最終話 ラストダンス

 迫り来る赤の海に、リオンとイノーラは立ち向かう。


 残されたリバーシブルはあと二回。


 リオンの裁縫籠手ミシンによって多少繕われたとはいっても、イノーラのドレスは最善の状態とは言い難い。


 おまけにリオンのドレスに至っては、いつ崩壊してもおかしくない状態だ。


 裁縫籠手ミシンでドレスを繕うため、そして糸を共有するために、リオンはイノーラとぎゅっと手をつないだ。


 追い詰められているのに、命がかかっているのに、気分は不思議と高揚している。


 高鳴る胸の鼓動をそのままに、リオンはイノーラと目配せをした。


「行くよ、イノーラ」

「うん」


 ドレスだったエトワールの奔流から、赤い帯が鞭のように飛来する。二人は手を放し、同時に布の中心めがけて走り出した。


 先に接敵したのはイノーラだった。まっすぐに突っ込んでくる攻撃を踏み込んで回避し、その側面を暴風を呼ぶ紫の刃で吹き飛ばす。


 対するリオンにも、遅れて布は襲い掛かった。リオンはコアから生成したシルクハットをくるりと回し、布めがけて投げつけた。


「ルレット!」


 設計した通り、シルクハットの縁はぎざぎざの歯になって、まさに布にしるしをつけるためのルレットの役割を果たす。布の上にあとをつけながら転がっていくシルクハットを追いかけて、リオンは手元に鋭い先端の杖を生成した。


 イノーラによって吹き飛ばされてきた布が、リオンに接近する。


 縫い付けるべきしるしが記された布と、接近する布が重なった瞬間、リオンは黒糸を纏わせた杖をしるしめがけて投げつけた。


「ニードル!」


 発火の特性を持つ黒糸が、布と布を縫い付け、その熱によって癒着させる。


 動きを封じられて蠢く布のそばに着地したリオンは、杖とシルクハットに繋がった糸を引っ張って、二つの武器を手元に引き寄せた。


「お見事」


 近くに着地したイノーラが、布の海を睨みつけながら言う。リオンはちらりと彼女を見て、ちょっと照れ臭そうに笑った。


「動けなくできる?」


 端的な問い。リオンはステッキを握りなおした。


「全体は縫い留められない。あちらのほうがきっと速い」


 二人めがけて布の追撃が襲い掛かる。彼らは飛びのいてそれをかわした。


「どうすれば止められる」


 後ろ歩きで地面を蹴り、イノーラは尋ねる。リオンもまた、下手くそなステップではあるが、布の奔流から逃れ続けていた。


「コアを見つけよう」


 リオンは左から迫ってきた布をステッキで遠ざける。


 ホープが胸元に下げていたドレスコア。この暴走の中心がドレスであるなら、それを壊せばこの事態も収束するはず。


「……ホープさんはまだ生きてるはず。助けなきゃ」


 思い浮かべたのは義母の事故。あの時は間に合わなかった。でも今回は間に合うはずだ。力強く言うリオンに、イノーラはこくりとうなずいた。


 リオンとイノーラは接近すると、一度手のひらを触れ合った後に、左右に分かれて走り始めた。


 赤色の布の束たちは、今や十メートルはありそうな巨大なドレスの化け物になっていた。まずは、動きを鈍らせなければ、コアの位置も探れない。


 降り注いでくる攻撃を避けながら、二人はドレスの横へと回っていく。


 左に回ったリオンに、化け物の袖が巨大な蛇のように襲い掛かる。正面から受けては勝ち目がない。彼は間一髪のところで避け、その側面にステッキの先を打ち込んだ。


 ルレットによるしるしがないので何針も縫うことはできなかったが、一撃を与えるだけならばそれで十分だ。


 ひるんだ袖の横をすり抜け、リオンは広がったスカートの裾の周りを走っていく。体は重い。足が止まってしまいそうになるのを、必死にこらえて駆け抜けると、ちょうど右側に回っていたイノーラと目が合った。


「今だ!」


 リオンの合図で、二人の手の間につながっていた何本もの細い糸が、力強い一本に結いなおされる。糸の色は緑。重なることによって発揮される、防御の色だ。


「せりゃあああ!」


 腕が持っていかれそうになるのを足とステッキで踏ん張ってこらえる。赤の化け物は、足元をひっかけられた形になってよろめき、後方に転倒した。


「イノーラ!」


 彼女はドレスに飛び乗り、胸を目指す。リオンもそれを追いかけてドレスを駆け上り、イノーラに向かって裁縫籠手ミシンを掲げた。


「青!」


 糸が飛び、イノーラが手袋から生成した刃へと縫い込まれる。


 紫に青。暴風と切れ味の色だ。


 イノーラは刃を振りかぶり、ドレスの胸部を切りつける。コアがあるとすれば、有力なのは戦姫ドレッサーがコアを身につけるこの場所のはず。


 刃がドレスの表面をえぐり、切り裂く。同時に、ドレスの内側から猛烈な熱気が噴き出した。


「熱っ!」


 ひるんだリオンは後ずさってしまう。イノーラはその勢いに耐え、さらに数度、傷口を暴風の刃で切り裂いた。


 悲鳴のような咆哮のようなすさまじい音が響き渡り、まるで痛覚を持っているかのようにドレスは暴れだす。さらにその場所をえぐろうとしたイノーラに、振り回された袖が襲い掛かろうとした。


「危ない!」


 リオンはイノーラに体当たりをしてそれを避ける。ドレスはゆっくりと起き上がり、二人は胸の上から落ちそうになる。


 墜落の間、時は緩やかに流れる。落ちていく二人の目に入ったのはイノーラによって切り裂かれた傷口。その赤色の布の中に巻き込まれる、ホープの姿。


「ホープさん!」


 見開かれた彼女の目が何を見ているのかは分からない。ただ、その口元がかすかに動いた気がした。


 それに気を取られていたリオンたちを、胸元から膨れ上がってきたベールが襲う。熱を持ったそれを正面から受けた二人は、なすすべなく宙に吹き飛ばされた。


 空中でなんとか体勢を立て直そうとする二人。そんな彼らを襲うリボンの追撃。


 薄くて素早い布が、二人に何度もたたきつけられる。そのうちの一枚にルレットのあとをつけたリオンは、ステッキを投げつけてリボンを一枚に縫合した。


 しかし、イノーラはその攻撃をさばききれず、リボンに巻き付かれて包み込まれてしまう。


「イノーラ!」


 自分が縫い付けたリボンの残骸に着地したリオンが助けに向かおうとする。

 小さく、宣言が聞こえた。


着装セット


 その途端、イノーラにまとわりついていた布がスパンと切り払われる。リボンから脱出してきたのは、暴風の紫ではなく、接近向きの白の衣装を身にまとった彼女だった。


「危ない」


 どこか他人事のようにイノーラは言う。リオンはほっと胸をなでおろした。


 何も付与していない紫では接近した布を断ち切るのは難しい。ここで使ってしまったのは惜しかったが、最適な判断だ。


 リボンから逃れた二人は、ドレスから距離を取って一度合流しようとする。だが、二人が向かうちょうど先に、赤色の奔流は洪水のように押し寄せて、地面を赤色で覆いつくそうとしていた。


 ――まずい。このままでは赤色に飲み込まれて共倒れだ。


着装セット


 呟かれた言葉の直後、イノーラは大きく旋回し、激しい暴風を赤色のカーペットにたたきつけた。布は次々にめくれ、二人が着地する場所を作り上げる。


 リオンとイノーラは出来上がったその場所に降り立つと、再び手をつないだ。


 ありったけの糸を使って、イノーラのドレスを修復していく。しかし、リバーシブルを使い切ってしまったドレスは、その負荷に耐え切れず、ところどころが破れてしまってひどい有様だ。


「もう一度、着装セットして、刺突ピアシングでコアを狙う」


 攻めあぐねている周囲の布を睨みつけながら、イノーラは言う。確かにあの防壁を貫くのなら貫通力のあるそれが現実的だ。だけど――


「でも、イノーラ。もうリバーシブルは……」

「いける」


 強い口調でイノーラは言う。


「あと一回、やってみせる」


 視線を向けられないままのその言葉に、リオンは一瞬だけ考えた後に鋭い眼差しを前方に向けたまま答えた。


「コアには一撃じゃ届かない。だから……」


 裁縫籠手ミシンに力を籠め、ステッキを構えなおす。


「僕がコアまでの道を作る」


 姿勢を低くし、彼女から手を離す。リオンは叫びながら駆け出した。


「イノーラは紫で時間を稼いで!」


 返事を聞かないまま、リオンは前方の布の上へと飛び乗った。蠢く布たちはリオンを捕らえようと変形し始める。だが、後方から吹き付けた暴風に、赤の布はなびいて動きを止めた。


 そのすきをついて、リオンは布の上を駆け始める。熱を持った赤色を革靴で蹴るたびに、布と足の裏を炎であぶられているかのような灼熱が襲う。


 糸はさっきの修復でほとんど使い切ってしまった。このドレスが発火するまで幾ばくも無いだろう。でもそれでいい。その方が好都合だ。


 布の海を飛び越え、なだらかなスカートの斜面を駆けあがる。


 確かにステッキで一枚一枚を縫い留めるのは難しいかもしれない。だけど、黒の糸で縫うのではなく、広範囲を発火させれば、一時的とはいえ相手の動きは止められる。


 エトワールはそう簡単には燃えない。でも、たとえすぐに消し止められてしまうとしても、その一瞬さえあればイノーラが決めてくれるはずだ。


 背後からは追いかけてくる風は、リオンの通る先を薙いでくれている。耳元につけたままになっていたイヤホンから、イノーラの鼓動が伝わってくる。


 伴奏はない。だけど動ける。今は、お互いの鼓動こそが、僕たちの音楽だ。


 投げつけたシルクハットで作ったしるしめがけて、ステッキの針を投げる。急こう配になっている腰にそれで踏み台を作り、リオンはドレスの胸の上まで飛び上がった。


 黒のドレスの裾がちりちりと燃えている。腕を振り上げる。白手袋が刃の形となり、黒色が手袋に炎を纏わせる。リオンは炎に染まりつつある燕尾服に顔を歪めながら、ドレスの胸をまっすぐ縦に切り裂く形で、それを振り下ろした。


 手袋の短い刃が赤色のエトワールに触れる。チリッと発火音が響く。赤のレースがへこみ、黒ずみ、裂けていく。黒ずみはやがて下地まで到達する。リオンの体がドレスの海の中に飛び込む。燃え上がり、消し止められ、癒着していくドレスの布たち。イノーラが切り裂いた、ホープがいた箇所まであと少し。


 燕尾服の尾が完全に燃え上がる。袖がほつれ、ズボンも分解され、全ては炎となっていく。


「届けぇええええ!」


 力の限り叫び、リオンは持ち上がっていた腕を振り切る。勢い余って回転した視界の中、銀髪の少女が飛び上がったのが見えた。


着装セット!」


 鋭い掛け声とともに、イノーラのドレスは裏返り始める。そのすきをついて、布の波が襲い掛かる。彼女は崩れ切っていない紫色の腕を振り切り、わずかに残された風で赤い布をひるませた。


 数瞬後、彼女は純白のウェディングドレス姿に身を包む。その真っ白なつま先が鋭く変化する。


刺突ピアシング!」


 イノーラの声。突き下ろされる彼女のつま先。灼熱の赤色の中に落ちていきながら、リオンは叫ぶ。


「いっけぇええええ!」


 鋭利な刃が残された布の障壁を貫く。手を伸ばし、燃えながら、リオンは落ちていく。


 パキッと、何かが砕ける音が小さく響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る