第24話 それからも…

 〇咲華


 それからも…

 しーくんからは、メールが来たり来なかったり。

 だけど、以前ほど嬉しくなくて、あたしはさほど返信をしなかった。



 しーくんは7月7日、七夕の午後に帰るから会社の下で待ってると連絡して来た。

 その時…しーくんはどういう気持ちなんだろう。

 婚姻届を手にしてる…?

 それとも…

 また少し離れて居たせいで、そんな気は薄らいでる?


 …もう、疲れた。




「おかえり。」


 7月7日。

 仕事を終えて外に出ると、しーくんが車の外で待ってた。


「…しーくんも、おかえりなさい。」


「ただいま。乗って。」


「ありがとう。」


 助手席のドアを開けてくれて、あたしはそれに乗り込む。

 顔を見たら…やっぱり好きだ。って気持ちが盛り上がるかもしれないって思ったけど…



「…元気ないな。どうした?」


 赤信号で停まってる間、しーくんがあたしの顔を覗き込んだ。

 あたしはしーくんの目を見て。


「朝子ちゃんとアメリカに行ってたの?」


 ハッキリ問いかけた。


「……」


 しーくんは『どうしてそんな事を聞く?』みたいな、不思議そうな顔をしたけど。

 信号が青になって車を発進させると。


「向こうの現場があるついでに、朝子の検査に付き添ったけど…それが?」


 何てことはないって感じで答えた。


「…あたしって…しーくんの何?」


 通り過ぎる景色を眺めながら、ボンヤリと問いかける。

 しーくんにも…自分にも。


「…咲華?」


「朝子ちゃんが結婚した事も…あずきで働いてる事も…どうして、話してくれなかったの?」


「……」


「ドイツに行ってる間も…あたしには連絡取れないって言ってたのに…朝子ちゃんには連絡取ってたんだね。」


 あたしの言葉に、しーくんは溜息をついた。

 その溜息にカチンときたあたしは。


「あなたが分からない…」


 低い声で、そう言った。



 やがて…車はあたしの家の前に。


「…今日、ご両親に挨拶して、入籍の許可をもらおうと思ってた。」


 しーくんは停めた車の中で…静かにそう言った。

 ダッシュボードから婚姻届を出して…開いてあたしに見せてくれた。

 そこには、しーくんの名前が…記入済み…


「……」


「咲華は、もう…俺とは無理って思ってる?」


 ここに…あたしが名前を書けば。

 あたし達は、夫婦になれる。

 だけど。

 あたしは…一生、朝子ちゃんの存在に悩まされるのかもしれない。

 いくら…彼女が結婚しても。

 彼女が…しーくんの妹でも。


「…朝子に連絡してたのは、事故に遭った後だから心配だったからだ。」


 …そう…だよ。

 しーくんは、優しいお兄さん。

 ただ、それだけなんだよ…


 …だけど…


「…ごめん…」


「…咲華?」


「…不安なの…不安だったの…ずっと…」


 しーくんが、あたしの肩に手を掛ける。


「どうして?何がそんなに?」


「…いつだって…あなたは朝子ちゃん優先で…」


「……」


「物わかりのいいフリしてたあたしが悪い。分かってる。分かってるけど…」


 そう。

 あたしが悪い。

 ちゃんと言わなかった…あたしが悪い。


「…しーくん…朝子ちゃんの事…一人の女性として好きでしょ…?」


「な…」


 あたしがうつむいたまま言うと、しーくんは絶句した。


「何言ってんだ。妹だぞ?」


「……」


「咲華、今日は疲れてるんだな。明日ゆっくり話そう。」


「あたし、気付いた。」


「何を。」


「アルバム見せてもらった時…気付いた。」


 あたしは…ずっと言えなかった言葉を…


「朝子ちゃんとしーくん…血が繋がってないでしょ…」


 口にしてしまった…。



 イライラした。

 しーくんにも…自分にも。

 特別な環境で生まれ育ったんだから…家族の仲がいいのは当然なんだよ…

 ううん…

 家族仲がいいって言うんじゃなくて…

 絆が強いんだよ…

 …うん。


 あたしが思うような事じゃないよ…って言い聞かせようとするのに…

 だけど…と。

 だけど…きっと、しーくんは…

 朝子ちゃんを一人の女性として見てる…



 ベッドに横になってスマホを手にしてみると…

 しーくんから着信。


「……」


 寝てた事にしようかな…



 今日は…会社の下で待っててくれて。

 一ヶ月ぶりに会ったのに…

 もう、あたしの気持ちが追い付けなくて。

 朝子ちゃんに対する嫉妬心しか湧かなくて。

 しーくんに、冷たい事しか言えなかった。


 ダッシュボードには婚姻届。

 あたしが名前を書けば…ずっと待ち焦がれてた幸せが手に入ったかもしれないのに。

 …嬉しさより苛立ちが勝った。


 また明日話そうって送られて…

 あたしは…抜け殻状態だ。


 仰向けになって、天井を眺める。

 そして…あの日の事を思い出した。



 あの日、あたしは…婚姻届をしーくんの前に出して。


「入籍だけでも…どうかな。」


 そう…言った。

 あたしは以前、電話でそれを切り出した事がある。

 だけど、しーくんは…何も言ってくれなかった。

 ただ…

 何が不安なんだ?って。


 そんなの……

 …全部に決まってる。



 女のあたしから切り出すのは…どうかなって…思いもあって。

 婚姻届から、目を上げられなかった。

 恥ずかしかったし…

 怖かったから。


 だけど…次の瞬間…


「…朝子!!」


「……え?」


 しーくんは、朝子ちゃんの名前を叫んだかと思うと、走ってお店から出て行ってしまった。


 状況がつかめずに、お店の外を見ると…

 自転車が…転がってた。


 朝子ちゃん…?


 あたしは人の波をかきわけて、倒れてる朝子ちゃんと、その朝子ちゃんのそばにいるしーくんに駆け寄った。

 だけど…

 しーくんは、一度もあたしを振り返らなかったし…

 何の躊躇もなく…駆け付けた救急車に乗って、行ってしまった。


 一人残されたあたしは…テーブルに残されてた婚姻届をバッグに詰め込んで。

 タクシーを拾える通りまで出ると、それに乗り込んで大学病院に向かった。

 この辺りでの事故なら、きっとそこだ…って思ったから。


 病院の前でタクシーを降りて、しーくんを探す。

 なかなか見つからないかなって思ったけど…彼の姿はすぐに見つかった。

 救急処置室の前…険しい顔で…見えるはずもないドアの向こうを見つめてる。


「……」


 声を…かけられなかった。

 こんな顔のしーくん…初めて見る。


 あたしはしばらく立ちすくんでしーくんを見つめたけど…

 彼はあたしに気付かなかった。

 処置室の中から声がかかって、しーくんが慌てたように中に入るのを見届けて。

 そして、そこから…数人の笑い声が聞こえて少しホッとして。

 あたしは…家に帰った。


 しーくんが好きなのは…

 あたしじゃない。

 朝子ちゃんだ。

 ずっとずっと…昔から。




 〇志麻


「…どうしたの?志麻。顔色悪いけど。」


 二階堂に戻ると、姐さんから声をかけられた。


「…いえ、大丈夫です。」


「そう?」


「はい…」


「ドイツから要請が来てたけど、今回は浩也さんに任せる?」


「いつですか?」


「明日から一ヶ月よ。」


「…私がまいります。」


「…大丈夫なの?」


「大丈夫です。」



 どうやって…帰ったのか分からないほど…

 俺は動揺していた。



 咲華から…

 朝子と俺は血の繋がりがないんじゃないかと言われた。

 …アルバムを見て気付いた…と。


 なぜ気付いた?

 あの日…咲華に見せたアルバムに、何か決定付ける物があったか?



 俺は部屋に帰ると、アルバムを手にして開いた。

 そこには、幼い朝子を大事に抱える俺の写真や…

 手を繋いで学校に向かっている後姿。


 …朝子は…

 俺の妹だ。

 間違いなく…東朝子は、俺の妹だ。


 だが…


「……」


 朝子の写真は、生後二ヶ月の次が…一歳半と、間が空いている。

 俺はそのページをしばらく見つめた。


 本当の朝子は…

 一歳の時…突然いなくなった。

 朝子が産まれて、女の子のいる家のリビングだった我が家は。

 その日を境に、とてもシンプルな…無機質な家になった。

 朝子が気に入っていたクマのぬいぐるみも姿を消した。


 俺だってまだ幼くて両親に甘えたかったのに。

 まるで俺の事が視界に入っていないかのようだった。


 理由を聞かされなかった俺は、ただ落ち込んでいたような両親のために…必死でいい息子になろうとした。

 まだ四歳だった。

 それでも空気は読めた。


 だが不思議な事に…それから数カ月も経たない内に…


「志麻、朝子よ。」


「……」


 母は何を言っているのだろう。と思った。

 幼い俺には分からないとでも思ったのだろうか。

 母が抱いている女の子は…朝子ぐらいだった。

 見た目も…朝子に似ている感じではあった。


「やっと退院できたのよ。志麻はお兄ちゃんなんだから、朝子をしっかり守ってやってね。」


「…はい…」


 退院?

 朝子は入院していたとでも?

 いや、違う。

 深夜、母のすすり泣く声を何度も聞いた。

 朝子の名前を呼びながら。



 両親が笑顔で俺に期待をすればするほど…俺はそれに応えようと必死になり、他人行儀になった。

 とにかく…俺の任務は朝子を守る事。

 それが…東家の長男として与えられた仕事。

 成長と共に、朝子を守る事…そして二階堂に尽力する事を両親は喜んだ。

 俺は…それぐらいの事でしか、自分の存在価値を認めてもらえないと思っていたのかもしれない。


 朝子を妹以上に思った事はない。

 だが…咲華は何らかの形で俺と朝子に血の繋がりがない事に気付き…

 俺が朝子を好きだと言い張った。


 …こんなに…咲華を想っているのに。



 明日また話そうと咲華を家の前で下した。

 …ドイツに行く事を話さなくては。


 俺は携帯を手にして、咲華に連絡をした。



『…もしもし。』


 電話に出た咲華の声は、当然…明るくはなかった。


「咲華?明日話そうって言ったが…明日からドイツに行く事になった。」


 まず、仕事の話を先に出すと…


『…そう。』


 咲華は溜息交じりの声。


「…本当に、悪い…」


『……』


 電話の向こう、咲華は無言。

 俺は…少し気が焦った。


「今から会わないか?」


 明日話そうと言って別れたのに。

 そう言わないといけない気がした。


『…明日からドイツなんでしょ?もういいよ。』


 咲華の言葉には、トゲがあった。


「…もういいって…今から家に行くから。」


『来ないで。』


「……」


『もう…そんな無理…しないで…』


 最後の方は、聞き取れるかどうかぐらいの小さな声…


 咲華…

 俺は…



「無理なんて…とにかく、今から行くから。」


 カギを手にして、家を出ようとしたが…


『無理出来るなら、誕生日に会いたかった。』


「……」


 その言葉に…足が止まった。


『クリスマスだって、来てほしかった。』


「…咲華…」


『大晦日も…会いたかった。』


「……」


『あなたは…日本にいたのに…あたしには、会いに来なかった。』


 二階堂のために…

 俺は、二階堂のために…

 …咲華の幸せを…



『もう…あたし達、駄目ね…』


「…咲華、とにかく今から」


『来ないで。もう…』


「咲華、嫌だ。頼むから、俺に」


 チャンスをくれ。

 そう言おうとしたが…


『もう、終わりよ。』


 咲華は…俺の言葉を遮って、そう言った。


『もう、待てないし…待たない。』


「…咲華…」


『…婚約は…破棄よ…』


「……」


『婚約して二年以上結婚しないなんて…縁がなかったとしか…言いようがないよね…』


 俺は…ずっと待たせた。

 俺が仕事に集中している間…

 咲華は、一人で…ただ待つしかない日々を…


 …二年以上…


 俺にとってはあっと言う間でも…

 咲華にとっては、どれだけ長い毎日だっただろう…


 なぜ俺は…

 こうならないと気付かなかったんだ?



『本当なら…お詫びに行かなきゃいけないのかもしれないけど…行かないから。ご両親にはあなたから伝えて。』


「待ってくれ。今から行くから。ちゃんと話し合おう。」


 もう一度…と、願いを込めて言ってみる。

 だが…


『…もう無理。何も…話したくない。』


 咲華は、らしくない早口で言った。


「今までの事は…本当に悪かった。努力する。許してくれ。」


 今更だとは思いながらも…今の俺には、謝る事と…懇願しか思い浮かばなかった。


『…うちの家族にもあたしから言うから。』


「頼むから咲華…話しを聞いて欲しい…」


『…もう、嫌なの…疲れた…』


「……」


 膝から崩れ落ちた。


『……さよなら。』


「待ってくれ。咲華。頼むから…もう一度だけ…」


 プツッ。


 電話はそこで切れた。

 俺は急いで掛け直したが…咲華が電話に出てくれる事はなく、やがて電源も落とされた。



 さよなら。


 咲華の別れの言葉が…

 深く深く…


 胸に突き刺さった…。

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