第三話 初訓練

「え?」

「戦姫?」

「あの子、男の子よね?」


 突拍子もないその言葉は観客席に響き渡り、リオンは周囲の全員に奇異の目を向けられる。一呼吸後にそれを自覚した彼は、赤面して椅子に縮こまった。


 マドックはそんなリオンの肩に静かに手を置いた。


「そうは言ってもな、リオン。バトルドレスは危なくて、男には着れないんだよ。それはお前も分かってるだろう?」


 まっすぐに告げられた正論に、リオンは何も反論ができなかった。ただうつむいたまま、彼はぶつぶつとつぶやく。


「分かってる、分かってるよ……」


 膝の上で握ったこぶしに力を入れ、羞恥とやりきれなさを飲み込もうとする。マドックはリオンの頭に手を置いてがしがしとかき回した。


「ちょっ、やめてよ義父さん!」

「ははは悪い悪い」


 ただでさえぼさぼさの髪をさらに乱され、リオンは不機嫌そうに唇を尖らせる。マドックは優しい笑顔で、彼の顔を覗き込んできた。


「ほら、物は試しだ。演習場に行って、イノーラと一緒に練習してみよう、な?」


 それが善意からの行動であることは、リオンにも痛いほど分かった。そして、それを無視することができるほど、彼は押しに強くなかった。


「……分かった」


 しぶしぶ口にした了承の言葉に、マドックはじわじわと満面の笑みになっていき、リオンの腕をとって、勢いよく立ち上がった。


「じゃあ行くか! 実はもう二階の演習場は取ってあるんだ!」


 そのままのしのし歩きだす義父に引きずられる形で、リオンは公営ドームの出口へと向かっていく。


 リオンはもうどうにでもしてくれという諦めの気持ちで、なんとか義父の歩幅に合わせて歩き出した。


 その後ろをイノーラはとてとてとついてくる。リオンは義父の手から逃れると、彼女の横に並んでぼそぼそと尋ねた。


「君は、僕の戦姫になることに何も思ってないの? 僕、学校も出てない見習い技師未満なんだよ?」


 イノーラはリオンに目を向けることなく、端的に答えた。


「別に」


 リオンは瞠目して、うつむいた。


「気にしてないならいいんだけど……いや、よくないけど……」

「別に、どちらでもいい」

「へ?」


 彼が顔を上げると、イノーラは彼の顔をじっと見つめていた。


「誰でもいい」


 無表情で告げられたその言葉に、それはそれで腹が立って、リオンはイノーラを置き去りにしてマドックの後ろを歩き出した。






 同じ建物の二階にある第三演習場は、静まり返っていた。


 イノーラと一緒に誰もいない空間に放り込まれ、リオンは落ち着きなくあたりを見渡す。天井の電灯が手前から順番につき、二十メートル四方の部屋が照らされた。


 部屋の右端には技師席があり、そこから戦姫の補助をする練習ができるようになっている。リオンは大きく息を吐くと、表情一つ変えずに立つイノーラを振り返った。


「ねえ。君のドレスコアは……」

「持ってる」


 端的に答えると、彼女は部屋の中央近くに作られた基本位置スタートポジションに向かっていってしまった。


 リオンはあっけにとられたままそれを見送り、数秒後に我に返って自分も技師席へと向かっていった。


 技師席は強化ガラスで覆われた直方体の小部屋だ。側面につけられた金属製の重い扉を引き開けると、学生時代によく見ていた器具たちが姿を現す。


 中央に戦姫技師の座る椅子、その前にはまるで鍵盤のように並べられたボビンの山、右手には裁縫籠手ミシンが置かれ、その隣には戦姫と旋律とリズムを共有するためのイヤホンがある。


 彼は椅子に座るとイヤホンと裁縫籠手ミシンをはめて、技師席の外に立つイノーラに意識を集中した。


 器具によって感覚が一部共有され、リオンはイノーラの右手が胸の前にぶら下がるドレスコアに触れるのを、自分のことのように感じていた。


着装セット


 小さく呟かれた起動の言葉。それに導かれるようにドレスコアはほどけ、簡素なワンピースを着た彼女の全身に巻き付いていく。


 ドレスコアは、その内側にあらかじめ設定されたドレスを起動によってまとうことができる物体だ。


 閉じ込められていた星の光がきらめき、糸の奔流が彼女の体を包み込み――数瞬後に現れたのは、エトワール星の布らしきものが特に見当たらないイノーラの服装だった。


「えっ?」


 思わず声を上げて、半分腰を上げてしまう。


「今、着装セットしたよね? ドレスはどこに……」

「これ」


 イノーラはリオンを振り返り、自分がまとっている白色を指さした。


「これが、私のドレス」


 言われた意味を、リオンはすぐには理解できなかった。

 それは、ドレスというよりも、体に密着したボディースーツだった。関節には防具が備わり、足首や腕には何かを調整するための黒い帯が巻き付いてはいたが、それ以外に装飾らしきものはどこにもない。


「邪魔なものは全部取った。必要ないから」


 堂々と彼女は言い放つ。


 邪魔なものというのは、袖やヒール、フリルやスカートのことだろうか。


 リオンはそうやって思考しようと試みたが、それよりも体の凹凸がはっきりと出ている彼女がほとんど裸でいるように見え、彼は赤面して彼女から顔をそむけた。


「何か問題がある?」

「い、いえ。ないです!」


 うつむいたまま叫ぶ。イノーラは小首をかしげてリオンの指示を待っているようだった。


「とっ、とりあえずマネキン相手に練習してみよっか」


 どぎまぎしながらもリオンは技師席に備え付けられた訓練装置を起動する。ブゥンと音が鳴り、首からドレスコアをかけたマネキンが床からせりあがってきた。


 リオンが装置のボタンを押し込むと、コアは光り輝き、一瞬ののちにマネキンは緑色のローブ姿になった。


「まずはあれを攻撃してみて。ちなみにあのドレスの特性は……」


 彼が言い終わるより前にイノーラは動き出していた。


 イノーラは軽く床を蹴ると、滑るように足を動かしてマネキンへと接近した。


 一、二、三。

 一、二、三。


 三拍子のリズムだ。足運びから考えるにタンゴの基本ステップだろうか。


 リオンはその優美さに一瞬目を奪われ、イノーラの攻撃を見て慌てて腰を浮かせた。


「ああっ、待って待って!」


 彼女は手首に巻き付いていたリストバンド風の布を解いて、それを硬化させて何度もドレスを切り付けていた。


「待ってよ、それじゃダメなんだって!」


 イノーラはかかとをカンッと打ち付けて立ち止まり、不思議そうに首を傾げた。リオンはその視線を正面から受け、彼女から目をそらしながらぼそぼそと答えた。


「あれは緑色の重ねられたローブだから、防御力が高いんだよ。だから、ただ攻撃するだけじゃだめで、その……」

「何?」


 感情がほとんど感じられない声で問われ、リオンはますます委縮して小声で言う。


「一点集中の蹴りとか……そういうもので穴をあけるイメージでいかないと」

「分かった」


 彼女は即答すると、手首から伸びていた包帯めいた布をしゅるりと元の場所へと戻した。そして、標的を見つめながらつぶやく。


刺突ピアシング


 彼女の足首の黒い帯が浮き上がり、そこから現れた白色が針のように鋭い靴を構築する。


 白色のエトワールは、ほとんど星の光を拡散させずに作った基礎の布だ。すべての布の特性を少しずつ持っているが、逆に言えば器用貧乏になりかねない上級者向けの布。


 彼女はきっと、それを変形させることによって、他色の布の特性を引き出そうとしているのだろう。


 イノーラは一度標的から距離をとると、まるでバレエダンサーのように鋭いつま先だけで踏み切って、その先端を緑色のローブに叩き込んだ。


 ――パキンと音がして、訓練用のコアは砕けた。


 よかった、うまくいった。


 リオンは大きく息を吐き、別のコアを訓練人形に装着するスイッチを押し込んだ。


「じゃあ次にいこうか。今度は黄色のエトワールで……」


 再び言い終わらないうちにイノーラは動いていた。その足に装着されているのは、先ほどの刺突のつま先だ。


「ちょっと待って、それは反射の特性がある黄色だからぁ!」


 イノーラは正面から攻撃をしかける。訓練ドレスはそれを受け止め、イノーラは逆に宙へと跳ね返される。


 だが、それでも彼女はその攻撃をやめなかった。


 一度、二度。


 愚直に同じ攻撃を続けるイノーラ。リオンは技師席から身を乗り出して必死に訴えていた。


「待って、ちがっ、その戦い方じゃだめ――」


 強烈な一撃が黄色のドレスに入り、しかしそれと同等の力でイノーラは吹き飛ばされた。激しい音を立てて壁にぶつかり、彼女は鋭い足の変化を解いて頭を押さえていた。


「……痛い」


 どこか他人事のように言うイノーラに、リオンはただ言葉を失っていた。


「な、な……」


 イノーラはリオンを振り返る。彼は衝撃からなんとか立ち直り、立ち上がって叫んでいた。


「なんで言うことを聞いてくれないんだ!」


 怒鳴られた側の彼女は目をぱちくりとさせて答える。


「聞いてる。あなたが蹴りを入れろと言ったから、蹴りを入れた」

「それはさっきの話でしょ! 今は違うじゃないか!」

「私はあなたの指示を聞いただけ」

「臨機応変って言葉知ってる!?」

「知らない」

「そっか! 覚えて!」

「断る」


 頭が痛くなる思いがして、リオンは額を押さえた。


「ええ、なんで断ったの……」

「実は知ってるから」

「なんで嘘ついたの!?」

「臨機応変とかよく分からない」

「そっか……そっかぁ……」


 これはだめだ。話が通じない。


 がっくり肩を落として、大きく息を吐く。


「はぁ、もう分かったよ」


 きっとこれ以上は言っても無駄だ。だったら、できる範囲のことをするしかない。


 リオンは耳のイヤホンを確認し、エトワールを構成する星の糸が巻かれたボビンに手を置いた。


「ほら、君は好きに踊って。僕が合わせて伴奏を流すから」


 戦姫と戦姫技師は、コレクション中、聴覚を共有している。そこで流れる音楽によってバディの二人はリズムを取り、息を合わせて補助をすることができるのだ。


 しかし、イノーラは心底不思議そうに首を傾けた。


「なぜ?」


 逆に何を問われたのか分からず、リオンは眉を寄せた。イノーラはそんな彼をじっと見ながら、しごく真面目そうに告げた。


「音楽なんて必要ない。そんなものがなくても、私は踊れる」

「えっ……え?」

「音楽があると踊れるダンスが少なくなる。なぜそんなことをしないといけない?」


 リオンは口をぽかんと開けた。


 確かに音楽が流れれば、戦姫の好きなようには踊れないだろうが、そんな論理があっていいものか。


 ふつふつと湧いてくる苛立ちを声に乗せ、リオンはボビン台をダンッとたたきながら叫んだ。


「きみたちが踊りやすいようにだよ! 戦姫と技師が力を合わせないとバトルダンスにならないでしょ!」

「なぜ? 戦姫の力は戦姫のもの。技師がなくても私は踊れる」

「あーーーもう! なんで分かってくれないの!」


 リオンはがしがしと自分の頭をかきむしった。イノーラはそんな彼をじっと見つめていたが、数秒考えこんだ後、こくりとうなずいた。


「分かった」


 その言葉にリオンはぜえぜえと言いながらではあるが、正気に戻った。だが、次の彼女の言葉にリオンは再び天を仰ぐことになる。


「私は何でも踊れる。だからあなたが好きに使えばいい」

「そういうことを言ってるんじゃなくてー!」


 リオンの大声が、部屋中に反響する。イノーラは全くそれが堪えていないようで、また不思議そうに小首をかしげるばかりだ。


 そんな二人の間を遮るように、外で待っていたマドックが演習場に入ってきた。


「おーい、そろそろ帰るぞ二人ともー。もうすぐ日が暮れちまう」

「義父さんからもなんか言ってやって! この子、全然人の話聞いてくれない!」

「ははは、戦姫と技師の関係なんて最初はそんなもんだ。じきに慣れていくさ」


 お気楽な義父の言葉に、リオンは再び頭を抱えて叫んだ。


「うがーーー!」

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