第2話

 そのピアニストを見つけたのは第三月曜日の昼下がり。知り合いがやっているジャンクフードの屋台でひき肉と刻んだ玉ねぎをケチャップで味付けしただけの昼飯を食べて工房に戻る途中だった。歩調に合わせていつも持ち歩いている工具入りのショルダーバッグががしゃがしゃと鳴る。人通りもまばらなこの時間帯は、路地に反響して殊更大きく聞こえた気がした。

 その足元を猫のポコが軽快に抜き去っていく。こいつは僕が飼っているわけじゃなくて、いつの間にか工房に居座っていた野良である。月みたいな黄色の瞳が印象的で、夜の底のような真っ黒い毛並みはふわふわで、僕の育ての親の師匠はポコに甘々なのだ。いかに首輪型の動物語翻訳機が辛辣な言葉を吐いても右から左に筒抜けてしまうらしい。師匠の猫好きは今に始まったことでもないので、僕もポコももうずっと放っておいているけれど。

『とろくさ歩くな、フォルテ』

 僕が欠伸交じりに歩いているのに耐えかねたのだろう。ポコがふとこちらを振り返って嫌みったらしく呟いた。もう今は売っていない初期型の翻訳機だから電子音声もくぐもって聞こえる。

「なんでだよ、急ぐ用事なんてないだろ?」

『ここらへんの道は汚くて嫌なんだよ。足が汚れちまうだろ』

 僕はそんな理由で急かされているのが何となく癪に障ったので、ポコの隣まで追いつくと彼をひょいっと腕に抱えた。この猫、要はこうしてほしかったまでのだが、まったくとことん素直な性格じゃない。

 そうしてひとりと一匹で気怠い午後の路地を歩き始めたときだった。ちょうど辻になっているところで金属の山を積んだトロッコ列車が通過していった。図体の大きな労働用ロボットに牽引され、蒸気を身体の横から出しながら、それはゆったりと通りを下っていく。この先には大きなスクラップ工場があって、使えそうな金属や無用な配線などを分別して僕たちジャンク屋に安く卸すのだ。僕らはそこから自分なりにまだリサイクルできそうなものを買い取り、動かせるよう整備をして世に送り出すのが仕事。ちなみに、僕はついこの間師匠から認められた半人前のジャンク屋である。

『相変わらず、この道は鉱油くさいな』

 ポコが腕の中で顔を歪めるのに苦笑したときだった。僕はトロッコの最後尾から何かがこぼれ落ちたのを見て取った。慌てて近づいてみると、それは下半身と左の腕をなくした何かのロボットだった。残った身体にも傷やへこみがたくさんついていて、相当な年代物だったということだけはわかった。

 トロッコは初めから何もなかったかのように道を下っていってしまってもう見えなくなっていて、僕は途方に暮れてポコと顔を見合わせる。

「ねえ、ポコ……これどうしよう」

『ここに放置しときゃあ、あとで回収されんだろ』

「うん、まあ……そうなんだけど」

 歯切れ悪く応えたときだった。午後1時を知らせる時報が鳴った。A.アダージオ作曲の『夜明け前の狂詩曲』────夜明け前でもなんでもない昼下がりにこの曲を時報にした人は、僕から見てもセンスがなさすぎると思う瞬間である。楽しそうなフレーズだから良いのだけれど、どうしてその選曲にしたのかは僕の密かな謎のひとつだ。

『……ん?』

 テーマか半分ほど流れた頃、ポコがふと首をかしげた。それからぴょんと僕の腕の中から飛び出して、汚れるのが嫌いなこいつにしては珍しく、油まみれの機械の塊に顔を近づける。

『なあ、フォルテ……これ、動いてるぞ』

「え?」

 その言葉に驚いて、足元に力無く横たわった無惨なロボットの残骸を見下ろす。頭はちゃんと胴体とくっついていて、その片頬には最早原形を留めていないペンキの跡が残されている。注意深く見てみれば、ポコの言葉通り唯一残った右腕の指先が微かに動いていた。

 僕はぎこちないその動きを目で追いつつも、バッテリーでも抜きそびれたんじゃないかと思って基盤を探す。まだスクラップ前だし、そういうのが混ざっててもおかしくはない。

「……あれ、おかしいな……普通ならここに入ってるはずなんだけど……」

 道のど真ん中だというのにがちゃがちゃとあちこちをいじり始めた。背後に、人がいることなんて微塵も思わないまま。

「こーらフォルテ!」

 不意に、よくとおるソプラノと共にげんこつが降ってきた。僕は思わずその機械を落としてしまって、狭い路地いっぱいにけたたましい音が響いた。じんじんと痛む頭をおさえて振り仰げば、そこには頬に鉱油をひっつけた師匠が立っていた。

「こんなところで何してんだ!休憩時間はとっくにすぎて――って、何だい?それ」

 師匠は僕の手元に目をやって、ふと首を傾げた。もう一発来る予定だったらしいげんこつを握りこんだままだったのを見てしまった僕は、内心ほっと胸を撫で下ろす。

『いいとこに来たな、ピチカート。こいつ、バッテリーもないのに動いてるみたいなんだ』

 ポコの言葉に、師匠はすっと目を細めた。それから僕から本体を預かってしげしげとあちこちを眺めて押し黙る。僕はポコとそっと目配せをしたあと、恐る恐る師匠に尋ねた。

「あの、師匠?どうですか?何かわかります?」

「……いや、仕組みはさっぱりだけどね。ちょっとした、心当たりがないわけじゃあない」

 さっぱりした物言いの師匠にしては珍しく歯切れの悪い答えが返ってくる。師匠は言葉少なに機体を抱えて立ち上がると、僕たちを見下ろした。

「こいつは連れて帰ろう。良ければお前が直してみな、フォルテ」

 僕は目を丸くして、それからポコを見て、また師匠に視線を戻した。

 それは突然に降って湧いた、僕の初仕事だった。

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三日月のピアニスト 懐中時計 @hngm

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