第十四話 彼女のためのドレス

 作業台の上に大判の紙を広げ、三辺を固定する。


 今の時代、デジタルで製図する人がほとんどだが、リオンは義父に教えられて慣れ親しんでしまったアナログで、製図の元になるラフを描くことが多い。


 あらかじめ隅々まで採寸しておいたイノーラの体型を参照しながら、小さな紙に書かれたスケッチを大判に起こしていく。


 その際、発揮される機能を考え、大判に起こしたときに気が付いたバランスを調整し戦姫ドレッサーが動きやすいように全体を整えるのも戦姫技師ソーイングの仕事だ。


 鉛筆で引いた線を何度も消しゴムで消し、型紙から予想される形を明確に想像しながら再び線を引いていく。


 出来上がったラフをもとに、定規を操って型紙を書き上げる。やがて紙の上に線の集合体が完成し、リオンは大きく息を吐いた。


「……さてと」


 次はいよいよ縫製だ。裁縫籠手ミシンを使って星の糸を操り、型紙に合わせてエトワールを構築。トルソーにそれを纏わせ、糸で縫い合わせる。

 最終工程に進む前に、リオンは額に浮かんでいた汗をぬぐって、工房から居間に出た。


「リオン」


 休憩をしようとしていたリオンを、ちょうど義母の部屋から出てきたマドックが呼び止める。彼の手には一着のドレスがあった。


「これを使ってみないか」


 差し出されたのは、純白のウェディングドレスだった。意図が分からず、リオンはマドックの顔を見る。


「母さんが使っていたドレスだ。比較的小型だから、調整をすればイノーラでも着れると思う」


 神妙な顔で続けるマドックに、リオンはすぐには答えなかった。


「予選はうまくいったが、本戦はきっと難関だ。勝てる力があるドレスを使ってほしい」


 真正面から言うマドック。それは自分のことを思いやっての言葉だと、リオンには理解できた。――だけど。


 リオンは、目の前に出されたウェディングドレスを見て、それからマドックの顔を見て、ふっと微笑んで首を横に振った。


「ううん、義父さん」


 穏やかな表情でリオンは否定する。マドックはちょっと驚いた顔でドレスを持っていた手を引っ込めた。


「僕は、イノーラが着る、イノーラのためのドレスが作りたいんだ」


 堂々と言い切ったリオンに、マドックは何度か目をしばたかせた後、どこか寂しそうに微笑んだ。


「そうか」

「うん。ごめんね、義父さん」


 少しだけ罪悪感にかられたリオンだったが、マドックはゆっくり首を横に振った。


「いいや、いい。お前の選択だ。俺は応援する」


 リオンは大きく頷くと、水を飲もうと台所に向かおうとした。そんな彼を、マドックは呼び止める。


「リオン」


 彼は振り返る。マドックはリオンの頭にぽんっと手を置くと、がしがしと髪を撫でまわした。


「一皮むけたな。親として……いや、師匠として誇らしいぞ」


 それは、何よりの誉め言葉だった。リオンは撫でられた頭を両手で押さえながら、えへへっと目を細めて笑った。






 出来上がったドレスを持って、リオンは病院の廊下を駆けていく。


 途中何度も看護師や患者にぶつかりそうになっては、謝りながら走っていき――とある処置室の中へとリオンは飛び込んだ。


 驚いた顔の人たちが振り返る。そこには処置椅子に腰かけたイノーラと、彼女にヘッドドレスをつけようとしている看護師の姿があった。


「間に合った!」


 ぜえぜえと息を切らしながら、リオンはイノーラに歩み寄る。彼女もまた、椅子から立ち上がってリオンの前に歩いていった。


「はい、これ」


 リオンが彼女に手渡したのは、紫色を基調とし、フリルに彩られた可愛らしいドレスだった。


 紫。かつてのイノーラが憧れた、ライラックの色。それを受け取ったイノーラは、はにかんで笑った。


 彼と彼女の目が合う。リオンはちょっとだけ意地の悪いことを口にした。


「これじゃ踊れるダンスは限られるね」


 イノーラは静かな眼差しでリオンを見て、首を振った。


「それでいい」


 まっすぐに彼女は彼を見る。彼もまた、彼女をしっかりと見つめている。


「これは私のドレス。リオンが作った私のためだけのドレス」


 彼女は手渡されたドレスをぎゅっと胸に抱きしめた。


「見届けて。私は最高のダンスを踊ってみせる」


 その宣言に、リオンは大きく頷いた。


 イノーラは再び処置椅子に腰かけ、彼女の頭部にヘッドドレスが装着される。イノーラがドレスをまとうために必要な儀式だ。豊かだった彼女の表情が、氷のように冷え切っていく。


 処置が終わり、イノーラは立ち上がる。彼女とリオンはぱちりと目が合う。

 イノーラの表情は一ミリも動かない。

 だけど、その瞳の奥に宿った炎は消えていない。そこに確かな絆を感じて、リオンは堂々と彼女の眼差しを受け止めた。






 本選まであと数日。最終調整のため、イノーラは早めに退院した。


 自宅への通り道にある公園を二人は歩いていく。秋風は容赦なく二人に吹き付け、ほぼ冬といっても過言ではない陽気だ。


 ざあっと風が通り抜け、落ち葉がわずかに巻き上がる。その勢いに目を細めると、前方に立ちはだかる人物に二人は気が付いた。


「アレックス、ステファニー……」


 つい先日試合で打ち負かしたエアハート兄妹は、神妙な顔で二人が歩いていく方向に立っていた。


 今更何の用だ。もしかしてまた嫌味を言われるのか。


 むっとしたリオンは、険しい顔のままイノーラとともに彼らの横を通り過ぎて立ち去ろうとした。


 しかし、そんな彼の背中に、アレックスは叫ぶように声をかけた。


「リオン!」


 彼は振り返る。アレックスとステファニーは何度も言いよどんだ後、ぼそぼそと告げた。


「悪かったよ。いじめるような真似して」

「……ごめんなさい」


 頭を下げながらの素直な謝罪の言葉に、リオンは驚いて目を丸くする。


「俺たち、うらやましかったんだ。才能があるのにお前が技師にならないのが悔しかったんだ」


 うつむいたまま、アレックスは続ける。

 じゃあ、イノーラが見抜いた彼らの気持ちは本当だったのか。彼らはただ、自分のことを気にかけて、悔しくて、あんな行動をとっていたのか。


 わずかに残る怒りと寂しさがまじりあった表情でリオンは口を開きかける。だが、それよりもアレックスが顔を上げるほうが早かった。


「だからここで、もう一度戦え」


 リオンはきょとんと目をしばたかせる。アレックスとステファニーはまっすぐにリオンを見るばかりだ。


「戦うってなんで……」


 疑問を口にすると、横からイノーラがちょいちょいとリオンの袖を引いてきた。


「リオン」


 彼女に目を向けると、感情を感じさせない目でイノーラは言った。


「意地」

「え?」

「意地と、ケジメ」


 そうなの? という意味を込めてエアハート兄妹を見る。彼らはぐっと背筋を伸ばして、リオンを見ていた。


「正真正銘、一度きりの勝負だ」


 まじめな顔で真正面からアレックスは言う。


「どちらが勝っても恨みっこなし。それでどうだ」


 リオンは理解した。これは、彼らのプライドと僕たちのプライドの問題だ。僕たちの仲たがいを終わらせて、再び友達に戻るための儀式。

 だったら、受けない手はない。


「……分かった」


 リオンはこくりとうなずき、不敵な笑みを浮かべる。


「手加減はしないからね」


 傍らのイノーラも胸を張って、二人を見据えた。二人もまた、リオンたちを見てにやりと笑う。


「それはこっちのセリフだ」

「けちょんけちょんにしちゃうんだから!」


 両者は少し離れて向かい合い、互いに胸元のドレスコアに手をやった。


着装セット!」


 ぶわりと糸が展開され戦姫ドレッサーたちはドレスをまとう。

 観客はいない。それでいい。

 誰に見せるでもない二組の戦いが幕を開ける。

 戦姫ドレッサーたちは地面をける。

 鮮やかな交錯、変形、また交錯。

 色と色がぶつかり合い、星の糸がきらめきを散らす。

 やがて――エアハート兄妹のコアが砕け散る音が、公園の中に響き渡った。

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