律稀

  何故か幼い頃から「普通にカテゴライズされる」ものに惹かれなかった。私はいつも変わった子供だった。普通の女の子が好きなものを好きにはならず、どこか「真っ当な人間」から外れたものを選んでいたように思う。

 小さい頃から何故か彼岸花が好きだった。あの花火を集めたような花が。夏に忘れられ、置いていかれた花火の無念さを晴らすかのように、真っ直ぐに天に向かって伸びる。葉など付けないところにもある一種の貴高さを感じていた。空に咲けなかった分、地上で、空よりも鮮やかに色付くあの赤が。何よりも、どんな花よりも美しく思えて。

 ──それの不吉さも知らずに、ただ心惹かれていた。





「思えば、小さい頃からそうなの。私ってね、いつもいつも変わってた。不吉なものにばかり惹かれてるの」

 そう言って妖艶に笑う。なんでだろう、同い年の彼女をそう感じたことは無い。だからって、いくつに見えるとか考えたことないけど。笑い方も、話し方も、落ち着き方も年齢離れしてる。でも、どこかそれ以上に、何かから離れているような。この違和感が消えたことはない。

「ほら、貴方も私のこと変わってると思ったこと、あるでしょう? 本当、私って浮世離れしてるって言えば正確かしら。常識も普通も、私を避けて通ってるみたいね」

 笑っちゃう、なんて言いながら頼んだカプチーノを一口啜る。彼女から寂しさなんか感じなかった。古びた喫茶店でこんな話なんて、似つかわしくない。でも、昼のこの廃れたと一般人には思われるであろう空間は、正しく彼女のような、そんな気がした。妙に「ワケあり」という言葉が似合うあたりが。

「僕にその感覚が分かると思ったの?」

「まさか。貴方ほどこの話を理解するなんて似合わない仕事する人なんていないでしょ」

 バレてたか。そう、彼女に最初に話しかけたのは罰ゲーム。そうでもなきゃ、極力彼女に関わりたくない。不思議な空気を纏う彼女を、僕はどちらかと言えば疎ましく思っていた。

 クラスの和を乱していてもいつも微笑を浮かべている彼女が、普通を選びたい僕の邪魔をしているようで。

「……悪かったとは思ってるけど、でも」

「私に誘われるとは思ってなかったでしょ? それに、私は別に罰ゲームだのなんだのは気にしてないの」

 きっと、気にしてないに特別な意味なんか無い。でも、それでも僕の罪悪感が消えるわけでは無い。そんな僕を知ってか知らずか、彼女は続ける。

「それよりも、普通の貴方から見た私の姿の方が気になるの。知ってる? 彼岸花って死人花とか地獄花なんて呼ばれたりもするの。しかも毒まであるの、毒の華よ?」

「……それは調べたの?」

 不吉なことを口にしているわりに普段と全く変わらない、それどころかいつもよりも楽しそうな口ぶりだった。

「そう。『変な子』の原点だからねぇ、知っておきたかったの。それだけじゃ無いんだけどね」

 かちゃんと皿が鳴る。もう湯気はたっていない、ココアの入ったカップにそっと手を添えると、じんわりと温みが伝わってきた。

「君は、僕を普通だと思ったんだ」

「貴方以上に普通であろうとする人を見たことがないの。私には縁遠いものだけど、貴方にはとても大切な自分の中の柱でしょう?」

 今まで聞こえてこなかったBGMがいきなり聞こえてきた。喫茶店の雰囲気に合った、ゆったりとしたジャズ。何の楽器なのか僕には判断が出来ないけど、とてもいい音だななんてぼんやりと頭に浮かんだ。

「…………そう、見えてたんだ」

「他の子が気付いてるのかまでは分からないけどね」

「僕は、君はいない方がクラスが団結したりとかそういうのが楽になると思ってる。異常なのが混じっちゃいけないから」

 異常。正常。逸脱。普通。違和。常識。

 皆に合わせなきゃいけない。足並みを揃えて、同じ方向を向いて。そうすれば生きていける。何事も心配することなんて無く、平和に。その平和は、乱してはならない。

「そりゃそうでしょう。だって不純物が混じってない方が強いもの」

「……怒らないの」

「怒るほどのことでもないと思うけど? それよりも、私の話にはまだ続きがあるの。聞いてくれる?」

 ゆっくりと頷く。正直、何も考えずに頷いていた。いらないと正面から相手に言われたはずなのに、飄々とした態度を取っていられる彼女が僕には理解出来なかった。理解出来ないことが、恐ろしかった。

「私を彼岸花に喩えるとするならね、クラスの、あの……長い髪をお団子にしている子は毒苺になると思うの。私は全身に毒があるから近付けない。でも、ああいう子達は毒があるとは分からないまま近付いて食べた人を殺すんだわ。性格の悪い喩えだってのは分かってるわよ? でも私だけに毒があるなんて、流石に酷いと思うのよね」

「……クラスメイトの名前くらい覚えてあげてよ」

「覚える気無いもの。安心して、貴方はちゃんと覚えてるから……あとは、そうね。物心ついてすぐの頃に、父方の祖母が病院にいてね、見舞いに行くことになった時。見舞いの品を花屋に買いに行ったの。母に好きな花を選んでねって言われたから、私は選んだの」

 唾を飲んだ。喉仏の動く感覚が何故か気持ち悪いものに思えた。彼女は少し楽しそうな顔をしてカプチーノをティースプーンでかき混ぜていた。かち、かちと金属音が静かな喫茶店にジャズと一緒に響いていく。

「私からすれば、母が驚いている方がおかしなことだったけどね。だって、好きな花を選べと言われて選んだのに、奇異の目で見られるなんて、変な話でしょ? 私はね、菊を選んだの」

「………………」

「今でも忘れられないわね、あの顔。それから少ししたら、祖母祖母は死んでしまったの。幼くて、死なんて私には理解出来なかったけど、葬儀場に菊の花があってね。なんでここにあるのにお見舞いに持って行っちゃ駄目だったのなんて聞いたの、私。不謹慎だって怒られたわ」

 僕は何を言えば正解になるのだろう。彼女と対峙していると、間違えてはならない、迂闊なことは言えないという気持ちになる。

「本当はもっと酷いことも言ったのだけど、それはもう思い出したくないの。何も分からない幼い子供とは言っても、流石にあれはなかったと反省してるの。子供は残酷だなんてよく聞くけど、私以上に酷い人っているのかしら」

 そう言って彼女は唇を歪めて笑った。明らかにいつもの彼女とは違った。滑稽でしょうなんて自虐のように言う言葉も、どこから出てきているのか分からなかった。結局、僕が絞り出せたのは、本当に「普通」のことだった。

「……子供に何が不吉なのか分かるはず無いよ」

「慰めてくれるの? 優しいのね、でも重なりに重なるとそれはとても不気味でしょ」

「……まだ何かあるの」

「極めつけが落椿よ。首が落ちるのに似ているなんて、子供に想像つくと思う? でもそれを疑いたくなった気持ちも分かるの。ただ落ちてるだけの椿じゃなくて、私は花が落ちていくところに惹かれたんだもの」

 僕の喉が鳴って変な音がした。何にどう言ったらいい? 分からない。

「怖かったと思うわよ。自分の子供がそんなことを目をキラキラさせながら言ってるなんて。卒倒しちゃう人もいるんじゃない? ちょうどね、祖母の葬式が終わって少しした頃の話なのよ。この子が死を引き付けているんじゃないかなんて思われて、母の精神がおかしくなって。普通じゃないの。私は、母にとって疫病神みたいな存在なのよ」

 何で、そんなことを。どうして僕に話す? 僕には分からない。僕は普通だから、特殊じゃないから。分からない。

「何で、そんなことを僕に話すの……?」

「ごめんなさいね。貴方なら、優しくて嫌いなはずの私との約束もきっちり護ってくれるほど律儀な貴方なら、聞いてくれると思ったの。私のこの異常を考えてくれるんじゃないかって。本当に、可哀想な人だわ」

 カワイソウって何。僕が考えるって、知らない世界のことなんて、分かるはずないのに、分からない、分からないことはいけないんだ、間違えちゃいけない、どうしよう、どうすればいい? 僕には分からない、間違えられない、どうしよう、コワレソウダ。




「どうせ死ぬんだったら、菊をあげても変わらなかったじゃんなんてねぇ……」

 忌々しいと恨んでいた訳じゃない。でも、特別好いていた訳でもない。お祖母様の葬儀でこれを言ってから私の目はおかしくなった。

「仕方ないわよねぇ、だって私人間の姿した死神だもの。そう呼び始めたのも貴方でしょう、お祖母様?」

 きろきろと焦点の合わない目を動かせる死人。彼女に取り込まれそうになっていた、あの哀れな少年が、もう私に関わることはないだろう。

「ね、お祖母様、クラスメイトに何かされるのは困るの。孫娘から離れて他人に迷惑かけるなんて、駄目なのよ?」

 ごにょごにょと発される恨み言。はっきり聞こえなくなったのは最近のこと。きっと、もうすぐ。

「私に飽きたら、成仏してね。その時は曼珠沙華を捧げるから」


 私は彼岸花。別名、曼珠沙華。天界の華であり、毒の華。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

律稀 @unable

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ