第45話 「えー?あたしは連れてってくれないの?」

 〇桐生院華月


「えー?あたしは連れてってくれないの?」


 目の前で、母さんが唇を尖らせた。


「…今日は華月と約束してるんだ。」


 父さんは前髪をかきあげながらクールに言ったけど。


「…いいわよ…一人で出かけるから…」


 母さんの尖った唇は直らない。


「父さん、母さんも一緒に…」


 あたしが声を掛けようとすると。


「おまえ、いちいち娘に妬くな。」


 …父さんがピシャリ。


「……」


 母さんは一瞬黙った後。


「…そうね。二人で楽しんで来て。」


 急に笑顔になって。


「行ってらっしゃーい。」


 あたしと父さんの背中を押した。


「あっ…ちょっと、母さんも一緒に…」


 あたしが声を掛けた時には、すでに母さんは家の中。


「…父さん、どうして一緒じゃダメなの?」


 スタスタと歩いてる父さんに問いかけると。


「知花とは二人で出掛けたいだけだ。」


 …何とも…父さんらしい答えだけど。


「それって、ちゃんと言わないと母さんに届いてないと思うよ?」


「別にいい。」


「別にいいって…あたし前から思ってたけど、こんなんじゃいつか母さん、浮気しちゃうよ?」


 本当に。

 いつだって父さんは自分の考えを母さんに押し付ける。

 しかも、ちゃんと言葉にせずに。


「今までしなかったんだ。これからもするわけがない。」


「すごい自信…まあ、もし母さんが浮気しても、あたしは母さんの味方しちゃうけどね。」


 あたしがサラッとそう言うと。


「おまえ、自分が浮気された時の辛さを忘れて言ってんのか?」


 父さんが足を止めて言った。

 その言葉に、あたしはかなり…かなり頭に来た。


「…父さんって…」


「あ?」


 さっきの母さんじゃないけど…唇が尖った。

 父さんの事、嫌いじゃないけど…

 今、この瞬間は…嫌いっ!!


「もういい。買い物行かない。父さん一人で香津で食べて仕事行けば。」


 あたしは早口にそう言って、家に戻ろうと…


「待て。」


 ガシッ。


 戻ろうとした所で、腕を掴まれた。


「…何。」


「おまえが誘っておいて、それはないだろ。」


「それはないだろは父さんよ。」


「あ?」


「自分がイチャイチャしたい時だけ母さんに優しくて、母さんが買い物したかったりどこか行きたいって言った時は、いつだってのらりくらり理由つけて断っちゃってさ。」


「……」


「母さんがかわいそう。父さんとイチャイチャしてる時より、事務所で里中さんとアンプ直してる時の方が、母さん楽しそう。」


「……」


 …あ。

 しまった。

 って思った時には、父さんはあたしの腕を離して歩き始めてた。


 あー…やっちゃった…

 …どうしよう。


 里中さんと母さんの機材修理、父さんなりに…かなり目をつむってるんだよね…

 だって、母さんて本当…電子基盤見ると目をキラキラさせちゃって。

 里中さんとの会話なんて、あたし達にはチンプンカンプン。

 二人の間に恋心なんてものは決して芽生えないとは思うけど…

 …でも母さん…本当に楽しそうなのよ…

 父さんにギュッとされてる時より…。



 父さんを追い掛けて、香津で謝ろうかな…

 …ううん。

 だって本当の事だもん。

 父さん、少し反省した方がいい!!



 仕方なく、トボトボと歩いて表通りまで出た。

 だけど買い物の気分でもないし…何より、父さんの事も母さんの事も気になる。

 堂々と帰ったら母さんに心配かけるし…裏口からこっそり帰ろう…


 ケーキ屋さんでシュークリームとクッキーを買って、重い足取りで家に帰る。

 裏口からこっそり家に入ろうとすると…


「……」


 裏口に、父さんの靴。

 あたしは部屋にシュークリームとクッキーを置いて、忍び足で大部屋に向かった。

 すると…


「…グサグサ来た。」


 父さんの声。


「まさか華月にあんな事言われるとは…」


「あたしが華月の前で拗ねたのがけなかったわね。ごめんなさい。」


 どうやら父さんは…あたしに言われた事を母さんに話して慰めてもらってるらしい。

 大部屋を覗くと…父さんは母さんの膝枕。


 …もう。

 甘えん坊なんだから…。



「…ねえ、千里。」


「ん?」


「もし…あたしが別れたいって言ったら…どうする?」


 えっ!?


 あたし、心の中で跳びあがるほど驚いた。

 両手で口を押えて、その場にうずくまる。

 案の定…父さんも驚いて起き上がって。


「おまえ…別れたいのか?」


 真顔で母さんに問い詰めてる。


「…もしって言ったじゃない。」


「もしなんかあるか。」


「……」


「どうしてそんな事言う。」


「…何でもないの。聞いてみただけ。」


「それを聞きたくなった理由を言え。」


「……」


 母さんの溜息が聞こえた。

 あたしはドキドキする胸を押さえて…次の言葉を待った。


「…理由…なんだろ。よく分かんない。」


「分からない?」


「分かんない…ほんと…」


「……」


 母さん…どうしたんだろ…

 やっぱり父さんのワンマンぶりがいけないんじゃ…


「…知花…」


 父さんが母さんを抱きしめる。

 優しく抱きしめて…それからギュッとして…


「俺にはおまえしかいねーんだよ…」


 泣きそうな声で言った。



 …お姉ちゃんの帰国前に…

 何だか…胸がざわついちゃう…。




 〇二階堂紅美


「…紅美…電話じゃないか…」


 あたしに腕枕したまま、ノンくんが言った。



 今夜はノン君と…付き合い始めて、初めてのお泊り。

 単独で取材を受けたあたしを迎えに来てくれたノン君と、そのまま空港の近くのホテルに。


 て言うのも…

 沙都と曽根さんが帰って来るから。

 そのお迎え。



「んー…何時…?」


 ノンくんはベッドの時計を見て。


「…4時…」


 信じられないって顔で言った。


「…こんな時間に誰…」


 スマホを手にして着信の相手を見ると…


「…父さんだ…」


 あたしはガックリとうなだれる。


 もう…

 ほんっと、最近の父さんって…


「…俺が出ようか?」


「ううん…いい。」


 あたしは大きく溜息をついた後。


「…もしもし。」


 電話に出た。


『紅美?今どこにいる。』


「…寝てたのよ?」


『帰って来ないから心配するじゃねーか。』


「帰らないかもって言ったじゃない。」


『かも、だろ?帰るかもしれないと思って、心配して待ってたのに。』


 もうお泊りは決めてたんだけど…

 帰らないって言うと、根掘り葉掘り色々聞かれそうだったから…濁した。



 …ノンくんと付き合い始めて二ヶ月。

 だけど…あたし達は、まだ周りにそれを言ってない。

 あ、沙也伽と希世、沙都と海君…それと曽根さん辺りも知ってるか。


 別に…隠す必要はないんだけど…

 何となく、特に父さんには…言えずにいる。

 だって、父さん…

 あたしが沙都とちゃんと付き合って、そして別れたって知った時も…


「年下は良くないから別れて正解。」


 なんて…屁理屈を言ったらしい。

 きっと、誰が相手でもいい顔はしないんだよ…


 ノンくんは、イトコだ。

 血の繋がりはないけど。

 それでも、きっと嫌がると思う。



『誰と一緒なんだ。』


「…一人だよ…もう、寝るから切るよ?」


『おまえ、そんな事言っ』


 プツッ


 あたしは電話を切ると、電源も落とした。


「…陸兄、おまえが可愛くて仕方ねーんだもんな。」


 ノンくんが起き上がって、あたしの首筋にキスしながら言った。


「…ごめん、起こして。」


「いや…起きたついでに、もう一回。」


「ふふっ…元気だね…」



 秘密にしてる事を除けば…

 あたし達は、本当に順調に…付き合えている。

 バンドでは相変わらず厳しいノンくんだけど。

 プライベートでは…すごく優しい。

 でも、なかなかお泊りなんて出来なくて…

 だから今夜はほんっっと嬉しい!!


 母さんには、それとなく…彼氏ができた。って言ったけど。

 父さんには内緒にしててねって言ってある。

 あたしの彼氏事情を全て知ってる母さんから見ると…

 どうせ長続きしない。ぐらいに思ってるのか。


「言わないわよ。また変わる恐れもあるしね。」


 …ちょっと屈辱。



「紅美…」


「あ…」


 指を組んで…何度も果てた。

 ノンくんの重みを堪能するたびに…あたしの中に…湧いてくる物があった。


 …年末、希世と沙也伽に二人めの赤ちゃんが産まれる。



 あたし…

 結婚…したいな…。


 ノンくんは…どう思ってるんだろ。




 〇桐生院華音


「え?沙都も曽根さんも桐生院に泊まるの?」


 紅美が丸い目をして言った。


「ああ。」


「何で?帰国したら、まず実家でしょ。」


「それが、豪邸に泊まって日本に馴染みたいとか…わけ分かんねー事言いやがった。」


「…沙都も?」


「ああ。」


「…変なの。」


 紅美は首をすくめながら、ミックスジュースをストローで混ぜて飲んだ。


 少し遅い朝飯。

 あー…紅美とこのままのんびりして、もう一泊してーなー…

 って、そうもいかないか。



「でもまあ…外野が居た方が、咲華が帰った時にワンクッションあっていいのかなーってさ。」


「あー…なるほど。咲華ちゃんは何時に帰るの?」


「それが迎えは要らないからって、時間言わねーんだよ。」


「ふうん。」


 今日は…沙都と曽根もだが…

 咲華も帰って来る。


 志麻と別れて傷心旅行に出て一ヶ月。

 ほんっっっとに、誰とも連絡を取らなかった。

 あいつ…マジで冷たい奴だ。

 連絡取らないとか言いながら、こっそり俺か華月にぐらいは連絡すると思ってたのに。


 こっちは心配してたのに。

 一ヶ月経った日の連絡も、一括送信だったし。

 普通は一括送信でも構わねーのかもしんねーけど…

 事が事だけに、ちゃんと個別にしろよって思う。

 親父もへこんでたが、俺も軽くへこんだ。


 …まあ、これ以上言ったら、シスコンと思われかねないから言わねーけど。



 それにしても…

 昨夜は最高だったな。

 取材上がりの紅美と、飯食って飲んで…一緒にシャワーして…からの…


 かなり燃えた。



「いいなあ。沙都も曽根さんも泊まるんなら、あたしも泊まりたい。」


 唇を尖らせる紅美。

 そんな唇をすんなよ。

 キスしたくなんだろーが。


 俺は頬杖をついて、それを眺める。


「聞いてる?」


「聞いてる。泊まれよ。ばーちゃん達も来るし。」


「えっ!?ほんと!?絶対泊まりたーい!!」


 紅美はそう言うと、スマホを手にして。


「あ、母さん?今夜桐生院に泊まっていい?」


 麗姉に電話をし始めた。


「うん。咲華ちゃん帰って来るから、ばーちゃん達も来るんだって。」


 そうなると、たぶん麗姉も来るだろーな。

 麗姉、ばーちゃん大好きだし。

 となると…陸兄も…来るかもだな…


「うん。分かった。うん。じゃあねー。」


 紅美がウキウキしたような顔で電話を切った。


「いいって。ねえ、知花姉に電話してよ。あたし泊まるって。あと、母さんと父さんもご飯は食べに行くかも。」


「だよな。」



 それから空港に移動する間に、母さんに電話をした。

 紅美も泊まっていいか。

 麗姉と陸兄も飯に来るかも。

 それだけを伝えたが…


『あら。紅美と一緒なの?』


 普段ふわっとしてるのに…勘のいい母さんにそう言われると。


「…ああ。沙都を迎えに行くって言ったら、来たいって言うから合流した。」


 少し…声のトーンが変わった気がした。

 意識するな…意識するな…


 俺としては…

 さっさと公表して、さっさと結婚にこぎつけたい所なんだが…

 俺達は戸籍上イトコだし、ここ最近の陸兄の紅美可愛がり…

 一筋縄じゃいかねー気がする。


 うちは…母さんがやたらと『孫が欲しい』って触れ回ってて。

 さすがに咲華と華月にはプレッシャーになっちゃいけないとでも思ってるのか、二人には言わない。

 俺に言う。


『彼女いないの?』


『結婚願望ないの?』


『赤ちゃんて可愛いわよ?』


 …あからさまだぜ…



『ふふっ。今夜は賑やかね。楽しみだわ。』


「帰ったら料理手伝う。」


『ありがと。気を付けて帰ってね。』


「ああ。じゃ。」



 紅美に指でOKサインを出す。


「やった♪」


 沙都と曽根が帰って来たら…

 とりあえず、目の前でイチャついてやる。

 特に沙都に。

 紅美はもう、俺のもんだぜ。


 見せ付けてやる!!




 〇桐生院咲華


 いよいよ…帰国の日。

 当然だけど、空港は人でごったがえしてる。

 こんなにたくさんの人を一度に目の当たりにするのが初めてなリズちゃんは、目を大きく開けてキョロキョロ。



「リズちゃん、いい子にしてられるかな~っ?」


 あたしが頬を擦り合わせてそう言うと。


「ひゃっ!!んぱぁっ!!」


 リズちゃんは大笑い。


 普段あまり泣かないから…こそ。

 機内で泣き始めた時の対処が…あたし、ちゃんと出来るかなあ…って、ちょっと心配。

 海さんは、これも親としての試練だ。って。


 …うん。

 そうだ。



「沙都ちゃん達、二ヶ月ぐらい滞在予定って言ってたっけ?」


「ああ。その間にどこかに一緒に行けるといいな。」


「リズちゃん、どこ行く?ママ、水族館に行きたいなあ~。」


「うんっんっんっ。」


 まるで自分も行きたいって言ってくれてるみたいに、リズちゃんが身体を揺らせて大きく頷いて。

 海さんと二人で笑ってしまった。



 機内に乗り込んで、最初はソワソワしてた風のリズちゃんも…

 曽根君には気味悪いって言われるタオル生地の人形『マーサ』を手にして、ゴキゲンな様子。


「…緊張してきた。」


 あたしが小さく言うと。


「飛行機に?」


 海さんが笑った。


「一ヶ月ぶりに会うあたしに…旦那様と子供がいるって…」


 このあたしの姿を目の当たりにする家族は…

 どう思うんだろう。


 あらかじめ知らせておこうか悩んだ。

 まだアメリカに滞在されている海さんのご両親とも、それについては話し合った。

 だけど、先に打ち明けてあたし達が帰国するまでの数日間、ずっとモヤモヤさせてしまうより…

 一緒に帰って目の前で挨拶して、潔く殴られて…それから理解してもらえるよう説得する。っていう海さんの意見に、ご両親も納得された。


 …確かに、前もって『結婚して赤ちゃんを引き取った』なんて連絡したら…


『今すぐ帰って来い』


 言われるのはその一言。


 そして、あたしが帰るまでずっと…父さんは無言を貫き通して、家の中を変な空気に変えてしまうはず。

 しかも…相手がしーくんの上司である海さんだと知ったら…

 陸兄まで巻き込んでの騒動になる事は間違いないよね…


 …あたしがそうさせるんだけど…

 分かってるけど…



「咲華。」


 手をギュッと握られて顔を上げると。


「今更色々悩んでも仕方ない。対策なんて立てずに、その場で正直に話して認めてもらうしかないんだ。」


 海さんは…優しい笑顔。


「…うん…そうだよね…」


 ごちゃごちゃ考えてしまう、あたしの悪いクセ。

 そうだ。

 あたしは…海さんを信じて。

 海さんとあたしの未来を信じて、ちゃんと…話すしかない。


 今のあたし達を、これからのあたし達を…見て欲しいって。

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