第10話 オススメの本を読む

 相手の趣味に歩み寄れば、一気に心の距離を縮めることができる――。

 私は早速、守谷くんが薦めてくれた小説を読むことにした。

 図書室に置いてあるその本はすでに他の誰かに借りられてしまっていた。なので学校の帰りに書店に寄って新品のものを買った。

 家に帰ると、リビングのソファに寝転がった。


 ――さーて。読みますか。


 買った本を開き、冒頭に目を通した途端だった。


「――って、ええっ!?」


 私は自分の目を疑った。

 守谷くんに薦めて貰った恋愛小説――その主人公の名前が直孝であり、ヒロインの名前が真奈だったからだ。


 ――わ、私たちと同じ名前だ!?


 名字こそ違うものの、下の名前は漢字まで完全に一致していた。


 ――凄い偶然……! 守谷くんはこのことを知ってて薦めてきたのかな? だとすればそれが意味することは一つ……!


 この小説は恋愛小説だ。だとすれば二人は恋仲になるに違いない。

 つまり――。


『僕もこの登場人物たちのように恋仲になりたい』


 という遠回しな告白なのでは?

 守谷くんに事の真偽を直接訊いてみたい。

 だけど、もし私の単なる早とちりだったらめちゃくちゃ恥ずかしいよね。とんでもなく痛い女だと思われちゃいそう……。


「……と、とにかく読み進めないとね」


 小説を読む人は文字面だけを追う人と、脳内で映像を浮かべる人がいるらしい。ちなみに私は完全に後者のタイプだった。

 脳内に主人公とヒロインの映像を浮かべる。

 登場人物が高校生で、名前が同じだからだろう。

 自然と守谷くんと私でイメージが固定されてしまう。

 違う人で思い浮かべようとしても、『直孝』『真奈』という固有名詞が出る度に頭の中のイメージは書き換えられた。


「……仕方ないよね。このままで行かないと」


 ページを読み進めていく。

 主人公とヒロイン――『直孝』と『真奈』は次第に心の距離を縮めていき、やがて直孝の告白により付き合うことに。


「……うわー。いいなあ。私も告白されてみたいなあ」


 付き合い始めの二人は学校でこっそりキスをしたり、休みの日にデートをしたり。実に初々しいやりとりをしていた。

 そして――とうとうその時は訪れた。


「えええええっ!?」


 私は自分の目を疑った。

 主人公とヒロイン――直孝と真奈の初体験のシーンが出てきたからだ。

しかもだ。

 普通、漫画やドラマでもそうだけれど、こういうシーンはさらっと一瞬で流したり事後的な描写がされることが多い。

 だけど、この作品は違った。

 十ページ近く濃厚な描写が書き込まれていた。


「……読み飛ばした方がいいかな? いや、でも何かの伏線かもしれないし。一応ちゃんと全部読んだ方がいいよね。うん」


 迷った末に私は読むことを決意した。

 ごくり、と息を飲むと視線を文字の海に落とす。


『真奈の身体。凄く綺麗だ……』

『うぅ……直孝くん。恥ずかしいよ』

『大丈夫。優しくするから』

『あっ。直孝くんのが入ってきてる……!』


 うわーっ。うわーっ……!

 真奈が直孝くんに抱かれちゃってる!

 文章が上手いせいで、自然と脳内に映像が浮かび上がってくる。

 裸の守谷くんが裸の私に覆い被さっていた。

 心臓の音がバクバクと高鳴っている。身体中が変な熱を帯びていた。

 だけど、ページをめくる手は止められない。

 その時だった。 


「おう真奈。お前、何読んでるんだ?」

「ひゃあああああああ!?」


 後ろからいきなり声を掛けられ、私はバネのように飛び上がった。慌てて小説を閉じて胸に抱え込んで隠すと、振り返る。

 学校帰りのお兄ちゃんが覗き込んできていた。


「お、お兄ちゃん!? いきなり声を掛けないでよ!」

「わ、悪い……。まさかそんなにびっくりされるとは……。それにしても、随分ハマってたみたいだったが。小説か?」

「そ、そうだけど」

「抱え込むようにして隠してるが……」

「絶対! 絶対勝手に読んじゃダメだからね!?」

「言われなくても読まねえよ。俺は百四十字以上、三行以上の文章は読めねえし。しかし真奈がいきなり読書とはな……」


 お兄ちゃんはふむ、と顎に手を宛がうと言った。


「真奈。お前、まさか男ができたのか?」

「はあ!? どうしてそうなるわけ!?」

「女子が新しい趣味ができる時は、大抵男の影響だからな。特にスポーツ観戦とかキックボクシングになると百パーセントそうだ」

「凄い偏見……。別にそれだけじゃないでしょ」


ただ私の場合は図星だった。

 守谷くんが薦めてくれなければ読むことはなかっただろう。

 私は逃げるように部屋に戻ると、本の続きを読み出した。


『直孝』と『真奈』の初体験のシーンをどうにか終える。

 その時には放心状態になっていた。


「……いけないいけない。ここでエンディングじゃないもんね。ちゃんと読んで感想を言えるようにしておかないと」


 結局、小説の内容はとても面白かった。

 恋愛ミステリーと謳われた作品だけあって、最後の一行でどんでん返しされた。初体験のシーンも伏線になっていた。


 小説を読んだ影響だろう。

 その日の夜、私は守谷くんとベッドで抱き合う夢を見た。

 キスされそうになった瞬間に目覚め、それが夢だったと分かった時は、余りの恥ずかしさにベッドの上で悶えてしまった。

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