仕事

雨にうたれて、庭がきれいだ。

飛石、延段、景石などは、雨水に濡れてこそ、そのうつくしさの本領をひらいてみせてくれると私は思う。

樹木もまた、雨によろこんでいるように見える。

葉も、枝も、幹もみんな濡れそぼち、雨だれの音が心地いい。


仕事は半日で済んだ。

軽トラックに乗りこんで帰宅する。

すれちがうトラック、商用車のサラリーマンたちは何処へゆくのだろう。

私は現場が終わり、棄てにいくほどの発生材がなければ、帰宅できる。

家の前の駐車場で、軽トラックについた泥を洗い流し、発生材の枝葉などをまとめて駐車場のすみに片付け、明日の準備をする。

それからいくつかの事務仕事や家事を終えると、そこからは私の自由時間だ。

その日現場で思いついたことをメモしたり、書いてみたりするのもこの時間だし、妻が帰ってくるまでのひとりの時間をつかってゆっくり読書をするのもこういう時間でしかできないことだ。


現場が早く片づくのならそのあとにもう一件いれればいい、と人は言うのだけれど、まるで逆の意見が私にはある。

一日にどれくらい稼げばいいか、その金額は、求める暮らしぶりから逆算して大体決まっているのだから、何もそのうえ無理に五時まで働く意味はない。

私はこの生業を「会社」にしようとは思っていないし、従業員を雇うつもりもない。金持ちになりたいとも思わない。

私と妻との間には子供がいないので、夫婦ふたりと猫が、死ぬまで健やかに暮らせるだけのお金があればそれで充分。


家のローン、前妻のもとにいる娘の養育費、それだけで月に十万が消える。それから光熱費や生活費や税金。

従業員でいる間は、働いても働いても、それらの支払いで手元にはまるで残らなかった。休みは週に一度、日曜だけで、それさえたまになくなったし、年末や夏場の繁忙期には、月に一日休んだか休まないか、なんていうこともよくあった。


会社をやめて、ひとりで屋号を背負って働くようになってからは、不思議なほど時間が増えた。

独立する前、まわりにさんざん「大変だゾ」「忙しくなるゾ」と脅かされていたことを思い出すと、なんだか可笑しい。


自分たちが暮らして食べていけて、すこし人にも分けてあげられて、好きな書籍を買えるだけの収入があれば、それ以上はみんな私にとっては「余計な仕事」なので、遠回しに断った現場さえある。

仕事が早く終わるのはそれだけの準備をしているからだし、作業が早くすすむのはそういう修行をしてきたからだし、仕事をつめこまずにさっさと帰るのはそういう生き方を望んだからだ。


どんなふうに働くかは、どういうふうに生きたいか、だと思う。

そしてそれはやっぱり「自分で決めるべき」だと、このごろつくづく思うのだ。


働きかた、職種に優劣なんてない。

私は「下町の植木屋さん」だけど、それ以前に私だし、どんな職業の人に対しても、自分の仕事を恥じたり驕ったりしないし、相手の職業も気にならない。


学生は社会に出て「どこで働くか」「どんな職種につくか」を迷いがちらしいけれど、あんまり気にしなくていいのではないかと思う。

私は中卒で社会にとびだして、そこで七転八倒してきたけれど、ようやく静かな日々を送り暮らせるだけの余裕を得た。金はいつでもすこし足りないが、おだやかに暮らせているのだから、それでいい。

十代のころは、自分がこんな日々が送れるようになるとは思いもしなかった。

あのまま、人に言われるままに働いていたら、きっとなにも変わらなっただろう。

自分で仕事を選ぶという事は、自分がどう生きるかを選ぶことなのだろう。


さて、そろそろ妻が帰ってくるので、家の掃除をするとしよう。

今日はつめたい雨にうたれたから、あったかい饂飩をすすろうか。

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