第37話 …どうなる事かと思ったけど…

 〇桐生院咲華


 …どうなる事かと思ったけど…

 とりあえず…しーくんは海さんと富樫さん、泉ちゃんと共に…本部に戻って行った。


 あたしはー…

 リズちゃんを膝に抱えたまま…離せずにいた。

 いつもなら、もう…ベビーベッドに降ろして、家の事をしてる時間なのに。

 全然…そんな気にならない。

 リズちゃんを、離したくない。



 …怖かった。

 本当に、怖かった。


 あたしの本音は…それだ。

 しーくんが、リズちゃんをどうにかしてしまいそうで…怖かった。


 …分かってる。

 あたしが悪い。

 あたしが…彼の言葉を聞き入れなかったせい。

 ちゃんとお互いが納得して別れていれば…こんな事にはならなかった。


 しーくん…海さんを閉じ込めるなんて…

 それに…

 …泉ちゃん。

 本気なの?

 あたしと海さんの事を心配して…自分がしーくんを引きとめようとしてるんじゃないの…?


 ああ…

 あたしのせいで、色んな人が大変な事に…



「…一つ確認なんだけどさあ。」


 ふいに、曽根君が口を開いた。

 さっきまで泉ちゃんと聖が付き合ってた事を、似合わないってしつこく言ってたクセに。

 あたしがすっごく大きなため息をつくと、『サクちゃんてキリより鬼だよな!!』って鼻にしわを寄せて二階に上がって行った


 …かと思えば、すぐに降りて来て。

 珍しく無言で…座ってチラチラとあたしとリズちゃんを見てた。



「…何の確認?」


「サクちゃんは、男前に未練はなくて、ちゃんとニカの事好きなんだよな?」


「……」


 たぶん…

 たぶん、あたしがいちいち無言になるから、曽根君はあたしを疑うんだ。


 あたしとしては…

 そんなの、言わなきゃ分かんないの?って無言なんだけど。

 …言わなきゃ分かんないんだよね…きっと。


 だってあたし、周りの誰が見ても…しーくんを大好きだったし、そのしーくんと別れてすぐ…結婚だもん…

 …酔っ払って。



「…未練って…好きかどうかって事だとしたら、気持ちは完全に離れてはないのかもしれない…」


 あたしは…正直に言った。

 案の定、曽根君は大げさに嫌な顔をしてのけ反った。


「最後まで聞いてよ。」


 変なリアクションに、つい声が低くなる。


「あたし、会わないまま別れたの。だから…変わり果ててる彼の姿見た時、胸が痛んだ。」


「まあ…あんなに変わってちゃビックリするよなあ。」


「…会って…話し合って別れるべきだったのかもしれないけど、それだときっと…あたしは戻っちゃってたから…」


「そんなに戻りたくなかったって事?」


「…うん。」


「今日会っても、戻りたいとは思わなかった?」


「…正直…戻りたいって気持ちが少しは湧くのかと思ったんだけど…」


「思わなかったんだ?」


「うん。ただ…心配する気持ちはどうしてもあるから…」


「んー。それは仕方ないとしても、もうニカ一筋って事だよな?俺思うに、今日のニカは色々不安だったと思うぜ?」


 …心の中で、つい…『曽根のクセに』なんて思ってしまった。


 あたしは直接害を受けた事はないけど…

 華音にした仕打ち、あたしは忘れないわよ。



「分かってる。海さん…すごく頼りがいあるけど…」


「けど?」


「…手が震えてたから…」


「……」


 あたしとリズちゃんの肩を抱き寄せた海さんの手は…震えてた。

 しーくんに閉じ込められて…ここに来るまでの間、どんなに…

 どんなに、色んな事を考えただろう。

 あたしが海さんの立場だったら…手が震えるどころの話じゃ済まない。



「…意外とサクちゃん、ニカの事よく解ってんじゃん。」


「…そうなのかな…もっと解ってあげたいって思うけど…」


「で、もう…ニカにメロメロ…と。」


「……」


 何、そんな聞き方。って思ったけど…


「…そっかもね…もう…恋なんてって思ってたのに…」


 つい…素直に言ってしまった。

 不思議と…海さんへの気持ちを口にする事にためらいがない。

 これって…ただ単に惚気たいだけ?


「本当に思ってたのかよー。あんなに俺と沙都君の前でイチャイチャしてんのにさ。」


「…だって、海さんとくっつくの、心地いいんだもん。」


「はいはい、ごちそーさま。ニカ、疲れも吹っ飛んだだろ。」


「えっ。」


 曽根君の視線が玄関に向いてて。

 あたしが少し開いたままのドアをじっと見てると…


「…盗み聞きするつもりはなかったんだけど…な?」


 海さんが、片手で口元を押さえて。

 嬉しさを隠しきれないって顔で…入って来た。


「…い…いつからー!?」


 あたしが立ちあがって曽根君と海さんを交互に見ると。


「最初から居たよなあ。」


 曽根君が、ケラケラと笑いながら言った。


「ひゃははははっ。」


 それにつられて、リズちゃんも大笑い。

 あたしは…今更だけど恥ずかしくて…すごく恥ずかしくて…

 たぶん真っ赤だし、眉間以外にも…顔全体にしわが寄ってると思う。


「…トシ、悪いけど…」


 海さんがそう言うと。


「あー、はいはい。俺は事務所に行って来るから、もう好きにやってくれよ。」


 曽根君は目を細めて。


「赤子が寝てからにしろよ。」


 海さんにビシッと指差してそう言った。





 〇二階堂 海


「……」


「……」


 トシが事務所に出かけると言って家を出て。

 俺は…いつもみたいに咲華の腰に手を回して、額にキスを…しようとしたのだが。


「あー。」


 リズの声だけが、リビングに響く。



 富樫と泉と志麻とで本部に戻り、まだ仕事中だが…どうしても咲華の様子が気になって考え込んでしまっていると。


「ボス、ご自宅にお忘れではないですか?」


 突然、富樫がそう言った。


「え?」


 俺が首を傾げると。


「ああ、やっぱりお忘れになってますね。私がお渡しした資料の封筒です。」


 富樫は、俺の部屋を見渡して言った。


「……」


 資料の封筒など渡されていない。

 だが富樫はやたらと笑顔で。


「夕方までにはお戻り下さい。私と共に報告書を書いていただかねばなりませんから。」


 そう言って…俺の背中を押した。


「…富樫。」


 俺が首だけ振り返って呆れた顔をすると。


「あんな事があった後です。奥様も心細い思いをされているかと。」


 富樫は小声でそう言って、エレベーターのボタンを押した。


 …富樫の気遣いに感謝して、俺は家に帰った。

 そして…玄関のドアを開けかけたその時、トシが階段から降りて来て。


「……」


「……」


 なぜか、俺に向かって。

 口の前に人差し指を立てたんだ。


 …黙ってここに立ってろ…と?



「…全部、聞こえてたの?」


 咲華が唇を尖らせる。


「……いや、全部は聞こえてない。」


 とは言っても…ドアの前に立ってからは全部聞いてしまった。

 たぶん…咲華の言う『全部』の…全部だと思う。


 トシが『一つ確認なんだけどさ』と言って。

 咲華は次々と、今現在の気持ちを口にした。

 志麻に戻りたい気持ちはないが、心配な事。

 それは当然だと思う。


 そして…

 俺に対する気持ち…


「…手が震えてたの、バレたか。」


 咲華の手から、リズを受け取る。

 リズは手にした人形を俺に見せて、満面の笑み。

 俺もそれに笑顔で応えながら…


「カッコ悪いな。」


 咲華の顔を見ずに言った。


「カッコ悪いなんて……あたしには…最高にカッコ良かった…」


「……」


「あたしとリズちゃんの事…心配してくれてるって…」


「当然だろ?」


「その当然が…嬉しかったの…」


 咲華がゆっくりと腕に来る。

 俺は右手で咲華を抱きしめると、額にキスをして。


「…富樫が気を利かせて夕方まで時間をくれた。」


 耳元で言った。


「……」


 咲華は上目使いで俺を見ると。


「…リズちゃん、ミルク飲んでお昼寝しよっか。」


 クスクスと笑いながら…リズの頭を撫でた。





 〇二階堂 泉


「ちょっと。なんでさっさと帰るのよ。」


 ホテルの部屋の前で仁王立ちすると、志麻は少し目を見開いて…次の瞬間小さく笑った。


「…本当ですね。失礼しました。」


「ご飯食べに行く?」


「……」


「それとも、飲みに行く?」


「…お嬢さん。」


「ん?」


「…あの場を鎮めるために、あんな嘘をつかれたのでしょう?」


 志麻は…ここ最近見せなかった表情。

 久しぶりだな…こんな顔。

 …って。


「は?何?嘘?じゃあ…志麻が兄貴に言ったアレは、嘘なの?」


 あたしが眉間にしわをよせまくって問いかけると。


「…お嬢さんに合わせたつもりなのですが…」


 志麻は少し首を傾げて。


「少し、言い過ぎたでしょうか…」


 困った顔になった。


 …正直…まあ…志麻は見破ってるわけよね。

 あたしが…志麻を好きになっちゃった…なんて。

 説得力ないよね…

 ドイツであれだけ、聖だの薫平だのとの色恋の愚痴を吐き出して。

 弱ってる志麻に塩を擦り込むような事も平気で言った。



「…あたしに合わせて兄貴に嘘ついたって事?」


「…そうなってしまいますね。」


「悪いけど、あたしのは嘘じゃないんだけど。」


「……」


「…あたしに、ぬか喜びさせた…と。」


 肩を落として唇を尖らせる。

 半分は本音だ。

 志麻、あたしの励ましに、心動いたのかな…なんて思ったりもしたし。

 …ま、あたしごときに好きって言われても…って事かな。

 咲華さんの後があたしじゃ、そりゃあ志麻も…病んでるって思われても仕方ない。



「…本気で私の事を想って下さってる…と?」


 志麻が遠慮がちな声で言った。


「本気じゃなかったら、部屋まで来ないよ。」


「……」


「…あたし、惨めじゃん。」



 ぶっちゃけ…

 志麻に、兄貴と咲華さんの邪魔をして欲しくない。

 これが…本音。

 だから、志麻さえその気になれば…

 あたしは志麻と結婚して、ドイツでもイタリアでも、日本とアメリカ以外に拠点を置けばいいと思ってる。



「…本気にしていいんですか?」


 ふいに…腕が伸びて来た。

 その腕は、あたしの腰をギュッと抱き寄せて…かなり距離を縮めた。


「いいよ。」


「……」


「ちゃんと…あたしの事、好きになって…」


 志麻の首に腕を回す。


「…泉…」


 耳元で…あたしを呼び捨てる志麻の声。

 それを聞いて…あたしは目を閉じた。



 …志麻とは同志だもん。

 傷の舐めあいみたいではあったけど…寝れたりしたし。

 …何てことないよ。


 うん。

 何てこと…ない。




 〇富樫武彦


「……」


「…富樫。」


「……」


「富樫。」


「……」


「……おい。」


「はっはい!!あっ…すみません!!」


 私とした事が…!!

 いつの間にかボスが目の前に立たれている事にすら気付かず、考え事に没頭してしまっていた!!


「お…おかえりなさい。」


「ああ…ただいま。」


「奥様、大丈夫でしたか?」


「……」


 私の問いかけに、ボスは小さく笑うと。


「…咲華より、俺の方が薬をもらえた気分だ。富樫、感謝する。」


 私の目を見て…そうおっしゃった。


「感謝なんて…」


「いや、本当に。何があっても…俺達は大丈夫だと確信出来たよ。」


 ああ…いい顔をされている…

 そのボスの様子に私が感動していると。


「だが…泉と志麻の事が心配だ。」


 少し、表情を曇らされた。


 …それは…

 私が先ほどまで、ずっと考え込んでしまっていた事です。

 …とは言えず。

 私は無言でその言葉の続きを待った。


「あの二人の気持ちを…信じていいと思うか?」


「……ど…どうでしょう…」


 …どうした?

 私らしくない。

 答え渋るなんて…どうしたんだ。


 その私の様子に気付かれたのか、ボスはじっと私の目を見て。


「…富樫…泉の事を好きなのか?」


「!!!!!!!!!」


 ボ…ボス!!

 なんてストレートな!!


「あっ、いっいい…いいえ、その…好きではないです!!」


「え?」


「いやっ、違います!!好きではないと言うわけでもなく…好きだとしても、その…恋愛に発展しているほどの好きというわけでもなく…」


「……」


「その…つまり…」


「…気になる存在、と言うわけか。」


「………すみません。」


「なぜ謝る?」


「…先ほど…ボスのご自宅での…お嬢さんと志麻の様子を見て、初めて…そう思ったからです。」


「……」


「心から祝福出来ない自分が居ました。それどころか…胸のどこかが痛んだのです。」


 私は正直に…ボスに胸の内を明かした。

 本来こんな事…打ち明けるべきではないのに。


「ですが、恋とか愛とか言う物には達しておりません。どうか…この事は気にも留めないで下さい。」


 私が深々と頭を下げて言うと。


「…分かった。無理矢理聞きだして悪かったな。」


 ボスは小さく溜息をつかれた。


「いえ…とんでもない。私から告白したのです。」



 あの日…

 泉お嬢さんとラーメンを食べに行った、あの日。

 お嬢さんは、何か悩まれていた。

 そしてそれは…明らかに、男性との事だったはず。


 彼女以外とも寝てしまう男。

 それが…お嬢さんの想い人だったのだろうか。


 あの時は深く考えなかった。

 ただ、お嬢さんも普通に恋をされているのだな、と。


 桐生院家の聖氏とお別れになって以来、少しお元気がなかったようだが…

 その『彼女以外とも寝てしまう男』の出現で、お嬢さんは元気を取り戻されたのではないだろうか。

 …なのに、いいのか?

 志麻で…。


 そう思っている私と。


 ただ単に…

 嫌だ。


 そう思っている…私がいる。



 これは…

 何だ?




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