きた誰かが現れるのを。
そして、間も無くして機体の胸部ハッチが開いた。
そこはパイロットが昇降する箇所である。
中から出てきたのは――怒られそうな感想だが、半端ではない美人だった。俺が今までの人生で会った中で1番かもしれない。
「……」
その女性は膝の下まである銀髪を搔きあげ、こちらを睥睨している。
鋭い紅い瞳は迫力満点で、一文字に結んだ唇は沈黙を保っていた。
鼻筋が通っていて輪郭が細く、顔のパーツは左右完璧にバランスのとれた配置をしている。
その美貌は精密に組まれたクロノグラフのようであり、感動すら覚えてしまう。
年齢は20歳過ぎといったところだろう。浅黒い肌は遠目にも艶やかで張りがあり、顔は小さく、脚はスラリと長く、腰は括れて細く、何よりも胸が大きい。
何もかもがフェリスと対照的な容姿だった。本人の前で口に出したら首を絞められそうだから絶対に言わないでおくけど。
さて、問題なのは彼女の姿格好だ。まじまじと眺めてしまったのは悲しいサガである。
どう見ても普通ではない。暗灰色のハイレグ水着だ。
腕のグローブには厳つい装甲が取り付けられていて、脚のブーツも同じようなオブジェクトに覆われている。
ボディスーツ(?)は脇や足の付け根が露出していて、身体のラインをピッタリなぞっているので目のやり場に困る。
「……」
彼女はコックピットから飛び降りて綺麗に着地を決めた。
あの高さから落ちて平気なのはすごい。大抵の場合、膝をついた機械巨人でも降りるのにはロープかハシゴを使うものだ。
状況を吞み込めず硬直したままの俺の元まで、その人は静かに歩み寄ってくる。
足取りはしっかりとしていて、僅かに揺れる上体からはしなやかさが見て取れた。
目の前で立ち止まると背の高さがよく分かる。
俺とほぼ同じ身長だ。相手は小顔で脚が長いのでプロポーションは比較しないでほしい。
「こんにちは」
「え?」
腰に手を当てたまま、挨拶された。
低くてカッコいい声である。
だがどうして至極真っ当なところから会話に入ってくるのだ?
まったく予想していない切り口のせいで戸惑ってしまう。
「挨拶も無しなのか?」
なんだろう、このデジャヴ。院長先生にも同じようなことを注意される。
反応が遅れているのは承知で返しておく。
「えっと、こんにちは」
「うむ」
満足してくれたらしい。
吊り上っていた目元が少し柔らかくなった気がする。
「今日は何月何日だ?」
「10月2日だけど」
「帝暦から教えてほしい」
どうしてわざわざ旧帝国の暦を聞いてくるのだろう。今は共和国の暦を使うのが一般的だというのに。
しかし、従わなければならない気がしてきた。
今年で終戦50年。幸いなことに帝国の歴史は956年続いたことは覚えている。
それらを足し算してやった答えを告げた。
「帝暦1006年10月2日」
「そうか……ありがとう」
見た目に反して何だか丁寧な人である。挨拶と礼を欠かさない主義なのだろう。
問題なのはその派手すぎる容姿だが……
「所属と名前を聞いてなかったな。キミは?」
「俺のこと?」
「他に誰もいないだろう」
「ヨルズ・レイ・ノーランド。所属は……無い。フリーだ」
「私は帝国軍皇帝親衛隊所属、ラインヒルデ=シャヘル。階級は大尉だ。よろしく」
咄嗟の握手に応じてしまう。
ラインヒルデと名乗った女性の指先は柔らかかった。
恥ずかしくなって視線を落とすと、相手の首元に紅い十字輝のマークがあるのに気付く。
頭が急激に混乱していく中で、俺は確かなことだけピックアップした。
この人が院長先生の手紙にあった『親愛なるラインヒルデ』で間違いないだろうか。
(ラインヒルデって……『ナイン・トゥエルヴ』のパイロットとして名を馳せたヤツだろ)
彗星の如く現れた正体不明の人物である。これまでの戦歴がほぼ無かったが、帝都包囲戦での活躍により名が知れ渡った。
分かっているのは若い女性ということだけ。
(もそも、50年も前に崩壊した帝国軍を今の時代で名乗ること自体がおかしいだろ?)
あるとすれば彼女が酔狂なマニアで、なりきっているということ。
何故なら、ラインヒルデ=シャヘルは先の戦争では20歳という若さだった。その年齢が語り継がれる理由のひとつでもある。
生きているとしても70歳……少なくとも俺と握手を交わした女性はそんな年齢には見えない。
「あんた、本物のラインヒルデ=シャヘルなのか? 帝国軍のエースパイロットの」
「この機体を見ても疑うのか?」
「いや……」
確かに圧倒的な説得力である。共和国の包囲網を突破して行方不明となった伝説の
どうして……という疑問を捨て置き、信じる方がよさそうである。
本来の目的に立ち戻るべきだろう。
「俺は、あんたに手紙を渡しに来た」
「封が切ってあるではないか」
差し出した封筒を見てラインヒルデは苦笑いを浮かべる。
これは弁明しなければならない。
「すまない。どうしても中身を確認しなければいけなかった」
「まぁ、いい。読ませてもらう」
内容は短い。10秒とかからないだろう。
目を細めたラインヒルデは何やら考え込んだ後、首を捻って俺の方へ向き直る。
そういえばあの手紙には「彼は貴女を救いに来ました」なんて書いてあったな……
「ヨルズと言ったな。キミが私を救いに来たというのはどういうことだ?」
いや、俺が聞きたいぐらいだよそれ……
とりあえず自分の知っている限りのことを話すことにした。
普段はアリーナの機士をしていること(今は干されているが)、孤児院の出身であること、そこの院長の手紙であること……
こうやって情報を開示すれば、ラインヒルデの方からも何か聞き出せると思っていた。
「アリーナとは何だ?」
「見世物で
「なるほど。実用価値のない兵器の再就職先としては適当だな。それでキミの孤児院というのは何か特殊な組織の隠れ蓑なのか?」
「……コメントし難いところだけど、院長先生は特殊かな」
随所随所で質問を浴びせてくる。どうやら現代に関する知識は無いようだ。
だが彼女はこちらの質問をはぐらかして何も答えない。
「キミの話は肝心な部分が理解できない」
「俺だって咀嚼するのに必死だよ、今……」
「いくら考えても分からないな。その院長とやらに直接、聞きに行く。案内してくれ」
「それは構わないけど……えっと……」
どう呼べばいいだろうか。
些細なことかもしれないが迷ってしまう。
名高い旧帝国軍人を相手にこんなフランクな喋り方でそもそも良かったのだろうか?
失礼があったかもしれないと後悔していると、ラインヒルデはその美貌に似合わず悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「軍属でないなら階級は関係ない。ラインヒルデと呼んでくれ。それでは頼むぞ、ヨルズ」
「よろしく、ラインヒルデ。ところでここから外に出るのが非常に面倒なんだが、それは承知しているかな?」
「問題ない。この壁を『ナイン・トゥエルヴ』で攀じ登る。キミは
廃坑の道は複雑で、戻るのに時間がかかる。
その懸念はすぐに払拭されたものの、次々に湧き上がってくる心配事に俺の胃はまた軋んだ。
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