第6話:やっぱり凛は凄い
自分に振られたなんて噂が流れるのは凛が気の毒だと思った広志は、席から立ち上がろうとした。
だけど気合いを入れすぎたのか、片足がツルッと滑ってコケかける。机にしがみついたら、今度は机がガッターンと音を立てて倒れた。
「なんだ?」
「どうした?」
(うわっ、カッコ悪りぃ)
クラスのみんなが広志の方を向いた。広志はあたふたと机を元に戻してから、まっすぐ立った。そして気を取り直して、何事もなかったように真面目な声を取り繕う。
「あのさ、みんな。わかってると思うけど、もちろん僕が
コケかけて焦ったけど、広志は焦りを隠して真面目にしっかりと声を出した。でも何人かクスクスと笑う声が聞こえる。周りにはコケかけたことがしっかりバレてる。当たり前だ。あんなに派手な音を出して机を倒したんだから。
でもそんなことよりも、クラスメイトたちが興味があるのは、もちろん広志が凜を振ったんじゃないという話の方だ。
「やっぱりな」とか「そうだろな」という声が、あちらこちらから聞こえてくる。
(これで凛が振られたという噂を、少しでも抑えられたかな)
広志が凛を見ると、凛は「まあ私はヒロ君に振られたでもいいんだけどねー。事実だし」とニカっと笑ってる。
「こら! だから、そういうことは言うなって。事実じゃないし」
広志はそう言って笑顔で返したけど、やっぱり凛は凄いなと思う。
普段から凛が、人気投票なんてどうでもいい、自分のことをホントにわかってくれる存在の方が大事だと言ってるのを、広志は何度も聞かされてる。
事情があって凛と付き合うということはできないけれど、広志はそんな凛のことが大好きだ。
そして本人はどうでもいいと言うんだけど、凛のことを高く評価してくれる人が大勢いることには、広志は自分のことのように嬉しく思うのであった。
「じゃあ女子のクラス委員長は
広志が帰り支度をしていると、同じクラスの親友、田中 健太が声をかけてきた。
「広志、2票。すげえな」
「からかわないでくれ健太。たまたまだよ」
「いや、俺が女なら、やっぱり広志に入れるよ」
健太は広志にウィンクする。
「あはは、ありがと。嬉しいよ」
嬉しいとは言っといたけど、広志はちょっと背筋がぞぞーっとした。
「それに立ち上がって凛ちゃんを
健太が意地悪く笑う。
「あはは、そうだな」
「まあそういうおっちょこちょいなところも、広志のいいとこだけどなー」
健太がまたウィンクするから、広志はまたまた背筋がそぞーっとした。
田中健太は広志と一年から三年間同じクラスで、広志のことを高く買ってくれてる、物珍しい……いやありがたいヤツだ。
「でも並みいるイケメン達を向こうに回しての2票。この2票で、広志は名前が売れちゃったな」
「そうか? 僕は平凡な人間だし、名前なんか売れなくても、地味に静かに生活できればそれでいいよ」
しかし──
この投票結果のせいで、広志が望む地味に静かな日常は、確実に遠ざかってしまうのであった。
◆◇◆
「ただいまー」
広志が帰宅してリビングに入ると、妹の
Tシャツにショートパンツというくつろいだ格好で、テレビを見てたようだ。
茜は来年受験を控える中三で、ポニーテールにくりっとした目が愛らしい、ちょっと小柄な女の子。
「おかえりっ!」
「ああ、ただいま。茜、元気か?」
「うん、元気だよっ!」
茜はガッツポーズを決めながら、愛くるしい笑顔を返す。
妹への帰宅の挨拶で『元気か?』ってちょっとおかしいかもしれないけど、広志は茜の顔を見るたびにそう言ってる。
一年前に急に母親が病気で亡くなってから、今は父と兄妹の三人暮らし。だけど当時中二とは言え、まだまだ幼い茜は自分を大事にしてくれた母がいなくなって、精神的にかなり落ち込んでた時期があった。
広志と父が妹に愛情を注いだおかげで今はもう元気になってるけど、一時期はホントに辛そうだった。
そんなこともあって、広志は茜に「元気か?」と挨拶するのが習慣のようになってる。
茜も以前は「元気ぢゃない」って答えることが多かったけど、ここ数ヶ月はすっかり元気を取り戻した様子だ。
その様子を見てベンチャー企業経営者の父は、最近は海外出張を増やして留守がちだから、兄妹二人きりのことも多い。
「広志君は? 元気?」
「おう、至って元気だ」
広志は親指を突き立てて茜に示し、笑顔で返した。茜は妹のくせに、兄を広志君とか呼ぶ。
以前はそうでもなかったけど、精神的に落ち込んでた時期に支えてくれた兄を、まるで恋人のように感じてるのかもしれない。
広志はそんな茜の顔を、優しい気持ちで眺めた。
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