第11話 「まあ!!」

 〇二階堂 海


「まあ!!」


 約束の時間に施設に行くと、ケースワーカーと施設長が目を丸くした。


「リズ、たった三週間足らずで、こんなに大きくなったの!?」


 その言葉に…


「ぷっ…」


 俺はふいて。


「……」


 咲華さんは笑顔が凍りついたような表情だった。



「本当に良く食べて…よく寝ます。」


 咲華さんが握ったり開いたりする手を見て大笑いしているリズ。

 そんなリズを見た二人は…


「まあ…まあまあまあまあ…マリア様のお告げは間違いないわね…!!」


 手を握り合って言った。


 …ん?

 そう言えば電話でも言ってたが…

 マリア様って…


「それは…誰の事ですか?」


 あの時は瞬時に聖母マリアの事だと思い、夢でも見られたのだろうかと思ったが…


「マリア様は、有名な占い師様です。」


「あっ。」


 咲華さんが、声を出した。


「もしかしてそれって…年配の…ビビッドな黄緑の服を着た方ですか…?」


「知ってるんですか?」


 咲華さんに問いかけると。


「…あのお店にいらっしゃったんです…」


 目を見開いて、呆然とした声。


「…あの店?」


 俺が首を傾げると。


「…あたし達が…」


「……」


 酔っ払った店か…!!



 しかしあそこに、ビビッドな黄緑の服を着た女性なんていたか…?

 俺は額に手を当てて、もう随分薄れてきた記憶をたどってみた。


 …店に入ると…外観とは裏腹に店の中は盛り上がっていた。

 一人で静かに飲みたいと思って訪れたのに…と、少し失敗に思った。

 そこへ…俺に声をかけて来た男が二人…


 メガネの三十代後半男性と、カウボーイハットをかぶった二十代前半の男性。

 日本人が来てる。と言われて案内される間に…

 四十代半ば、チェックのシャツの女性と…

 四十代前半のスーツ姿の男と…

 カウンター席の中央辺りに座っていた咲華さんの…


「…斜め後ろの席にいた七十代女性?」


 ビビッドな黄緑の服は着ていなかったが、椅子の背もたれに黄緑色のストールをかけていた。


「あ…たぶんその方です…」


「それで…その占い師…様は、どういう紹介状を?」


 咲華さんからリズを手渡されて、笑顔になっている施設長に問いかける。


「ああ…お酒で結ばれた二人ですが子供を幸せにする力を持っていますから、迷いなく手続きをしてください、と。」


「……」


 子供を…幸せにする力…


 咲華さんと顔を見合わせると。

 咲華さんは少しだけ照れ臭そうにうつむいた。

 …俺に…そんな力なんて…


 それから俺達は、リズの予防接種の説明を受けたり。

 咲華さんがつけている、リズ日記(写真付き)を見たり。

 その間、リズは咲華さんと俺を行ったり来たり。

 目が合えば笑顔になり、俺達大人四人はもう…メロメロだった。



「安心しました。リズが本当に笑顔で。」


 施設の外、見送りに出て来た二人は満足そうだった。


「どうか…リズの事、よろしくお願いします。」


 ギュッと手を握って言われて…俺も咲華さんも頷くしかなかった。



 …俺達が酔っ払って結婚した事も知っててリズを託したなんて…

『マリア様』の影響力って。

 だが、今はそれに感謝しかない。

 このまま…三人で暮らす事が出来るなら…

 そうするなら…

 まずは…




「眠っちゃった…」


 咲華さんが、リズの頭を撫でながらその寝顔を見下ろす。

 俺は…その咲華さんの横顔を見ていた。


 志麻と別れたばかりなのに…酔っ払って結婚させてしまった。

 お互い様とは言え、俺はともかく…彼女にはマイナスでしかない気がする。


 責任を取らせて下さい。


 …いや、それは違う気がする…

 じゃあ…何だ?



「…?」


 俺の視線に気付いたのか、俺と目が合った咲華さんが首を傾げた。


「あ…ああ、今日はお疲れ様でした。リズの事も、あんな風に記録されてるなんて。」


 リズ日記を思い出してそう言うと。


「毎日色んな発見があって、楽しいんです。」


 咲華さんは笑顔で答えた。


「……」


 今…どこか…

 俺の身体のどこかが、その笑顔に疼いた気がした。



 気が付いたら…紅美を好きだった。

 それはただ単に好意だと思っていたが、いつの間にか愛に変わっていた。

 だがそれに気付かないフリをしなくてはならなかった。

 俺には朝子という許嫁がいた。


 仕事に集中したくて、朝子との結婚をなかった事にして…

 なのに…思いがけず紅美と思いが通じ合った。

 愛し合った。

 自分の立場もわきまえず…紅美を自分のものに出来たと思い込んだ。


 その結果…

 俺は朝子も紅美も傷付けた。



 それでも…紅美の事を想い続けた。

 二階堂を捨てても紅美を守りたいと…そこまで思えるほどの気持ちも持った。

 だが、紅美は二階堂のために俺を突き放したし…

 歌う紅美を誰よりも美しいと思っていた俺は、その決断に…ますます紅美を好きになった。


 一生…紅美だけを想い続けていればいいだけの話だ。

 誰とも結ばれなくていい。

 小さな子供がいる一般人を死なせてしまった俺には、幸せになる資格もない。


 そう…思っていたのに。



 今の疼きは…何だ?



「おやすみなさい。」


「おやすみ。」


 ベッドに入って、灯りを消した。


 癒される毎日に…どこからともなく湧き出て来る罪悪感や後ろめたさ。

 隣から聞こえてくる寝息にさえ、満たされてしまう俺は…

 この生活をホンモノにしたいが…

 そんな事は許されるのだろうか…


 悶々と考え事をしているうちに眠ってしまった。

 だが、そこから始まった夢は、悪夢だった。


 俺が死なせてしまった一般人が銃を持ってリズを人質に取っている。


「やめてくれ!!」


 そう叫ぶ俺の隣から、咲華さんが駆け出した。


「危ない!!」


 手を伸ばしたが、間に合わなかった。

 咲華さんはリズを助けるために自分の命を投げ出そうとしているのに。

 俺はその場から動けなかった。

 走りたいのに、足が動かない。


 足元を見ると、残された彼の小さな子供が俺の足を掴んでいる。


 離してくれ…!!


 頼む…

 頼むから…



 …許してくれ…




 〇桐生院咲華


「ん……」


「……」


 一度眠ってしまうと、朝まであまり起きる事のないあたしだけど…

 さすがに…目が覚めた。

 あたしは体を起こして、リズちゃんの様子を見た。

 …よく眠ってる。


 そして…反対側で眠ってる海さんを見ると…


「…てくれ…」


 汗ビッショリになって…何かつぶやいてる…

 苦しそうな顔…


「…海さん…」


 少しだけ身体を揺さぶってみるものの…海さんは起きない。

 首を横に振って…


「…許して…くれ…」


 ……許してくれ…?



 いつもポーカーフェイスで…そんな所はしーくんと一緒で。

 二階堂の人だなって思う。

 だけど…リズちゃんの事、本当に大事にしてて…

 なんて優しい人なんだろうって、毎日感動してしまう。

 きっとこの人は…みんなに優しいんだろうなって。


 友人は曽根君しかいなかった華音が、友達だって言うんだもん。

 すごく…いい人なんだろうな…

 …曽根君の事は、いい人だとは認めたくないけど。



「頼む…やめてくれ…」


 海さんの表情を見てると…助けてあげたくなった。

 何に苦しんでるのかは分からないけど…

 助けてあげる事なんて出来ないかもしれないけど…

 でも…

 そうしてあげたくなった。


 あたしは海さんの額の汗をそっと拭うと…

 身体を動かして、海さんの頭を抱きしめた。


「…大丈夫…海さん、悪くないから…」


 耳元でそう言って、髪の毛を撫でながら…額にキスした。


「大丈夫…大丈夫よ…」


 そう繰り返してると…


「…はっ…」


 海さんが、目を覚まして。

 あたしに抱きしめられてるって気付くと…それまで強張ってた身体から、力が抜けたように思えた。


 しばらく無言のまま…

 あたしは海さんの髪の毛を撫で続けた。


 きっと…

 辛い事があったんだ。

 それでも、家に帰る時は笑顔でいてくれる。

 こんなに苦しいなら…吐き出してもいいのに…



「…うなされてましたか…」


 海さんが、小声で言った。


「…大丈夫です。」


「…起こしてしまいましたね…」


「大丈夫です。」


「……」


「海さん、あたし…何も出来ないけど…」


「……」


「海さんの味方ですから…」


「……」


「辛い事があったら…話して下さ…」


 言葉の途中…声が出なくなった。

 どうしたのかな…って思ったら、海さんの唇が重なってた。

 だけど…ビックリって言うよりは…


 …どうしてだろ…

 安心…した気がする。


 目を閉じて、キスを受け入れた。

 海さんの背中に手を回すと…彼の手があたしを包み込んだ。


 …なんて優しく抱きしめてくれる人なんだろ…



 海さんの唇が首筋に降りて来て。


「…あっ…」


 あたしが小さく声をもらすと…


「……」


 海さんの動きが止まって…


「…すみません…」


 海さんは…身体を起こしてあたしに謝ると。


「…リズももう寝てるし…俺はあっちで寝ます。」


 そう言って、ベッドを下りた。



 〇二階堂 海


 悪夢にうなされてると…耳元で『大丈夫よ』と声が聞こえた。

 足元にしがみついていた子供は消え去り…優しい温もりに包まれた。


 誰かが…

 俺を助けようとしてくれている…

 その心地良さに浸っていたかったが、これは夢だ。

 そう思った瞬間…額に唇の感触…


「大丈夫…大丈夫よ…」


 これはー……

 …咲華さんの声だ。


「はっ…」


 驚いて目を開ける。


 咲華さんは…俺の頭を抱きしめて。

 ずっと…髪の毛を撫でてくれている。

 なぜだ?

 なぜこんな事に?


 俺は…もしかして…


「…うなされてましたか…」


 小声で言うと。


「…大丈夫です。」


 咲華さんは、俺の頭を抱きしめたまま答えた。


「…起こしてしまいましたね…」


「大丈夫です。」


「……」


「海さん、あたし…何も出来ないけど…」


「……」


「海さんの味方ですから…」


 味方…


 敵も味方もないが…理由も聞かずに、俺の頭を抱きしめて。

『大丈夫』と言い続けてくれている彼女の優しさに…俺の気持ちは揺れた。


「……」


「辛い事があったら…話して下さ…」


 ダメだ…と、何度も自分で言い聞かせたのに。

 そうせずにはいられなかった。

 咲華さんの唇を塞いで…上に乗った。


 …欲しい。

 咲華さんが欲しい。

 それはもう…

 酔っ払って結婚した責任うんぬんではなく…

 俺はこの人を…一人の女性として、愛し始めている。



 やがて背中に手が回って来て。

 もう…止められないと思った。

 首筋に唇を這わせると…


「あ…」


 かすかな吐息が漏れた。


「……」


 …ダメだ。

 何やってんだ…俺は。

 こんな…雰囲気に流されて抱こうとするなんて…


 第一、咲華さんは志麻と別れたばかりだぞ?

 まだ…気持ちの整理なんて…


「…すみません…」


 俺は起き上って咲華さんに謝ると。


「…リズももう寝てるし…俺はあっちで寝ます。」


 そう言って、ベッドを下りた。


 …が。


 ガシッ。


 腕を掴まれて顔だけ振り向くと…

 咲華さんがベッドに四つ這いになって、俺の腕を掴んでた。


「……」


「…行かないで…」


「…え…?」


「こんな風に…背中を向けないで…」


「……」


「あたし達…」


「……」


 咲華さんは膝で立って俺の背中に抱きつくと。


「…夫婦でしょ…?」


 小さく…つぶやいた。


「…それとも…あたしとはやっぱり…無理…?」


「……」


「あたしは…」


「……」


「あたし…」


 咲華さんの震える声を聞いて…踏ん切りがついた。

 俺は彼女の腕をとって、振り返って抱きしめると。


「…好きだ…咲華…」


 耳元でそう言って…



 強く抱きしめた。

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