第51話 「おはようございます。」

 〇神 千里


「おはようございます。」


「……」


 朝から…二階堂 海はきちんとしている男だった。

 昨夜、明らかに誰よりも酒を飲んでいるはずなのに…疲れている様子もない。

 ましてや、二日酔いの気配もない。

 白いシャツを腕まくりして、…座っていればいいものを…和室に膳を運んでいる。


「まあ、海さん。座布団も並べてくれたの?」


「ついでですから。」


「座ってていいのに。」


「いえ、身体を動かしたいので。」


「頼もしいわ~。」


 義母さんと二階堂海の会話を耳の裏辺りに引っ付けながら大部屋に入ると。


「…父さん、顔酷い…」


 小鉢に盛り付けをしていた華月が…目を細めて言った。


「……」


 可愛い娘にそう言われて、さりげなく茶箪笥のガラスに映る自分を見てみると…


 ……なるほど。

 酷いなこりゃ。



 昨夜は…二階堂海に浴びせるほど酒を飲ませた。

 なのにあいつは…グイグイとグラスを空にして…

 絶対酔わせて、本性を引き出してやる!!と思ったのに…

 二階堂海は酔わなかった。



 気が付いたら、桐生院家の男達が…

 聖は最近の疲れからか、早い内に和室で落ちた。

 華音でさえ、まだ起きて来ない。


「……」


 大部屋を見渡して。


「聖は。」


 華月に問いかけると。


「和室の隅っこで潰れたまま。」


 首をすくめながら答えた。


「……」


「海君、お酒強いね。うちの呑兵衛達が撃沈なんて。」


 和室から戻って来た二階堂 海に、華月が賞賛の言葉。


 ムッ。


 二階堂の者は酔わないんじゃねーか?

 志麻も酒には強かった。

 少しだけ陽気になっていたような気はするが、本当に微々たるものだ。



「…本当に酔っ払って結婚したのか?」


 すれ違いざまにそう言うと。


「えっ?」


 二階堂 海は、驚いた顔をした。


「咲華を酔わせて、おまえは素面だったんじゃねーのか?昨夜あれだけ飲んでも酔っ払ってねーんだ。結婚するほど酔っ払うって、何日飲み続け……」


 つい…言葉を止めた。

 知花が視界に入ったからだ。


「海さん、もういいわよ?お手伝いありがとう。」


「いえ…他にする事はありませんか?」


「いいから座ってて?」


「海君、家でもそうやって動くの?お姉ちゃんにこき使われてるとか?」


「もうっ、華月。あたしがやらせてるんじゃなくて、海さんが自発的に…」


「家の事をするのは苦じゃないからな。」


「お姉ちゃん、いい人と結婚したね。」


「えへへ…」


 ……



 家の事をしない男は、駄目なのか?

 一度座ったら立ち上がらない、家の事をしない俺は、駄目男なのか?

 喉元まで出かけて…やめる。

 視界に知花が入ったからだ。



 先月…咲華が旅に出た後ぐらいから。

 知花の様子がおかしかった。

 広縁で一人で景色を眺めながら考え込んでいたり。

 急に二日ほど仕事を休んだり。

 何があった。と聞いても、答えなかった。


 俺も、咲華が旅に出て寂しくなったのだろう。ぐらいしか…思わなかった。

 あれぐらいから…知花が変わった。

 俺に対して、冷たい。

 風呂も、三度に一度は断られる。

 背中を向けて寝る事も増えた。

 …なんなんだ。



 大部屋は朝飯の支度でバタついている。

 俺は新聞を手にして、広縁に向かった。

 するとそこには…


「おう、よく起きれたな。」


 …高原さんがいた。

 金髪の…子供を連れて。


「…おはようございます。」


 高原さんの前に腰を下ろすと。


「リズ、おじいちゃんが来たぞ?」


「あー。」


「……」


 …おじいちゃん。

 いつかは呼ばれるんだろうが…

 …がーん。って感じだった。

 いや、そもそもこいつは…咲華とは血の繋がりがない。

 俺の孫と言っても…


「…二階堂の事件で孤児になった子らしい。」


「……」


 高原さんのつぶやきに、子供の顔を見た。


「血の繋がりなんて、あってもなくても…だよな。色々迷う事はあっただろうが…紅美を見れば陸と麗の愛情が確かだったのが分かる。」


「……」


「ぴゃっ?まー、まっあっ。」


 子供は俺の膝に手を着いて…ぐっと足に力を入れた。


「んっ?立つのか?」


 高原さんがそう言ったが…


「いや…まだ早いでしょう。おい、おまえいくつだ。」


「千里…」


 苦笑いの高原さんと、眉間にしわの俺を前に。

『リズ』は足にぐぐぐっ…と力を入れて。

 俺の膝に置いていた手と、床についている膝で移動しながら…


「ううーあっ。」


 俺の腕を掴んで…まるでよじ登りそうな勢いで…立ち上がって俺の顔を見つめた。


「…咲華、リズがつかまり立ちしてるぞ?」


 高原さんが和室に声をかけると。


「えっ!?」


 咲華だけじゃない…二階堂 海も走ってやって来て。


「えーっ!?リズちゃん!!」


 咲華は大きな声を出して驚いて。


「ちょ…ちょちょ…ちょっと、そのまま…」


 二階堂海は…狼狽えながらスマホを取り出して…


「リズ、こっち向いて。ほら、ママの方。」


 そう言いながら…


 …ママ…


 出産もしてない咲華が…ママ…

 つい、顔が険しくなる。



「…千里、顔。リズが見てる。」


 高原さんに小声で言われてハッとすると、リズがマジマジと俺を見ていた。


「……」


「……」


 俺とリズが見つめ合ってると…


「父さん、顔怖い…」


 咲華が低い声で言った。


「…生まれつ」


「ひゃあ!!」


 突然、リズが俺の腕から両手を離してバンザイをしかけて。


「危ない!!」


 みんなが大声を上げたが…


「あっぶねーな…おまえ…自分がいくつだと思ってんだ。まだ歩けねーんだぞ?手を離すな。」


 俺は…リズの腰をぐっと持って…言った。


「ばー。」


「ばーじゃねーよ。俺はじーだ。」


 そう言って、リズを抱える。


「ひゃはっ。」


「ふっ。」


「あー。んばっんばっ。」


「だから、じーだっつーの。」


 リズは…懐かしい匂いがした。

 柔らかくて、壊れそうなリズ。


「…おまえ、意外と子供にモテるんだな。どう見ても俺の方が優しい顔なのに。」


 高原さんのぼやきに笑いながら振り向くと、咲華と二階堂海が俺とリズを見ていて。


「…お宝映像、ありがとうございます。」


 二階堂 海はスマホを片手にそう言った。

 咲華は俺の隣に腰を下ろして。


「…リズちゃん、良かったね。じーちゃんが遊んでくれて。」


 リズの頭を撫でながら言った。


 つかまり立ちには労力がいるのか、リズはすでに俺のあぐらの上に仰向けになっている。


「…こいつ、朝飯は。」


「離乳食。」


「持って来い。」


「…ありがと。」


 咲華はゆっくり立ち上がって、しばらくすると義母さんと知花と華月を従えて戻って来た。


「ずるい~千里さん!!」


「あたしだってリズちゃんに食べさせたいのにー…」


「お父さん、一口ずつにしない?」


「……」


 背中に三人のブーイングを受けた俺は、座ったまま向きを変えて。


「…見ろ。もうスタンバってんだ。」


 二階堂 海が持って来てくれた前掛けを着けて、俺の腕でいい子にしているリズを…見せ付けてやった。




 〇桐生院華音


 昨夜は飲み潰れて…大部屋で眠ってしまってたら…ばーちゃんに起こされた。


「邪魔。部屋で寝て。」


 見ると、親父と海も同じように起こされてて。


「……」


 三人して時計を見ると、四時半。


「…ばーちゃん、徹夜かよ…」


 欠伸をしながら問いかける。


「ううん。起きたの。ちょっとやりたい事があるから早起きしただけ。」


「……」


 相変わらず…元気なばーさんだよ…

 起きただけっつっても…どうせじーさん共々夜更かししてたんだろうに…

 こんなに早くから、何をしたいっつーんだよ…


 俺と親父は仕方なく、のそのそと起き上がって大部屋を出た。



 紅美は華月の部屋で寝てるし、もうどこで寝ても同じなんだけどなー…なんて思いながら、和室に行くと。


「……」


 沙都と曽根と聖。

 三人を見下ろして、自分の部屋に入ると…


「…うおっ…な…なんだよ親父…」


 俺が和室に行った隙に、親父がベッドで寝てる。


「部屋間違えてるぜ?」


 親父を壁際に押し除けて言うと。


「…もうここでいい…」


「はあ?冗談だろ。」


「もう動きたくない。」


「動けよ。ってか、親父の部屋、大部屋からここに来るまでだろーが。」


「…おやすみ…」


「おい…マジかよ…」


「……」


「…ったく…」


 母さんがいねーと眠れないクセに。って思ったが…

 最近母さんが親父に冷たい。

 そのせいか、親父は少し引け腰だ。


 …仕方ない。

 今日だけ、おとなしく一緒に寝てやろう…



 それから…一度も起きる事なく、ぐっすり眠った。

 次に目が覚めたのは…


「お兄ちゃん、ご飯よ。」


 華月の声が降って来てからだった。


「…何時…」


 枕に顔を埋めたまま聞くと。


「八時。」


「…食いたくねー…」


「えーっ?久しぶりに、麗姉の鯛飯なのに…」


「…別に珍しくねーし…」


「紅美ちゃんも何か変わった物作ってたよ?」


 …ん?

 紅美が何か作ったのか…


「……へー…変わった物は…食ってみたい気もするなー…」


「じゃ、早く来てよ?」


「んー…シャワーしてから行く…」


「もー。ダッシュね。」


 …だるい。

 飲み過ぎた。


「…親父。飯…」


 ……


 手を伸ばしたが、そこに親父はいなかった。


「…何だ。いつ起きたんだろな…」


 親父の抜け殻みたいになった俺の隣を見て。

 ポリポリと頭かいて、シャワーに向かった。



「あーっ!!もう可愛いーっ!!」


「……」


 簡単にシャワーを済ませて大部屋に行くと…もぬけの殻。

 あ、人数多いから和室か…って事で中の間に行くと…紅美が…


「どうしよ、母さん。あたし、この子欲しい…」


 紅美が…『リズ』を抱っこして…満面の笑み。

 その隣で、麗姉までもがデレデレになっている。


「ほんと…お人形さんみたい。紅美、あんた外人と結婚したら?」


 えっ。


「はっ。麗、何言ってんだ。」


 陸兄の反応は…結構本気のそれだった。


「外人と業界人はダメだな。」


「……」


 陸兄の言葉に、沙都と曽根と海と咲華が…一斉に目を細めた。


 細めるな。

 バレるじゃねーか。


「ふっ。陸も紅美の相手を殴るタイプだな。」


 じーさんと広縁に座ってる親父が、振り返って言うと。


「…相手次第っすよ…」


 陸兄は少し拗ねた風に答えた。


 …相手次第。

 それは…どんな…?


「わー、興味ある。紅美ちゃんの相手、どんな人ならいいの?」


 まるで俺の心が読めたかのように…咲華がお茶を配りながら言った。


「…身長が高くて顔も良くて…」


「陸さん、それって女の子が言う好みのタイプじゃない?」


 ばーちゃんにまで突っ込まれてる陸兄は。


「それは、孫の容姿のため。」


 真顔で答えた。


 …孫の容姿…


「運動神経も良くて、頭も良くて、車の運転も上手くて、好き嫌いもなく、年収が俺よりいい男なら殴らない。」


「……」


 和室が静まり返った。

 みんなが目を細めて苦笑いだ。


 そんな中…


「…頭の良さ以外なら、僕クリア出来たかもだなあ…年収は数年後には必ずって事で。」


 沙都が顎に指を立てて、天井を見ながら言った。


 なっ…!!

 何を!?


「…言い忘れた。年下はダメだ。」


「あっ、何だか偏見~。ちぇっ。僕離脱かあ。」


 海と咲華が眉間にしわを寄せて、俺と沙都を見比べる。

 …俺を見るな。俺を。


 沙都め…

 紅美の事、諦めてねーのか?



「まっ。ぱっぷーぅ。」


「あはは!!リズちゃん、お喋り上手だ~!!」


 リズが何か喋って、紅美は…すげー…いい笑顔…

 あー…写真撮りてー…

 その顔欲しいぜ…


 超笑顔の紅美と麗姉の隣で、陸兄は仏頂面。

 そうこうしてる間に全員揃って…交代でリズの面倒を見ながらの朝飯となった。


 …不思議と、リズは誰の手に渡っても笑顔で。

 みんなも…自然と笑顔になった。

 さっきまで仏頂面だった陸兄も、だ。


「うぷー。」


「……」


 俺の番が回って来て。

 真っ向から顔を見るように抱き上げると…


「……」


「……」


「まっ!!んまっ!!きゃーっ!!」


「うおっ…」


 リズは大はしゃぎで、俺に抱きつく形になった。


「あーっ!!いいなあノン君!!」


「なんでお兄ちゃんにー!?」


 一斉に、ブーイングが起きたが…


「し…知るかっ…」


「んまっ。まっ。」


 腕の中のリズは…笑顔で俺を見上げる。


 …ふ…ふむ…

 か…可愛いじゃねーか…


「咲華だと思ってるんじゃないかな。」


 海がそう言って。


「あたし、あんなに目付き悪いの…ショック…」


 咲華はさりげなく俺の悪口を言ってうなだれた。


 おい。

 片割れ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る