第11話 図書室

 恋愛相談が終わった数日後。

 僕は放課後、図書室にやってきていた。

 帰宅部と言うこともあり、普段は公務員よりも早く帰宅するのだけど、今日は借りた本を返却しにくる必要があったのだ。

 受付にある返却棚に借りた本を挿した。


 ……この前、借りようと思ったけど借りられていた本。もう返却されたかな。ちょっと様子を見に行ってみるか。


 僕は棚のところへと歩いていった。

 小説家の人名順に作品が並んでいる。


 ――おっ。あったあった。


 お目当ての小説に手を伸ばした時だった。背表紙を掴んだ途端、隣から伸びてきた手が僕の手の甲の上に重なった。

 ピタリ、と。

 それはドラマとかでしか見たことがないような光景。


「あっ……! すみません……!」


 僕は慌てて手を引いた。

 クスクスと隣から笑い声が漏れてくる。

 ――えっ?


「ふふっ。守谷くん。そんなに慌てなくても」


 見ると、白石が口元に手をあてがいながら微笑んでいた。その表情はまるで満開の花が噴きこぼれるかのようだ。


「今のリアクション、凄かったね。『すみません……!』って言ってから手を引っ込めるまでのスピードは世界新だったんじゃない?」

「全然嬉しくないし、金にもならなそうな記録だな!」

「でも普段はクールな守谷くんが動揺する姿、可愛かったなあ。ねえねえ。もう一回私にリアクションを見せてくれない?」

「いや。やってと言われてできるものじゃないし……。分かっててやったら、それはもうただのやらせなのでは?」

「おお~。リアクション芸人の鑑だね」

「リアクション芸人になった覚えはない!」


 僕としたことが、図書室ならざる大声を上げてしまった。……まあ、他に生徒もいないから迷惑は掛けてないだろうけど。


「それなら……。えいっ♪」 


 ピトッ、と。

 白石は僕の右腕に触れてきた。


「うおっ!? ――な、何を!?」

「こうすれば生のリアクションを引き出せるかなって」

「えいっえいっ♪」

「ちょっ……! ダメだって……!」


 僕は必死に止めて貰えるよう懇願する。

 だけど、白石は聞く耳を持たない。

 それどころか困り果てた僕の様子を見て、楽しそうにクスクスと笑っている。


 ……白石さんは清純そうに見えて意外とSっ気があるらしい。


 ようやく落ち着いた頃には身体がじんわり汗ばんでいた。まさか図書室でこんなに汗を掻くことになるとは思わなかった。


「……白石さんも本を借りにきたのか? 勉強のために?」

「それもあるけど。守谷くんにこの前薦めて貰った本が凄く面白かったから。単純に本を読むことにすっかりハマっちゃったの」


 白石は柔和な笑みを浮かべた。


「あの作品、私の好みにピッタリだった。続きが気になりすぎて、うっかりお風呂にまで持って入りそうになったもん」


 どうやらかなり気に入って貰えたらしい。

 僕があの作品を読んだのは数年前だから内容以外の――登場人物の名前や個々のシーンなどの記憶は朧気になっていた。


「途中、びっくりする描写もあったけど。それも重要な伏線だったし。ついつい読み耽り過ぎて寝不足になっちゃった」


 びっくりする描写――と言えば最後のどんでん返しだろうか? 白石の頬がほんのりと赤らんでいたのが気になる。


「守谷くんには人に本を薦めるセンスがあるよ」 

「別に僕は何も凄くないよ。その作品を書いた作者の人が凄いだけで。僕は単なる一読者でしかないからさ」

「そんなことないってば。人は皆、それぞれ嗜好が違うでしょ? どんな名作でも百人中百人が面白いと思うことはない。本に興味を持った人がいても、最初に手に取った作品が面白くなかったらもう読むのを止めちゃうかもしれない。その人に合った本を薦められるっていうのは才能だと思うな」


 だって、と白石は微笑んだ。


「守谷くんが薦めてくれたおかげで、私、本を好きになれたもん」

「……っ」


 何だこの一万点の微笑みは。

 白石の微笑みのスポットライトを向けられると、自分がとても価値のある人間なんじゃないかと錯覚しそうになる。


 確かに最初に読む一冊目はとても大事だ。

 面白い娯楽小説を読みたい!と思った人が書店に行き、有名だからと文豪の古典作品を手に取ればその難解さに挫折することだろう。

 だいたい純文学は物語を楽しむものじゃない。

 小説でしかできない表現を楽しむものだ。

 おなかいっぱいカレーやハンバーグを食べたい、という人に凝った珍味を食べさせているようなものだ。普通の人は受け付けない。


「守谷くん。図書委員だったよね? 本を読みたいって子のヒヤリングをして、その人に合った作品を選書するサービスとか始めてみたら? ゆくゆくは本ソムリエとして時代の寵児になれるかもしれないよ」

「薦めること自体はできるかもしれないけど。本に興味がある生徒を探すだけのコミュ力がないから難しいかな」

「じゃあ、私が守谷くんのマネージャーになって仲介してあげる! 後々巨大なビジネスになった時の報酬の取り分は九対一でいい?」

「お笑い芸人の事務所みたいなギャラ配分だな!」


 思わずツッコミを入れた。


「そうだ。たくさん読んでたら、好きな作家さんとかもできたよ。仲でも雨宮しずくさんの作品はどれも面白くてファンになっちゃった」

「僕もその作家さんは好きだよ。全作品初版で持ってる。中でも最新作は良かった。あれは文句なしの名作だよ」

「分かる! 最後の恋人と海に行くシーンが最高だったよね。星の砂を撒くところでボロボロに泣いちゃったもん」


 僕と白石はお互いに好きな作品について話し合った。

 僕は普段、感情を表に出すことは少ない。

 凪のように穏やかだ。

 けれど、好きな小説の話だからか時を忘れて熱を上げてしまう。

 とても楽しかった。


 それと同時に羨ましくもあった。

 白石の想い人は白石とこんな風に小説の話ができるのかと。今の楽しい時間をこの先もずっと味わうことができるのかと。


 気づけば、図書室が閉まる時間になっていた。


「僕、この本を借りてくるから」


 僕は白石にそう断ってから、受付へと向かった。

 司書さんが座っていた。この人とは顔見知りだ。図書室の常連である僕とはそれなりに言葉を交わす仲である。


「あんた。随分と嬉しそうに話してたね」

「すみません。迷惑でしたよね」

「いいや。そうじゃない。珍しいと思ってね」

「本について話せることが嬉しかったもので」


 司書さんはちらりと白石を遠目に見ると、声を潜めて言った。


「あの子。あんたに気があるんじゃない?」

「そんなわけないでしょう。白石は学校中のアイドルですよ」

「これを見ても同じことが言える?」


 そう言うと、司書さんは図書カードを見せてくれた。

 記名欄には白石の名前があった。

 プライバシーもへったくれもないな……。

 僕は呆れながらも白石の借りた本のリストを見た。

 そして衝撃を受けた。


「これはいったい……」


 そこには僕が読み終わった本のタイトルばかりが並んでいた。

 僕が借りた順番をなぞるように彼女も同じものを借りていた。


「あんたの気を惹くために決まってるでしょ。同じ本を読めば、その本について話せると思ったんでしょうよ」


 ――いや。違う。


 白石は想い人の気を惹くために色々な小説を読んでいるだけだ。だから、僕に気があるなんてことはない。


 ……しかしだ。


それなら僕の読んだものを追いかける必要はない。その上、僕のあずかり知らぬところで行う必要もない。

 そこから導き出された一つの仮説。


 それは――。

 まさか、白石の好きな相手は僕だった?

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